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震災の日が過ぎた。
震災時、被災者は全国、世界に支援を求めた。自分はは被災者としてそのお礼を伝えた。
命を救っていただいたのだから、ありがとうって言うのはあたりまえ。でも、それをどうしたらできるのか。
そこで都道府県の議員事務局に連絡した。議会は知事を始め、市町村の代表者が集まる。市町村議会も同じ。だけど、膨大な市町村へはどうしたらいいか考え、自分の本が置かれている図書館がある市町村を中心に連絡した。ありがたいことにたくさん返事をいただくことができた。
群馬県議会、さいたま市、神戸市などたくさんたくさん。。。
そして、最後はこのブログを読んでくれた全国の皆様へ。 ...
被災地の命を支えたのは全国みんなの一人一人の思い。ありがとう。そのみんなの気持ちが力になり、俺たち被災者の行動力へと変わる。ゆっくりであっても後に下がることはない。小さくても前に進む。背中を押すのは皆様の心だ。
そのお気持ちに応えようと取り組んできた。その今までを写真にまとめたので興味がある方がおられたら見ていただけるとありがたい。
写真
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音楽を通じて震災復興プロジェクトを続けてきた。陸前高田第一中学校に行ったのが行動するきっかけ。
体育間で施術してきた。
全国からの熱い想い
震災直後の陸前高田市。これを生で見て言葉を失った。
当時メディアは何かにつけ、絆、絆といい続ける。絆という言葉が企業の宣伝の言葉かと思ったほどだった。
亡くなられた方々の魂をどうしたら残せるか考え始めたこととは曲を作ってCDにして差し上げた。
津波で家、友達を失い、一関市に引っ越されたお客様。そのお客様にできた曲を真っ先に差し上げた。そして講演会の話をいただき、命をテーマに数箇所で話をさせていただいた。
このブログを見てる方は想像できると思うが、駄洒落の嵐 笑 寝かせません。この皆様の目を見ていただくとわかると思う。そして、全国の新聞社に投稿し、被災地への応援を訴えた。
しかし、母、子供の容態が悪化。生まれた埼玉に戻ることになった。
これがきっかけで被災者に向けたプロジェクトは応援してくださる皆様にお礼を伝えるものへと成長した。
海を越えた外国の日本人学校、全国の図書館、大学にCDを送り、支援のお礼を伝えた。お礼を伝えるのに何も音楽にこだわる必要はない。全国の新聞社に投稿したのがきっかけだった。英語がしゃべれないのに世界の国々の皆様に支援のお礼を伝えようと試みた。バーレーンの新聞社が取り上げてくださった。
そして群馬県大泉町はブラジルからの方々が多く住まれている。時はリオオリンピック。ブラジルの皆様にお礼を伝えた。
大泉町のコミュニティーセンターにポルトガル語で貼ってくださった。
スーパーにも貼ってくださった。
全国の皆様にお礼を伝える手段として考えたのが議会事務局。議員は住民の代表。そこには市町村長もいらっしゃる。最初、議会事務局ではなく、広報に載せてもらおうと試みたが住民ではない者のためのスペースはその為に用意はできない。そこで議会事務局に送ることにした。
この活動を6年間続けてきて高校の恩師や色々な方々からこの経験を基にもう一度本を書けなんてありがたい言葉を戴いた。感無量。しかし、まだすべきことがある。それがこのプロジェクトを立ち上げたきっかけ、音楽を通じたプロジェクト。
では、イメージをがらっと変え、いつものてつおらしいブログに戻そう。ライブに来てください!と言ってもどんな歌声かわからないと行きづらいだろう。そこで先日スタジオで録音してきた。
スケベ×4
←クリック
曲名スケベてつお ではなく、スキップビート!
去年、この相方を引きつれ岩手でライブをやってきた。
3月23日 オタク・サブカルSwing-By
町田駅すぐそば。開始時間は20時頃予定している。
よろしく。