一昨日からの風邪は相変わらずの状態。
「風光る」というのは「春」の季語ですが、「風邪ひかず」は季節に関係のない語。この語、「風邪引かず」なら元気な状態、「風邪退かず」なら、風邪がなかなか治らない状態で、音は同じなるも意味は正反対となるという、紛らわしい語でもありますが、現在のヤカモチさんは「退かず」の方の「ひかず」であります。
ということで、以前に撮ってストックとなっている鴨の写真で、万葉のお勉強といたしましょう。
鴨と来て、先ず思いつく万葉歌と言えば、次の2首でしょうか。
志貴皇子と大津皇子の、どちらも有名な歌であります。
葦辺ゆく 鴨の
羽交
に 霜降りて 寒き 夕
は 大和し思ほゆ
(志貴皇子 万葉集巻1-64)
(葦辺を泳ぐ鴨の翼の重なる処に霜が降って、この寒い夜は大和が思われる。)
百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲 隠
りなむ
(大津皇子 同巻 3-416
)
(磐余の池に鳴く鴨を今日を限りに見て、私は死んで行くのか。)
その他の鴨の歌も以下に記して置きます。
吉野なる
夏実
の河の 川淀に 鴨ぞ鳴くなる 山かげにして
(湯原王 同巻3-375)
(吉野の夏実の川の淀みに鴨が鳴いている、その山陰で。)
(注)夏実=吉野宮滝の上流にある地、菜摘のこと。
軽の池の 浦廻
行き 廻
る 鴨すらに 玉藻の上に ひとり寝なくに
(
紀皇女 同巻 3-390
)
(軽の池の浦に沿って泳ぎまわる鴨でさえ、玉藻の上でひとり寝などしないのに。)
(注)軽の池=日本書紀応神天皇 11
年 10
月の条にこの池を造ったという記載がある
が、所在は不明。
鴨鳥の 遊ぶこの池に 木の葉落ちて 浮きたる心 我が 思
はなくに
(丹波大女娘子 同巻 4-711
)
(鴨が遊ぶこの池に木の葉が落ちて浮いている。そんな浮ついた気持で思って居る訳ではありません。)
外
にゐて 恋ひつつあらずは 君が家の 池に住むとふ 鴨にあらましを
(大伴坂上郎女 同巻4-726)
(離れて恋い慕っているくらいなら、あなたの家の池に住むという鴨であった方がましです。)
磯に立ち 沖辺を見れば 海藻
刈り舟 海人漕ぎ 出
らし 鴨かける見ゆ
(同巻 7-1227
)
(磯に立って沖の方を見ると、和布刈り船を海人が漕ぎ出すらしい。鴨が飛び立つのが見える。)
(注)め=海藻の総称。
水鳥の 鴨の羽色の 春山の おほつかなくも 思ほゆるかも
(笠女郎 同巻 8-1451
)
(水鳥の鴨の羽の色の緑の春山のようにぼんやりとして、あなたのお気持ちがはっきりしないので気がかりです。)
(注)おほつかなく=おぼつかなく。
埼玉
の 小埼
の沼に 鴨ぞ 羽
霧
る
おのが尾に 降り置ける霜を 掃
ふとにあらし (同巻 9-1744
)
(埼玉の小埼の沼で鴨が翼を振ってしぶきを散らしている。自分の尾に降り置いた霜を払っているのだろう。)
(注)小埼の沼=埼玉県行田市埼玉付近の沼。
577577の旋頭歌体の歌
水鳥の 鴨の棲む池の 下樋
なみ いぶせき君を 今日見つるかも
(同巻 11-2720
)
(水鳥の鴨の住む池の下樋がないので、ふさぐ思いで恋しいと思ったあなたに今日お逢いできました。)
(注)下樋=地中に埋めた導水管。
吾妹子に 恋ふれにかあらむ 沖に住む 鴨の 浮寝
の 安けくもなし
(同巻 11-2806
)
(あなたに恋しているからなんだろうか、沖に住む鴨の浮き寝のように心が安まらないのは。)
(注)浮寝=頼りなく不安なさまの譬え。
葦鴨の すだく池水
溢
るとも 設
溝の 方
に 吾
越えめやも (同巻11-2833)
(葦鴨が沢山集まる池の水があふれることがあっても、あらかじめ用意した別の溝の方へ、私は越えて行ったりするだろうか。そんなことは致しません。)
(注)葦鴨=葦辺に居る鴨
すだく=多集(すだく)。多く集まること。
葦べゆく 鴨の羽音の 聲
のみに 聞きつつもとな 恋ひわたるかも
(同巻 12-3090
)
(葦辺を行く鴨の羽音のように、音、噂に聞くだけで、むしょうに恋い続けることだなあ。)
(注)上二句は「おと」を導くための序詞。
もとな=よい結果もないのに強いて、訳もなしに、の意。
鴨すらも おのが妻どち
求食
して 後
るるほどに 恋ふといふものを
(同巻12-3091)
(鴨でさえも妻と連れ立って餌を探し、相手に後れた時には恋しがるというのに。人である私は尚更のことです。)
眞小薦
の 節
の 間
近くて 逢はなへば 沖つ眞鴨の 嘆きぞ吾がする
(同巻 14-3524
)
(薦の編み目のように間近にいるのに逢えないので、沖の鴨のように嘆いています。)
(注)眞小薦の節の=「間近く」の序詞。
沖つ眞鴨の=嘆きの序詞。
水久君野
に 鴨の 這
ほのす 子ろが 上
に 言
緒
ろ 延
へて いまだ 寝
なふも
(同巻 14-3524
)
(水久君野に鴨が這うようにあの子に長らく言葉を掛け続けているが、いまだに共寝をしないことよ。)
(注)水久君野=所在不詳の地名か。
沖に住も 小鴨
のもころ 八尺鳥
息づく妹を 置きて 来
のかも
(同巻14-3527
)
(沖に住む鴨のように、長いため息をつく妻を残して来てしまった。)
(注)八尺鳥=潜水の後に長く息をつく鳥の意で、「息づく」の枕詞。
葦の葉に 夕霧立ちて 鴨が 音
の 寒き 夕
し 汝
をば偲はむ (同巻14-3570
)
(葦の葉に夕霧が立ち込めて、鴨の声が寒々と聞こえる夜は、お前のことを恋い偲ぶことだろう。)
鴨じもの 浮寝をすれば 蜷
の 腸
か黒き髪に 露ぞ置きにける
(同巻15-3649
)
(鴨のように浮き寝をしていたら、黒髪に露が降りていました。)
(注)鴨じもの=鴨でもないのに鴨のように、の意で、「浮寝」の枕詞。
蜷の腸=タニシなどの巻貝の腸、で「か黒き」の枕詞。
沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り 来
ば 也良
の 崎守
早く告げこそ
(山上憶良 同巻16-3866
)
(鴨という名の船が帰って来たなら、也良の防人よ、早く知らせてくれ。)
(注)也良=博多湾口にある能古島北端の岬の地名。
沖つ鳥 鴨とふ船は 也良の崎 廻
みて漕ぎ 来
と 聞
え来ぬかも
(同上 同巻16-3867
)
(鴨という名の船が、也良の崎を廻って漕いで来たと、誰か知らせに来ないものだろうか。)
(注)聞こえ来る=知らせに来る。
水鳥の 鴨の 羽
の色の 青馬を 今日見る人は 限りなしといふ
(大伴家持 同巻20-4494
)
(水鳥の鴨の羽色の青馬を今日見る人は、その寿命に限りがないと言う。)
(注)青馬=灰色の馬。正月七日に宮廷行事として青馬を見て一年の邪気を払う人日の節
句があった。平安時代に入ると「白馬 (あをうま)
の節会 (せちえ)
」と呼ばれた。
梅の花ひとり見つつや 2024.01.13 コメント(6)
梅一輪の春咲きにける 2023.01.14 コメント(8)
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着