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マンホールの写真のストックが34点にもなっていますので、今日はマンホールの記事とします。今回も、友人・岬麻呂氏撮影のものが多数を占めています。(注)●は、友人・岬麻呂氏撮影のものです。<参考>フォト蔵のマイアルバム「マンホール」の写真はコチラ。 過去のマンホール関連記事はコチラ。1.仙北市(●桜の図柄・旧角館町) 上掲写真は天地が逆になっているので、分かり難いですが、中央の旧角館町の町章は片仮名の「カ」を鳩の形に図案化したものである。(注)仙北市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その18)(その19)(その24)2.秋田県南秋田郡五城目町(●五城目城とヤマユリの図柄) 五城目城(森林資料館)と町の花・ヤマユリがデザインされている。3.十和田市(●馬の親子と松、桜の図柄) 十和田市は、文久3年(1863年)に馬市が開催されて以来、馬セリで賑わい、明治時代には、陸軍の軍馬補充部が開設されるなど、馬産地として栄えて来たという歴史がある。(注)十和田市のマンホール掲載の過去記事は(その18)(その25)。4.弘前市(●リンゴと桜の図柄)(注)弘前市のマンホール掲載過去記事は(その25)。5.函館市(●五稜郭と旧函館区公会堂の図柄)(●規格品タイプ) 中央の市章をHAKODATE SEWERAGEの文字が囲んでいるデザイン。(●烏賊の図柄)(注)函館市のマンホール掲載過去記事は(その17)。6.北海道積丹郡積丹町(●ウニと島武意海岸の図柄)(注)積丹町のマンホール掲載過去記事は(その24)。7.小樽市(●ラッコの図柄)(●小樽運河の図柄)(注)小樽市のマンホール掲載過去記事は(その5)(その17)(その24)。8.室蘭市(●規格品タイプ)(注)室蘭市のマンホール掲載過去記事は(その17)。9.石狩市(●規格品タイプ)(注)石狩市のマンホール掲載過去記事は(その19)。10.北海道斜里郡斜里町(●ポケモンの図柄)(●知床半島とヒグマ、オジロワシ等の図柄)(注)斜里町のマンホール掲載過去記事は(その21)。11.東京都(都立公園のマンホール) これは日比谷公園で撮影のもの。(浜離宮庭園タイプ) これは、浜離宮庭園で撮影のもの。「低圧」とあるから、下水用ではなく電気設備用のマンホールなんだろう。(注)東京都のマンホール掲載過去記事は(その12)。12.大阪市(キン肉マンの図柄) 大阪城公園で撮影。 「下水道展”21大阪」の開催を記念して、大阪市出身の漫画家「ゆでたまご」(嶋田隆司氏・中井義則氏)の作品と連携したデザインマンホール蓋が5種類作成されたとのことだが、これはその内の一つ。(注)大阪市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その1)(その3)(その4)(その10)(その13)(その25)13.東大阪市(ポケモンの図柄・エレキッドとクチート) ポケモンの図柄のマンホール蓋のことを「ポケふた」と呼ぶらしい。 東大阪市内にはポケふたが5枚あり、その設置場所を図示したパンフレットが作成されている。去る3月18日にマイナンバーカードの交付を受けるため、東大阪市庁舎まで出かけた折に、そのパンフレットを入手したので、銀輪散歩などで近くを通った時にこれら5枚のポケふたを撮影しました。 ポケふたをなぜ設置したのかなどはパンフレットに記載がありませんから、東大阪市とポケモンとは何の関係もなく、単なる話題つくりということに過ぎないようです。(ポケモンの図柄・コイルとレアコイル)(ポケモンの図柄・ギアルとギギアル)(ポケモンの図柄・ライコウ)(ポケモンの図柄・トゲデマルとワンパチ)(注)東大阪市のマンホール掲載過去記事は次の通り。 (その1)(その3)(その4)(その8)(その11)(その14) (その15)(その20)(その24)14.奄美市(●旧名瀬市・サンゴと熱帯魚の図柄)(●旧名瀬市・西郷流謫地とハイビスカスの図柄)(注)奄美市のマンホール掲載過去記事は(その15)(その18)。15.鹿児島県大島郡大和村(●ぼれぐら<群倉>の図柄)16.会津若松市(●磐梯山と松の図柄)(注)会津若松市のマンホール掲載過去記事は(その16)。17.福島県耶麻郡磐梯町(●オオルリ、コブシ、リンドウの図柄)18.山形県東置賜郡高畠町(●高畠鉄道廃線跡とアカマツ、ツツジの図柄) 高畠鉄道廃線跡はまほろば緑道というサイクリングロードに整備されている。アカマツは町の木、ツツジは町の花である。19.米沢市(●アズマシャクナゲの図柄)(注)米沢市のマンホール掲載過去記事は(その19)。20.天童市(●将棋の駒とカエデの図柄)(注)天童市のマンホール掲載過去記事は(その14)。21.村山市(●規格品タイプ)22.新庄市(●アジサイとモミノキと生命樹の図柄)(注)新庄市のマンホール掲載過去記事は(その18)(その19)。23.上山市(●案山子の図柄)(注)上山市のマンホール掲載過去記事は(その14)24.東根市(●サクランボの図柄) 東根市はサクランボ「佐藤錦」発祥の地。サクランボ生産量は日本一。(注)東根市のマンホール掲載過去記事は(その14)。
2023.06.27
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友人・岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今年に入って、早や10回目の旅便りとなります。 今回は、「梅雨のない北海道、函館と小樽の夜景が目的の夫婦旅」とのことでありました。(旅・岬巡り報告312 道南)※画面をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真でお読みください。(旅報告312 道南 写真説明)6月12日関西空港→新千歳空港→(レンタカーで)室蘭・地球岬→白鳥大橋→函館・八幡坂→函館国際ホテル・夕食後→金森倉庫付近散策→(タクシーで)函館山二合目→八幡坂・元町教会、旧函館区公会堂、青函連絡船摩周丸→函館国際ホテル(泊)(地球岬灯台) 室蘭の地球岬は視界50mの濃霧。地球岬灯台はかろうじて見えました。 昼食場所を探すのに一苦労、室蘭駅前の寿司屋で昼食。 函館へ。雲は低く垂れこめ、函館山は雲の中である。(八幡坂) 八幡坂を見て、この日の宿、函館国際ホテルへ。 ホテルで夕食後、近くの金森倉庫付近を散策。(函館市のマンホール1) 函館市と言えば五稜郭であるが、マンホールにも五稜郭がデザインされている。その五稜郭の輪郭の中に描かれているのは函館港の金森倉庫の建物であろうか。<追記:訂正注記>下記の岬麻呂氏コメントでのご指摘があって、気づきましたが、上掲マンホールの図柄の建物は旧函館区公会堂でした。ヤカモチの不注意にて金森倉庫かもと記しましたが、間違いです。訂正します。(22時32分)(金森倉庫) 暮れてゆく金森倉庫付近から眺める函館山は、二合目より上は雲の中のようである。 タクシーを拾って、函館山二合目へ。 函館市街の夜景を眺めてみようという次第。(函館山二合目からの函館市街夜景) 夜の八幡坂を下り、再び函館港へ。(八幡坂夜景) 四つ上の午後4時少し前の写真と午後7時40分頃の上の夜景写真とは、ピッタリ同じアングル同じ位置で撮影されているのはお見事であります。(函館港夜景) 画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧いただくと分かりやすいですが、中央の街路灯の右奥、対岸側に五稜郭タワーがライトアップされているのが見えています。 写真はありませんが、元町教会、旧函館区公会堂、青函連絡船摩周丸のライトアップ展示などを巡って散策されたようです。6月13日曇り時々小雨・立待岬→五稜郭→大沼公園→長万部IC・R5経由→寿都町・寿都温泉「ゆべつのゆ」(昼食)→弁慶岬→岩内町・岩内高原ホテル(泊)・窓から泊原子力発電所遠望 旅の二日目のこの日は曇り時々小雨というお天気。 写真は、立待岬ではなく、マンホールのそれで始まりますが、何処にでもある規格品タイプの図柄でありました(笑)。 HAKODATE SEWERAGE(函館下水)という中央の文字だけが独自性を見せているかも。(函館市のマンホール2)<追記2023.6.24.> 岬麻呂氏からの追加送信の写真です。 「立待岬ではなくマンホールの写真で始まり・・」などと書いたので、送って下さったのかもしれません(笑)。この手前500mほどの場所に石川啄木の墓があるとのことです。(立待岬) そして、五稜郭。(五稜郭) 函館と言えば五稜郭は外せないと、五稜郭タワーに上って撮影くださったのでしょう。 中央に見える建物は復元された函館奉行所である。 もう一つ外せないのは烏賊であるが、これはマンホールで代用のようであります(笑)。(函館市のマンホール3)(大沼公園)(函館市のマンホール4)※<追記:訂正注記 2023.6.27.>上掲のマンホールは、岬麻呂氏からのメールでは函館のマンホールと記されていましたが、市章が函館のそれではないので疑問を抱き、調べた結果、室蘭市のマンホールでありましたので、訂正します。冒頭の地球岬訪問時に撮影されたのではないかと推測されます。 長万部ICからR5を経由して寿都町へ。 R5と言えば、先日、豚を積んだトラックと観光バスとが正面衝突した道ですな。<追記・注>岬麻呂氏が走られたR5は高速道路の方で、一般国道5号ではなかったとのことです。(22時35分) 北海道では昼食の場所を見つけるのが大変なのか、此処でもそれに苦労されたとか。寿都温泉「ゆべつのゆ」に立ち寄って昼食にありつく。 弁慶岬で雨降り止む、と書かれているから、昼食場所を探して居られた頃か、昼食後の時間帯には小雨が降っていたのかも。(弁慶岬) 午後1時22分、雨の止んだ弁慶岬。ハマナスの花も雨に濡れてひと際美しく見えます。 この日の宿、岩内町の岩内高原ホテルへ。 ホテルの窓から泊原子力発電所が遠望されたとのこと。 とまり、いや、つまり、泊りのホテルの窓から泊原発が見えたということで、とまり・とまりの駄洒落で落ちが着いたということでしょうか。 岩内町だけに、言わないこっちゃ、とは言わないことです(笑)。6月14日曇り・積丹半島・神威岬・積丹灯台・島武意海岸→余市ニッカウヰスキー醸造所→小樽・高島岬・日和見灯台→天狗山→小樽運河→ホテルソニア小樽(泊)・夕食後、小樽運河沿い散策 この日は、積丹半島へ。(神威岬) 神威岬到着は午前10時頃か。 ここは、ヤカモチも8年前に訪れている。 エゾノヨロイグサやエゾカンゾウ(ニッコウキスゲ)が咲く断崖の斜面を見つつ、アップダウンを繰り返す細い遊歩道を岬の先端まで歩いたことを懐かしく思い出します。 尤も、今回の岬麻呂氏は、岩内町からであるから、R229を北上というコース。小樽・余市からR229をバスでやって来たヤカモチとは逆方向からの来訪ということになる。<参考>神威岬へ 2015.7.20. 神威岬から積丹岬へ。 8年前には神威岬から余市までR229を自転車で走ったヤカモチですが、岬麻呂氏も同じ道を積丹岬、余市へと行かれるのでしょう。(積丹町のマンホール)(積丹岬・島武意海岸) 積丹灯台直下の島武意海岸。断崖直下の海岸、これは見ただけでもう海岸まで下りる気は失せるというものです。 余市のニッカウヰスキー醸造所に到着した時には、曇り空が青空に。(ニッカウヰスキー余市貯蔵倉庫) ここのレストランで昼食とされたようですが、真の目的は、余市工場限定品のウヰスキーを入手することにあったようです。 余市から小樽へ。 高島岬の日和山灯台。(日和山灯台) 灯台の右下に見える建物は小樽市鰊御殿。 この建物は、北海道炭鉱汽船株式会社が創立70周年記念事業の一環として、昭和33年に、泊村にあった建物を譲り受けてこの地に移築し、小樽市に寄贈したものだそうです。 手前の施設は小樽水族館。<追記:2023.6.24.> 岬麻呂氏からの追加で送信の写真です。 上の写真撮影場所の後方の高みにあるホテルの写真です。 8年前の小樽銀輪散歩の際にヤカモチが宿泊したホテルでもあります。(ホテルノイシュロス小樽)<参考>小樽銀輪散歩(その1) 2015.7.24. 小樽市街を通り抜けて天狗山へ。 余市方向から来ると高島岬は左(北)方向、天狗山は右(南)方向で、小樽駅や小樽市役所、小樽運河などのある中心街を挟んで反対方向になるから、高島岬の方向に走られたのは、上の写真を撮るための寄り道であったのでしょう。(小樽・天狗山) 天狗山は、スキー場になっている山であるが、小樽市街が一望。 高島岬日和山灯台は、写真の左上奥に見えている岬(茅柴岬)に隠れて直接には見えないようですが、その岬を越えた一つ向こう側の岬になります。 右手前の緑地は小樽公園でしょう。この公園にある「こころよく 我にはたらく 仕事あれ それを仕遂げて 死なむと思ふ」という石川啄木の歌碑を求めて、坂道を自転車で上ったことを思い出す。<参考>小樽銀輪散歩(その3) 2015.7.26. 今回の旅は、函館と小樽の夜景が目的とのことでありましたから、この天狗山で夜が来るのを待たれるのかとも思いましたが、時刻が早過ぎましたね。函館の 夜景は見せつ 天狗山に 見せむと待つや 小樽の夜景 (偐宵待)という訳には参らなかったようであります(笑)。 小樽運河を見てから、運河沿いにあるホテルに先ずチェックインでありました。(小樽運河) 小樽の夜景は、やはり運河沿いが定番なんでしょう。函館の夜景は函館山からであるが、小樽の夜景は天狗山からではなく運河沿いで、というのが正解なのかも(笑)。(小樽運河夜景1) 夕食後は、運河沿いを散策でありました。我妹子(わぎもこ)と 小樽運河の 小夜小径(さよこみち) 二人し行けば うれしからまし (偐岬持)小夜小径(さよこみち) 灯(あか)りうれしみ 我が君に ともなはれ行く 小樽の運河 (岬夫人)(同上2)(小樽市のマンホール<ラッコ>)(同上<運河>)6月15日石狩川河口・石狩灯台・ハマナスの丘公園→雄冬岬(石狩市浜益区)→雄冬岬展望台(増毛町雄冬)→新千歳空港→関西空港 旅の最終日は、石狩川河口の石狩灯台へ。(石狩灯台)浜茄子と 浜昼顔の 咲く丘の 空にし凛と 石狩灯台 (偐家持)浜茄子の 丘の灯台 風の音を 聞く人なしに いたづらに吹く (偐岬持) この灯台をともに訪ねた今は亡きご友人を偲びつつ、北上して雄冬岬へ。(石狩市のマンホール) 雄冬岬は、北海道三大秘境岬の一つだそうです。 因みに、他の二つは、室蘭の地球岬、根室の落石岬だそうです。(雄冬岬・銀河の滝)(雄冬展望台からの眺め) 雄冬岬展望台は、駐車場から急階段で約30m高低差を上るとのこと。 これはかなりこたえたようです。 今回の978kmのロングドライブの疲れよりも、展望台の階段の方がきつかった、というのが最終の氏のご感想でありました。(雄冬展望台) これは、駐車場から見上げて撮影の展望台の写真でしょうか。 確かに、一気に階段で上るというのは、足に来そうです。 ヤカモチは遠慮して置くことにします。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.06.23
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このところ虫をとり上げた記事は長らくアップしていないように思う。 で、調べてみると昨年11月22日のオオシロオビアオシャクという蛾の記事が最後のそれのようだ。 先日の万葉の小径で見かけたカメムシの写真があるので、久々に虫の記事とします。<参考>オオシロオビアオシャクと名前不詳の蛾 2022.11.22.(ハラビロヘリカメムシ1)<参考>ホシハラビロヘリカメムシ・Wikipedia ハラビロヘリカメムシ ホシハラビロヘリカメムシは背中に黒い斑点が二つあるのだが、写真のこれは、その斑点が鮮明ではない。ということで、ハラビロヘリカメムシかもと思ったが、ハラビロヘリカメムシの触角の第一節はほぼ頭のサイズと同じ長さであり、ホシハラビロヘリカメムシのそれは頭のサイズよりも長いとのこと。写真で見ると頭のサイズよりも長いようなので、ホシハラビロヘリカメムシかもしれないのだが、ハラビロヘリカメムシということにしておきます。※ホシハラビロヘリカメムシの写真掲載の過去記事はコチラ。(同上2) もう少し接近して撮影。 やはり、星印の黒い斑点が不鮮明。やはり、ハラビロヘリカメムシか。(同上3) はい、横顔も撮って置きましょう。(同上4) 反対側の横顔も。(同上5) 正面からの顔も撮影しようとしたが、これは嫌だったようで、体の向きを変えてしまい、撮らせてくれない。 カメムシの世界も顔認証が普及しているのか、その悪用を懸念して、撮らせまいとしているのかも、であります。 次は、アメンボ。 これは、万葉の小径ではなく、花園中央公園での撮影。(アメンボ1) もっと、大きく撮影しようとするが、ちょこまかと素早く動くので、体の細部が見て取れるほどに大きく撮影するのは、コンパクトデジカメでは無理なようです。(同上2)<参考>アメンボ・Wikipedia アメンボは漢字だと水黽と書き、何となく亀に似た字であるから、カメムシと並べてみるのも、一興。もっとも、黽は音読みでは、ベン、ビン、ボウ、訓読みでは、あおがえる、つと(める)で、アオガエルを意味し、亀ではないようであります(笑)。(同上3) あめんぼ あかいな アイウエオ うきもに こえびも およいでる かきのき くりのき カキクケコ きつつき こつこつ かれけやき・・の北原白秋の「五十音」という詩では、「あめんぼ」は「水馬」であるから、蛙どころか、馬ということで、カメムシと並べるのは、いよいよ無理がありますな。 あめんぼ かめむし アカサタナ・・<参考>虫関連の過去記事はコチラ。
2023.06.21
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(承前) 前頁記事の続編。万葉の小径の万葉歌碑、残り14基を紹介します。(万葉歌碑23 ほほがしは ホオノキ)わが背子が 捧げて持てる 厚朴(ほほがしは) あたかも似るか 青き蓋(きぬがさ) (講師僧恵行 万葉集巻19-4204)(万葉歌碑24 ねぶ ネムノキ)昼は咲き 夜は恋ひ寝(ぬ)る 合歓木(ねぶ)の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ (紀女郎 万葉集巻8-1461) これもベンチの天端に埋め込まれたタイプの歌碑。 傍らのネムノキから花が散り落ちていました。昨日(きそ)は咲き 今日(けふ)は散りぬる 合歓木(ねぶ)の花 雨に濡れても 歌碑をし飾る (偐家持) ベンチの反対サイドの歌碑がこれ。(万葉歌碑25 ゆずるは ユズリハ)古(いにしへ)に 恋(こ)ふる鳥かも ゆずるはの 御井(みゐ)の上(うへ)より 鳴き渡り行く (弓削皇子 万葉集巻2-111)(万葉歌碑26 あふち センダン)妹(いも)が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに (山上憶良 万葉集巻5-798)(万葉歌碑27 つばき ヤブツバキ)巨勢山(こせやま)の つらつら椿 つらつらに 見つつ思(しの)はな 巨勢(こせ)の春野を (坂門人足 万葉集巻1-54)河上(かはのへ)の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢(こせ)の春野は (春日蔵首老 万葉集巻1-56)(万葉歌碑28 つまま タブノキ)磯の上の 都万麻(つまま)を見れば 根を延(は)へて 年深からし 神さびにけり (大伴家持 万葉集巻19-4159)(万葉歌碑29 しらかし シラカシ)あしひきの 山道(やまぢ)も知らず 白橿(しらかし)の 枝もとををに 雪の降れれば (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-2315) ここで、広い通り(平城神功線)に出る。これを渡った向かい側の小さな緑地が万葉の小径の終点ということになる。(万葉の小径・終点の緑地) ポケットパークと表現するのが似合いの小さな緑地であるが、神功四丁目第2号緑地というのがその名称であるらしい。 東側の石のカラト古墳の方角からこの小径に入って来たので、そこを始点、こちらを終点としましたが、どちらを始点とするかは、その人の視点次第ですから、どちらを始点、終点とするかは、人それぞれであります。 記述の便宜上、当記事ではこちらを終点として続けます。(万葉の小径案内図) こちら側にも始点にあったのと同様の案内図の碑があります。 此処には7基の万葉歌碑がある。(万葉歌碑30 はねず ニワウメ)夏まけて 咲きたる唐棣(はねず) ひさかたの 雨うち降らば うつろひなむか (大伴家持 万葉集巻8-1485)(万葉歌碑31 さきくさ ミツマタ)春されば まづ三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢はむ な恋ひそ我妹(わぎも) (柿本人麻呂歌集 万葉集巻10-1895)(万葉歌碑32 うめ ウメ)わが園に 梅の花散る ひさかたの 天(あめ)より雪の 流れ来るかも (大伴旅人 万葉集巻5-822)(万葉解説碑・万葉人の時代) 万葉人の時代と題された解説碑の陶板であるが、無残な姿になっている。 自然劣化でこのようになるとは思えないから、ボールとか小石とかを度々投げつけるという馬鹿な行いをした人間が居たようだ。 単なる愚行ではなく器物損壊という犯罪行為。いったい誰がこんなことをしたのかであるが、何ともはや、であります。この園の 万葉陶板 割れてあり 何処ぞの馬鹿の なしたることか (怒家持) 気を取り直して、残4基の万葉歌碑を拝見しましょう。(万葉歌碑33 もも モモ)春の苑 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つをとめ (大伴家持 万葉集巻19-4139)(万葉歌碑34 すもも スモモ)わが園の 李(すもも)の花か 庭に降る はだれのいまだ のこりたるかも (大伴家持 万葉集巻19-4140)(万葉歌碑35 なし ナシ)露(つゆ)霜(しも)の 寒き夕(ゆふべ)の 秋風に もみちにけりも 妻なしの木は (万葉集巻10-2189)(万葉歌碑36 なつめ ナツメ)玉掃(たまはばき) 刈(か)り来(こ)鎌麿(かままろ) 室(むろ)の樹と 棗(なつめ)が本(もと)と かき掃(は)かむため (長意吉麿 万葉集巻16-3830) はい、これで全36基の万葉歌碑の紹介完了であります。 お気に召した歌はありましたでしょうか。 また、万葉のお勉強の参考になりましたでしょうか(笑)。 概ねランチタイムになっていましたので、4月の時のように西大寺駅方向に走ることはせず、高の原駅へと引き返すことに。 ということで、今度は歌碑ではなく、小径の草花や虫などにも注目しつつ、始点へとブラブラ歩き。 高の原駅から石のカラト古墳へは上り坂でありましたから、帰路は下り坂であります。楽々と高の原駅前に到着。イオンモール高の原の駐輪場にトレンクルを駐輪して、2Fのレストラン街で昼食。 昼食後、トレンクルで、エゴノキ第一歩道橋を渡り、向かいの土師山公園で煙草休憩。タンポポではなくひょろりと背丈の高いブタナがユラユラと風に揺れていたりもしました。 帰宅してから調べたところによると、この歩道橋が通っている道はエゴノキの道という名前で、歌姫公園や音浄ヶ谷公園に通じているのでありました。 高の原駅から電車で帰途に。大和西大寺駅で急行に乗車。最寄り駅の枚岡には急行が停車しないので、石切駅で乗り換えとなる。各駅停車の電車を待つよりは、とそのまま石切駅で下車、馴染みの喫茶店である「ペリカンの家」で珈琲をと坂道を下り、喫茶店へ。ペリカンの家、花園中央公園寄り道で、少し走り足りなかった今回の銀輪散歩の帳尻を少しばかり合わせることとしました。 以上で、銀輪万葉・「石のカラト古墳&万葉の小径」記事、全4部完結であります。(完)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記参照。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2023.06.20
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(承前) 前頁の記事の万葉の小径の万葉歌碑の続きです。 万葉歌碑9のクワの歌の歌碑からです。(万葉歌碑9 くは クワ)筑波嶺つくばねの 新桑繭にひぐはまよの 衣きぬはあれど 君が御衣みけしし あやに着欲きほしも (万葉集巻14-3350) 高の原駅を出てすぐの処で出会ったエゴノキ第一歩道橋がどういう経緯で命名されたのかは存じ上げないが、その名を見て思い浮かんだのは、大伴家持の歌のことでありましたが、その歌の歌碑もありました。(万葉歌碑10 ちさ エゴノキ)大汝おほなむち少彦名すくなびこなの 神代かみよより 言ひ継ぎけらく 父母ちちははを 見れば尊たふとく 妻子めこ見れば 愛かなしく愍めぐし うつせみの 世の理ことわりと かく様さまに 言ひけるものを 世の人の 立つる言立ことだて ちさの花 咲ける盛りに はしきよし その妻の児と 朝夕あさよひに 笑ゑみみ笑まずも うち歎なげき 語りけまくは 永久とこしへに 斯かくしもあらめや 天地あめつちの 神かみ言こと寄よせて 春はる花はなの 盛さかりもあらんと 待たしけむ 時の盛さかりそ 放さかりゐて 嘆なげかす妹が いつしかも 使つかひの来むと 待たすらむ 心不楽さぶしく 南風みなみ吹き 雪消ゆきげ溢はふりて 射水川いみずかは 流る水沫みなはの 寄るへなみ 左夫流さぶるその児に 紐ひもの緒の いつがり合ひて にほ鳥の 二人並びゐ 那呉なごの海の 沖を深めて 惑さどはせる 君が心の 術すべもすべなさ (大伴家持 万葉集巻18-4106)(注)上の長歌は、下記<参考>の過去記事に掲載のものをコピーして貼り付けましたので、写真の歌碑のそれとは文字使いが一部異なっています。<参考>エゴノキの花が咲き始めています 2023.5.2.(万葉の小径案内図2) 万葉の小径案内図2にはこの場所の地理的位置が説明されていて参考になります。文中記載の押熊、音浄ヶ谷、歌姫などの瓦窯跡などは未訪問であるが、機会があれば訪ねてみることにしよう。(万葉歌碑11 たへ コウゾ)春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天の香具山 (持統天皇 万葉集巻1-28)(万葉の小径の標石) 万葉の小径の南側にも木立越しに道が並行していて、それと小径とをつなぐ路にも万葉の小径という標石が設置されている。(万葉の小径) 万葉の小径は、上の写真の奥辺りまで緩やかな上り坂でその先からは緩やかな下り坂になっている。 右側に見えるのが万葉歌碑。その向かい側のベンチにはその天端両端に歌碑陶板が埋め込まれている。(万葉歌碑12 あしび アセビ)池水に 影さへ見えて 咲きにほふ 馬酔木(あしび)の花を 袖に扱入(こき)れな (大伴家持 万葉集巻20-4512)(万葉歌碑13 やまぶき ヤマブキ)山振(やまぶき)の 立ち儀(よそ)ひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく (高市皇子 万葉集巻2-158)(万葉歌碑14 くり クリ)瓜食(は)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲(しの)はゆ いづくより 来りしものそ まなかひに もとなかかりて 安眠(やすい)しなさぬ (山上憶良 万葉集巻5-802)(万葉歌碑15 しひ シイ)家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る (有間皇子 万葉集巻2-142)(万葉歌碑16 さかき サカキ)ひさかたの 天の原ゆ 生あれ来たる 神の命みこと 奥山の さかきの枝に 白香しらかつけ ゆふとりつけて 斎戸いはひべを いはひほりすゑ 竹玉たかだまを 繁しじに貫ぬき垂たり 鹿猪ししじもの ひざ折り伏せ 手弱女たわやめの おすひ取り懸け かくだにも 吾は祈こひなむ 君にあはじかも (大伴坂上郎女 万葉集巻3-379)(注)下記<参考>の過去記事に掲載のものをコピーして貼り付けていますので、写真の歌碑のそれと文字使いに異なる部分があります。<参考>高岡銀輪散歩(その6) 2012.6.28.(万葉歌碑17 たちばな コミカン)橘は 実さへ花さへ その葉さへ 枝(え)に霜降れど いや常葉(とこは)の樹 (聖武天皇 万葉集巻6-1009) 上の万葉歌碑16と17は、ベンチに埋め込まれたタイプのものです。 印刷した陶板を貼り付けまたは埋め込むというのは、石に文字を刻する通常の歌碑に比べれば、手軽で安価、手っ取り早くはあるけれど、耐久性には問題があり、割れてしまったりして文字が読めないというものもある。 酷い状態になる前に新しいものに取り替えるなど、維持管理をしっかりして欲しいものですが、費用もかかることですからどうなるものやら。(解説碑 万葉人の衣食住) この付近から小径は下り坂になっている。(万葉の小径 ゆるやかに下っている。)(万葉歌碑18 かしは カシワ)稲見野(いなみの)の あから柏(がしは)は 時はあれど 君を我が思ふ 時はさねなし (安宿王 万葉集巻20-4301)(万葉歌碑19 まゆみ マユミ)南淵(みなぶち)の 細川山(ほそかはやま)に 立つ檀(まゆみ) 弓束(ゆづか)纏(ま)くまで 人に知らえじ (万葉集巻7-1330)(万葉歌碑20 つき ケヤキ)とく来ても 見てましものを 山背(やましろ)の 高(たか)の槻群(つきむら) 散りにけるかも (高市黒人 万葉集巻3-277)(万葉歌碑21 うのはな ウツギ)霍公鳥(ほととぎす) 来(き)鳴き響(とよ)もす 卯の花の 共(とも)にや来(こ)しと 問はましものを (石上堅魚 万葉集巻8-1472)(万葉歌碑22 さくら ヤマザクラ)梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてあらずや (張氏福子 万葉集巻5-829)桜花の 歌碑まで来れど いささかに 疲れてあれば 継ぎての記事に (偐家持) ということで、残りの歌碑14基ありますが、これらは明日以降の記事にて紹介します。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記参照。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2023.06.19
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(承前) 前頁の続編ですが、今回から6月16日の銀輪散歩の記事となります。 4月23日の銀輪散歩で見つけられなかった万葉の小径への再挑戦。 前回同様にトレンクル持参で近鉄・高の原駅下車。駅改札を出て、トレンクルを組み立てて出発であります。(近鉄京都線・高の原駅 エゴノキ第一歩道橋から) 駅前の歩道橋は何という名前なのか確認していないが、そこからこちらにやって来るとエゴノキ第一歩道橋という人道橋がある。 その橋の上から撮った写真です。 橋を渡った先の左側は土師山公園という緑地になっている。(同上) この橋は渡らず、イオンモール高の原の建物が尽きる処で左折して西へと進みます。 今回は、万葉の小径を訪ねるというだけの銀輪散歩。 コースは次の通りです。(コース地図 赤線ーが走行コース) 上の地図の青〇印部分が万葉の小径の入口であったのだが、4月23日には、これに気付かず、青線の通りに進んでしまったもの。 そこから左に伸びている赤線が万葉の小径です。(万葉の小径地図) 先ずは、石のカラト古墳まで走る。(石のカラト古墳) この日の石のカラト古墳には、ボランティアの人たちだろうか除草作業をされていました。(同上) 下の写真は帰途に撮影のもの。除草は終わっていました。(同上) さて、万葉の小径です。 万葉の小径は、石のカラト古墳がある神功一丁目緑地から出て、南北に通っている小道を南へと下ったスグのところにある。(万葉の小径の標石とトレンクル) 入口を入って先ず目に止まるのは、上の標石と下の万葉歌碑、休憩所建物である。(万葉歌碑1 かつら カツラ)※万葉歌碑については、歌のみ本文に転記しますが、詳細は画像をクリックして大きいサイズのフォト蔵写真で、お読みください。向(むか)つ峰(を)の 若(わか)楓(かつら)の木 下枝(しづえ)とり 花待つい間(ま)に 嘆きつるかも (万葉集巻7-1359)(万葉の小径・入口近くの休憩所) 問題の青〇印の場所で目に入るのが、上の三つである。普通これらを見落とすことはありえない。 今回もすぐに目に入りました。今となっては記憶が曖昧なのであるが、当日は、入り口に軽トラックが駐車していたような気がする。トラックが背後の休憩所建物を、その屋根に近い部分を除き多くの部分を隠してしまっていたので、民家の進入路、入り口のように勘違いしたように思う。その入り口付近の道路際には、丈の高い草が繁っていたほか、青いビニールシートが張られていたような記憶もあるので、それらが奥の方の景色を見えにくくしていたというような事情も、その勘違いを助長したかもしれない。 今回は、そのような丈の高い草が殆ど目に入らなかったので、駐車していた軽トラックは除草作業のための車で、小径を通行止めにして奥の方で、除草作業や立ち木の剪定などをされている時にたまたま通りかかったということであったのかもしれない。(万葉の小径案内図) 上の案内図で分かるように、此処の万葉歌碑というのは、小径沿いに植えられている木々、植物に因んだ歌であるから、よくある万葉植物園のそれである。この地に因んだ歌とか、この地に因んだ歌人の歌とかといったものではないようです。 まあ、万葉のお勉強のつもりで、順次、歌碑を見て参りましょう。(万葉歌碑2 え エノキ)わが門(かど)の 榎(え)の実もり喫(は)む 百千鳥(ももちどり) 千鳥は来れど 君ぞ来まさぬ (万葉集巻16-3872)(万葉歌碑3 はぎ ハギ)高円(たかまと)の 野辺(のべ)の秋(あき)萩(はぎ) いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに (笠金村歌集 万葉集巻2-231)(万葉歌碑4 あぢさゐ アジサイ)紫陽花(あぢさゐ)の 八重(やへ)咲く如く やつ代にを いませわが背子 見つつしのはむ (橘諸兄 万葉集巻20-4448)(万葉歌碑5 かへるで ヤマモミジ)子持山(こもちやま) 若鶏冠木(わかかへるで)の 黄葉(もみ)つまで 寝(ね)もと我(わ)は思(も)ふ 汝(な)は何(あ)どか思(も)ふ (万葉集巻14-3494)(万葉歌碑6 いちし ヒガンバナ)道の辺の 壱師の花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻を (柿本人麻呂歌集 万葉集巻11-2480) 万葉歌碑は陶板製で、コンクリート製のブロックにはめ込まれている。 同じくコンクリート製の「く」の字型のベンチが置かれている処では、その天端両サイドに歌碑陶板がはめ込まれていたりもする。 小径は入口、休憩所から奥にゆるやかな上り坂になっている。 少し上った処、壱師の歌碑付近から振り返った眺めはこんな感じである。(万葉の小径 写真左奥の建物が休憩所)(万葉歌碑7 つつじ ヤマツツジ)水伝(みなつた)ふ 磯の浦廻(うらみ)の 石(いは)つつじ 茂(も)く咲く道を またも見むかも (日並皇子尊の宮の舎人 万葉集巻2-185)(万葉歌碑8 ははそ コナラ)山科(やましな)の 石田(いはた)の小野の 柞原(ははそはら) 見つつか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ (藤原宇合 万葉集巻9-1730) 万葉歌碑はベンチにはめ込みの陶板を含め、全部で36基もある。 ということで、今日はここまでとし、続きはページを改めての記事とします。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記参照。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2023.06.18
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今年1月の邂逅展での立ち話で、草木染・藍染作家である森澤麗子氏からお聞きした「万葉の小径」を訪ねてみようと、4月23日に出掛けたものの、石のカラト古墳までは行けたけれど、万葉の小径は発見できず、と言っても余り熱心に探さなかったので、空振りに終わりました。<参考>2023年邂逅展 2023.1.7. 仕方なく、秋篠寺や神功皇后陵ほか佐紀古墳群などを銀輪散歩して帰ることとしたのでありましたが、昨日(6月16日)再挑戦して、万葉の小径を訪ねて来ました。 ということで、4月23日の銀輪散歩と昨日の銀輪散歩とを併せて何回かに分けて記事アップすることとします。 先ずは、4月23日の記事から。 近鉄京都線・高の原駅まで愛車トレンクル(小型折りたたみ自転車)持参で移動。 駅前でトレンクルを輪行バッグから取り出して組み立て、銀輪散歩出発。 少し遠回りしたが、石のカラト古墳のある神功一丁目緑地に到着。(石のカラト古墳) 8世紀初めの築造と推定される上円下方墳。(同上)(同上・説明碑) 石のカラト古墳のある神功一丁目緑地を出て南へ道を進むと、直ぐに万葉の小径の入口がある。 下調べなしで、石のカラト古墳の近くにあるということだけで出かけて来たので、この日は何故かその入り口を見落として南へと進み過ぎ、二つ先の辻で脇道に入ったものだから、万葉の小径は発見できないままに終わりました。 そもそも、万葉の小径が目的でやって来たのだから、これが見つからないのであれば、話にならない。とは言え、熱心に探す気もないヤカモチ、秋篠寺や佐紀古墳群などを回る銀輪散歩に切り替えて、方角だけを頼りに進むこととする。 記憶に従って、後日に走ったコースの概略を地図に落とし込むと下掲の通りである。(銀輪散歩コース概略図) 万葉の小径は、京都府と奈良県の境界線上に沿うようにしてあるので、広い道路に出たところで、右に行けば小径の西側出入口の前に出くわすのであったが、右方向は上り坂、左方向は下り坂。となると人は本能的に下り坂の方を選択するもの。ヤカモチも下り坂の左方向を選択。 平城4号公園に立ち寄る。(平城4号公園) 大きな池の周りには桜の木の列。桜の花咲く時期には花見が楽しめる公園のようだが、4月23日では葉桜の季節。それに池の水が抜かれてしまって、池底の黒い泥土が広がっているだけ。 公園の横の細道を下り、秋篠川の支流になる小さな川べりの道に出る。(川べりの道 南方向を望む) この川べりを走れば秋篠川、平城駅前に出られるであろうと、川に沿って南方向へと走る。20分足らずで神功皇后陵に到着。(神功皇后陵) 神功皇后陵に立ち寄るのは何度目になるのだろうか。この近辺、これから走ろうとしているコースも勝手知ったる場所ばかりであるから、余り意気は上がらないが、歳の所為で息は上がる(笑)。 秋篠寺にでも寄ってみるかと近鉄平城駅の前を通り抜け、秋篠川沿いの道を西へ。 奈良競輪近くのコンビニでお弁当を買って、チンして貰った温かい何かを小さな公園の木陰で食べたのであるが、何を食べたのであるかはもう思い出せない。(秋篠寺) この写真は、秋篠寺の南門を撮影しようとしていて、カメラを地面に落っことしたら、シャッターが下りて写っていたものである。 勿論、画面の画像は傾いていたのだが、傾きを補正し、トリミングしたら、それなりの写真になったので、利用することとしました。 カメラが壊れてしまったかと心配したが、幸い撮影機能に問題は無さそうであるからひと安心。打ちどころが良かったよう(笑)。 はい、下のような写真を撮るべしであったのでした。 落とした直後に撮影した写真です。(同上・南門)(同上・本堂)<参考>みささぎをめぐりむかへば 2020.2.10. あきしののみてらにむかふ 2020.3.15. 過去記事を調べてみると、秋篠寺は、2020年3月に大学の先輩である植〇氏と二人で訪ねたのが直近のそれであるから、3年ぶりの訪問ということになる。(同上・十三社から東門へ) 東門から出て、競輪場の前を通り、来た道を平城駅の方に引き返す。 平城駅前で踏切を渡り、民家の間の細道の坂を上ると成務天皇陵と日葉酢媛皇后陵の間の細道。この道はヤカモチお気に入りの道。(成務天皇陵) ここで、一服煙草休憩。(日葉酢媛陵) 垂仁天皇の皇后、日葉酢媛陵にもご挨拶して、隣接の称徳(孝謙)天皇陵にもご挨拶。日葉酢媛陵、成務天皇陵の側からは称徳(孝謙)天皇陵は、裏側になるので、ぐるりと回って、遙拝所のある正面に回る。(称徳・孝謙天皇陵) 東方向に進み、平城天皇陵にご挨拶して、仁徳天皇の皇后、磐之媛の御陵へと走る。(平城天皇陵) 平城天皇陵の先、磐之媛陵へと水上池沿いの道は、奈良サイクリングロードの一部になっていて、快適に走れる道である。(磐之媛陵) この御陵は高校生であった頃から何度となく訪問しているお馴染みの場所というかお気に入りの場所であるが、特にアヤメの咲く季節がいい。(同上・お堀のアヤメ) 藤の花も咲いていました。 まあ、4月23日のことですから、当然ですかね。(同上・お堀端の藤の花)<参考>佐紀・秋篠川逍遥 2008.4.28. 磐之媛皇后と光明皇后 2009.4.20. 奈良銀輪散歩 2010.11.7. 藤原百川の墓・相楽神社から平城宮趾へ(下) 2014.9.29. 平城宮趾に立ち寄り、大極殿を眺めて、この日の銀輪散歩を切り上げることとする。(平城宮趾・大極殿) 近鉄・大和西大寺駅前でトレンクルをたたみ、電車で帰路に。 帰宅後に、万葉の小径の位置を調べて確認。早いうちに再訪と思っていたが、ズルズルと先延ばしとなり、梅雨入り後はお天気の問題もあって、ようやくに6月16日に再挑戦となった次第。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記参照。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2023.06.17
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今日は囲碁例会の日。 天気は不安定で、雨も予想されたが、自宅を出る時には日差しもあったので、マイCB(クロスバイク)で会場の梅田スカイビルへと向かう。 背中のザックには、万一に備え、雨具も入れての出発でしたが、往路も復路も雨に降られることはありませんでした。 コースはいつもの通り、花園中央公園の北東隅、恩智川に架かる恩智橋を渡り、路地をジグザグに走って、河内中野南交差点で中央大通りに入り、これを大阪城公園まで、西へ。 森ノ宮駅前から大阪城公園に入る。(大阪城公園) 大阪城公園を通り抜けて、天満橋を渡る。(大川・天満橋の上から撮影) 天満橋を渡っていると、水上バスがやって来ました。 橋の上には保母さん引率の保育園児が数人、近づいて来る水上バスに盛んに手を振っていました。 大阪城公園とOBP(おおさかビジネスパーク)との間を流れる第二寝屋川に水上バス乗り場があるが、そこを出発した水上バスが寝屋川に入り、京阪電車の鉄橋を潜って、大川との合流点から大川に入って来たのだろう。 上の写真の正面奥に見える橋は川崎橋(人道橋)である。右奥が京阪電車の鉄橋で、寝屋川が大川に流れ込んでいる。 寝屋川はOBPの北側を流れているが、OBPの南側を流れる第二寝屋川がOBPの西側で寝屋川に合流している。 わが地元の恩智川から分流しているのが第二寝屋川であるから、第二寝屋川の水は元々は恩智川の水である。東大阪市池島で第二寝屋川に流れ込み、西方向へと流れる水を除き、恩智川の水は更に北へと流れ、寝屋川に合流している。 従って、OBPの西側、寝屋川と第二寝屋川との合流点で、池島で二手に別れた恩智川の水が、再会していることになる。(滝川公園) 天満橋を渡った先にあるのが滝川公園。ここはいつも小休止することにしている公園。今日も小休止して、藤棚の下のベンチでタバコを一服、そして水分補給。 滝川公園から国道1号に出て梅新交差点へ。梅新交差点を過ぎると道は国道1号から国道2号に変わる。 信号待ちをしていると、太いタイヤの自転車、ファットバイクを手押しでやって来た青年が隣に。何気なく後輪に目をやると、パンクしてペシャンコになっている。「パンクですか。」と声を掛けると、彼は「そこの自転車屋で修理を断られた。」と恨めしそうな声。ヤカモチが先月にパンクして立ち寄った自転車屋のことだと直ぐに気が付いた。ヤカモチのCBでも構造が特殊なのでという理由で修理ができないという自転車屋であるから、ファットバイクなら猶更だろう。ヤカモチのときには、修理可能な他の自転車屋さんを紹介すると店員が言っていたので、「修理可能な自転車屋を紹介して貰わなかったのか」と尋ねたところ、中央区の自転車屋を紹介されたらしい。「中央区まで歩く訳にはいかない」という青年、梅田周辺まで行けば何とかなるだろうと、大阪駅方向に向かう途中であったらしい。 ヤカモチもこの近くの自転車屋についての情報の持ち合わせがないので、彼の力にはなれない。彼の幸運を祈ってヤカモチは先へ。 梅田スカイビル到着は11時50分。 いつもの店、ラーゴディチェーロパルコでランチ&珈琲。 食後、スクエアガーデンの喫煙コーナーで一服。友人と電話で少し話した後、会場の部屋へ。ヤカモチが一番乗り。 碁盤の設営などを済ませたところで、福麻呂氏がご来場。 早速、同氏とお手合わせ。ほぼ互角の展開であったが、最終盤で受けミスがあり、十数目の損失で勝負あったとなり、ヤカモチの負け。 しかし、次の平〇氏、村〇氏には快勝して、今日の成績は2勝1敗。 これで、今年の通算成績は14勝18敗。 碁を打っている時間帯には、雨の音が聞こえるくらいの本降りの雨になっていたりもしたが、いつの間にか止んでいたようで、碁が終わって外に出ると雨は降っていない。ということで、木陰のベンチで平〇氏と恒例の煙草休憩&閑談タイム。 復路では、前回同様に横枕南公園の藤棚ベンチで小休止。(横枕南公園&マイCB) 花園中央公園を右に見て、恩智橋で恩智川を渡り、自宅に帰着したのは午後5時10分。 今日は、花園中央公園には立ち寄らずでありましたが、9日の午後の銀輪散歩で立ち寄った時の写真がブログ未掲載のままになっているので、便乗して掲載して置きます。今日もハナショウブが咲き匂っていたことだろう。(花園中央公園のハナショウブ) 以上、囲碁例会と銀輪散歩の記事でありました。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.06.14
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友人の岬麻呂氏からの旅便りが届きました。 今回は「ジャカランダ祭り(日南市南郷)とえびの高原のミヤマキリシマが目的の夫婦旅」とのことで、5月29日~6月1日の3泊4日、宮崎方面への旅でありました。 (旅・岬巡り報告311宮崎&同写真説明) 近畿地方に梅雨入り宣言が出された日に旅に出発されましたが、宮崎県南部と鹿児島県の梅雨入りは未だとのことで、「曇りを念じ」ての出発でありました。さて、首尾や如何に。5月29日関西空港→宮崎空港→レンタカー→ANAホリデーインリゾート宮崎(3連泊) 宮崎空港の北方向、宮崎市中心部以北は厚い雲に覆われているが、南方向は青空がのぞくとのこと。(青島海岸) ホテルの部屋からは青島海岸が望め、サーフィンを楽しむ人の姿が40~50人ほども見えるとのこと。5月30日日南海岸を南下→堀切峠→道の駅フェニックス→鵜戸神宮→南郷ジャカランダの森→トロピカルドーム→マンゴー生産者、高山さん訪問→都井岬灯台→ホテイアオイの群落→鹿屋市・かのやばら園→ホテル帰着 この日は好天気。日向灘に朝日が昇ります。朝風は 静かに吹きて あかあかと 日向の海に 朝日が昇る (日向家持)(日向灘の日の出) 早朝からサーフィンを楽しむ人の姿も。青島に 朝開きして 波乗りを 楽しむ人見ゆ 今日はよき日に (偐家持)(青島海岸のサーファー) この好天気を逃す手はないと、翌日の予定も一部繰り上げての出発。 いざ、堀切峠へ。(堀切峠) 道の駅フェニックスでは、ジャカランダ、アメリカデイゴの花が満開。 余談であるが、「あめりかでいご」を変換したら、「アメリカで囲碁」となってしまったので、再変換。 前頁の囲碁例会の記事の影響であるか。 PCには「以後、気を付けるように」と注意して置きました(笑)。(道の駅フェニックスのジャカランダ) 次は、鵜戸神宮。 青島や堀切峠、鵜戸神宮などは、ヤカモチも20代の若い頃に一度訪ねているのであるが、近ごろは、岬麻呂氏の旅便りで送られて来る写真によってしばしば見ることが重なり、古い記憶は、岬麻呂写真のそれにアップデートされてしまったみたいで、あやふやになってしまっている。(鵜戸神宮)(南郷ジャカランダの森のジャカランダ) 昨年秋の台風で花芽のついた枝先が多く吹き飛ばされたようで、「ほとんど花なし」の期待外れであったとか。(同上) 写真の左手に写っているのは、その台風で飛ばされたり倒れたりした木の残骸の一部であるか。(同上) そんな中でも比較的多くの花を付けている木があるのは、せめてもの救いであります。 一年ぶりだという知人のマンゴー生産者の高山さんをお訪ねして、都井岬灯台へと向かう。(都井岬・御崎馬) はい、御崎馬にもご挨拶。 串間市街地の手前の湿地にホテイアオイの群落。(ホテイアオイの群落) ホテイアオイの群落と言えば、ヤカモチ的には、奈良県橿原市の本薬師寺跡であるが、長らくご無沙汰している。 こいつは、繁殖力旺盛で他の水草を駆逐してしまう要注意人物、いや要注意植物でもある。<参考>磐余銀輪散歩別巻(2)・本薬師寺趾 2012.10.16. ホテイアオイと黒豚 2018.8.26. ペリカンの家サイクリング・明日香篇本番 2018.9.16. 次が、翌日の予定の場所であったのだろうか。 75kmも先の、鹿屋市の「かのやばら園」まで強行ドライブ。(かのやばら園) 鹿屋市というと、ヤカモチの大学時代、仲がよかった同期の友人・素老人こと八〇君が鹿屋の出身であったことを思い出す。(同上) 最盛期を過ぎてはいるが、まだまだ美しいバラ園を堪能されたとのことであります。(同上・真紅のバラ) バラは真紅なるがよし。兼好さんの口真似を徒然なるままにすれば、こんな物言いになるか。5月31日朝から本降りの雨→人吉城址→子守歌の里・五木→青島熱帯植物園→青島 この日は朝から本降りの雨。 人吉城、五木村へのドライブ。(人吉城址) ヤカモチ風銀輪散歩では、本降りの雨となるとお手上げになるが、岬麻呂風ドライブでは、いい写真が撮れないなどのことはあっても、問題なし、であります。(五木村) とは言え、やはり雨では意気が上がらない。 宮崎に戻り、青島熱帯植物園へ。(青島)(青島熱帯植物園のジャカランダ) はい、ここでもジャカランダの花をしっかり見届けて・・。 このジャカランダの木は日本最古のジャカランダの木であるとのこと。 ジャカランダは満開。 「何れの地でも風景を楽しむ間だけ雨が小休止、なんという幸運」と岬麻呂氏は仰っていますが、それは「同行の奥様のお陰であって、岬麻呂氏ご自身の日頃の行いとは何の関係もないことである。」というのがヤカモチ説であります(笑)。6月1日朝から本降りの雨→えびの高原・つつじが丘→霧島神宮→関之尾の滝→都城→宮崎空港→関西空港 この日も朝から本降りの雨。 もう一つの目的、ミヤマキリシマを見るべく、えびの高原へ。 小林ICから先の県道が通行止めで、迂回を余儀なくされたものの、えびの高原・つつじが丘に到着。(ミヤマキリシマ) ミヤマキリシマも、もう一つの旅の目的とあれば、本降りの雨もなんのその、であります。 ここでも雨が小休止であったのでしょう。 満開のミヤマキリシマを堪能。 霧島神宮にも参拝。(霧島神宮) 豪雨の中、都城に出て、宮崎空港へ。 梅雨の時期にもかかわらず、見どころでは雨が小休止するという幸運、或いは「奇跡」に恵まれて、797kmのロングドライブ旅も無事終了。旅の目的は完遂したとのことにて、先ずはめでたし、めでたしであります。 以上です。今日もご覧いただき、ありがとうございます。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。
2023.06.08
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今日は囲碁例会の日。 前回(5月10日)の例会でパンクしてひどい目にあったマイCB(クロスバイク)で、自宅を出発。 中央大通りから大阪城公園に入ると、ヤカモチお気に入りの堀端にカメラを構えた人の群れ。(何を撮っているのか?) 何を撮っているのか尋ねてみた。マンネンなんとかと仰ったように聞こえたが、よくは聞き取れず、重ねてお尋ねするのも憚られる雰囲気にて、結局何であるかは不明のまま。 然らばとバードウオッチングをする人々を撮る、マンウオッチングであります(笑)。 大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡り、滝川公園で小休止。 昨日の墓参では「門前の言葉」は撮れなかったので、道路向かいのお寺のそれを撮影。(今日の門前の言葉) 知りながら つい忘れがち 親の恩 囲碁に置き換えて、これを言うなら、 知りながら つい忘れがち うっかり手抜き だろうか。 梅田スカイビル到着は11時35分。 自宅を10時に出発したから1時間35分かかったことになる。 大阪城公園と滝川公園で少し時間を潰しているから、10分余程度余計にかかっているか。 駐輪場に自転車を駐輪し、先ずはいつものカフェレストランで昼食。(日替わりランチの来るのを待ちつつ・・) ここでは、会計を先ず済ませ、飲み物だけ受け取り、好きな席へ。 ヤカモチは、珈琲というのが決まり。今日は暑いのでアイスコーヒーであります。 番号札は1番でしたから、食べ物を注文した最初の客ということになるのであるか。 食後、ワンダースクエアという中庭の一角にある喫煙コーナーで一服。 梅田の里山を散策。(梅田の里山) 梅田の里山では、もう田植えも終わっていました。 里山をひとめぐりして、再び喫煙コーナーに戻ると、ヤカモチの現役時代の元部下の中〇君とバッタリ。少し雑談。彼は未だ現役で、現在は関連会社の常務執行役員として頑張っているようです。 囲碁会場の部屋に行くと、ヤカモチが一番乗り。 少しして、青◎氏が来られ、彼と手合わせ。 対局中に、村〇氏、福麻呂氏が来られ、隣で対局が始まる。 最後に、平〇氏が来られ、今日の参加者は全5名。 最初の青◎氏には勝利したものの、続く、平〇氏、福麻呂氏、村〇氏には負けて、1勝3敗。今日も振るわずでありました。これで、今年に入ってからの勝敗は12勝17敗。 今日の門前の言葉ではないが、「知りながらつい忘れがち」の何とやらで、うっかりミスの多い碁でありました。 例会終了後、平〇氏と梅田スカイビルの庭の片隅でタバコ休憩。 帰途は来た道を逆に辿るだけ。(大阪城公園噴水広場) 左手のスターバックスには珈琲休憩で、右手のR Bakerにはランチで、それぞれ1度だけ入ったことがあるが、大抵は横目に眺めてスルーするだけ。 今日も往復各1回前を通りましたが、スルーでありました。 中央大通りを東へ。 途中、横枕南公園で、小休止。(横枕南公園) 藤棚の下のベンチでタバコ一服。そして、水分補給。 藤の実が垂れ下がっていました。奥の神社は春日神社である。 帰宅すると、午後5時40分。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2023.06.07
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今日は月例の墓参。 墓への坂道の途中にある民家の庭先では、今年もギンバイカの花が咲いていました。(ギンバイカ)<参考>ギンバイカ・Wikipedia この花に気が付いたのは3年前のことでありましたが、道端から少し民家の庭先に入ったところにあるので、ながらく気が付かずにいたものでした。 3年前のその時の写真の方が鮮明に写っているみたいですから、下記の参考記事をご参照ください。<参考>墓参、花散歩ほぼ白い花 2020.6.5. このギンバイカの実は食べられるということをネット検索で知ったので、以前、黒く熟したとみられる実を齧ってみたことがあるが、渋みがあって、食えたものではない、ということを経験している。そのことは、下記の参考記事に記載しているので、省略します。<参考>墓参&病院へ(一過性脳虚血発作) 2020.12.4. さらに坂道を上る。 赤いタチアオイの花が民家の窓辺に咲いていた。(タチアオイ) 真っ赤なタチアオイの花というのは珍しい気もするが、白い壁によく似合っている。 タチアオイの花は下から順々に咲いて行き、テッペンの花が咲くと梅雨が明けると言われているらしいが、此処のタチアオイはもうテッペン近くまで咲き、アト二つ三つ咲くとテッペンの花に到達しそう。 どうやら此処のお宅は、梅雨明けが早そうである(笑)。 そこから、少し坂を上ったところにあるお寺が「門前の言葉」の寺であるのだが、ご住職の代が替わったのか、毎月貼り替えられていた門前の言葉が、近ごろはおざなりになっていて、今回も4月の墓参の時のものと同じものが貼られたまま。 これで、4月、5月、6月と三回も続けて、同じものを見せられたことになり、興醒めというものである(笑)。 寺の前で、一つ南側の坂道に移り、その坂道を上って行く。 テニスクラブを過ぎたところにムクロジの古木があり、そのそばに枇杷の木がある。4月の墓参の折に撮影し「枇杷の実の赤ちゃん」として紹介した枇杷の実がもう立派に熟して、枇杷の実らしくなっていました。<参考>ミツバアケビの花 2023.4.10.(枇杷の実) 枇杷の木の隣にはアカメガシワの木。 雄花が咲いていました。(アカメガシワの雄花)<参考>アカメガシワ・Wikipedia アカメガシワは雌雄異株である。雌花は余り見かけないから、雌株の木よりも雄株の木の方が多いのかもしれない。 もう9年も前のことになるが、河内飛鳥川べりを銀輪散歩した際に、その雌花を撮影して記事アップしたことがある。<参考>河内飛鳥川銀輪散歩(その1) 2014.6.20. 雌花の写真はコチラ。 さらに勾配がきつくなる坂道を上る。 左側は川になっていて、石垣にへばりつくように咲いていたのはヒルザキツキミソウ。(ヒルザキツキミソウ) 墓地入口近くにアキニレの木があるのだが、イタドリが大きく育って、アキニレに負けないくらいの高さにまで・・。(イタドリ 背後はアキニレ) アキニレに負けないくらいの高さ、というのはさすがに言い過ぎではあるが、背後のアキニレの高木の半分くらいの高さは十分にある。 墓地に到着。(墓地からの眺め 左手に見えるのがアキニレの木) 今日は、天気はイマイチ。今夜はまた雨のようである。 西に広がる大阪平野の眺めもイマイチ。OBPなど大阪市内のビル街もどんよりした靄の中に沈んでいる。(ドクダミ) 梅雨の時期に元気なのはドクダミ。(同上) その匂いはノーサンキューであるが、花は可愛い。(同上) ヒメジョオンも元気である。 墓地の所々に咲いている。(ヒメジョオン)(同上) ヒメジョオンによく似た花がハルジオン。 花園中央公園で先月に撮影したハルジオンの写真があるので、参考までに掲載して置きます。(ハルジオン) ヒメジョオンは細いけれど一応花びらという感じの花弁であるのに対して、ハルジオンはもっと細くて糸のような花弁である。 葉の付き方や背丈の高さや花が咲く時期なども違いがあるが、一番手っ取り早い見分け方は、茎を折ってみて、中が空洞であればハルジオン、白い芯が詰まっていればヒメジョオンという方法である。しかし、これはいささか乱暴であるから、最後の手段(笑)。(同上) 墓地には、ムラサキツユクサやオオキンケイギクなども咲いていましたが、そんな中で撮ったのはヤブジラミ。(ヤブジラミ)<参考>ヤブジラミ・Wikipedia この花もこれまで何度か記事に取り上げているが、所謂「ひっつき虫」であり、実のなる時期には近づかない方がいい。 さて、墓地の外周の木に白っぽいもの。南側はこれ。(カシの花か) 遠くに見えている木をズームで撮影したので、断定はできないが、樫の木の花らしきものも咲いていた。 そして北側はこれ。南側よりもずっと遠くの木で、肉眼では何か分からない。ズームアップしてみたら、こんな花。(何の花?) 墓参を済ませての帰り、ナツメの木のあるところまで坂道を下って来て、木を覗いてみると、花が咲いていました。(ナツメの花と蟻) ナツメの花は、上の写真でも分かるように、とても小さな花。 蟻が二匹仲良く並んで蜜を舐めてでもいるのだろうか。(同上)(同上) ナツメは蟻に受粉をして貰っているのか、それともアブラムシなど迷惑な虫を退治して貰うために蟻を呼び寄せているのであるか。 道教では、ナツメの実は不老長寿の薬とされる。仙人はこれを食しているらしい。アリが世話をするアリがたい薬という訳でアリます。 さて、帰り道、例の門前の言葉の寺の前まで帰って来たところで、杖をつきながら坂道を上って来られたお婆さんに声をかけられた。「この近くに郵便ポストがありますか?」というもの。寺の近くにあると、どなたかに説明を受けられたらしい。 しかし、ヤカモチの知る限りでは、近くに郵便ポストなどはない。 「さあ、存じ上げませんね。お寺はこれですが、ポストなどはなかったかと思いますが・・。」 とは言え、ヤカモチが見落としていただけのことかもしれず、また、こちらへは別の用があって上って来られたのかもしれないので、そのままやり過ごしましたが、今考えると、坂の上り口まで下り、自宅方向の北へと進むと、我が集落の寺への上り口に郵便ポストがあるから、そのポストのことを教えられたのかもしれない、と思い至った次第。 質問を受けたのは、郵便ポストのある位置からは300m以上離れていること、質問を受けた場所が隣の集落であったことなどから、とっさにはそのポストのことが思い浮かばず、この集落内の何処かのポストという思考に陥っていたということで、無意識のうちに我が集落内のポストのことに思いが行かなかったのだろう。 人は、ある状況下で物事に思いをめぐらす時、知らぬうちに一定の前提条件を置いて、思考するものであるらしい。 今回の場合、「この近く」「お寺の近く」ということで、隣接するわが集落内のポストは思考から排除されてしまったようだ。 「何処かポストのある場所をご存じですか?」という質問なら、自身が知っているポストの場所、ということで、すぐに我が集落内のポストの位置を告げただろうと思う。 「少し距離はありますが、来られた道を引き返して・・」などと道を教えたことだろう。或いは、帰り道のことだから、そこまでお婆さんをご案内することもできたかもしれない。 ヤカモチも、旅先などで自転車がパンクした時には、自転車屋さんが近くにあるかどうかなどを人に尋ねることがあるが、その場合、「近くに自転車屋さんがありますか?」ではなく、「何処か自転車屋さんのある場所をご存じですか?」と尋ねる方が適切かもしれないと思った次第。<参考> 墓参関連の過去記事はコチラ。<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2023.06.06
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偐万葉・どち篇(その10) 久々の偐万葉シリーズ記事です。 シリーズ第334弾になります。 どち篇の「どち」というのは、友人とか仲間という意味ですが、若草読書会関係の友人を除く、その他の友人・知人に関連したヤカモチ歌のアンソロジーであります。 と言うものの、今回はその殆どが友人・岬麻呂氏関連の歌となります。 最近は、友人関係で歌を詠むということも少なくなっている一方で、岬麻呂氏に関しては、氏の旅便りがある都度、いくつかの歌を記事に掲載しているというようなことから、同氏関連の歌だけが突出するという事情にあります。<参考>偐万葉・どち篇の過去記事はコチラ。1.岬麻呂関係 偐家持が岬麻呂に贈りて詠める歌26首ほか並びに岬麻呂が詠める歌1首ひまわりの 畑(はたけ)の上(うへ)の 名残雲(なごりぐも) いづへの方に 我(わ)が旅(たび)行(ゆ)かむ (偐岬麻呂)(本歌)秋の田の 穂の上(へ)に霧(き)らふ 朝霞 いつへの方に 我(あ)が恋やまむ (磐媛皇后 万葉集巻2-88)(20221003ヒマワリ畑・雲海の名残) 岬麻呂が贈り来れる歌1首並びに偐家持が追和せる歌1首富良野路に 畑焼く煙 たなびいて 影長く落ち 夫婦が支度 (岬麻呂)畑野焼く 野火の煙に 見送られ さらばと終えむ 富良野の旅よ (偐焼持)(20221003鳥沼公園)もみぢ葉は さほどにあらね 西都原(さいとばる) 見よ一面に コスモスの花 (咲都原家持)(20221121西都原古墳のコスモス)日向なる 都井の岬の 灯台と 共にし青き 海見る君や (偐家持)(本歌)日向の国 都井の岬の 青潮に 入りゆく端に ひとり海見る (若山牧水)(20221121都井岬灯台)白浜の さがりばなかも 君待ちて 色くれなゐに ときじくに咲く (偐家持)(20221224サガリバナ)月が浜 星砂の浜 雨降れば とふひと我の ほかはなかりき (偐家持)(20221224月ヶ浜)(20221224星砂の浜)平久保の 神もよしとし するならし 君し向かへば しばしの晴れ間 (偐家持)(20221224平久保埼灯台)冬過ぎて 春は来たりと 朝日さす 桜島見ゆ 鹿児島の旅 (偐旅人)(本歌)冬過ぎて 春来たるらし 朝日さす 春日の山に 霞たなびく (万葉集巻10-1844)(20230119桜島の日の出)最南端 見むと那覇ゆし わが来れば 喜屋武(きゃん)の岬は 小雨そぼ降り (偐家持)(20230203喜屋武岬)名護城に わが立ち来れば 緋桜の 花越しに見ゆ 名護の街はも (偐家持)(20230203名護城址から名護市全景)沖縄の 北の果てより 鹿児島の 南の果て見む 辺戸(へど)の岬ゆ (偐家持)(20230203与論島<辺戸岬から>)イダの浜 もとほり来れば 寄す波と 風の音(と)ばかり 人影もなし (西田(いだ)家持)(注)イダは「イリ(西)の田(たんぼ)」という意味の先島諸島の方言に由来する。(20230214西表島・イダの浜)さてどこまで行こうか ニシ浜ビーチ (偐山浜火)(20230214ニシ浜ビーチ)波照間(はてるま)の 海の色にも いやまして 我に良きもの 泡波(あわなみ)ぞこれ (御酒麻呂(みさけまろ))皆人(みなひと)の えがてにすとふ 泡波(あわなみ)も 泡(あわ)は食はぬと 家持われは (泡家持)(20230214泡波酒店)わが来れば 南の果ての 波照間の 何やら悲し 真白き灯台 (岬家持)(波照間灯台)波照間(はてるま)に とどろ寄す波 間なくしも 散って砕けて 砕けて散って (最果家持(さいはてやかもち))(20230214有人島最南端の崖)網走の流氷見て来よ五人旅 (芭氷)<参考句>獺(かはうそ)の祭見て来(こ)よ瀬田のおく (芭蕉)(20230302網走の流氷)オオワシよお前も流氷見物か<参考句>青蛙おのれもペンキ塗りたてか (芥川龍之介)(20230302オオワシ)赤白は 紋別灯台 黒白が 能取岬の 灯台なるぞ (岬灯台守)(20230302能取岬灯台)(20230302紋別流氷公園展望台から・紋別灯台)昔見し 実久(さねく)の海を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも (偐家持)(本歌)昔(むかし)見し 象(きさ)の小川を 今見れば いよよさやけく なりにけるかも (大伴旅人 万葉集巻4-316)加計呂麻(かけろま)の 実久(さねく)の海の 底清み 沈(しづ)く石をも 玉とそ我(あ)が見る (偐家持)(本歌)藤波(ふぢなみ)の 影なす海の 底清(きよ)み 沈(しづ)く石をも 玉とそ我(あ)が見る (大伴家持 万葉集巻19-4199)(20230317実久海岸)花咲けば 松のさ枝は 結ぶとも 心は身にも 添はずなりける (岬北行)(本歌)八千種(やちぐさ)の 花は移ろふ 常盤(ときは)なる 松のさ枝を われは結ばな (大伴家持 万葉集巻20-4501)吉野山 梢(こずゑ)の花を 見し日より 心は身にも 添はず成(なり)にき (西行 山家集上巻66)(20230424烏帽子山公園)見上ぐれば 倉津の川の 夜桜の 先に朧(おぼろ)の 月はありける (朧家持)(20230424倉津川の夜桜)(20230424能舞台・花心殿)桜花 散りぬる風の なごりとて 十和田の街に 葉桜を見つ (偐貫之)(本歌)さくら花 ちりぬるかぜの なごりには 水なき空に 浪ぞたちける (紀貫之 古今集89)(20230507十和田市官庁街)田沢湖を 望む高原(たかはら) 恋ひ来れば 今ぞ盛りと 山桜花(やまざくらばな) (田沢家持)(20230507田沢湖高原・山桜)散りたらば 桜の旅の 顔立たず 八幡大神(はちまんおほかみ) 散らさずにあれ (岬花朝)(本歌)時により 過ぐれば民の 嘆きなり 八大竜王 雨やめたまへ (源実朝 金槐和歌集)(20230520布礼別男山八幡宮)東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて 富良野の朝は 明け行くならし (岬人麻呂)(本歌)東(ひむがし)の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ (柿本人麻呂 万葉集巻1-48)(20230520富良野岳の日の出)春されば ゆきもならじと 除雪車に 言(こと)持ち余す 花活(い)けよとか (除雪娘子)(本歌)この花の 一枝(ひとよ)のうちに 百種(ももくさ)の 言(こと)そ隠(こも)れる おほろかにすな (藤原広嗣 万葉集巻8-1456)この花の 一枝のうちは 百種の 言持ちかねて 折らえけらずや (娘子 万葉集巻8-1457)(20230520湯の沢温泉)<参考>岬麻呂旅便り記事一覧はコチラ。2.もりた麻呂関係 偐家持がもりた麻呂に贈りて詠める歌1首さ百合花 後(ゆり)にも見むと 思へども 今のまさかは ネモフィラの花 (後家持(ゆりやかもち))(本歌)さ百合花 後(ゆり)も逢はむと 思へこそ 今のまさかも うるはしみすれ (大伴家持 万葉集巻18-4088)(20230426舞洲シーサイドパークbyヤカモチ)(注)もりた麻呂氏は友人のひろみちゃん8021氏のブロ友で、彼女からのご紹介で面識を得た御仁。友人・偐山頭火氏のブロ友でもある。 同氏のブログはコチラ。3.健人会関係 偐家持が健人会に寄せて詠める歌1首瀬田川の 青葉の風や 思ふどち い群れて居れば うれしくもあるか (偐家持)(本歌)新(あらた)しき 年の初めに 思ふどち い群(む)れて居(を)れば 嬉しくもあるか (道祖王(ふなどのおほきみ) 万葉集巻19-4284)(20230531料亭新月から望む瀬田川byヤカモチ)<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2023.06.02
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