偐万葉・ビッグジョン篇(その11)
シリーズ第137弾。
本日は偐万葉・ビッグジョン篇(その11)であります。
<参考>過去の偐万葉・ビッグジョン篇は コチラ
からどうぞ。
ビッグジョンさんのブログは コチラ
からどうぞ。
偐家持が歩麻呂に贈りて詠める歌19首併せ
歩麻呂が詠める歌1首
国見山 土踏み
平
らし 行き
来
われに
今日
し
新
し 道のすがらの (偐歩麻呂)
(注)偐万葉掲載に当り、「 来
しわれに」を「行き来われに」に修
正しました。
氷室なる
歩人
ともしも 国見山 行き
来
と見らむ 歩人ともしも
(
輪首河内
)
(本歌) あさ裳よし 紀人
ともしも 亦打山
行き 来
と見らむ 紀人ともしも
( 調首淡海
万葉集巻1-55)
(注) ともし=「羨し」、うらやましい、の意。
目に負けず 手も口ほどに もの言へど 足りぬ
考
足も弱れり
(駄目家持)
我背子が いまかと待てど 福寿草
時にあらじと 覚めずやあれる (眠り草)
福寿草 咲きて君をし 待つなるに
気付かず今日まで 何をし見つや (不服云ふ草)
交野山 春となるらし 白旗の 池行く鴨の 水尾 ひかりたる
笹の葉に うらうら春の 日は照りて さやにさやさや 風もさやげり
去年 ありし 家またひとつ 消え行ける 道に変らず 梅は咲きたり
浴びばやと 火の粉が下の どよめきは
修二会
ぞ春の よろこびならむ (偐浴持)
修二会 の火 昇り走り 来 堂楼を 朧に照らす 春の月かも
見たくなき ものは頭で 消すを得ど
カメラは嘘を つけずありける (偐撮持)
道標に すくにとあるは ますぐとは すくなくも我 知らずありけり
(偐少彦名)
(注)すく=古い道標に「右・京、左・大坂、すく・枚方」などとある、「す
く」または「すぐ」というのは、「真っ直ぐ」という意味であっ
て、すくなくとも「すぐそこ」のような「近い」という意味では
ないそうな(笑)。
しろがねも くがねもたまも みなつまの
てにしぞあれば なにやわれせむ (禁治産家持)
(本歌) 銀
も 金
も玉も 何せむに まされる宝 子に 如
かめやも
(山上憶良 万葉集巻5-803)
山積す 怒りを前に 幾たびか われご海容と 詫びしことあり
(谷田山海火)
歩麻呂が返せる歌1首
山積す 怒りを前に ひと度も われご海容と 詫びるひとなし
(原子力保安院)
梅の花 咲ける盛りに 今はとて かなし妹はも 桜待たなく
ひと知れず 散るこそよけれ 花もみぢ
さにもひとりし われも散らまく
崖の
上
の さらさら水仙 さらさらに 見上げしのはな 氷室春野は
(
巨勢仙人
)
(本歌) 巨勢
山の つらつら椿 つらつらに
見つつ 思
はな 巨勢
の春野を
( 坂戸人足
万葉集巻1-54)
川上
見れども飽かず 巨勢
の春野は
( 春日老
同巻1-56)
気もそぞろ ならしなりひら 桜花
交野のみ野に 咲きてぞ散れば (在原ひらひら)
桜狩 また宿貸せか なりひらは たなばたつめの 春は居なくに
(貸せ原の宿平)
(本歌) 狩り暮らし 棚機津女
に 宿借らむ
天の河原に 我は来にけり
(在原業平 古今集418)
(注)掲載の写真は全てビッグジョンさんのブログからの転載です。
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