偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2019.06.07
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カテゴリ: 銀輪万葉
承前 ​)
​ 昨日の記事の続編です。
 尼崎城址公園にて目にしたのは契沖頌歌の碑。
 姫路の津田天満神社の境内で目にした山部赤人讃歌の碑を思い出させましたが、尼崎は契沖頌歌の碑でありました。
<参考> 山部赤人神社と赤人讃歌 ​ 2016.1.31. ​​

(契沖頌歌の碑)<参考>​ 契沖 ​・Wikipedia
 契沖と言えば、万葉集の注釈書「万葉代匠記」。銀輪万葉としての尼崎銀輪散歩とあれば、契沖さんを無視することはできません。
 彼はこの付近(尼崎市北城内、現尼崎城天守閣、市立中央図書館などがある地域)で生まれたとされている。
 そんなことで、中央図書館の南側道路脇にこんな碑が建てられている。​

(契沖生誕比定地の碑)
 道路を挟んで向かい側にあるのが桜井神社。立ち寄るかどうか一瞬迷って、そのまま通り過ぎてしまいましたが、この神社の境内に契沖神社なるものがあるとのこと。これを帰宅後に知りましたが、後の祭りです。次の機会に訪ねることとしましょう。
 庄下川に架かる開明橋を渡り西へ。次の目的地、琴浦神社へと向かう。
 阪神電車の高架下を潜って左に行くと阪神・出屋敷駅前。駅前を過ぎて更に西へ進むと、蓬川に出る。蓬川沿いに上流へ。琴浦神社へと通じている見覚えのある道・琴浦通りに出る。ここで橋を渡って琴浦通りを西へ。500mほどで道意線という南北に走る通りに出る。この交差点の西北角が琴浦神社である。
 琴浦神社の祭神は、嵯峨源氏の祖・源融。河原左大臣こと源融は光源氏のモデルとも言われる人物。​

(琴浦神社)

(同上・説明碑)
 琴浦神社は5年前来た時よりも荒れているというか、寂れている感じがしましたが、これは気のせいか。
<参考>源融関連当ブログ記事
    ​ 京都・蕪村銀輪散歩(その1)  2015.5.22.
    ​ 囲碁例会・尼崎市の琴浦神社へ ​ 2014.6.11.
    ​ 太融寺 ​ 2014.6.5.
​ コース設定の段階では契沖の歌碑が此処にあると思っていましたが、それがあるのは、ここから琴浦通りを更に500mほど西に行った口ノ開公園という小さな公園でした。
<参考>​ 囲碁例会・武庫川まで銀輪散歩 ​ 2014.8.6.
青雲会囲碁・奈良街道と契沖墓所 ​ 2013.9.14.
    ​ 囲碁例会・契沖墓 ​ 2013.9.11.
 まあ、尼崎城跡公園と中央図書館前で契沖さんには敬意を表しているので、口ノ開公園はカットして、次の目的地である近松公園・廣済寺へと向かうことにする。近松門左衛門の墓所のある寺である。
 尼崎と言えば、契沖よりも近松門左衛門。前者にとっては生誕地、後者にとっては墓所の地と正反対の関係になるが、やはり近松さんにも敬意を表さねば平仄を欠くというものでしょう。
 道意線道路を北上。
 JR立花駅前で右折し東へと進むのが予定のルート。
 概ね正午近くになっていたので、立花駅前で昼食にするかと、店を物色しながら走るが、シャッターを下ろしている店も多く、何処と決めかねているうちに、駅前の賑やかな場所から外れた踏切まで東進してしまった。
 「ちとまずいことになったか」と思いつつ踏切を渡って反対側(北側)に出ると、駐車場の向かいに小さな食堂がありました。
 ランチメニューも色々あるので、ここで手を打つことに。駐車場の向かいなので、駐輪にも便利。
 昼食後、JR線(東海道本線)沿いに東へ。福知山線にぶつかる手前で左折し県道13号(玉江橋線)を北上。尾浜交差点で右折し、JR福知山線沿いの道を北へと進む。
 やがて14年前の4月25日の福知山線列車事故現場が右手前方に見えて来た。現在は、事故現場を保存するとともに、慰霊碑を設置、犠牲者の慰霊・鎮魂・追悼のための「祈りの杜」という名の場所・施設となっている。
 この前を通りかかるのも何かのご縁かと、亡くなられた106名の乗客の御魂に哀悼の意を表して参りました。​

​​​
(祈りの杜)
 場内は、建物内外問わず、撮影禁止なので、道路に出ての外側からの写真だけ1枚撮影しました。
 名神高速道を越えて北上。近松公園に到着です。​

(近松門左衛門墓所の碑)

(有馬道の碑 土塀の向こう側が近松公園)
 近松公園の門を入ると、左手に近松記念館があり、正面には近松門左衛門の銅像がある。​

(近松門左衛門の銅像)
 公園に隣接して西隣に廣済寺と須佐男神社がある。
 公園から廣済寺へは直接には行けないようで、寺への連絡通路を探しているうちに隣の須佐男神社の境内に入ってしまった。
 神社は予定外であったので、社殿は撮り忘れていたようで写真が無い。
 由緒書の碑は撮っていたようなので下に掲載して置きます。
 この神社は、多田源氏・源満仲の勧請により、鎌倉時代に創建されたものらしい。
 ここは、​北斗妙見菩薩、牛頭天王を主祭神とする神仏習合の社で
久々知妙見宮と呼ばれていたが、明治の神仏分離令により、妙見祠が廃され、隣接の廣済寺に移転、須佐男神社に社名変更された。廣済寺はこの妙見宮の神宮寺であったということなので、場所柄としては、こちらが「主」で廣済寺の方が「従」の関係であったことになる。従って、先にこちらにご挨拶申し上げたのは、順序正しきことであったことになる。

(須佐男神社由緒碑)
 そして、こんなものも。​

(矢文石)

(矢文石由緒)
 源満仲の長男が頼光(摂津源氏の祖)、二男が頼親(大和源氏の祖)、三男が頼信(河内源氏の祖)である。わが河内とも無関係ではないので、敬意を払って退出である。
<参考>源氏三代墓の記事
    ​ 銀輪散歩・彼方の赤土の小屋に  2014.3.3.
 隣の廣済寺へ向かう。神社側からだと横門から入ることになる。横入りはずるいというのが相場であるが、裏口から入ることの多いヤカモチ的参拝の類型の一つとも言える。寺そのものが目的ではなく、境内の近松門左衛門墓所が目的であるから、このような入り方のほうが似合っているという解釈もある(笑)。​

(近松門左衛門墓)<参考>​ 近松門左衛門 ・Wikipedia
 裏や横から入ったら正面から出るのがヤカモチ的作法。​

(廣済寺)<参考>​ 広済寺(尼崎市) ・Wikipedia
 廣済寺を出て、次は猪名川公園へと向かいますが、本日はこれまで。
 続きは明日です。(​​ つづく ​)​​​​​​​​​​​​​​





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最終更新日  2019.06.08 14:15:07
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