本日は夕刻から難波に出て友人のT氏と会食。
ということで、何と言って話題も写真もないので、今日も、花逍遥と致します。銀輪散歩で見掛けた野の花を少しばかり。
<参考: キツネノボタン >
葉は芹によく似ているが、こちらは有毒植物。実の形が金平糖に似ていることから、コンペイトウグサとも呼ばれる。葉や茎の汁も皮膚をかぶれさせるそうなので、摘んだりはしない方が無難である。特長ある実の形や花は芹とは全然違うので花や実のある時期には芹と間違えることはないが、葉だけだと間違いやすいので要注意である。芹と同様に湿地に生育しているので、間違って摘む人もあるらしい。
これも道端や空き地などでよく目にする雑草である。
「父子草もどき」なんぞという妙な名が付いているが、チチコグサに似ている処からの命名とのこと。まあ、ヤカモチモドキの偐家持としては、親近感を覚える名前なのであるが、そのチチコグサ自体がハハコグサから付けられた名前らしいから、ハハコグサモドキと呼んでもいい植物であってみれば、こいつはモドキモドキという「Wモドキ」で、筋金入りのニセモノであるのですな。
ということで、偐万葉田舎家持歌集にはまことにお似合いの花と言うべく、茲に特別ご招待し、ご紹介申し上げる次第(笑)。
そして、この草、チチコグサモドキもチチコグサもハハコグサに比べて如何にも貧相であるので、現代日本の家庭に於ける「オヤジ」の存在と重なる処もあるのではないか、なんぞとヤカモチは思っているのでありますな(笑)。
キツネノボタンもチチコグサモドキも万葉には登場しませんので、万葉植物として、ヨモギを引っ張り出すことと致しました(笑)。
(ヨモギ)
<参考: ヨモギ
>
ヨモギは未だ花の時期ではないが、ヨモギ餅は春の若葉を使うのであってみれば、花が咲いてしまっては「ヨモギ」ではない、と言うべきでしょうか。
大君の 任 のまにまに・・・ほととぎす 来鳴く 五月 の あやめ草 よもぎかづらき 酒宴 遊び 慰 れど・・・(大伴家持 万葉集巻18-4116) (脚注)参照
上の歌から、端午の節句には、あやめ草(サトイモ科のショウブのことでアヤメではない)とヨモギを髪飾りにする習俗があったことが分るが、ヨモギは邪を避ける呪力のある草と考えられたのでありますな。一般に匂いの強いものにはそのような呪力があると古代の人は考えたようであります。ヨモギ餅を食べる習慣もヨモギのこの呪力を身に帯びようとする呪的行為であったのでしょう。まあ、花より団子となって、花逍遥とは関係の無いお話になってしまいますが・・(笑)。
(脚注)上の歌は、朝集使として京に行っていた越中国の掾の久米広縄
が天平感宝元年(749年)閏5月27日に京から帰任し、越中国
守、大伴家持の館で、これを労うための詩酒の宴を設けたのであ
るが、その際にホスト役である主人家持が作った歌である。
(全文は以下の通り。)
大君の
任
のまにまに 執り持ちて 仕ふる国の 年の内の 事かたね持ち 玉
桙
の 道に出で立ち 岩根踏み 山越え野行き 都べに
参
し吾背を あら玉の 年
往
き
還
り 月かさね 見ぬ日さまねみ 恋ふるそら 安くしあらねば ほととぎす 来鳴く 五月
の あやめ草 よもぎかづらき
酒宴
遊び
慰
れど 射水川
雪消溢
れて 逝く水の いや増しにのみ
鶴
が鳴く
奈呉江
の
菅
の ねもころに 思ひ 結
ぼれ 歎きつつ
吾
が待つ君が 事をはり 帰り
罷
りて 夏の野の さ百合の花の 花
咲
に にふぶに
笑
みて あはしたる 今日を始めて 鏡なす
斯
くし常見む
面変
りせず
反歌二首
去年
の秋 相見しまにま 今日見れば
面
や珍し
都方人
斯くしても 相見るものを 少くも 年月
経
れば 恋しけれやも
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