灰色猫のはいねの生活

灰色猫のはいねの生活

その12


高校3年生になった由記ちゃんは、地元の農業関係の会社に就職が決まりました。
大介くんは大学受験の最後の追い込み中です。
同じ高校ではないけれど、時々携帯電話にメールが来ます。
農家は継がないと聞きました。
数年後には、一定面積を持たない農家は経営していけなくなるのです。
大介くんの家は元々が稲転と言われる水田だった畑で、北海道の農家にしては面積が少ないのです。
由記ちゃんの家もそうです。
だから、せめてこの場所で農業に関係する仕事がしたかったのです。
小さい頃は農家を継ぐのが夢だと語り合った同級生の4人の男の子の中で、実際に就農することが決まっているのは、たった1人だけでした。
何もかもが、変わって行きます。
みつも少しずつ年を取りました。
あんなに好きだった散歩も後ろ足を引きずるようになり、家の前のじゃり道が舗装されたのも重なってあまり遠くには行けなくなってしまいました。
毛並みが悪くなり、体つきは一回りも小さくなりました。
そうして、とうとうこの日が来たのです。
冬の北海道とはいえ、十勝には珍しい大雪の日でした。
舗装道路でさえ、まだ除雪車は来ません。
家の前の私道は、トラクターで除雪出来る量をはるかに超えています。
夜中から降り続く雪に、みつと猫に水をやりに外へ出ると遠吠えともつかない悲し気な啼き声が辺りに響いていました。
雪に埋もれた犬小屋で、後ろ足の動かなくなったみつが啼いていたのです。
とうとう、この時が来たのです。
みつを預かった日からずっと恐れていたこと。
覚悟しなければならないのです。
後2ヶ月もすれば、また巡ってくる春を、もうみつと迎える事はないんだ。
由記ちゃんは思いました。
だから、今日はみつの側にいてあげよう。
今日くらいは。
最期の時くらいは。
玄関を出て、ずぶずぶと雪に埋まりながら犬小屋へと進む由記ちゃんの頬を涙が伝います。
冷たいと思うより先に、痛いと感じました。
「みつ、立てなくなっちゃったの?」
由記ちゃんの声に、みつが顔を向けます。
焦点の合わない白い眼が由記ちゃんを見つめました。
「みつ。」
そっと頬に触れたとたん、びくりとみつは身体をふるわせました。
見えてなんかいないのです。
「みつ、私はここだよ!」
由記ちゃんの声は悲鳴のようでした。
古い毛布を出して犬小屋に敷き、その上にみつをのせます。
こんなに軽くなってしまったなんて。
あまりの軽さに、由記ちゃんは驚きました。
いつもなら一回りも大きく見せる冬毛は、これっぽちも生えていません。
そばにいてなでてやれば安心するのか、大人しく目をつむります。
「みつ、大丈夫だから。」
そう言いながらなでてやることしか、由記ちゃんには出来ませんでした。
初めてみつが家に来た日、吠えられて怖いとしか思えなかったあの時から8年。
8年も一緒にいたのです。
「私は大きくなったのに、みつはこんなに小さくなっちゃった。」
独り言のように呟きます。
涙があふれて止まりませんでした。
散歩に行く前は、いつも飛びかかって来たよね。
鼻筋をなでてやると目をつむって大人しくなった。
ブラッシングしてやると気持ちよさそうに体をすりよせてきたっけ。
ボールで遊んでいたら、返してくれなかったね。
シャボン玉、食べちゃったのには驚いたよ。
美味しそうに見えたのかな。
楽しかったね、みつ。
ふきのとうの春の道も、夏のきらきら光る川辺も、秋のくるみの木の下も、かた雪の冬の畑も、もう一緒に歩けないんだ。
さよなら。
私が犬を飼うなんて、きっとみつが最初で最後だよね。
ありがとう。
咬まれたりもしたけれど、私はみつが好きだよ。
大好きだったよ。

雪の降り続く中、由記ちゃんの手はいつまでもみつをなで続けていました。

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