記憶の淵に沈みゆくもの

記憶の淵に沈みゆくもの

||3||<十二国>

||3|| はい、馬鹿決定。

字。
それは、親愛の情を込めたものだと、言われている。
が、オレのこの字はなんなのだろう。
そう考えたら、景麒並みのため息がもれた。

随分昔の話だ。
オレの主である、雁国国主、小松尚隆が
だらしなく寝そべっていた臥牀から体を起こすことなく声をかけてきた。
「六太~」
「ん~?」
「おまえ、字って欲しいか?」
オレものんびり、窓枠に座って雲海なぞ眺めている。
ちょうど春と夏との間の頃だった。
気持ちのいい風と、柔らかな新緑のにおいに
オレはすっかり浮かれていたんだ。
だから、尚隆の声に含まれた悪戯っぽい気配に
気づくのがとってもとっても遅かった。
いや、そのときはホント気づかなかったんだ。

雲海からの風は本当に気持ちがいい。
この日差しに、においに、とてもよく似合ってる。
そんなことを思っていたから、
何の気なしに返事を返した。
「う~ん、欲しいって言えば欲しいけど、いらないって言ったらいらない」
「なんだそれは」
苦笑して、起きあがる気配。
背後に感じる王気も、暖かくてつい眠りたくなるほどの気持ちよさ。
「だってさ~、朱衡とか帷湍とか成笙とかさ~、
 字貰っても嬉しくなさそうだったし~。
 オレ、六太でも十分だしさ~」
目を細めて思ったままを口にする。
ほお、と楽しそうな声と同時に、オレの両側に何かが降ろされた。
尚隆の腕だ、と気づいた。
少し視線をあげると、口角が少し持ち上がって、笑っている気配。
こういうのんびりした時間もいい。

「おれは特に、あいつらに間違った字はつけてないと思うのだが。
 朱衡は頭がいいが、我を忘れると無謀な行動をするし
 帷湍の性格はお世辞を含めても猪突だろう?
 成笙のあの行動は、今考えても酔狂としか思えん。
 だからそのままつけたのだが、何が気にくわないのやら」
同じ雲海からの風に吹かれている。
それだけで、なんだかオレは嬉しかった。
浮かれていたんだ、うん。それ以外あり得ない。
別に尚隆が一緒だったからじゃないぞ。
あの気持ちのいい風は、誰の気持ちだって浮かれさせるに決まってる。
だからだろう。
油断した、としか、今では言いようがない。
のんびりのほほん、と答えてしまった。
「ホントだよな~。
 ありがたくももったいなくも。
 主上からの字だもんな~。
 文句言うのは間違ってるよな~」

「はい、馬鹿決定」

ぽん、と頭を軽くはたかれて。
オレは不覚にもとっても間抜けな顔を尚隆に向けてしまった。
なんだその顔は、と苦笑をにじませて
尚隆はぐりぐりとオレの頭の上にのせたままの手を動かした。
「おまえは麒麟だろう?
 転変した姿を見たが、
 蓬莱の馬と鹿をあわせたような感じだったな。
 だから、おまえの字は『馬鹿』だ」
決定、と嬉しそうにもう一度だけオレの頭を軽く叩いて。
尚隆は足取りも軽く堂室から出て行ってしまった。

オレがその言葉をすっかり飲み込むまで、時間がかかった。
最大級のオレの、「尚隆~~~~ッ!!!」と叫ぶ声が
玄英宮に響き渡ったのは言うまでもない。


                                end



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六太の独り言です。

景麒の字云々の話を陽子に聞かされ、
六太が苦々しく答えている様が目に浮かびました。
ので、このお題はこれで。
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