本日は朝10時にMTBで自宅を出発。河南町の弘川寺まで銀輪散歩して参りました。弘川寺は何回目かの訪問となるが、直近は偐山頭火氏と銀輪で行った2006年9月16日であるから、もう6年も前のことになる。
今回は外環状道路を走り、近鉄大阪線恩智駅の北で恩智川と外環状道路が交差するので、そこから恩智川沿いの道を行き柏原市役所前に着いたのが10時45分。そこで暫しお茶と煙草休憩。
柏原市役所の前は道を挟んで大和川が東から西に流れ、南から石川が合流している。
大和川の河原では釣りをする人の姿も。
大和川を渡り、石川へと入る。大和川を渡って直ぐの石川の堤防から眺める二上山の姿が小生のお気に入り。何度か此処から山の姿を撮影しているが、今日も1枚。
河川敷の自転車道に入る。この先の玉手橋で左岸から右岸に移り、府道27号線を行く。途中、ラーメン屋さん(「帝麺」という名の店)で昼食。11時45分に店に入り、店を出たのが12時27分。早食いのヤカモチが42分も掛ってしまったのは注文した品が出て来るのが遅かったということである。
寺田交差点で左(東)に入る。急坂を下った後は弘川寺までずっと登りが続く。途中、白木小学校の先で右折せず直進してしまい、かなり坂道を登った処で様子のおかしいことに気が付き、引き返すというハプニングもあったが、無事、弘川寺に13時10分到着。
門前に至る最後の細い坂道はかなり急であり、ずっと登り坂を走って来た足はかなり疲労していたが、意地になって登り切る。弘川寺に参拝に来られていたご婦人たちであろうか10人前後の方が前から下りて来られた。「こんにちは。」と挨拶しながら、最後の坂を登り切ると後でそのご婦人たちがパチパチと拍手して下さいました。もう息が殆ど上っていましたが(笑)。
桜はもう殆ど散っていましたが、中には遅咲きの桜が今を盛りと咲いているものもあり、十分に花見気分が味わえました。それに、ハラハラと散りかかる花びらの風情もよく、自転車を本堂前に駐輪して、花山に分け入ってみることとしました。
本堂裏の小道を登って行くと西行堂。西行堂の屋根には主に一円玉であるが硬貨が無数に投げ上げられていて、それが日に反射してキラキラ輝くのでありました。肉眼では眩しい位に光っているのにカメラのレンズを通すとご覧のようにキラキラ感が全くしないのは残念であります。
若い男女の二人連れの女性の方が、硬貨を屋根に投げていましたが、何度やってもコロコロと落ちて来て、なかなか上手く行かないよう。どうやら、屋根に乗せるのはそう簡単なことではないようだ(笑)。
西行堂から更に登った処に広場があって、そこに西行さんの墓と歌碑、そして西行さんを慕って弘川寺に庵を結んだ江戸時代の人物、似雲さんの墓がある。
ねがはくは 花のもとにて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ
似雲は西行の終焉の地を探し求め、ここで西行の墳墓を発見。西行堂を建立し、自ら、この地に庵を結び、お墓のお守をして、その生涯を西行に捧げた。似雲の墓は西行墓と向き合うようにしてあり、死して尚、西行の墓を守っているようでもある。
西行さんの墓などがある広場から裏の花山への登り口がある。
散りまがふ花こそよかり・・と花山へと登って行くことといたしましょう。されど、夜も更け、字数制限にもかかりそうなので、今回はここまでとし、続きは明日と致します。 (つづく)
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