千住大橋 の袂は、松尾芭蕉・奥の細道の「 矢立て始めの地 」である。墨田川に架かる国道4号線(日光街道)の下り線の橋で、6回もの架け替えの歴史がある。関東大震災の復興事業として昭和2年に完成し現在に至る。 鋼製タイドアーチ橋 (橋長91.6m、幅員24.2m)では、国内最古参。
墨田川最初の橋と言われ、徳川家康入府間もない1594年につくられる。幕府は、防備上この橋以外は認めなかったが、天明大火を反省して両国橋など架けられた。千住大橋は、刑場の近くだったが故に「 小 塚原橋 」と呼ばれた。幕末多くの志士の命が消えた小塚原。この橋を15代将軍慶喜は、わずかなとも廻りで、水戸へ落ちて往くのである。
松尾芭蕉が奥の細道へ旅立ったのは、5月中旬(旧暦3月27日)。約5ヵ月かけ、東北から北陸を経て岐阜大垣に辿り着く。暑い夏の今頃は新潟付近で「 荒海や佐渡によこたふ天河 」と詠んでいたかもしれない。
歴史ある千住大橋ではあるが、公のビュースポットがまるで無い。上流側の水道橋、下流側の上り線の新橋とで両脇をガードされている。また前後の墨田川は高いコンクリート堤防のため、水辺で憩う場所がない。間違いなく土木遺産とし登録される価値があると思うのだが・・・
写真-1 千住大橋は正面から撮影するしかない
写真-2 千住大橋の橋名板。両脇の筒にはガス灯や提灯が入りそうだ
写真-3 北千住側にある松尾芭蕉碑と日光街道の道標
写真-4 近くの白髭橋はスカイツリーを見るのに良い場所
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