前頁の「であいのみち」公園で見かけた植物の写真で未掲載のものがありましたので、余禄としてアップして置くこととします。また、歌碑も4件掲載洩れとなっていることに気付きましたので、これも掲載することとします。
ヤマガタ、ヤマナシ、ヤマグチ、ヤマブキ、異質なのはどれか。ということで、まずヤマブキです。山吹と言えば橘諸兄が植えたことに始まると伝えられる京都府綴喜郡井手町の玉川堤のそれが有名であるが、花の季節は過ぎて、今は実の季節です。
玉藻刈る
井堤
のしがらみ 薄みかも 恋の淀める わが心かも
(万葉集巻11-2721)
(ヤマブキの実)
山吹の実は4個で1セットのようですね。栗は3個セットでイガの中に納まっているので、なか(中、那珂)の枕詞として「三つ栗の」が使われる。また、樫の実は1個ずつ生るので、「樫の実の一人行く児に・・」などと「ひとり」の枕詞に使われる。
これに倣うなら、「山吹のよたり集へば・・」などと「四人」の枕詞に「山吹の」を使ってもいいのかも(笑)。
であいのみち公園の東隅に児童公園があり、そこに地元の子供たちのそれでもあるか、誕生記念樹としてヤマモモの木が3本植わっていました。そのヤマモモがたわわに実を付けて色付き始めていました。
ヤマブキ、ヤマモモと「山」の付く木が続きましたが、同様に「山」の付く植物は結構ある。思い付くだけでも、「ヤマタチバナ」(ヤブコウジのこと)、「ヤマゴボウ」(洋種山牛蒡のほかアザミの根も山牛蒡と呼ばれる。)、「ヤマヂサ」(万葉集巻11-2469の歌に登場するが、エゴノキ、イワタバコ、アブラチャンの3説がある。)、「ヤマブドウ」(古名・エビカズラ)、「ヤマイモ」、「ヤマスゲ」(ヤブランのこと)など。
この雪の
消
残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む
(大伴家持 万葉集巻 19-4226
)
山ぢさの 白露おもみ うらぶれて 心に深く わが恋やまず
(万葉集巻11-2469)
ぬばたまの 黒髪山の 山菅に 小雨降りしき しくしく思ほゆ
(柿本人麻呂歌集 万葉集巻11-2456)
山に対する語は里。山は神の住まう処、里は人間の住む場所。その中間が野ということになるか。サト
→ ノ→ヤマ。人間の領域に取り込まれた山が里山、神の領域のそれが奥山。
山に美称を付けて「みやま」などと言うが、これは山の神への畏敬によるものか。どうやら、同じ美称でも「サ」と「ミ」には大きな違い、使い分けがあるようです。
「サ」は「小、狭、早」などの漢字が使われるが、親近感を表す愛称と言うべきものであるのに対して、「ミ」は「御、美、深」などが使われるように、畏敬・賞賛を表す敬称と言うべきもののようです。サト(里)も原型は「さ」の「と(処)」、つまり「おらが場所」ということであったのでしょうかね。
さて、掲載洩れの歌碑は下記の4件です。
春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天の香具山
(持統天皇 万葉集巻1-28)
(注)たへ(栲)=こうぞ(楮)のこと。樹皮が和紙の原料となる。
佐保川の 小石踏み渡り ぬばたまの 黒馬の来る夜は 年にもあらぬか
(坂上郎女 万葉集巻4-525)
(注)ぬばたま=ヒオウギの種子。真っ黒なので、黒、夜、夢、髪などの
枕詞で使われる。
婦負の野の 薄おしなべ 降る雪に 屋戸借る今日し 悲しく思ほゆ
(高市黒人 万葉集巻17-4016)
(注)婦負(めひ)=富山県婦負(ねい)郡。神通川中下流域。
忘れ草 我が下紐につく 香具山の 古りにし里を 忘れむがため
(大伴旅人 万葉集巻3-334)
(注)忘れ草=ヤブカンゾウのこと。
本日は大学の同窓会(青雲会)の幹事会です。もう少ししたら出掛けます。青雲会囲碁の例会としてこのブログでは度々取り上げている囲碁の例会の会場としても使っている、青雲会交流センターまで出掛けます。幹事会の後、懇親会もありますので、MTBではなく、不承不承電車で出掛けます。
また、喫茶ナナから電話があって、7月も8月も万葉の会を持つこととなりました。取り敢えず7月は16日(水)午後2時から、と決まりました。何をテーマにしますかね。
というようなことで、本日はここまでとします。では、どちら様もご免下さいませ。
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