( 承前 )
前日の天気予報では終日「雨」であったが、青空も覗く好天気にて、絶好のサイクリング日和。朝8時半頃にホテルを出発。先ず、有磯高校に再度立ち寄り、前日の不本意な写真を撮り直すこととする。撮影後、国道160号線に戻り、氷見トンネルを越えて「十二町潟水郷公園」を目指す。
氷見トンネルを出て、坂を下り切った朝日丘交差点を右(西)に入ると、十二町潟水郷公園である。湊川を渡って仏生寺川との間の農道を西へ進むことにする。裏口(南側)からの進入となる。
(布勢の水海の地図。万葉の頃は海が内陸深くまで入り込んでいた。)
十二町潟は、水害対策もあって干拓が進み、水域は随分と小さくなって、今はその周辺が水郷公園になっているが、万葉時代には海が内陸深くまで入り込んで、「布勢の水海」と呼ばれていた。
大伴家持は天平20年3月23日から26日まで、橘諸兄の使者として奈良の都からやって来た田辺福麻呂を歓迎する宴を開いているが、24日の宴で、布勢の水海の風光の素晴らしさが話題に上ったのであろう。「明日はその布勢の水海をお見せいたしましょう」ということになり、25日には共に水海遊覧に出掛けている。
(注)田辺福麻呂の来越の目的については、橘家の墾田視察のため、
万葉集の編集に関する目的、台頭する藤原仲麻呂への対抗策に
関する目的、など諸説があって、定まらないが、橘諸兄派の家持
にとっては、橘家の家人であり、優れた歌人でもあった田辺福麻
呂は歓迎すべき使者であったようだ。
小生が銀輪で走っている処は、家持の時代には海面だった処。してみれば、舟で遊覧した大伴家持、田辺福麻呂、同行の久米広縄、遊行女婦土師たちは舟の上から朝日山を眺めたのであるかも知れないのである。
美しい紅葉が出迎えてくれました。野鳥観察の男性が一人、巨大な望遠レンズを装着したカメラを三脚に据えてファインダーを覗いて居られました。声をお掛けすると、「今来たばかり・・」とのことで、目指す鳥の姿を未だキャッチ出来ていないご様子。盛んにあちこちとカメラの角度を調節して居られました。
帆船のマストのようにも見える面白いデザインの橋が川の両岸を結んでいる。公園のシンボルとなっている橋とのこと。板敷きなので、自転車に乗ったまま渡ると風鳴りのような音がして、これも亦面白い。
(同上・横断橋の上から十二町潟を望む。)
横断橋を渡って川下に少し行くと芝生の広場があり、そこに「万葉布勢水海之跡碑」がある。これは予てより承知の犬養先生揮毫の碑である。此処に立ち寄った目的の一つがこの碑の撮影であるので、先ずこれを写真に収める。角川書店創業者の角川源義氏の句碑も近くにありました。富山ご出身の同氏でありますから、此処に句碑のあるのは極めて自然のことでありますな。
黄落や 歌の神辞し 女坂
この後廻る布勢神社の正面階段が男坂、左脇の回り道が女坂と呼ぶようだが、小生は上りは男坂、下りは女坂を使いましたが、それはこの句の影響では勿論ありませぬ(笑)。
これは、この地方独特の昔の漁法、「あど(網所)漁」の仕掛けの復元展示。以前にブロ友の英坊3氏(高岡市ご在住)が、ブログでご紹介されていたので、記憶にありました。何やら旧知に出会ったような感慨を覚えました。しかし、前夜の雨の所為か、小舟には水が浸水して、いささかうら寂れた感じになってしまっていましたですな(笑)。
ともあれ、この公園、小生はとても気に入りました。
園内を暫しそぞろ散策であります。
ハスは枯れ始めている様が、小生の好みに合っている。その所為で、ついカメラを向けてしまいます。
葉を落とし尽したカラタチに黄色く熟れた実が残っている様もなかなかに宜しい。
もう暫く園内の散策を続けるのですが、文字数制限一杯です。続きはページを改めます。( つづく )
飛鳥川銀輪散歩(下) 2024.11.11 コメント(4)
飛鳥川銀輪散歩(上) 2024.11.10 コメント(2)
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