本日は謡曲の稽古日にて、自宅から大阪城公園・梅田経由江坂まで自転車で往復して来ました。片道2時間20分位の行程になります。淀川と神崎川を渡らなくてはならないのがちょっと大変です。
先日、友人の偐山頭火氏からのメールで、NHK大阪の前庭に、近く放映されるドラマ「大仏開眼」の大仏の実物大撮影セットが展示されているとの情報を得たので、途中立ち寄り写真を撮って来ました。
けん家持の銀輪散歩コースでもある柏原市の石神社辺りにあったとされる智識寺の盧舎那仏を見て、聖武天皇は大仏造立を思い立ったとされていることや、大仏造立に大いに貢献した陸奥の国での黄金出土に対し大伴家持がこれを言祝ぐ歌を詠んでいることなどもありますので、大仏と家持(偐家持も)は、大いに関連があるのであります。
大仏開眼会は天平勝宝4年(752年)4月9日ですから、大伴家持が35歳の時になります。聖武天皇は既に退位し太上天皇となり、娘の阿倍皇女が即位し孝謙天皇となっています。中西進先生は「家持は、聖武天皇の命を受け、墾田開発のため越中に行った。」とされていますが、越中の豪族達に東大寺大仏造立のための巨額の寄付をさせていることや、開眼会の前年751年7月に少納言に任ぜられ、8月に越中から京へと帰任の旅に立っていることなども、それに符合している。
この頃までが家持が最も張り切っていた時期かも知れません。その後、橘諸兄が自身への讒言を潔しとせず右大臣を辞職し(756年2月)、聖武太上天皇が崩御(756年5月)するなどがあり、光明皇后を後ろ盾に藤原仲麻呂が権力を掌握し、大伴氏の影は薄くなって行く。
753年(天平勝宝5年)2月23、25日に家持が作っている春愁絶唱3首がそのことを予見させる。
春の野に 霞たなびき うらがなし この夕影に うぐひす鳴くも (巻19-4290)
わが 屋戸
の いささ 群竹
ふく風の
音のかそけき この 夕
かも (巻19-4291)
うらうらに 照れる春日に 雲雀あがり
情
悲しも 独りしおもへば (巻19-4292)
(大仏開眼の撮影セット)
発泡スチロールを強化樹脂で固めて化粧仕上げしてあるそうです。
奈良の大仏の実寸大とのことですから、まことに巨大。
(正面から)
ドラマは4月3日と10日に放映されるようでありますが、家持が登場するのかどうか、興味があります。吉備真備が主人公のようですが、藤原仲麻呂(恵美押勝)の専制、仲麻呂の乱などで展開されて行くのであるのでしょう。
先日、11日の銀輪行で取り止めた五条市の栄山寺は藤原仲麻呂が父、武智麻呂の菩提を弔うために創建したものらしいから、予定通り行っていれば、タイムリーであったのですが。
仲麻呂の父親の武智麻呂は、藤原鎌足の息子、藤原不比等の4人の息子(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)のうちの長男に当たる人物である。
写真は、地下鉄御堂筋線と並走する新淀川大橋の上から、上流のJR東海道(京都)線の鉄橋を眺めたものです。
謡曲の稽古は、時々このようにして自転車で通ったりもしていましたが、本日を最後とし、謡曲の稽古は休止としました。未だ半人前にもなっていないのですが、ちょっと「やる気」が衰えて来ましたので、またその気になるまで、休止という訳です。師匠から破門された訳ではありません(笑)。
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