本日は朝から墓参。4月2日は亡くなった娘の誕生日である。命日も月こそ違え2日である。死んだ子の年を数えても意味の無いことであるが、生きていれば35歳になる。
墓参りをしていると、鶯がホーホケキョと美しく鳴いて、春の日が穏やかに射しているのでありました。西の方、大阪市内はぼんやりと春霞の中である。
(墓地の楠)
墓地の一番高い場所にある楠の大木。枝打ち払われて、何かオブジェのようでもある。
墓参の後は、うらうらの春日の中、山裾の道を散策。見やればおちこちに桜が咲き始め、足元の野道にはハコベ、イヌノフグリ、タンポポ、ホトケノザ、カラスノエンドウなどが咲いている。
歩いていると暑くなり、上着を脱いで腰に巻き、シャツの袖を肘あたりまで捲り上げて、丁度いい位の春の陽気である。
枚岡梅林までやって来ると、梅はあらかた散ってしまったが、それに代って桜が満開とはゆかぬが五分咲き位で、華やいだ雰囲気を醸していた。
(枚岡梅林の桜)
(同上)
(同上)
鶯の 鳴き来や野辺の 桜花
今し咲けるを 見む人もがな (偐家持)
梅林で桜を愛でては「梅」に申し訳ないが、梅林なのに桜があるのだから仕方がない(笑)。梅林からたつみ橋を渡ると枚岡神社の境内に入る。
<参考> 枚岡梅林
(2009年2月21日)
枚岡神社
(2008年7月12日)
枚岡神社秋郷祭
(2008年10月14日)
枚岡神社秋郷祭2009
(2009年10月16日)
(枚岡神社本殿)
(枚岡神社拝殿)
(同上・吊り灯籠)
枚岡神社から枚岡公園へと続くハイキングコースの道の傍らに小さな池がある。最近これの改修工事が行われていたが、やっと終わったようで、以前の荒れ放題の池がこじんまりと整備されてしまった。この池にまつわる話など知らなかったが整備・改修工事で案内説明板も設置され、その記載から今日初めてそれを知りました。
(姥ヶ池)
以下は案内説明板記載内容を転写。
この池は昔から「姥が池」と呼ばれていました。それは今をさかのぼ
ること約600年前の出来事「悲しい老婆の身投げ伝説」に由来しています。
その伝説とは、枚岡神社の御神燈の油が毎夜なくなり、火が次から次へと消えていました。妖怪変化の仕業と不気味がられていましたが、その正体をつきとめると、生活に困っていた老婆がこの油を盗んでは売っていたのでした。そのわけを知り、気の毒に思って老婆を釈放してやりました。しかし、人の噂が広まっていたたまれなくなり、老婆は池に身を投げてしまいました。村人は明神の罰が当たったとして誰も同情しませんでした。その後、雨の晩になると池の付近に青白い炎が現れ、村人を悩ましたと伝えられています。
この物語は、井原西鶴の短編話など多くの俳諧、戯曲に「姥が池の姥が火」として登場しています。また、「和漢三才図会」「河内名所鑑」などにも記載されています。 平成23年3月 東大阪市
<参考> 姥ヶ火・Wikipedia
姥が火
・井原西鶴『西鶴諸国ばなし』巻五「身を捨て油壺」より
(枚岡公園への桜並木の坂道)
(同上)
枚岡公園内の桜も五分から七分咲き、間もなく満開ですな。
レンギョウも今を盛りと黄色い花を咲かせていましたが、そんな中でちょとそれとは違う小さな花を付けたこのような花も。
東石切公園まで歩き、引き返すこととしました。
(東石切公園から山を望む。右の峰が元枚岡神社のある神津嶽)
二つ見える峰のうち、右側の峰が神津嶽である。麓にある枚岡神社は始めはこの峰の上にあったとのこと。今も山頂の森の中に小さな祠があり、枚岡神社創始の地の碑がある。孝徳天皇の時代というから、大化の改新の後に山上から麓に遷座したことになる。
(神津嶽アップで)
<追記・注>
「墓地の楠」及び「同上・吊り灯籠」の写真
が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月7日これらを復元修正しました。
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過去記事の写真が歪んでいたりすること
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