本日は友人の和麻呂さんこと大嶽和久氏が副会長を務める関西邦楽作曲家協会の第35 回作品発表会に行って参りました。
会場は淀屋橋の朝日生命ホール。いつもの癖で、天気も好しでMTBで出掛けました。住友銀行の前付近の駐輪場にMTBを駐輪して会場へ。会場には早く着き過ぎたが、お陰で関係者の方々とくつろいで居られた和麻呂さんと顔を合せることができ言葉を少し交わせたのは幸いなことでありました。
今回、和麻呂さんが発表される曲は「布留の里」という曲。この曲は天理大学の邦楽部の依頼で作曲されたもので、曲のタイトルを決めるについては確か小生が相談を受けたように記憶します(笑)。
天理市にある石上神宮付近の地名が布留 (ふる)
。この布留の地を含み
、神宮付近から西方一帯の地が石上 (いそのかみ)
である。石上も布留も万葉に登場する地名にて、和麻呂さんも万葉の古代に思いを馳せて作曲されたのでもあるでしょう。
演奏を聴きながら、「石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも」(万葉集巻11-2417)などの万葉歌を思い起こしたりと、心地良い気分に浸ることが出来ました。
演奏中の写真があれば臨場感があってブログ的にはいいのですが、撮影禁止でありますから、これ亦、是非に及ばず、で開演前の愛想もない写真でお茶を濁すしかありません。
(大嶽和久作曲「布留の里」の説明文<パンフレットより>)
<参考>和麻呂氏のブログは コチラ
からどうぞ。
同・ホームページは コチラ
からどうぞ。
石上神宮から北へ、奈良に至る山裾の道が「北・山の辺の道」、南へ、桜井市へと至る道が「南・山の辺の道」である。小生は若い頃から何度となく歩いたり、銀輪散歩したりしている道であるが、何ということもない小川に、畑中の細道や道の隈に、田の面を吹き来る風に、野辺に咲く花に、万葉の昔が偲ばれる道なのである。
邦楽については、小生、法学部卒業なれど、殆ど知識がありません。こういうのを「方角違い」と言うのですかな。
と言うことで、「布留・ふる」の出て来る万葉歌を以下にご紹介することと致しましょう。
石上
布留
の山なる 杉
群
の 思ひ過ぐべき 君にあらなくに
(丹生王 万葉集巻3-422)
未通女等
が 袖
布留
山の
瑞垣
の 久しき時ゆ 思ひきわれは
(柿本人麻呂 同巻4-501)
いにしへも かく聞きつつや
偲
ひけむ この古川の 清き瀬の
音
を
(同巻7-1111)
石上 布留の
早田
を
秀
でずとも
縄
だに
延
へよ
守
りつつをらむ
(同巻7-1353)
石上 布留の早田の 穂には出ず 心のうちに 恋ふるこのころ
(同巻9-1768)
布留山ゆ
直
に見渡す
京
にぞ
寐
も寝ず恋ふる 遠からなくに
(同巻9-1788)
石上 布留の
神
杉
神
びにし われやさらさら 恋に逢ひにける
(同巻10-1927)
処女
らを 袖布留山の 瑞垣の 久しき時ゆ 思ひけりわれは
(同巻11-2415)
石上 布留の神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも
(柿本人麻呂歌集 同巻11-2417)
石上 布留の高橋 高高に 妹が待つらむ 夜ぞ更けにける
(同巻12-2997)
とのぐもり 雨ふる川の さざれ波
間
なくも君は 思ほゆるかも
(同巻12-3012)
吾妹子や
吾
を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや
(同巻12-3013)
現代語訳を付けようかとも思いましたが、歌の数が多くて、全部付けるのは字数制限で無理。これ幸いと手抜きヤカモチを決め込みました(笑)。これを歌にすれば、
石上 訳ふることの 手のはぶけ 字数に限り あるもよきかな
(物草守屋)
石上神宮は物部氏ですから、作者名は、物部守屋に因んで「ものぐさの守屋」と致しました。
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<脚注・追記>
メールBOXを見ると偐山頭火氏から、この日の演奏会のパンフレットの表紙と、「9.布留の里」の部分の写真が届いていました。
小生撮影の掲載写真がイマイチなので、これに差し替えたらどうか、ということでしょうか。何の通信文も付されていないので、その意図を忖度するしかないのでありますが、上のように理解し、同氏提供の写真に差し替えることと致しました(笑)。写真ご提供有難うございます。
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