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80才の母の乳がんの摘出が済み、きれいに抜糸もでき、お昼に退院しました。当初2週間以上と言われていたけど、12日で出られるように。とても予後がよかったのです。結局なんで乳がんになったのか、というのは母は私の時で5カ月、妹の時は2カ月しか母乳を与えていないということでした。「舅と小姑が3人いてたら、ゆっくりお乳を与えてる時間なんて無かった」ということでした。それが原因なのかなあ。まあ、それは済んだことだから、今妊娠中の私の娘に母は「あんたはしっかり母乳をやるんやで。」と助言しています。その母が入院中にやりたかったことは お散歩。町の真ん中にある病院で、おまけにそんなに大きくないので、散歩するところが全くない。だからお日様を浴びれなかったことが辛かったようです。しまいには「カルシウムが足らんような気がするから、じゃこ持って来て。」なんて言いましたから。母は 牛乳が飲めないのです。お腹を壊すので、りんごジュースに変えてもらっていたようです。手術することになった「陥没乳頭」というのはやっぱり乳がんの特徴らしく、引っ張られて凹むことが多々あるそうです。もともと陥没になりやすい乳頭はどないやねん、ということですが、それは関係ないようです。赤ちゃん用のコーナーに 赤ちゃんが飲みやすいように引っ張り出す道具は売っていますし。退院した日はお彼岸でしたので、母と一緒に皆で父のお墓参りをし、あれこれ報告してきました。元気に退院できてよかったです~。
2014年03月22日
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80才の母の乳がんの経過はすこぶる順調です。執刀してくださった先生が1日3回くらい回ってきてくださるし、看護師さんもみんな優しいので母は結構ご機嫌です。二日ほど前に、「手術したん右側やけど、左側の胸にもなんかコリコリしたンがあるわ。」と母。「え?!」乳がん手術した人の5人に1人は 両側の乳がん手術をしているらしいので もしかして?と思い 先生に聞くように言いました。次の日、先生に診てもらったら「肋骨ですよ。」って。「は~~。」いっぺんに力が抜けました。母は36キロしかないので、あばら骨をしこりと勘違いしたようでした。あーびっくりした。私の息子も気になったらしく、出かけた帰りに病院によって母の様子を見に行き、あばら骨であったことを聞いてほっとしていました。両方切って乳首がなくなったら それこそシールか アートメークの段取りをしないとなあと考えていました。いまさら乳房を作る必要はないと思うので。
2014年03月15日
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昨日、80才の母の乳がん手術は無事終わりました。妹に朝から 母に付いていてもらいました。3時半過ぎに私が行ったときには、ちょうど手術が終わってナースステイションの隣の部屋に移動していた時でした。なんとなく意識が戻りつつありました。1時間もしないうちに母の意識が戻ったのですが、声が出ない。食道に管を通して麻酔をかけたから まだしばらくは声が出にくいのだそうです。麻酔が残っていると寒いらしく 首やおなかにタオルを巻くと、ほっとしていました。妹が 手術後の取り出したものを 写真に撮っていたので見せてもらったのですが、わおー!と言いたくなるようなもの。先生との会話「皮膚の部分は最低限にしてあります。」って?白っぽいものが、おっぱいの皮膚。「この赤いのは?」、「下のこれは皮下脂肪です。」 面積にして20×15センチ位はあるかな。250グラムくらいのステーキ状。「リンパも少しだけ取ってありますが、腕は動きますよ。」ってこのオレンジ色っぽい部分か。「で、がんは?」「この下に隠れています。この切った部分の下ですよ。がんが乳頭に広がっていたのでとりました。全部きれいに取れましたよ。」なるほど切り取ったおっぱいの皮膚の上部にちょっと黒くてプチったしたもの。あー、これが乳首ね。がんが中からひっぱていたから陥没乳頭になったのね。生々しいものでしたが きれいに取れたということで ホッとしました。今日お昼過ぎに行ったら、ちょうど傷口の ガーゼを取り換える時間。胸の真ん中から脇にかけて 真横に20センチ位の大きな傷跡。ジグザグに縫われていました。丁寧にガーゼの交換をしてくれたので、その時ついでに手術着からパジャマに着替えました。ほぼ自由に手も口も動かせていました。
2014年03月11日
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80才の母のおっぱいは、「こっちが前ですよ」という位ささやかなんです。「娘二人産んで、しっかり母乳で育てたのに、なんでやろ。」と きゃしゃな母。いろいろ悩み事を言い出したので、「たぶん3年前に父が死んで長いこと泣いてたからとちがうかなあ、ストレスかなあ」、と私は言うしかなかったのです。家族みんなに知らせ、さあどうするかを検討し始めました。私と主人は初め「手術することには反対」と言っていたんですけど。。痛みで苦しむ母はかわいそうなので。ネットで、「乳がん」ではなく「葉状腫瘍ではないか」とか、「手術しないほうが長生きするのでは」とか調べたりして、話し合いました。「あの病院は あんまり手術が上手なことないで。」とかいう人がいて。「セカンドオピニオンを考えてみよう。」としたのが 3月1日の土曜日それも夕方6時。その病院の地域連携相談室で「行きたい病院と先生のお名前、そこの空き状況を 月曜日にお知らせください。」と言われました。またもや家族で ネットと首っ引き。結局「今からもう一度診察してもらっていては間に合わない可能性があるな。切ったほうが早い。」ということでした。そして、診察してもらった内容が、とても的確で敏速な処置をしてくださったので その藤村先生にお任せしようということになりました。なぜなら 土曜の夕方にもう一度おっぱいを見せてもらったら、その患部の下に3センチ×5センチ位の大きなあざができていたんです。妹と私は「ギョ!」としたけど、母には言わず。「進行が早すぎる?」「痛いのは嫌やけど、臭くなるのはもっと嫌や。」母はといいます。いろんな葛藤がありましたが、結局3月10日に手術してもらう覚悟が 家族みんなにできました。
2014年03月10日
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80才になる母が 乳がんだと分かりました。 2月初め頃に 妹が「大ママのおっぱいに大きなしこりがあるのん、知ってる?」と。 「え?」さっそく母の所へ行き 触らせてもらったら、えらい大きなしこり。ネットで、行きやすくてすぐに見てもらえる病院を探してました。 問診・触診後すぐに、「4センチありますね。この乳頭が陥没したのはいつですか。」 「さあ、いつからか判りません。」と母。 「すぐにマンモグラフィの予約を取ってください。」と言われ、2日後に。そして、その結果は1週間後に出ました。 先生が「うーん、石灰化しているところがありますね。」 私が、「切るのは反対です。高齢ですし。」というと「怪しいから検査をするんですよ、そして決定をするのはお母さん本人です。」と。「患部の病理検査もします。注射針で組織をとります。」そして「今から詳しい検査をしますよ、尿と心電図とCTをとります。」って。もう段取りしてくれていたようです。そして1時間ほどして呼ばれました。 「乳がんですね。 表層にあって動くので、ほっとくと皮膚を突き破って出てきます。そうすると臭いですよ。幸い、まだリンパには入ってないようなので。」と。 私が「この乳首が陥没したのはなぜですか? 陥没したから乳がんになったのですか?」と聞くと「乳がんができて それが皮膚をひっぱったので、乳頭が陥没したのでしょう。」と言わはりました。 母と先生が話を進め、「3月10日にしましょう。入院の手続きをしてください、お昼から手術です。」と決定。それが2月の27日でした。 悩みの日々が始まりました。
2014年03月09日
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