今日は、橿原神宮の近くにある桜児伝説に因む万葉歌碑を写真に撮るため折りたたみ自転車のトレンクル君をお伴に出掛けて参りました。MTBの前輪ブレーキが妙な音を立てるので自転車屋さんに持ち込んだら、部品の一部が摩耗しているので取り換える必要ありとの診断にて、部品を取り寄せるまでの間ということで、土曜日から「入院」していますので、トレンクル君の出番という次第。
桜児伝説というのは、二人の男から求婚された桜児という娘子が、男が自分をめぐって相争うのを苦にして自殺してしまうという話で、娘子の死を傷んだ男の歌だという歌が万葉集に2首掲載されている。
その2首のうちの1首が刻まれた歌碑が、神武天皇陵の入口付近から畝傍御陵前駅の方へ
少し戻った辺りにある大窪児童公園の一角にある。
春さらば かざしにせむと 我が思ひし 桜の花は 散り行けるかも
(万葉集巻16-3786)
<春になったら髪に挿そうと思っていた桜の花は散って行ってしまったよ。>
歌碑の方は第5句が「散りにけるかも」になっている。原文は「散去流香聞」であるから、「散り行けるかも」の方がいいように思う。
もう1首は、上の写真の副碑にも記載の通り、これ。
妹が名に かけたる桜 花咲かば 常にや恋ひむ いや毎年に
(万葉集巻16-3787)
<あの娘と同じ名の桜の花が咲いたらいつも恋しく思うことだろう。来る年ごとに。>
何れも当事者の作ではなく、後世の誰かの作であろう。歌には切実感がない。
さて、何故、この桜児伝説の歌碑の撮影かと言うと、明日のナナ万葉の会でこの歌を取り上げるからであります。万葉には、同じような伝説がいくつかある。菟原處女 (うなひをとめ)
、真間の手児奈 (てこな)
、縵児 (かづらこ)
などである。これらに関する歌をまとめて鑑賞しようというのが次回のテーマである。
歌碑のある児童公園の向かいのお堂の前には大窪寺の表示。現在は向かいの寺は国源寺という寺。此処は以前に立ち寄ったが、その折にはこの万葉歌碑は見落としていました。
(同上説明板)
<参考> 国源寺
国源寺・聖徳太子立像
お堂の前には白い彼岸花。またしても、赤よりも先に白が立ち現われました。
歌碑のある公園の東側には「歴代天皇遥拝所」なるものがありました。こういうものもあるのですな。初めて目にしました。東方向を向いて遥拝する形になっているから、東京の皇居を向いていることになるのでしょうか。明治天皇陵は伏見ですから北方向、歴代天皇陵となると方角はまちまち。どうも遥拝という形式には馴染まないように思われますが。
遥拝所から路地を南に入って行くと空き地に赤い彼岸花。白を撮ったら赤も撮らなくてはなるまい。
赤と言えば丹。「秋づけば 丹の穂にも満つ・・」 (脚注参照) という万葉歌もあったが、「春されば 花咲きををり」と対句になって使われている。秋の稲田も亦「秋らしき景色」というものである。もっとも、現在の稲は「丹の穂」ではなく「黄金色」である。古代の米は赤米。穂ももっと濃い色、どちらかと言うと茶褐色であっただろうから、現在の稲田とは随分異なる景色であった筈である。
歌碑の前で出会った男性は、この地区の町内会長さんでした。国源寺や大久保神社のことを教えて戴いた。それで、大久保神社にも立ち寄ってみました。
(大久保神社)
<参考> 奈良の寺社・大久保神社
大久保神社から畝傍御陵前駅の前に出る。
ここから近鉄線に沿って北へ。飛鳥川にぶつかった処で、左に入ると今井町。今井町を少し散策してから、近鉄八木駅へ。八木駅でトレンクルを収納バッグに入れて、電車で恩智駅まで移動。恩智駅で自転車を組立て、再び走り出す。と言っても目的地の喫茶ナナは直ぐ近く。客は無く、店主の小〇さんとお孫さんだけ。明日の万葉の会の資料をお届けする。
暫く小〇さんと雑談してから帰途に。トレンクルで自宅までの銀輪散歩。近鉄完全高架化完了で、電車の走らなくなった東花園駅前の踏切を渡って家へ。
自転車屋さんからMTBの修理が終わったとの電話があり、帰宅後再び瓢箪山駅近くのその店までMTBを引き取りに行き、MTBを無事退院させて参りました。入院治療費は保険外治療なるも5千円で済みました(笑)。
明日は雨になるようだから、MTBで出掛けるかどうか悩ましいが、電車だと布施回りで時間が掛かるので、雨合羽を着てMTBで行く方に傾いています。まあ、旅先で雨の中銀輪で走ることも結構ありますので、慣れてはいますが・・。
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