これはIRAQ Hi Rise現場での話しだが、寧々はインディアンワーカー達の前でラジオ体操の指導をしたのだわい。寧々はピンクの半ズボンをはいていた朝礼壇に上がったわいなあ。なかなか寧々はがんばった。ワシがあの年(八才)だったなら恥ずかしくってようせんなあ、きっと。 あるとき、ザウラパークの遊園地でコーンアイスを寧々に買ってやった。ところが寧々がそれを食べる前になぜかコーンからアイスが転げおちた。そのときの寧々の顔は忘れはしない。寧々の目が点になり、それから泣いたのう。かわいそうだったがワシはアイスを新しく買ってやることはしなかった。ものはすべて大切に扱いなさい。寧々小学三年生じゃった。
Iraq Hi Rise には月光仮面が出没したのだ。ある時は早朝オートバイが駆け巡り、現場の資材を調達。朝四時にA工区にあったベニヤの山がいつのまにか朝礼の始まる八時にはもう違う場所B工区に移動していた。それはその日のうちに型枠として使われた。その月光仮面こと我らが仮面だった。まあ、よくがんばる月光仮面だった。この仮面にはシンガポールにて再び会いまみえることになる。
昭和六十二年九月二十九日イラク バビロン インターナショナル フェスティバルが開催されたのじゃ。“From NABUKHADNEZZAR To SADDAM HUSSEIN”じゃった。清水建設Baghdadカラダオフイスの事務のワラさんと所長と事務長と一緒にジャグディシュの車でバビロンに出かけた。その日バビロンシアターでイタリアのオペラが催されたのだ。オペラの内容は忘れたが、非常にたくさんの外国人が鑑賞した。そしてイタリアオペラを楽しんだ。非常に楽しいフェスティバルだったなあ。