よびりん人生大学

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 ご冥福をお祈りして、平和の尊さをかみ締めたいと思います。

 私は、梅宮大社の
橋本宮司からこのような実話を聞いたことがあります。橋本宮司は戦争中、潜水艦の艦長でした。

★ 原爆投下は阻止できたかも知れないのです!!

  (以下は史実です。)

 アメリカ海軍重巡洋艦、インディアナポリスは広島、長崎へ投下予定の原子爆弾用の部品と核材料をテニアンへ運ぶよう命じられた。

 7月16日サンフランシスコを出港しテニアンに最高機密の荷物を届け、
7月28日レイテ島へ向けグアムを出港した。

 7月30日0時15分、北緯12゜02'、東経134゜48'の地点で日本海軍の潜水艦伊58(艦長:橋本以行少佐)が、九九式酸素魚雷を 初回発射3本、数秒おいて2回目発射3本の計6本の全門発射した。

 うち3 本が右舷に命中、船体を鋭く貫いた魚雷が爆発。特に時差発射の2回目の魚雷が1発目が船体に開けた穴に入り込み奥で爆発、艦内第二砲塔下部弾薬庫の主砲弾を命中と同時に誘爆させ、同艦は夜空に大きく火柱を吹き上げると、艦前半部を海に突っ込みながら暫く浮いていたが、12分後に転覆、沈没した。

インディアナポリスは、乗員 1,199 名のうち約 300 名が攻撃で死亡し、残り約 900 名は 5 日後に救助が完了するまで救命ボートなしで海に浮かんでいたが、毎日数回に渡る鮫の襲撃と水や食料の欠乏、特に前者の鮫による襲撃で被害は凄惨を極め、多数の乗組員が死亡した。救助された生存者は わずか316 名であった。(映画ジョーズのヒントになった)




★ 橋本宮司は、90歳を超えるまでご存命で、このように語られました。

「私の艦が、
シスコ~テニアン航路でインディアナポリスを撃沈していれば原爆投下を
完全に阻止できました。痛恨の極みです。
当時アメリカの保有原爆は2個だけだったのですから。

しかし、戦後、撃沈艦の乗員が悲惨な目にあったことを知り、涙を禁じえませんでした。戦争とはむなしいものです。
戦争のない平和な世界こそ守り通す価値のあるものだと思います。」

★ 橋本艦長の艦は、人間魚雷「回天」を搭載していたのですが、あえて人命尊重の立場から通常魚雷で攻撃したのです。

★ この攻撃の時、「七生報国」と染め抜いた鉢巻をした、
18歳の回天隊員は、
お国を守るために、泣いて艦長に、自分を出してくれ!と
「出撃を懇願」したそうです。

★ 日本の連合艦隊は壊滅状態でしたが、終戦直前のこの時点でも、大和魂は、健在だったのです。戦後はこのような人達の頑張りで復興したことを忘れてはいけないと思います。


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