山ちゃん5963

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27.就職試験



担任の愛原淳一郎教授と打ち合わせた。ワシは『日本で一番しっかりした建設会社に就職したい』といった。やはり平和建設産業がワシの目指す就職先じゃった。少し考えた末、愛原教授は『清水建設が一番いいな』との返事であった。明石高専が清水建設に推薦したのだった。だからペーパーテストはなかった。面接のみだった。清水建設設備部の清水部長が聞いた『君はなぜ清水建設を選んだのかね、また清水で何をしたいのかね』答え『日本の平和産業で一番しっかりした建設会社だからです。私は清水でビル空調工事をやって日本一の高層ビルを建てる仕事をしたい。』清水部長はうなずいた。合格は確実だった。

就職が内定すると、清水建設は興信所の調査員を丹波の田舎に出張させたのだ。山口家の周辺の住人への聞き込みであった。あとから、聞いたが『和久さんは家の手伝いも良くしてやし、本当にいい人ですわ』と言った、とは城田まきえおばさんの言だった。しかし、本当は、同和問題とか、部落問題とかの調査であったらしいのう。山口家はそんな事には全然問題が無い家系だが、仮にあったとしたらどうなるちゅうねん?一流会社と言うのはそのような事を調べなきゃ同じ日本人が信じられんのかい?諸君はそのような事調べられたことがあるのけ?犯罪人の子供も調べとるぜ。特に思想犯な。あほらし。ほんま。
就職が決まったその年、ワシはひとり旅に出た。須磨から尾道そして広島へと向かった。広島銀行の正面玄関の横には原爆により焼けた人の影が残っておった。ワシは一人考えた。その人は今は影だが、生きておったら立派な人になっとるにちがいない。きっとそのはず。かわいそうにな。ワシゃ一人泣いていたね。それから原爆ドーム。原爆記念館。平和の鐘。原爆慰霊碑。ああなんというひどい事をアメリカ連合国はしたのか。口では言えぬ、声も出なかったもんじゃ。それがワシの十九歳の夏だった。その夜は安芸の宮島に渡った。宿は宮島に見つけた。ユースホステル宮島だった。夜はミーティングがあった。皆が自己紹介した、その後話し合があった。が、その内容は忘れた。ワシは良く眠った。明くる日は朝早く一人彌山に登った。ワシは高いところが好きじゃったのう。登る途中に、昔太閤秀吉が寄進した五重の塔があるのじゃよ。それは実に有意義な一人旅だった。原爆とは、又平和産業とは、大いなる建設を予感させる旅だったのじゃ。


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