(承前)
前回は鵜坂神社に到着した処で終ってしまいました。目的の大伴家持歌碑から記事を始めることと致しましょう。
(大伴家持歌碑)
賣比河の 早き瀬ごとに 篝さ志 八十伴の男は 鵜川立ちけり
見潜鵜人作歌一首
賣比河波能 波夜伎瀬其等尓 可我里佐之
夜蘇登毛乃乎波 宇加波多知家里
鵜を 潜 くる人を見て作れる歌一首
婦負
川
の 早き瀬ごとに かがりさし
八十
伴
の
男
は
鵜川
立ちけり (大伴家持 巻17-4023)
鮎をとっているのであろう、篝火を焚いて鵜飼をしている多勢の男(官人)たちの姿である。瀬音と篝火のはじける音も聞こえて来る。
婦負川(賣比河)は神通川の古名。鵜坂神社の祭神・鵜坂神の姉と妻である姉姫 (ねひめ)
神、妻姫 (めひめ)
神に由来する名であるとも。
(神馬像)
(芭蕉句碑)
油断していくな鵜坂の尻打祭
芭蕉の句碑もある。碑には芭蕉「元禄集」より、とあるが・・?。鵜坂神社では、平安時代から、尻打祭という奇祭が明治になって廃止されるまで行われていたらしい。それを詠んだ句のようだが、神社の由緒書には、弟子の其角の句として「あなこわや鵜坂祭の音にむち」という句も記載されている。
この祭は女子の貞操を戒めるため神官が参詣の女性の尻を竜眠木の枝で打ったものとのことだが日本五大奇祭として全国的に有名であったらしい。明治になって、女性の代りに牝馬が打たれ役を務めるようになったらしいが、二次大戦後はそれも行われなくなったとのこと。
(鵜坂寺跡)
奈良時代から神仏習合が広まり、当神社にも真言宗の鵜坂寺が建立され隆盛を誇ったそうだが、衰退し、明治3年の廃仏稀釈で廃絶したそうな。社務所の裏に鵜坂寺跡の表示がひっそりと立っている。
さて、歌碑探訪は終了。婦中大橋を渡って右岸の自転車道をサイクリングすることと致します。
(婦中大橋)
婦中大橋を渡ると右に富山空港がある。橋の途中で間違って中洲のような処に下りてしまい、ぐるり一回りして橋に戻るなどもありましたが、長い橋である。
(婦中大橋から見る神通川)
(神通川自転車道)
河川敷の自転車道に入り、海方向に走る。
(ハルジオンと有沢橋)
ハルジオンが咲き、チガヤ(浅茅)の穂が銀色に光る。チガヤは花穂が開く前をツバナ(チバナ)といい、食用にもしたらしい。噛むと甘いらしいが、勿論このように穂が開いてしまっては、「噛んではいけない」(笑)のである。チガヤ、チバナの「チ」は「チ(茅)の輪」のチ、「チマキ(粽)」のチでもある。
万葉集にも沢山歌われているが、ここは紀女郎と家持との軽妙な掛け合いの歌を掲載して置きましょう。
戯奴
がため わが手もすまに 春の野に
抜ける
茅花
を
食
して肥えませ (紀女郎 巻8-1460)
わが君に
戯奴
は恋ふらし
賜
りたる
茅花
を
喫
めど いや
痩
せに痩す (大伴家持 巻8-1462)
(チガヤ<つばな>と富山大橋)
(同上 浅茅が原と言う方がいいですかな。)
(富山大橋と路面電車)
(自転車道、奥の青い橋は神通大橋)
神通大橋を潜るとJR北陸本線の鉄橋。傍らでは只今北陸新幹線の工事中です。
(神通川、中島大橋<国道8号線> 或いは富山北大橋かも?
)
国道8号線を潜った処で河川敷から堤防上の道に移り、木陰で小休止。
(神通川 下流海側を望む。)
海は未だまだ先であるが時計を見ると12時。食事のために駅前の方に戻る。昼食後、ホテルに預けてあった荷物を受け取り、自転車を宅配便で自宅に送り、予定より早いが帰宅準備に入ることに。
(家餅)
(万葉歌まくら)
喫茶店で時間潰しをした後、土産物店街をブラブラ。中味はいざ知らず、名前だけで、上の2品を買い求めました。「家餅」とあっては買わない訳には行かない。「歌まくら」の方も家持の絵が描いてあったのでついでに・・(笑)。
(富山駅3番ホーム 特急サンダーバード)
サンダーバードがやって来ました。これにて今回の銀輪万葉すべて完結であります。最後までお付き合い下さり、有難うございます。
<前篇> 神通川銀輪万葉(その1)
<追記・注>
写真1枚(「家餅」)
が横倒しになっていたので、2020年11月2日これを復元修正しました。
●
過去記事の写真が歪んでいたりすること
2020.10.12.
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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