昨日24日は午後2時過ぎにMTBで銀輪散歩に出て、北へ。外環状道路や旧道を走りながら、野崎、四条畷を過ぎ、気が付けば天野川まで来ていました。自宅を出たのが2時5分。天野川交野橋到着が3時10分ですから、1時間余で天野川まで行けることが分りました。南の大和川までが50分程度ですから、少し遠いのかも。辿る道によって距離がかなり違うので何とも言えませぬが、天野川はもっと遠いような印象を持っていたのは、以前に来た時はかなり遠回りのコースを取っていた所為のようだ。
道中、もみぢが美しかったのと第二京阪道路付近では藤原為家の歌碑を見つけたのが、今回の銀輪散歩の収穫でありました。
(大東市北条中学校脇のサクラと銀杏の黄葉)
(北条公園から見る黄葉の山並)
上の写真は、生駒山から北に連なる山系の山並の黄葉ですが、正面の白い建物は特別養護老人ホーム。山の左に小さくとがって見えているのが飯盛山(標高314m、円周率と同じなので覚え易い。)の山頂だろうと思われる。山の左側裾に四条畷神社がある。山並右山裾に野崎観音があり、ここから尾根づたいに四条畷神社へハイキングコースがあり、何度か歩いている。
<関連記事> 四条畷神社
、 野崎観音
JR野崎駅、同四条畷駅、同忍ヶ丘駅前を過ぎると、四条畷市から寝屋川市に入る。道はJR線に沿って東寝屋川駅前まで緩やかな長い上り。打上中町で府道20号(枚方富田林和泉佐野線)に入り、しばらく行くと交野市である。星田妙見宮への道をやり過ごすとJR線(学研都市線)のガード。ガードを潜った処で右折、線路沿いの脇道を行き、次の交差点で斜め左に入って行くと府道736号(交野久御山線)に出る。これを右に取ると500mほどで天野川の交野橋に着く。
(交野橋)
天野川の岸辺は遊歩道になっていて散歩する人の影が絶えない。自転車での乗入れもOKである。上流に行くと在原業平の歌碑がある水辺プラザ、下流に行くと第二京阪道路から逢相橋。更に下ると枚方市に入って淀川に至る。交野橋の付近は「天野緑地」という公園になっている。
<関連記事> 水辺プラザ
、 天野川
少し川沿いに下ってみる。程なく今年開通の第二京阪道路が見えて来る。下を潜って下流側に出てみると歌碑があった。藤原定家の息子、為家の歌を刻した歌碑である。今年の3月に第二京阪道路の開通を記念して建立されたらしい。
(第二京阪道路。天野川の上流側から。)
(第二京阪道路。天野川下流側から。右に歌碑が見える。)
<関連記事> 第二京阪道路
藤原為家は小倉百人一首の定家の息子であるが、百人一首を現在のように纏めたのは為家と言われている。為家の墓は嵯峨野にあるが、3年程前に訪ねたことがあります。
<関連記事> 藤原為家
(為家歌碑)
天の川 遠き渡りに なりにけり
交野の御野の 五月雨の頃 (続後撰和歌集)
(注)続後撰和歌集は後嵯峨上皇の命により編纂された
10番目の勅撰和歌集で、撰者は藤原為家である。
後鳥羽上皇がよく通った水無瀬離宮にも近い交野のこの辺りは狩猟場でもあったろう。若き日の為家も後鳥羽天皇の近習としてお伴したことと思われる。
(天野緑地)
<参考>大阪府内地域の銀輪散歩関連の記事は コチラ
からまとめてご覧になれます。
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