本日は雨。銀輪散歩もお休みです。
で、昨日の銀輪散歩で見つけた花をアップして置きます。
この花は、恩智川沿いの道で、道路脇のネットフェンスに絡み付くようにして咲いているのですが、それに気付いたのは18日のこと。
アケビの花というのは実物を目にするのは多分初めてであったこと、アケビは山野に在るものという先入観も手伝ったことから、その時は「アケビ」という名とは結び付かず、何の花だろうと気にしつつも、写真にも撮らずにやり過ごしてしまったのですが、翌19日にビッグジョンさんのブログで、アケビの花が掲載されていて、「何だアケビの花か」と知った次第。それで、昨日、再び同じ場所に出向き写真を撮ったという訳であります。
風が結構あって、花をアップで撮ろうとすると、揺れ動いて画像がどうしてもぼやけてしまう。それで、ひと房だけ失敬して摘ませて戴き、コンクリートの上に置いて撮影したのが下の写真です。
五十鈴
にし 咲ける
木通
の 花摘めば 音懐かしき
初夏
の風
(偐家持)
ハナミズキも咲き始めていました。梅が春告げの花なら、ハナミズキは夏告げの花というのが小生の感覚。
この花が咲くと春から初夏の爽やかな5月となる・・。青葉の美しい季節の到来をこの花が告げるのでありますな。
花水木 高々咲きぬ 銀輪の 青葉の
季
は 今来たるらし
(偐家持)
もっとも、今日は「銀輪も休めよとかも」の雨でありますから、この歌はまさに「机上の空論」でありますが・・(笑)。
初夏とは気が早い、という向きも居られましょうから、以下は「行く春を告げる花」又は「まだ春よ」と主張して止まない花たちであります。
はいはい、まだ確かに春でありますよ(笑)。
花園公園の桜広場は散ってしまったソメイヨシノに代って、八重の里桜が今を盛りと咲いています。
この花を目当てのお花見の人達が其処此処に花筵を広げて楽しんで居られました。
吉田兼好は徒然草139段で
「花は一重なる、よし。八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなり侍るなる。吉野の桜、左近の桜、みな一重にてこそあれ、八重桜はことやうのものなり。いとこちたくねぢけたり。」
と仰って居りますが、八重桜がねぢけているのか兼好さんがねぢけているのかは、判断の難しい処でありますな。しかし、小生も桜に限らず花は一重の「かろき」様が好みでありますな。
先日は西行さんの「さびしさ」の歌を列挙しましたが、やはり「桜」の歌をこそ列挙しなければ、あちらに行った時に万一何処ぞで行き合ったりした日には、文覚さんがポカリとやられたように、小生も頭を叩かれそうでありますので、以下に挙げて置くことと致します。
おぼつかな 春は心の 花にのみ いづれの年か うかれそめけむ
花にそむ 心のいかで 残りけむ
捨てはててきと おもふわが身に
あくがるる 心はさても 山桜 ちりなむ 後 や 身にかへるべき
吉野山 花の散りにし 木 の 下 に 留 めし心は われを待つらん
風さそふ 花の行方は 知らねども 惜しむ心は 身にとまりけり
春ごとの 花に心を なぐさめて 六十路 あまりの 年を経にける
わきてみん
老木
は花も あはれなり
今いくたびか 春にあふべき
仏には 桜の花を たてまつれ わが 後 の世を 人とぶらはば
さすがに西行さん。桜の花はあるはあるは、でキリもない。まあ、此処はポカリとやられないためのものであれば、この程度記して置けば大丈夫でしょう。
シバザクラ。兼好さんならずとも、「これは桜とはことやうのものにて」というのは分りますな。サトザクラにシバザクラ。単に語呂合わせで掲載したまでで、深い意味はありませぬ。
そして菜の花。桜は散ってもこの花はしぶとく咲いていますが、群れ咲いて一等美しい花はこの花かも知れませんな。
愚にもつかぬ花逍遥、これにてお終いであります。では、どちら様もご免下さいませ(笑)。
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