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ナースコールが、鳴る。
その音が、長い、廊下の、向こうから、響いてくる。すると、若い、介護職員が、彼を、見て、にやりと、笑い、こう、言うのだ。
「やるか、爺」
同時に、二人は、走り出す。南北に、百メートルの、廊下を。どちらが、先に、コールの、現場に、たどり着くか。若者と、五十六歳の、新人の、競走だった。
「爺」と、呼ばれて、彼は、腹を、立てなかった。むしろ、嬉しかった。からかいの中に、仲間として、認める響きが、あったからだ。年の差は、親子ほども、あった。それでも、廊下を、並んで、走るとき、二人は、対等の、戦友だった。
けれど、体は、正直だった。
初めて、夜勤を、勤めた、次の朝。彼は、布団から、体を、起こせなかった。
全身が、鉛のように、重い。腕も、脚も、言うことを、きかない。一晩じゅう、走り、しゃがみ、人を、抱え、また、走った。五十六の、体には、それが、こたえた。もう、だめかもしれない。本気で、そう、思った。施設長の、言葉が、よみがえった。三日、持つかどうか——。
それでも、彼は、何とか、体を、起こした。
起こすしか、なかった。一家を、養うのは、この仕事だけだった。歯を、食いしばって、起きる。そういう、朝が、続いた。一日。二日。一週間。一か月。体は、悲鳴を、上げ続けた。それでも、彼は、現場に、立った。
そういう、生活が、半年、続いた。
そして——半年を、過ぎる、ころ。
気づくと、体が、慣れていた。朝、起きられる。廊下を、走っても、息が、上がらない。あの、若い職員と、互角に、コールの、現場まで、走れるように、なっていた。五十六の、体が、二十代と、肩を、並べていた。
人の体は、変わる。追い詰められれば、応える。彼は、それを、自分の体で、知った。
ただ——慣れても、どうにも、ならないことが、あった。
廊下が、長い、ということは。南北の、端と、端で、ナースコールが、ほぼ、同時に、鳴ることが、あるのだ。夜勤は、ワンフロアに、一人。同時に、二つ、鳴ったとき、体は、一つしか、ない。どちらへ、走るか。一瞬で、決めねばならない。どちらかを、待たせることに、なる。その、待たせる、数分が、命に、関わることも、ある。
それは、走る速さでは、解けない、問題だった。慣れでは、どうにも、ならない。長い廊下に、一人、立ち尽くし、両の端から、響く、二つのコールを、聞く。あの、引き裂かれる、ような、夜の、感覚を、彼は、忘れない。
四十年後の今、振り返って、思う。
「やるか、爺」と、笑った、あの若者は、今、どうしているだろう。名前も、もう、思い出せない。それでも、あの、長い廊下を、並んで、走った、その息づかいだけは、はっきりと、覚えている。年の差を、越えて、同じ、いのちの現場で、汗を、かいた。あの半年が、五十六の、彼の体を、作り直した。谷の底で、追い詰められて、立った場所で、彼は、もう一度、若返るように、鍛えられていた。
生かされて、今を、存在する。
「やるか、爺」と笑った若者と、長い廊下を並んで走った夜と、両の端から同時に鳴るコールに引き裂かれた、あの夜勤の感覚を、四十年後の今、自分は、確かに、覚えている。