楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

『VOL91~VOL100』


記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL91、
日本人移民のアメリカでの苦労・・・。』

ニュース内容:

 9月26日

 重たい腰を上げて、『異文化コミュニケーション』の
テキストの本読みを始めました。 来週の水曜までに
20ページくらいの小さな文字を読んで、レポートを
書かないといけない。 本と読まないことには、
書けないで読み始めました。 そしたら、もう夜です。汗。
なんて1日早いの・・・。汗。 結構読めたよ~。
今晩中に制覇出来るかもしれない!! でも、しんどい!
思ったより読めたよ。

 読んでいるチャプターは、『アメリカへ移民した
日本人について。』なのです。 特に、ハワイの話しが
中心なのです。 このようなこと日本で習っていないし、
気にも留めていなかったよ!! 彼らが苦労して、
身体を張ってくれたからこそ、今の僕達留学生がアメリカで
伸び伸びと過ごせるんだよね。 時代が変わったことも
あるけど、100年前にアメリカへ来た日本人がいたから
こそ僕達の道がここにあるんだよね。 読みながらすごく
心が痛くなり、アメリカに対して悲観的になってしまった
感じだけど、これが現実で日本は他のアジアに同じような
ことをしてきたということもあるし、どこにこの痛みを
投げかけていいのかわからない。 ただこれから同じことを
繰り返してはいけないということ。 戦争を知らない
世代の僕らの行動に掛かっているんだよね。 戦争や
移民について詳しく学校で教えていないのも事実だよね。
実際、歴史の先生達も知っているのか疑わしいけど・・・。

 日本にいると日本の日本人を中心としたグループしか
出来にくいけど、海外に行くと(特にアメリカや
中南米)日系アメリカ人や日系中南米人に会う機会が
あります。 彼らのおじいちゃんやその上の世代が
どういう状況下で外国に来たのかすごく知りたい。
同じ日本人だけど、第二次世界大戦後や100年前位に
すでに海外へ渡った彼らの状況がどうだったのか・・・。
想像できません!

 同じ日本人なのに、違う道を進むことになった
彼らの道はどのようなものなのだったのか。

 これは以前からの僕もテーマだった。 日系ペルー人や
日系ボリビア人、そしてアメリカに来て出会う日系
アメリカ人の人達の素顔を知りたい。 日系人の中にも
日本語を話せる人や日本が話せなく日本に行くことすら
躊躇している人すらいるのです。 日本の文化をもっている
けど、日本の日本文化を100%知らなかったりする。
僕は日本の日本人からの見方しか出来ないけど、是非
海外にいてスペイン語圏文化にも触れてきているので、
知っていこうと思っています。

 しかし、他にもいっぱい宿題あるんだよね・・・。
もう考えるだけでもイヤなのですが・・・・・。激汗。

 追加。

 テキスト読み終わりました!! ページを数えたら
31ページ・・・。 長い・・・。汗。 長い休憩を
入れながら読んだからすごく時間かかりました。汗。

 その後、ハワイの話し以外にハワイからカリフォルニアへ
渡った日本人の話しや、カリフォルニアで成功した
日本人の話し、1世から2世への希望やアメリカ生まれで
育った2世の日本とアメリカとの狭間での苦悩など、
第二次世界大戦も含み様々な要因で白人アメリカ人優位
社会の当時のアメリカで日本人は黄色人種として差別
される・・・。 ほんと心が痛む本当の話し・・・。
僕らのおじいちゃんやその上の世代なんだよね・・・。

 僕もスペインやここアメリカで侮辱的な発言を
アメリカ人から投げかけられる時があるけど、
そんなものかわいいものだよね。 そのアメリカ人の
心の狭さに対して残念に思うだけです。 素敵な
アメリカ人も知っているしね。

 特に最近チャットでアメリカ生まて育った中国系
ベトナム人に、「英語ちゃんと話せよ!」って言われて
かなりむかついた!!怒。 「お前が中国語かベトナム語を
話せよ!」と思った。 アジアを知らないアジア人に
日本人やアジアから来て苦労している留学生などの
気持ちが分かるはずがないよね。 きっと彼の
おじいちゃん世代は言葉で苦労したはず・・・。 そんな
ことも分からないんだよね。 平和平和したアメリカの下、
疑問をなく『ヌクヌク』と育つものどうなのかな。
日本にいる若者のそうだと思うけど・・・。

 僕の母が「私達が海外に出るように頼んでいる
わけじゃなく、自分から選んだのだから。 わざわざ
そんなこと自分から遭いに行くことないでしょう。」と
スペイン留学中にあった差別的な出来事を話したら
言っていたのを今思い出しました。 でも、そのお陰で
日本にいたら分からないこと、外国人として自分はどこに
位置しているのか、外国人として他の外国人の痛みに
答えることができたりするので、辛さから逞しくなることが
できる。 もちろん楽しいこともいっぱいあるけど、
辛いことってなかなか忘れることができないんだよね。
特に僕らの世代はストレス社会で育っています。 しかし
この海外に出てきた日本人が受けてきた肉体的と精神的な
過度な苦痛は僕らは味わっていないと思う。 比べること
なんてできません。

 ほんと敬意を払うべきことだと改めて感じた。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL92、
なんちゃって日本語教師をする!?』

ニュース内容:

 9月27日

 今回は、なんともすごい取り合わせなのですが、
いろんなことに挑戦したい僕は学校の勉強以外にも
精力的にいろいろと挑戦中なのです。大爆笑。
日本の友達は、僕のそんな潜在能力にかなり気付いていると
思われます。大爆笑。

 ダウンタウン・サンディエゴにある日本語学校へ
同じコミカレに通っている日本人の友達と一緒に見学しに
行って来ました。

 コミカレの日本語のプログラムで、日本語学校で
ボランティアをするというものがあります。 1単位
もらえる。 いつくかプランがあるのですが、コミカレの
日本語(人)の先生が僕に勧めて来たのは、『アシスタント
として子供達に日本語学校で日本語を教える』というもの
だった。 コンビネーションで高校でも日本語クラスの
アシスタントになれるということだった。 これは、
おいおい先生と話しをしないといけないんだよね。

 しかし、1セメスターで60時間、それも土曜の午前中
約5時間に参加して消化していかないといけない・・・。
これが結構大変なんです。 それも、1単位分のお金を
払ってのボランティアだからね。汗。 他の勉強でも
忙しいし、どうしたものか・・・。汗。

 日本語学校はというと、古い家を使っての『寺子屋式』で
日本語を教えていました。 感じたのはアシスタントが
少ないということ。 というものあって、コミカレから
日本語の先生に勧められたんだけどね・・・。汗。

 見学で行っただけのはずが、よく意味がわからなくても
いきなりアシスタントさせられ・・・。汗。 初めは、
事務的なはさみで切ったり、貼ったりという作業を
任され、その後遅れて来た5歳の女の子(お父さん・
日本人でお母さん・日本人とメキシコ人のハーフ)の
アシスタントについて、日本語の勉強をしました。
彼女は、英語とスペイン語を自由自在に操り、今日本語を
勉強中なのです。 ということで、僕はスペイン語を中心に
日本語を教えました。笑。 スペイン語で聞いているのに、
英語で返して来るのでちょっと痛かったな・・・。汗。
でも、最後は慣れてきてスペイン語で話し掛けて来るように
なりました。笑。 なにせお互い初めて会ったんだしね。
「この日本人、なんでアメリカでスペイン語話せるの?」
なんて思われていたかもしれない。爆笑。

 休憩があって、1年に1回位しかないという日に
当たって、タダで『巻寿司』や『お稲荷さん』を頂き
ました。笑。 『巻寿司』はカリフォルニアに乗っ取って
『アボガド入り』でした。爆笑。 緑茶なんかも出て、
美味しかったよ~!! その後、ラジオ体操を一緒に
子供達とやりました。爆笑。 久々にラジオ体操の
音楽を聴いて体操をしたけど、怖いくらいに身体がその
リズムを覚えていました!!!!大爆笑。 ちゃんと
間違わずに体操が出来た。爆笑。

 そして、再び教室へ戻り勉強再会なのです。
次は、レベルの違う3人の男の子達の担当になったん
やけど、落ち着きがないし3人とも違う日本語の勉強を
していて、1人はすごく日本語を話せるけど他に2人は
そうでもなったり・・・。 わかったりわからなかったりの
差が激しいので、そのレベルの違う子達を見るのは
かなりハードだったよ。激汗。 それも、なにをして
いいのか初めてだし、わけわからないのに・・・。汗。
取り合えず大変でした・・・。激汗。

 日本語(人)の先生が2人ここにいます。
1人の先生がメインに今回は教室にいたのですが、
結構子供達に厳しいのです。汗。 確かに僕らが子供の頃
両親のしつけというものがそうだったような気がします。
でも傍から見てて、「この先生厳しいな・・・。」と
思ってしまいました。苦笑。 この2人の先生は、
女性でしかもおばあちゃん手前と言った感じ。笑。

 コミカレから、3人の生徒さんが来ていました。
日本人女性1人と日本語が出来るアメリカ人2人だった。

 僕が1人で作業している時に、日本の童謡などを
先生と子供達は合唱していました。笑。 すごく懐かし
かったと同時に、「こんなん子供達に教えれない!!」とも
思った。苦笑。 懐かしいけど、よく覚えていないから。
でも、日本語の方は特に問題なくすることができた。

 ただ、ここはアメリカなので英語をメインに使って
生活しているので、教室内でも英語がよく聞こえる。
日本語アクセントのない子供達の英語アクセントが
なんとも異様に感じた。笑。

 国籍はみんなアメリカだと思うけど、両親の出身は
様々なのです。 日系アメリカ人を中心に、タイ人系や
メキシコ系などいろいろだった。 両親や親戚に
日本人の血が混じっている子や全くそうでもない子など
などで大変興味深かったです。

 小学生、中学生そして高校生のクラスがあって、
その中でもさらに小学3年生だけとか細かくなるので、
かなりのグループになるのです。 さらに先生は、
大学生のクラスも作りたいみたいなことを言っていた
けど、この状況じゃ難しいと思う。 だって、補助する
日本人などが足りていないし、教室もそんな大きいわけでは
ないので、場所がないのです。汗。

 日本でスペイン語で日本語を教えるボランティアを
していた時も、担当が子供達だったのですが、
同じ似ている雰囲気だとこの日本語学校に来て思いました。
ただ、日本の童謡など日本の幼稚園を思われるようなことも
いっぱいやっているので、その辺が僕がしていた
日本でのボランティアとは違うかなと感じました。
日本語メインに使っての日本語のアシスタントだけど、
英語とスペイン語を使いながらなので、結構力を使います。
ましてや落ち着きのない子供達なのだから・・・。汗。

 来週からこのプログラムに参加するか考え中。
これを受講するとさらに忙しくなりそうです。汗。
どうしようかな・・・。 いい経験なんだけど・・・。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL93、
第3回ラテン・ゲイ・プライド・フェスティバルに行く・・・。』

ニュース内容:

 9月27日

 今日はすごく忙しいよ~!!爆笑。 ゲイであれゲイで
なかれ、『ラティン』と聞けば、飛びつかないと
いけません!!!大爆笑。 そんだけ『ラテン系』好きな
僕が目を輝かせて注目しているものの1つなのです。爆笑。

 スペイン語が出来ないラテン系の友達と散策して
来ました。爆笑。 昼間だったので、人は少なかった
けど、『ラテン音楽』がガンガンにかかっていて、
真中のダンス・フロアで踊っている人たちが数人いました。
もちろんゲイやレズビアンじゃない人もいっぱいいたん
だよ。笑。 そんな踊りを見て、「いいな~、あんな感じで
セクシーに踊りたい!!」とまた思ってしまいました。笑。
僕の友達は、白人寄りな生活をしているのでラテン系の
ステップが踏めないということで、1人で飛び込むのも
勇気がいったので、やめた。笑。

 ダンス・フロアの端で友達がトイレに行っているのを
待っていたら、僕の周りで踊っている白人アメリカ人が
いて、草をいじっていた僕(笑。)は、顔を上げると
そのアメリカ人が「にこっ。」として微笑んでいました。
きゃ~!!!爆笑。 そして言わずして、彼は寄って
来ました。爆笑。

アメリカ人:「どこから来たの?」
僕    :「日本。」
アメリカ人:「あそこにいる彼が僕の恋人なんだよ、
       何十年も前に日本に言っていたことがあるん
       だよ。」
僕    :「そうなの?」
アメリカ人:「かわいいね~。 日本人はかわいい子
       多いよね? えへっへええ。」
僕    :「僕、かわいい?」
アメリカ人:「もちろんだよ~、ハニー。」

 なんて会話をしていたら、友達が戻って来て
3人での会話が始まり、その後このアメリカ人の彼氏が
来て、30年前にアメリカにいたということを言っていた。
「30年前って僕はこの世にまだ存在していない!!」と
言いながら、和んだ感じで楽しかったよ。笑。 宣教師と
して彼が20歳の時に日本へ行っていたらしい。 という
ことで、彼の年は・・・。 にしても2人のアメリカ人とも
やっぱおじさんなのです。大苦笑。

 この2人と一緒に来ていた友達は、サンディエゴから
じゃないみたいで、ロス近郊から遊びに来ていたみたい。
「もしロス方面へ来たら連絡ちょうだい。」と言われ、
名刺をくれた。笑。 ロス自体全く行かないんだけどね。
ま~、「ありがとう。」と言って別れました。笑。

 テキサス、サンアントニオの空港でのナンパについては
長年のこの日記の購読者の方だったら、ご存知だと
思うのですが、50歳代の白人アメリカ人に「かわいいね、
電話番号あげるから、時間があったら電話してね。」と
知らないおっさんに言われて、渡されたのです。苦笑。
そんな感じで、僕はゲイのおっさんにもてるらしい。汗。

 お昼を食べようと思って、いつくかお店が出ていた
けど、一番隔離された場所にラテンでは全く違う、
『タイ料理屋さん』がありました。笑。 ラテン・
フェスティバルでタイ料理を食べる僕ってすごくない?笑。
もちろん、『パッド・タイ』と『タイ・アイス・ティー』を
ゲットしました。大爆笑。 美味しかったよ。

 夕方から勉強するために家に戻って来ました。
そして、スペイン語の教科書からの宿題を終わらせた。
でも、まだまだいっぱいあります。 どうしましょう。汗。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL94、
無給の日本語アシスタントへの道・・・。涙。』

ニュース内容:

 10月1日

 昨日、コミカレの授業の一環としてのプログラムを
登録するために、日本語(人)先生より書類をもらった。
そして、今日のお昼無事に登録を終え、ワン・ユニット分の
お金164ドルを持って支払いをしました。

 無給な上に、カレッジからなのでワン・ユニット分の
お金を支払わないといけないし・・・。怒。 それで、
ボランティアなんて悲しいお話しなのですわ、まじで。

 でも、先になにかあるかもしれない希望を抱いて
一生懸命取り組みたいと思っています。笑。

 今さっき英文5センテンスの目標についての短い
エッセイを書きました。 書類と一緒に提出しないと
いけないそうです。汗。 明日はこれを持って先生の
ところへ行かないといけない。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL95、
無給の日本語アシスタントへの道・・・。涙。』

ニュース内容:

 10月4日

 「遅くなったお誕生日会でごめんなさい・・・。汗。」

 先月3日の誕生日だった語学学校時代の日本人の友達の
誕生日会を今日10月3日1ヶ月後になんとか合わせて
お祝いをしました。

 僕は今回はこの誕生日主催にノータッチだったんだけど、
先日「レストランの場所を決めて~!」という要望が
あったので、僕が決めました。

 楽天のお友達で同じサンディエゴ在住の
『お嫁1号さん』のホムペを参考にして、
『T.G.I.FRIDAY’S』というアメリカン・レストランへ
行きました。 一度だけ行ったことがあって、結構
良かったんですが、きちんと参考にさせてもらって
ここにしました。笑。

 さらに料理まで『お嫁1号さん』が以前行かれた時に、
食べられたという『SIZZLING CHICKEN』を頼んだよ。笑。
マリネートされたチキンにソテーされた玉ねぎと赤や緑の
ピーマンがついていて、さらにとろけたアメリカン・
チーズとメキシコ・チーズが付いていました。 そして、
たくさんのマッシュド・ポテト・・・。 ふ~。
いっぱいいっぱいのボリューム満点~!!!!笑。
そして、飲み物として『ストロベリー・マルガリータ』の
お酒を頼んでみたり~。 美味かったよ~!!

 にしても実はこの晩御飯が、今日最初のちゃんとした
食事だったのです・・・。 だから、お腹が驚いたのか
レストランにいた時からちょっとお腹の調子が・・・。汗。
そして、家に帰ってきて速攻でトイレへ・・・。 ちょっと
くだしました・・・。激汗。 お腹が空いていると
いってもほどほどにしてくださいね・・・。大汗。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL96、
無給のなんちゃって日本語アシスタント。』

ニュース内容:

 10月4日

 寝坊して慌てて今日から本格的に始める、ダウンタウン・
サンディエゴの日本語教室でのコミカレのプログラムの
一環である、『子供達へ日本語を教える』を始めました。
先週、見学へ行く今回から本格的に始動です。

 今までの流れは、過去の日記を参考にしてくださいね。

 前半:3人の日系アメリカ人の子供達の担当になった。
2人の男の子は前回、一度担当になりました。 もう1人は
女の子で、家でしっかり教育されているのかきちんとそつ
なく、問題に取り掛かっていました。 一番やりやすい子
だったよ。 しかし、3人とも違うレベルでしかも
使っているテキストが難しいので、困りました。汗。
さらにこの女の子が使っているテキストを英語で説明する
のが大変・・・。汗。 『かみなりがゴロゴロ』とか、
『かめがノロノロ』とか・・・。 『ゴロゴロ』や
『ノロノロ』って・・・。汗。 『パリパリ』や
『ジャリジャリ』って英語でなんて言うの?激汗。
大変難しいテキストです。 日本からのテキストで、
日本人にいる日本人の子供達だったら、言わなくても音から
入るから理解できると思うけど、日本で育っていない子供に
日本のこの表現をどう言ったらいいのか・・・。 それも
5歳とかに辞書引いて見せても、その単語の意味が
わからなかったり・・・。激汗。

 後半:日系の血がまったく入っていない女の子2人の
担当をした。 1人の女の子があまりにも自己中モード
炸裂で、「この時間のあなたの先生は僕です。 先生に
もっと礼儀正しくしなさい!」と言ったら、少し大人しく
なって勉強を始めた。 大人にたてついてくるんだからね。

 両親の教育が外でよく見えると思った。 自分がその
立場になったら、どう教育するのか考えさせれました。汗。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL97、
ラ・メサのOcktoberfestへ行って・・・。』

ニュース内容:

 10月4日

サンディエゴの隣町ラ・メサ(La Mesa)にて『Ocktoberfest』と
いうイベントをしまいました。 今週末、3日間開かれていると
いうことだった。

 ラ・メサにはドイツ系アメリカ人がたくさん住んでいる
ようで、このイベントも『ドイツ』にちなんだものになって
いて、ドイツの衣装を着たおじさんやおばさんをあちら
こちらで見ることが出来ました。笑。 イベントの
『Ocktoberfest』はドイツ語だそうで、英語では
『October festival』となるのかな、きっと。笑。

 通りには出店がいっぱい出ていて、今月末には
『ハロウィーン』、そして3ヵ月後には『クリスマス』と
いうことで、関連のものがいろいろ売っていました。笑。
1つ気に入ったお店があって、女の子がかぼちゃの中に
入った小さな置物(ハロウィーン)とスノーマン2人が
寄り添ってるかわいい置物(クリスマス)の2つが
ほしかったけど、やめました・・・。 そうやっていつも
ちょこちょこお金を使っているんだよね・・・。 でも、
まじでほしかった!!! あと、おもちゃ屋さんには、
ディズニーショップで売り切れのニモ(Nemo)の
ぬいぐるみがあった。 定価は8ドル50セントなのに、
ここでは10ドルで売られていた!! 「どういう
ことや! やるな、おばはん!!」って思いました・・・。
激汗。

 なかなかよさげなイベントでした。 毎年、10月
1週目の週末に開催されるということだった。 車を
止めるのがかなり大変だったな・・・。激汗。 ラ・メサの
『Ocktoberfest』は要チェックです!!笑。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL98、
シュワちゃんがゲット~!!米加州リコール知事選、前半。』

ニュース内容:

 10月7日

 10月7日、アメリカ・カリフォルニア州のリコール
知事選が行われ、結果が出来ました。 なんと!!
日本でのお馴染みのシュワちゃんこと、アーノルド・
シュワルツェネッガーが州民投票後結果、
カリフォルニア州知事に就任しました!! ぱちぱち!

 当初は、シュワちゃんが当選するのは難しいと言われて
いたけど、最後蓋を開ければ当選しちゃいました。
数人のアメリカ人の友達に、「選挙に行った?」と聞いたら
全員行っていました。 僕の県、「兵庫県知事に
行った?」と友達に聞いてみたと仮定しても、「行って
いない。」と言いそうな勢い。苦笑。 今回の
カリフォルニアの選挙は異例なので、注目度も高く
結構みんなニュースに釘付けだったようです。笑。

 日本の政治もさっぱりなんやけど、ましてやアメリカに
してもカリフォルニア州にしてもさっぱりです。汗。
しかし、政治・経済を教えてくれるアメリカ人の友達が
数人いるので、お勉強になっています。笑。

 数人のカリフォルニア在住の友達の意見は様々で
聞いていて楽しかった。 え!? 「楽しかった。」と
表現は間違っている??苦笑。 しかしながら、
「シュワちゃんはダメだ!! なぜなら、
ブラブラブラ~!」と言う人や、「シュワちゃんはいい!!
なぜなら、ブラブラブラ~!」と意見がすごく分かれて
いたよ。笑。 なにせ、リコールされたデービス前知事の
問題について擁護するようなことも言っていたしね・・・。
「アメリカでは自由な発言ができるんだね・・・。笑。」

 以下は、アサヒ・コムより。

 シュワルツェネッガー氏勝利宣言、圧勝の勢い

 米カリフォルニア州の知事リコール投票と出直し知事選は
7日午後8時(日本時間8日正午)に投票が締め切られ、
即日開票の結果、民主党現職のデービス知事に対する
リコールが賛成多数で成立するとともに、後任を選ぶ
知事選では、共和党新顔の俳優アーノルド・
シュワルツェネッガー氏(56)が圧倒的な勝利で初当選
することが確実となった。レーガン元大統領に次ぐ映画
俳優出身の同州知事が誕生することになった。民主党の
牙城(がじょう)と言われる同州の知事ポストが共和党の
手に移ることで、来年の大統領選にも影響が出そうだ。

 カリフォルニア州当局によると、開票率96.8%で
リコールへの賛成は54.4%、反対は45.6%。
知事選ではシュワルツェネッガー氏の得票率が47.9%で
トップ。2位のブスタマンテ氏は32.4%で
15ポイントを超える差をつけた。

 州知事のリコール成立は、21年のノースダコタ州に
次いで米国史上2例目となる。

 当選を確実にしたシュワルツェネッガー氏は同夜、
ロサンゼルスのホテルで支持者の前に姿を現し「私は、
民主党の支持者、共和党の支持者、リコールに賛成した人、
反対した人、すべての人々に手を差し伸べる。すべての
人々を代表する知事となる。協力すれば偉大なことが達成
できる」などと述べ、勝利を宣言した。

 一方、リコールされたデービス知事は「投票者の審判を
受け入れる。5年間の支援に感謝する」と敗北を認めた。

 リコール投票は、多額の財政赤字やエネルギー危機を
招いたデービス知事の失政を問うものだった。野党の
共和党支持者だけでなく、同知事与党の民主党支持者の
間にも責任を問う声が広がっていた。

 シュワルツェネッガー氏は、ハリウッドの人気俳優と
しての抜群の知名度を生かして選挙戦を展開、「政治を
役人から民衆の手に戻そう」と呼びかけた。共和党員では
あるものの同性愛者の権利擁護や銃規制の一部容認など、
比較的リベラルな主張をしたこともあって、民主党支持層の
票も集めたと見られる。共和党保守派も「勝てる候補」で
ある同氏になびいた。

 選挙戦終盤ではセクハラ疑惑の報道に揺さぶられたが、
素早く謝罪し「知事になったら女性の擁護者になる」と
かわした。過去にヒトラーを礼賛したという疑惑も強く
否定し、いずれも致命傷になることは何とか避けた。

 民主党の統一候補となったブスタマンテ氏は、地味な
性格で、有権者への浸透が思うように進まなかったうえ、
カジノ関係者から多額の献金を受け取ったことが明るみに
出て打撃を受けた。

 シュワルツェネッガー氏は州当局による開票結果の確定を
受けて、正式に就任する。任期はデービス知事の残り期間で
07年1月まで。

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL99、
シュワちゃんがゲット~!!米加州リコール知事選、後半。』

 ☆アーノルド・シュワルツェネッガー氏☆

 1947年7月30日、オーストリア・グラーツ近郊の
小さな村で、警察官の息子として生まれる。10代で
ボディービルを始める。

 68年に渡米したが、その時は「かばん一つで財布には
20ドル余りしかなかった」という。英語の習得に苦労
したといわれるが、70年以降、国際ボディービル連盟
主催のミスターオリンピアで7回連続優勝。
ウィスコンシン大学でビジネスを学び、やがて映画の
世界に。75年の映画「ステイ・ハングリー」で
ゴールデン・グローブ新人賞を受賞。77年の
「鋼鉄の男」ではボディービル選手時代の活躍が
ドキュメントタッチで描かれている。

 82年の「コナン・ザ・グレート」で芽を出し、
84年の「ターミネーター」で一躍トップスターに。
肉体派アクションスターとしての活躍だけではなく、
近年はコメディーにも出演している。

 妻はケネディ元大統領の一族で、テレビのキャスターを
務めたこともあるマリア・シュライバーさん。

 <米カリフォルニア州のリコール・出直し知事選の経緯>

2月    デービス知事に対するリコール署名集めが
      始まる

7月23日 リコール投票実施が決定

  24日   10月7日にリコール投票と出直し
        知事選を同時に実施と州当局が発表

8月6日  シュワルツェネッガー氏、ブスタマンテ
      副知事が立候補を表明

  7日  ユベロス元五輪組織委員長が立候補を表明

  13日 知事選の候補者が135人と確定

9月9日  ユベロス氏が立候補を取り下げ

  15日 連邦控訴裁小法廷が投票制度の不備を理由に
      投票の数カ月延期を決定

  23日 同裁判所大法廷が小法廷の決定を覆し、
      元通り10月7日の実施を決定

  24日 主な知事選候補者がテレビ討論会

  28日 世論調査でシュワルツェネッガー氏がトップに
      立つ

10月2日 ロサンゼルス・タイムズ紙に、6人の女性が
      過去にシュワルツェネッガー氏からセクハラを
      受けたという記事が載る

   3日 ニューヨーク・タイムズ紙が
      シュワルツェネッガー氏は70年代に
      ヒトラーを礼賛する発言をしていた疑いが
      あると報じる

   7日 リコールと出直し知事選が同時に投開票

                     (10/08 22:17)

 ユタカン・サンディエゴ。

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日時 :2003年11月26日(水)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL100、
ハロウィーン☆ホンテッド・トレイル イン バルボア・パーク。』

ニュース内容:

 100回記念!! みなさんに支えられて成り立っている
この『ユタカン・サンディエゴ通信』は、100回目を迎えることが
できました。 ありがとうございます。笑。 これからも、
よろしくお願いしますね~。

 10月9日

 10月に入ってから、ハロウィーン色が強くなりました。
笑。 今月終わり31日は『ハロウィーン』なのです。笑。 
アメリカへ来て2度目になります。

 先週金曜から『The Haunted Trail』がバルボア・
パークでオープンになり、今月末31日までやっています。

 夜7時頃、アメリカ人の友達に誘われてこの
『ホンテッド・トレイル』へ行って来ました。

 『haunted(ハンテッド)』は、『(幽霊などに)
つかれた:妖怪変化が出没する』という意味。
 『trail(トレイル)』は、『(森林などの)踏み
分け道、小道、歩道』などという意味。

 バルボア・パークに出来た『幽霊にとりつかれた小道』へ
行きました。笑。 計20分くらいの暗がりに細工が
してあり、本物の人間がモンスターに変装して、
脅かすというもの。笑。 『お化け屋敷』のようなもので、
公園にできたアウトドアなものがこのトレイルなのです。

 木曜ということで、すごくお客がいたというわけ
じゃないけど、子供連れの人が結構いました。 そんな中
25歳の日本人男は紛れていたのです。爆笑。

 「わ~ん、怖いよ!!」 「いつ終わるの~!!」って
数人グループになった子供達は『ワンワン』泣いていて
いました。笑。 すごくかわいいでしょ。笑。 彼らの
お父さん、お母さんは微笑んでいました。笑。

 チェーン・ソーを『ウィンウィン』いわせて、子供達を
追っかけていました。爆笑。 すっごく子供だまし風だった
ように思えたけど、精神年齢が低い僕にはちょうど
良かったよ。爆笑。

 友達に聞いたら、「どっかの劇団の役者さんが演出して
いる。」みたいなことを言っていました。笑。 稼ぎ時
ですね。爆笑。 ちなみに、入場料は12ドル99セント
でした。 1度行ったら、もういいでしょう。笑。
子供に良いかもしれませんね。

 ユタカン・サンディエゴ。

 次ページへ続く。

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