TOKKOの 詩的な生活

TOKKOの 詩的な生活

まずは生野銀山 (2012/5)


今年のGWに突然、思いつき(いつもそんな感じです・笑)
前日に、片っぱしからホテルに電話して
やっととれた一軒に
胸をなでおろしながら
5月4日の朝8時過ぎ、出発

あんのじょう、想像どおりの渋滞でしたが
昼前に朝来市に到着

大阪では見えてた青空が
ここに来ると、どんよりとしたお天気
せっかくのマチュピチュ
いえ、竹田城跡は
青空のもとで見てみたい

明日は晴れるのかどうか
確実な保証はないけど
私達は賭けてみることに!

竹田城跡を翌日にまわして
近くにある生野銀山に向いました

生野銀山 (1)
生野銀山 (1) posted by (C)TOKKO

立派な門には菊の紋章

生野銀山 (15)
生野銀山 (15) posted by (C)TOKKO

明治新政府が日本の鉱業の近代化を確立するために、
日本で初めて官営(直轄)鉱山とした証です

生野銀山 (4)
生野銀山 (4) posted by (C)TOKKO

ここは平安時代初期に開坑したと伝えられ
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など
時代の権力者は重要な財源として
佐渡金山、石見銀山とともに直轄地としました

生野銀山 (2)
生野銀山 (2) posted by (C)TOKKO

江戸時代に入ると生野奉行が置かれ、
第三代将軍・家光の頃に最盛期を迎えたそうで
1705年には、「御所務山(ごしょむやま)」という
最上級の鉱山に指定されています

生野銀山 (6)
生野銀山 (6) posted by (C)TOKKO

ところが銀産出が衰退し、1716年には
生野奉行は生野代官と改称
江戸中期には銀に換わり、銅や錫の産出が激増したといいます

生野銀山 (8)
生野銀山 (8) posted by (C)TOKKO

その後、明治元年に日本初の政府直轄運営鉱山となり
フランス人技師長らの力をかり
先進技術を導入し近代化が進められたのです

生野銀山 (10)
生野銀山 (10) posted by (C)TOKKO

そして1889年から宮内省所管の皇室財産となり、
1896年には三菱合資会社に払下げられるという運命をたどります

生野銀山 (11)
生野銀山 (11) posted by (C)TOKKO

が、とうとう1973年3月22日には
閉山となり、1200年の歴史に幕を閉じます
閉山後の1974年から、三菱マテリアルという会社が
史跡 生野銀山として管理してるとのことです


生野銀山 (13)
生野銀山 (13) posted by (C)TOKKO

その坑道の総延長は350km以上、
深さは880mもあると聞いて驚きました

坑道を歩きながら
そういう説明をしてくれたのは
近所に住んでいるという方でした

その人は言います
「自分の家の下には坑道がある
地面の下に空洞があるんですよ」と

「地震などのとき、不安じゃないですか」
思わずそう尋ねると

その空洞のおかげで
地震がきても揺れが分散するから
安心なんだと笑顔で答えてくれました
そしてまた
三菱マテリアルが、
地域に迷惑をかけないように
きちんと保守管理してくれて
その社員は、毎日、水質の検査をしてくれてると

敷地に入ってすぐ左に
山から流れてくる水を溜める小さい池があり
そこの水質を検査しているということです
これぞ、日本企業ですね!

少し上っていくと
銀山湖という湖があるそうなんですが
ぽつぽつと雨が降ってきたので
止めておくことにして町に帰ります

早い食事はこんな所でしたよ

ホテル (1)
ホテル (1) posted by (C)TOKKO






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