鈴鹿観戦記~とにかく色んな観戦日記~

鈴鹿観戦記~とにかく色んな観戦日記~

part1



何万光年先もから届く光のように、F1世界に輝く星達の光は鋭い。
マクラーレンが1つの星座とすれば、
アラン・プロストとアイルトン・セナは、向かい合う2つの大きな星と言える。
この巨大な星を中心に、ありとあらゆる星を飲み込んだ集合体が、F1大宇宙である。

89年、この宇宙では、様々な事が起きた。

目に見えるスピードは300km。
しかし、瞬間の判断は、光よりも速く、
心の葛藤は、地球より重い。

これは1989年、F1全16戦、戦いの記録である。

1989年 F1総集編 エンディング より ~

89年、速く走ることが全ての男が政治の壁に突き当たり、蹴落とされようとしていた。
問題は、ルールにあるのではない。それを適応する人であり、方法である。
セナが正式に走れることになったのは、90年2月16日のことであった。


F1。
瞳眩きもの、眉秀でしもの達が駆け抜ける一瞬は、空にある星よりも鋭く、私の心を射抜く。
F1。
鮮やか色のガラス細工。目眩く白昼夢。迸るエクゾーストノート。全てがセクシー。
神と話して自分の道を進む。
自由自在。人の心をも動かす。
飛ぶように坂を登る巨大な星。
祈る。嘆く。高ぶる。平和。静寂。怒濤。
人間の営みだからこそF1は素晴らしい。
僕たちはレースと共に大人になった。


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1990年 F1総集編 オープニング より ~

1990年、2月。

アラン・プロスト。
1989年、ワールドチャンピオン。
明晰的な頭脳と、エゴイスティックなまでの固い意志を持つ男は、
2月の24日、満35歳の誕生日を迎えた。
仲のいいジャーナリストやドライバー、取り巻きを集めてのパーティ。

南半球、サンパウロ。
89年、鈴鹿失格の末、危険なドライバーの烙印を押され、
孤独の中で苦悩する青年がいた。
アイルトン・セナ。
未だ90年のスーパーライセンスは発行されず、
引退か? アメリカ・インディーカー・シリーズに参戦か?
重苦しい毎日だった。

1990年 F1ワールドチャンピオンシップは、
たった一つの頂点を目指して、二人の天才、3度目の対決となった。


1990年 F1総集編 エンディング より ~

空光り、風立つ。
胸、公然と高鳴る。
人、あふれ、人、走り、歓声沸く。
右手、天空示す時、エンジン、雄叫びをあげ、戦いは始まる。
瞳は、深さ1万メートルの海。
心は、宇宙のボルテージ。
なんて美しいのだ。なんとやり甲斐があるのだ。
あなた達は、神に選ばれし地上の戦士か?
こみ上げるよう涙。
また少し人間であることが好きになった。


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1991年 F1総集編 オープニング より ~

光り輝けるのものは何?
何千億の銀河? それとも宝石?
人の一生には限りがある。
暗闇から産まれ、キラキラ輝いて去っていく。
出会いもほんの一瞬。
栄光も一時。
しかし、一人一人の志は、永遠に光り輝く。

1990年12月。
ブラジルのレーシングドライバー、アイルトン・セナはパリにあり、
生涯二度目のワールドチャンピオン表彰式に臨んだ。

世界一の若者は、
世界一のエンジンを与えてくれた恩人と、
短くも心に残る再会を果たす。

1991年、本田宗一郎氏、逝去
二つの光り輝く志、最後の出会いであった。


1991年 F1総集編 エンディング より ~

乾杯。
五感と肉体を極限まで使い果たし、悲願を成し遂げた神の力に、
ほとばしらせよ プラチナの酒。

乾杯。
闘志みなぎらせ、縦横無尽に駆け抜け、
天と地を湧かせた勇士の腕に、翻るよ栄光の旗。

乾杯。
夢を追い、黙々と励み、新たな夢に旅する日本武士に、
注がせてよ、麻呂き米の酒。

技術と技術、出会う道。
たった一人の喜びが、何億の人を幸せにする。
涙を見せるな、
たかが、F1ではないか。
新たなるシーズンを祝して、笑って乾杯。


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1992 総集編エンディング より ~

泣いた 笑った 徹夜した 叱られた
作った 壊れた 走った 勝った

人を愛することと同じように、
F-1を愛してしまった男達、女達。

速さを生み出すために風と語った人々。

悲願を成し遂げた夫。支え続けた妻。

かっこいいからやるんじゃない。
勝ちたいから。F-1が好きだから、ここまでやってきた。
思い出の日々。思い出のエンジン。

明日がる。未来がある。
新しい時代のF-1を目指して
力惜しまぬ若い力。
苦しみ、嘆きをばねに伸びてゆけ。
もっともっと早く頂点を目指し。
必ず、君達の時代は来る。
夢を確実に形に、大きな一歩を。

F-1を愛す。
心からF-1を愛す。
何時の日か未来の孫とスタンドで、
セナやマンセルの話が出来る日が・・


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1993総集編 オープニング より ~

私と言う人間は世界でたった一人。
君と言う人物も世界に一人しかいない。
世の中は不思議。
こうして出会い、お互いの存在を疎ましく思いながら、
同じ仕事をしている。

僕らは1/1000秒の阿修羅かもしれない。
仲良くしようにも、不可能な間柄なのだ。
だけど、出会えて本当に良かったと思っている。

君がいたから、僕は、僕でいられたんだ。

君がいたから・・・

君がいたから・・・

1993総集編エンディング より ~

12月10日パリ、プロストは人生最高の経験をすることになった。
チャンピオンマシン、ウイリアムズFW15Cルノーに乗って、
シャンデリゼをパレードするのである。

凱旋門。
文字通り、プロストが凱旋する。

F-1は文化。勝利は栄光。人生は華。夢は現実。
揺ぎ無い信頼もあれば、絶望的な溝もある。
精錬潔白もあれば、醜い欲望の海もある。
人間社会を鏡に映して、F-1は突き進む。
理屈じゃ無い、体中の細胞が走りたがっている。
明るすぎる、健康すぎる、速すぎる。
学校なんかじゃ教えてくれなかった、F-1。

混沌がある 美学がある 政治がある 経済がある
科学がある

ほんのすこし、愛がある。
だから、ちょっぴり、涙が出るのだ。


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1994年 F1総集編 オープニング より ~

モーターレーシング。
それは、人間がこの世に送りだし自動車を使って、競争を楽しむスポーツ。
レーサーは英雄。
車は技術者にとって英知を傾けた作品。
サーキットは発表の舞台。
レースは危険である。
しかし、この世にレースが存在するわけは、
自分の好きな道を歩み、真意としての自由があるからだ。
モーターレーシング、この崇高なるスポーツ、成熟した社会の勝ちある財産。

1994年。F1グランプリは、大きな大きな歴史の曲がり角に来ていた。
ハイテクノロジーの進化は、かつての のどかな世界を奪い取り、
幾千にも及ぶ機械的ファクターを生み、鍛え抜かれた肉体と明晰な頭脳を要求している。

この世にレースが生まれて、ほぼ100年。
人は何のために走るのか?
セナは何を求めて走るのか?
答えはすぐに出るものでもなく、一つでもない。
F1はそれを探す旅でもある。



1994年 F1総集編 エンディング より ~

1994年 FIA表彰式。
求めてきたものは何だったのか?
命をかけ、情熱をかけ、のぼりつめた時、与えられるものは何?
紳士淑女の祝福の嵐と、小さな盾が手に残る。

蝶を追い続けた人は蝶を愛し、
羊飼いは羊を愛す。
F1にある人は、このスポーツを愛し、
自分と自分のマシンを愛す。
F1を愛する全ての人々を愛す。

悲しみと混乱、議論と競争の果てに、明るい未来が見えてくる。

F1。
人生を凝縮して地上を進む際立つ人々の戦い。
波乱と混沌が竜巻のように人々を飲み込んだ。
嘆き、悲しみ。涙をこらえて突き進んだ。
全身全霊で競い合ったのは、優れた命の証か?

競り合い。命の限り。自分の人生を切り開く。
きれる。もとめる。ほとばしる。
気高き峰を目指して、必ずや来る栄光の日。

素晴らしきF1。
だからこそ愛しきあなたは生涯愛しぬいた。
未来へ。人々の未来へ。
人間の英知と勇気を乗せて、感動の世界へ。

F1。
この情熱に終わりなし。
いつまでも心ときめかせる。

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