今日は墓参。雲が厚く垂れ込め、湿った風が吹いて、という余り快適とは言いかねる朝。月例の墓参りでありました。先月の墓参で見かけたルリタマアザミの花がどんな具合かと、それが植えられていたお宅のお庭を覗いて見ましたが、何と全て切り取られて花は跡形もなしでした。きっと摘み取られて花瓶に・・ということなんでしょう。残念。
墓参・花散歩
2014.7.6.
で、本日の花は、ヤブガラシにも負けず、洋種ヤマゴボウなどと並んで沢山の花を咲かせていた黄色の花。ルドベキアという名であったかと思うが、ヒマワリを小型にしたような花。これは他人様のお庭ではなく、道の辺の野に咲き群れていたもの。
(ルドベキア)
ヤブガラシは先月にも写真を掲載しましたが、今日は蜂さんが蜜を吸っていました。この小さな花に花蜜があるのかどうかは知らぬが・・。
そのヤブガラシの実は直径5ミリもあるかないかの小さなものだが、アップで撮影すると、何やら青い林檎とかに似ていなくもない。しかし、この実は林檎のように赤くなったりはせず、熟すと黒くなるのですな。
(ヤブガラシの実)
そして、これはパラボラアンテナではなくアメリカ芙蓉。
大きな花。大き過ぎる(笑)。
それに負けぬ位の大きさなのが、このモミジアオイ。どちらも、道脇の家の庭先に咲いていたもので、ヤブガラシとは出自も育ちも違う、いかにも花らしき立派な花なのであります。
(モミジアオイ)
墓地の片隅のアカメガシワの雄花も先月よりも格段に立派になっていました。近くには残念ながら雌花の咲く木はありませんでした。
ここにも蜂が。これにも蜜があるのでしょうか。
今日は空気中に含まれる水分が多い所為か、いつもより景色が近くに見えます。少しカメラを左(南)に振ると、あのアベノハルカスも見えます。
足元にはコマツヨイグサが咲いていました。富士には月見草が似合うと言ったのは太宰治。墓にも結構似合っています。
そして、ヘクソカズラも。ヘクソカズラも万葉集に1首歌があって、一応万葉植物であるのは愉快なことです。
毎度墓参りの折のお寺の山門の言葉。今日はこれでした。
まあ、道に迷ったら「道を知っている人」に尋ねるのは当たり前のことですが、色々な思いからそれをしないで、更にも迷い道へと・・というのはままあること。素直に尋ねることが大切です。しかし、道を知ったかぶりの人、知っていると思っているだけの人もいますから、そこの処は自己責任ということとなります(笑)。
うつせみは 数なき身なり 山川の さやけき見つつ 道を尋ねな
(大伴家持 万葉集巻20-4468)
渡る日の 影にきほひて 尋ねてな 清きその道 またも遇はむため
(同上 同4469)
上の歌2首は大伴家持さんが病に臥し、無常を悲しみ、修道を願って作った歌と万葉集の題詞にあります。さて、偐家持は如何なる道を尋ねむや。
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