yuuの一人芝居

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倉子城物語 波倉の村から 連載中


夢と目標を捨てない生き方こそが青春であり生きている証

      波倉の村から

    1

 皇女和宮と将軍家茂の婚姻が調い、長州征伐に出陣した家茂が大坂城で急死・・・。天領倉敷代官櫻井久之助は長州南奇兵隊が陣を置く周防岩城山の偵察の為に芸州口へ出向き、その留守に倉敷の商人出身の立石孫一郎率いる元奇兵隊百五十人らによって代官所を襲撃されるという事件・・・。
 維新の波は松山川の支流の汐入川に面した倉敷村にも押し寄せていた。瀬戸内海の児島湾から潮が上がり蔵屋敷の石積みを洗っていた。倉敷が別名波倉と呼ばれていたのはその所為だった。

 賑やかな通りの本町にある嘉平の床屋はいつもと変わらぬ日々が過ぎていた。
 村では身の危険を動物的に感じてか護身のため剣術を習う人々が多く、村で唯一の剣道の本城道場は繁昌していた。

 日中は暑く夕方からは風がパタッと止む夕凪に悩まされていた村人も漸く秋風を見てポットひと息ついていた。
「大きな風が来なければいいが」
 嘉平は客が帰った後の片付けをしているおたねに言った。
「お江戸よりは大きな風が来るのは多いわね」
 おたねは昨日と違う表情で言った
 嘉平がお鹿ばあさんに言われておたねを初めて抱き夫婦の契りを結んだ翌日だった。
 お鹿ばあさんとは倉敷から西に半里ほど離れている松山川の四十瀬の渡しで茶店をしているが何処か品がある人であった。嘉平は良く四十瀬まで足を伸ばしてお鹿ばあさんと話した。嘉平とおたねが一緒に暮らしているが本当の夫婦ではないと見破ったのはお鹿ばあさんであった。
「抱いておやりな、おたねさんは待っているんだから・・・どんなわけがあろうと男と女が同じ家で暮らしていて・・・おかしなこったね」
お鹿はそう言って、
「なにもかも・・・世間の泥水を飲んだおまえさんにこんな事を言ってはなんだけど・・・一緒に暮らしていれば女も同じ泥水を飲まなくては・・・それが夫婦というものだろうさ」
と続けた。
お鹿ばあさんの顔には人生の悲哀が刻まれていた。嘉平は何かあるとお鹿ばあさんに逢いたくなって訪ねては愚痴ることが多かった。嘉平にとってただ一人の心を許せる人だった。
「おたね、そっちに行ってもいいかい」
 昨夜、初めて嘉平は褥に横になっているおたねに声を掛けた。
「バカね・・・なにも・・・断ることなんか・・・」
 おたねの声は上擦っていた。
 おたねは三十三歳、女としては熟していた。その体を嘉平は一緒に暮らしながらいっぺんも抱いてはいなかったのだ。
 嘉平とおたねが出会ったのは通り雨をやり過ごすために入った軒先であった。
そのときおたねは十三歳だった。
 痩せて細身だった体に肉が適当に張り出しくびれ今にも墜ちそうに熟れていた。あれから二十年経っているが、嘉平にはその二十年はおたねの身の上には過ぎているとは考えられなかった。十三のままのおたねを見ていたのだった。
「辛かった」
 おたねはそう言った。
「すまない・・・綺麗なままで何時までも居て欲しいと思っていたんだが・・・」
 嘉平はおたねの床に入り浴衣の紐を解いた。手が震えていた。柔らかい乳房を揉みながら乳首を触った。それは堅くなって立っていた。手を下に這わすとおたねの花弁は蜜を溢れさせていた。嘉平はその蜜を指にとって愛おしそうに口にした。
「いいんだな」
 嘉平はおたねに言うでもなく口にした。それは自分に問いかけているようだった。

 嘉平は彫金師の父に育てられた。父は母のことはなにも言わなかったし嘉平も聞かなかった。嘉平は十五歳まで毎夜父に近くの寺社の境内に連れて行かれ剣術と柔術を叩き込まれた。父は強かった、彫金師の父がどうしてと思ったがそんなに深く考えなかった。嘉平は寡黙な少年として育った。父の仕事振りを見よう見まねで習った。嘉平は十五歳で父の知り合いの彫金師のところへ習い奉公に入った。筋がいいと親方に褒められた。二十歳になる頃には立派な職人になっていた。嘉平は彫金師のところを渡り歩いて腕を磨いて行った。父が何者かに殺められたのは嘉平が二十二歳の時だった。父は並の町人の腕ではなかったのにと嘉平は思った。何か知らないものが動いているそんな感じを持った。嘉平は父の定めを感じ己の定めを重ねた。
「なにもバカ正直に生きるこたぁねえ、こっちがその気でも災難は向こうからやってくるぜ」

それからの嘉平は仕事も辞めて遊ぶようになった。食べられなくなったら大工の下手間や左官の下手間をして日銭を稼ぎ暮らした。
「江戸っ子は宵越しの金はもたねえ」というのも職人の一日の賃金で店賃が払えたからだった。
そんな暮らしをしながら何か目的があるのか彫金師の仕事をするではなく一日中外出していた。父のように彫金師として一生を終えることに嘉平は迷っていた。それは町人の嘉平の父がなぜあのような死に様でこの世を終わらなくてはいけなかったかという不思議さだった。嘉平の心の中にはその疑問が渦巻いていた。
父がいつも言って聞かせたのは、
「金の出入りは綺麗にな、身辺の整理整頓はいつもしておけ、何時人のため世のために働かなくてはならない時が来るかも知れないそのときのためにな・・・」
嘉平の父は静かな面差しの中きっぱりと言ったのだった。それは町人のものというより武士の心構えだった。

 そんな嘉平が人を恋しいと思ったのは・・・。
嘉平は三十前に武家の娘と恋に落ちた。叶わぬ恋に悩み切り離されていく・・・。
その人に母の面影を見たのかも知れない・・・初めて見初めた女だった。人生の喜びと悲しみを嘉平は知ることになるが・・・人を恋う苦しさは人を堕落させるか成長させるのか・・・嘉平にとっては身を焼かれる煉獄のようだった。その苦しみから逃れるように簪を打った。これが最後のものだと思って・・・。その簪を恋する女の髪に挿して貰いたいと一心に打った。それは別れを心に言い聞かせけじめを付けるものであった。身分の違い、仕事も持たぬ人間に人を仕合わせにすることは出来ない、そんな思いを知らされた。

そんなある日嘉平の元へ一人の客があった。

嘉平は彫金の仕事をきっぱりと辞めて表具師の仕事に夢中になることで忘れようとしたが・・・。彫金に比べれば表具の装幀は手先の器用な嘉平にはらくな仕事だった。和紙の代わりに着物の布を張ったのが物珍しさを好む江戸の人々にあったのか仕事は忙しくなり職人を抱えなくてはならないほどに繁盛した。
そんなとき十三歳のおたねにあったのだった。おたねは初めて見初めた女にそっくりだった。

嘉平がおたねを抱かなかったのには訳があった。武家の娘にそっくりだといって未練を引き摺りながら抱くことはおたねを偽っているように思えたからだった。ただ一緒に暮らしているだけで仕合わせだった。それ以上は望んではいけないと思って暮らしてきたのだった。



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