(承前)
ハマナスの咲いていたハマナス公園の辺りの海岸線は和田の浜と呼ばれ、戦国時代の古戦場であったとのこと。
(和田の浜 右手がハマナス公園)
<参考> 檪原(いちはら)神社
当地の東方1.5km柳原地区にも檪原神社があり、どちらを本宮とするかで争いがあったらしい。
(社殿)
檪原神社から200mほど進むと「芭蕉翁おくのほそ道宿泊のまち」と刻まれた碑があった。曽良旅日記の(元禄2年<1689年>)7月13日の記事には、「昼過、雨為降晴。申ノ下尅、滑河ニ着、宿。暑気甚シ。」とあるが、この宿が当地にあった旅籠・川瀬屋であったらしい。
わせの香や 分入 右は 有磯海 (芭蕉「おくのほそ道」)
この説明文で、徳城寺が何処にあるのかと探してみるが見つけられず、句碑は見ること叶わずでありました。帰宅してから調べると200mほど内陸に入った処にありましたが、時既に遅しであります。
芭蕉の頃は防波堤もなく稲田の道を行くと荒磯の海が右手はるかに見えたのでありますな。芭蕉と曽良も歩いたのであろう、荒町のほそ道をヤカモチは銀輪で行くのでありました。
(荒町の町並)
荒町を過ぎて小さな水路を渡ると、地元の人が万里の長城と呼ぶらしい巨大な防潮堤が続く小路に入る。小路を出た処に立山大岩道しるべ。立山に信仰登山する人々への道案内の道標とのこと。この先の加積雪嶋神社の境内にも2基あるとのことであったが、見落としました。
(大岩道しるべ)
(加積雪嶋神社・社標)
(同上)
神社の境内は祭の準備中のようでしたが、地元の方のブログで偶然その祭の様子などが紹介されているのを見つけましたので、リンクして置きます。
<参考> 防潮堤に祭の絵
露店にウキウキする
子供たちがやって来る
神輿の一行が帰ってきたらしい
神輿の登場
神輿の車輪
神社に戻った神輿
加積雪嶋神社を出て暫く行くと、加島町か領家町かどちらの町域になるのか知らぬが諏訪神社という小さな祠があった。何やら祭のようなので覗いてみると、神輿から神様が祠にお帰りになられた処のよう。モオオオ~という声でそれと分かったので、お邪魔をしてはいけないと鳥居の陰から見ていると、村人のお一人が手招きをされ、「こちらに来い。」という仕草。それで小生も参列させて戴いた。写真は無事に神様が祠にお入りになって片づけが始まった処です。
この先の加茂神社でも境内に露店が出ていたから、この地域はこの土日に一斉に祭となるようだ。来るのが一日早かったかな。道脇の家々には祭礼の飾り付けがしてある。飾りは3本と決まっているようだ。
(格子に祭飾りと提灯が似合う。)
祭礼の一部にも参加させて戴き、愉快な気分で先へと進む。
(上市川)
上市川を渡って2分ほど行くと富山市に入る。更に8分ほど行くと広い河口に出た。常願寺川かと思ったが、行き合った地元の人に聞くと、白岩川で、常願寺川は未だ先とのこと。
(白岩川)
奥の橋を渡った処で上流を撮ったのが下1枚目の写真。
下2枚目はこの道を左に曲った処にある常夜灯の写真。
(水橋港はしけ場跡)
常願寺川まであと300mほどの地点までやってまいりましたが、本日はここまでとします。(その3)で完結する予定でしたが、(その4)までかかることとなりました。
<関連記事>魚津から富山へ銀輪万葉
(その1)
(その2)
(その4)
<追記・注>
「加積雪嶋神社・社標」の写真
が横倒しの歪んだ画像になっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。
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過去記事の写真が歪んでいたりすること
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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