けものフレンズ2A 0
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【はじめに】 本タグにまとめられている記事は、元となったマルクス・アウレリウス[・アントニウス]という古代ローマの皇帝が著した同名の書物と同様に、あくまでも自分のために書いたものであって他人に読まれることを想定して書いたものではありませんその点に留意したうえで本記事を御覧ください。【本文】◯本記事の執筆動機について[1/ n] 私は、新年早々とある災害の報道を目の当たりにしました。本記事をいま読んでいるあなたには何のことであったのか、ニュースを観ればわかるくらい十分大きな規模のものでしたから、ここでは明示しなくても自然と理解することができるでしょう。初日の出の前で手を合わせながら良い一年となることを願い、午後の間食としては些か豪華であるお餅に手を伸ばし、そして「年明け初めての夕御飯の支度をしましょうか」と考えていたことの矢先に大災に遭った人たちの哀しみは、私にとっても計り知れない大きさです。 さて、日を追うごとに増えていく死者や行方不明者の推移を観ていて、私は「もし自分がネット環境から離れた場所に行ってしまったら、どうしたら良いだろうか?」と考えるようになりました。自分の意志でインターネットのない世界に身を置くデジタル・デトックスという治療法を自分自身に試している場合はいざ知らず、突然自室にある書物や自宅が崩れたことにできた瓦礫(がれき)の下に埋もれてしまいそのままこの世から十万億土(じゅうまんおくど)離れたところにあると言われているあの世に行くことになってしまったらどうしたら良いのでしょうか。【おわりに】 書いているうちに、制限時間となる15分に達してしまいました。サッカーで言うところのアディショナル・タイムとして5分を追加しましたが、すぐにあわせて20分が経過してしまいましたから、私はこれで筆を置こうと思います。ほかにも書きたいことはあるのですが、まだ上手く記号化するに至っていないこと、またこれ以上時間を増やしても冗長になる可能性があることを考慮して、今回はこれで本記事の執筆を切り上げようと思います。(2024年01月06日(土)23:08、小雨が降りしきる自宅にて記す)
2024.01.06
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【はじめに】 一日の終わりは、何かと不安定になるものです。精神安定の一環として、何か書いてみましょう。【本文】 あなたは、寝る前に沢山後悔することもあるでしょう。またあなたは、希死念慮(きしねんりょ;◯にたい気持ち)に苛まれたり、上述の後悔による自責感に囚われて昼間に「眠気に襲われた」と思ったら夜間に不眠の兆候によって「確かに眠気があるのに頭がやたら冴えて寝付けない」という、まるで全身に拘束具が取り付けられているかのような感覚を味わったりしたこともあるでしょう。 ですが、上述のことは、たんにあなただけが抱えている問題ではなく、他の人たちも経験していることなのです。ですから、何か辛いと思ったことがあれば、胸のうちにしまって無意識に追いやろうとはせず、辛いときは辛いと言っても良いのです。 確かに、良い歳になって(25歳以上にもなって)、他人の前で辛い気持ちを打ち明けることは、あなたがあなた自身に課した「自分の機嫌は自分で取る。他人に取ってもらおうと期待しない」という課題を考慮すると、あなたにとって難しいことかもしれません。ですが、ときには穴に向かって「王様の耳はロバの耳」とでも言えば、心のなかにある淀みが躰(からだ)の何処かから抜けていくことをあなたは感じるでしょう。【おわりに】 確かに、日記を書いて他者に公開するという行為は、個人情報を他者にも明かすということにもなり、自分の存在を全世界に発信することがときには大きなリスクとなることもあるでしょう。ですが、辛い気持ちをしまい込んだままにするというよりは、むしろ無理のない範囲で(個人情報をあまり出さないかたちで)他者に打ち明けてみるほうが、精神衛生(メンタルヘルス)を良好に保つことに資することもあります。 まずは当たり障りのない話から少しずつ始めましょう。日記を書いていって、もし「これなら外部に発信しても構わないかな……」と思われるものが見つかったら、それは公開日記に書いて他の人にも読んでもらいましょう。逆に、もし「これはちょっと、外に出すには躊躇(ためら)ってしまうな……」と考えられるものが現れたら、それは非公開日記に書いておいてしばらく寝かせておきましょう。
2023.05.27
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世間の人々は、「怒りは貧民の最後の娯楽」とも、「貧乏人に許された娯楽は憎しみと怒りだけ」とも言いました。 地上波テレビのワイドショウで連日連夜の反アベ・反中国の報道に煽られて「アベはやめろ!習近平は◯ね!!」などと仰る暇があるのでしたら、今すぐテレビから離れましょう。 「どうして世の中は矛盾だらけなのだ!」と思春期を拗らせた発言をするのも良いですが、それが許されるのは20代前半までです。25歳の誕生日を迎えてからはそのような怒りを発露するのはチラシの裏に留めておいて、人前で切れ散らかすことは避けましょう。他者からすればまるで自分が怒られているかのように錯覚してしまいますし、だいいち、おばさん・おじさんのルーキーと呼ばれるような年齢になって年甲斐もなく感情を顕にすることは心中穏やかに過ごしている人たちにとって見苦しいことでしょう。 そして、希死念慮を黙らせることはいざ知らず、反応速度(レスポンス)が鈍い女性を背中から蹴飛ばしたり対応に手間取っているコンヴィニの店員さんに怒鳴ったりするような言動を慎み、「自分が抱えている苛立ちを発散するために他者が犯した失態に対して不当な叱責をするな」という意味で自分の機嫌を自分で取ることを心がけましょう。
2020.07.04
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あなたは、今日1日の作業をとおしてあなたに必要なものが何か、少し理解することができたのではないでしょうか。 もちろん、十分な睡眠、食事、そして休養があってはじめて、貴方の力を最大限発揮することができるようになるということは、疑いようがないでしょう。 この他にも必要なものは、作業中に行う適度な気分転換です。作業を1日で一気にやろうとすると挫折するのであれば、音楽を聴きながらでも良いので自分がやりたいことを複数日にかけて少しずつ作業に取り組んだほうが良いでしょう。大切なことは、「集中しなければならない」という考えが頭の中に消えるまで物事に打ち込むことです。むしろ「集中できなくても良いや」と大らかに考え、自分は水槽の中を泳ぐ金魚であると想像して心身の緊張を緩めることによって、より集中することができるでしょう。
2020.06.18
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【はじめに】 私は以前に【自省録】にて同様のことを書いたかもしれませんが、日に日に表題に示した考えは強くなるばかりであって、大切なことかもしれませんから、もう一度、ここに書きます。【本文】 自分自身に誇りを持っているのであれば、それに見合った気品のある言動を心がけたほうが良いでしょう。北海道文化放送(フジテレビ系列)「wi-fiつけてくれず殺そうと」母親の首絞め”殺人未遂容疑”31歳無職女逮捕…東京から実家に帰省中2020年6月17日19:00https://www.uhb.jp/news/single.html?id=13128 例えば、上記のニューズを観て「無職が親を◯そうとするとはケシカラン」と言うことは、誰にでもできます。でも、いつかは自分も加害者の女性と同様の境遇に置かれるかもしれないと考えることができれば、公の場で彼女を叩くような言動は慎んだほうが良いのかも、と自制が働くかもしれません。私たちは誇りある日本人だ。子供にも、そう教えてゆかなければいけません。中国でたとえ邦人が襲われても、日本人は中国の国旗を焼いたり、指導者の写真を破ったり、中国人に被害を加えようとはしない。これは私たち日本人の誇りであるかもしれません。— 安倍晋三 発言集 (@oznihseba) June 4, 2020 我が国に生を受けたことを誇りに思うのであれば、人前で憤りを顕にすることを止めはしませんが、一旦立ち止まって同胞たちがやらかしたことに関して、ほんの少しでも彼らの考えを汲むことは決して悪いことではない、と愚考します。 冒頭にも記述しましたが多分大切なことかと思われますのでもう一度記しますと、自尊心の高い人たちにはそれ相応の立居振舞を身につける必要があるかと思われます。あまり冷たい発言をしていると、韓国で反日を拗らせている「保守」層あたりから「俺たちの国には『溺れた犬を棒で叩く』という諺があるが、日本人たちも同胞に対して石を投げつける趣味はあるらしい」などと言われたり嗤われたりするかもしれませんよ。世界各地で反日運動をやっている連中に餌を与えないためには言うまでもありませんが、日常生活をより良いものにするためにも、日頃から言葉遣いは気をつけたほうが良いでしょう。【おわりに】 本文で中国・韓国について少し触れましたが、これら2カ国に関する私の考えを書くと本稿から逸脱するため、本記事では割愛します。一言で申し上げるのであれば、「彼らとは仲良くしたほうが良いと呼びかけるつもりはありませんが、中韓両国の政府(北京政府・青瓦台)は日本にとって利用価値がありますから必要最低限の近所付き合いはしておいたほうが無難でしょう」といった塩梅になるかと思われます。戦略的互恵関係の意味は、日中友好第一という意味ではないですよ、ということ。もっとわかりやすく言うと、私と女房の間が、戦略的互恵関係と言うとね、女房が怒るよ。それは我々は愛情で結ばれているからなんだよ。中国とは別に愛情で結ばれているわけではなくて、戦略的に互恵関係にあるだけ。— 安倍晋三 発言集 (@oznihseba) June 17, 2020 森羅万象すべて担当するアベによる上記の発言は中国に限らず、韓国にも当てはまることかもしれません。
2020.06.17
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自分が如何に幸せな境遇にあるのかは、その日に何があったのかを記録として残していくことで、日々の幸せを見つけるカメラの解像度を上げていくほかありません。小さなことを幸運だと思う、どこかの新書に書いてあった言葉を借りるのであれば”オバチャン力(ー・りょく)”を身に着けることは、きっと自分を支えることになるでしょう。
2020.06.15
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【はじめに】 お話の前に言っておく必要があります。 私はクリスチャンではありませんが、私がこれからあなたに言うことにはイエスの教えも混じっていますから、他者の幸せを呪い、他者の不幸を喜ぶような人々には劇薬のように感じられることでしょう。ですから、読んでいて気分が悪くなったらこの記事を閉じ、しばらくのあいだ瞼を閉じて休んだほうが良いでしょう。【本文】 他者の幸せを祝い、他者の不幸を嘆きましょう。 嫉妬は上手く扱えば自分を遥かなる高みへと引き上げるうえでこれほどにない原動力となりますが、これの扱い方を心得ている人はごく僅かでしょう。大抵の場合、この感情に振り回されて、他者を焼き滅ぼすどころか自己をも破滅へと導くことが落ちでしょう。 そこで、あなたに気をつけてほしいことは、他者の幸せや不幸をまるで自分のことのように扱ったほうが良い、ということです。人を呪うような発言はチラシの裏に書くことに留め、他者の巡り合った幸運にはこれにあやかろうとして大いに褒め、他者に見舞われた不運にはこれを自分にも降り掛かったことと捉えて静かに嘆くことで、他者と感情を共有しましょう。 もし誰かが幸せに巡り合ったときは、祝福をしたほうが良いでしょう。他者の幸せを妬んでばかりいると自分がいつまでも幸せになれないばかりか、ますます不幸になることでしょう。「アイツだけが幸せなのは狡いから、アイツも不幸になってしまえば良いのだ!」などと言って嫉妬に駆られていると自他共に滅んでしまいますから、「アイツだけが幸せなのは勿体無いから、自分も幸せになれるように日々研鑽を積もう!」と前向きに考えて世の中をより良くするにはどうしたら良いのか、考えると良いでしょう。
2020.06.01
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あなたは時に集中しすぎて、睡眠、食事、あるいは休息に充てるはずの時間にまで何かに夢中になることがあります。集中力が持続することはそれで結構なことなのですが、それは時として元気の前借りとなって集中が切れた後に支払う代償は莫大なものとなります。 集中したいと思うのでしたら、十分な睡眠を摂りましょう。まずはこれから始めて、あとで必要なものは何なのか、自分で見極めていくことにしましょう。何事も焦らず慌てず、落ち着いて任務(タスク)を遂行していきましょう。
2020.04.06
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何事も一度にやろうとしては、いけません。人が単位時間あたりに投入することのできる資源(リソース)の量は、限られています。自分のペイスを忘れて自分よりも早く行く人たちの感覚に合わせようとすると、必ず息切れを起こして休むことになってしまいます。 一日でできることは限られていますから、その日1日にやると決めたことは何か記録として残るものに書いてみましょう。これを公開の場に書き込む必要はありませんから、公言する必要がないと考えられることは非公開日記に書きましょう。無理して公開すると、自分が言ったことを守れなかったということで、貴方は自責の念に駆られることとなりましょう。 尻込みするようなくらい任務(タスク)が膨大になってきたら、その都度メモに小分けして記録し、1つひとつの任務を丁寧に逐次処理をすることで対処をしましょう。 そして、何より大切なことは書いて分析をすることに夢中になるあまり、何をしようとしていたのか、見失わないことです。ふと湧き出た一抹の感情に流されることなく、自分が本来やりたかったことを思い出し、そしてそれを実行に移そうという意思によって、貴方は少しずつ歩を進めることができるでしょう。
2020.03.15
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あなたが夜遅くになっても寝付けないときは、心の中に何らかのわだかまりがあって、それが晴れないからいつまで経っても起きていることになります。何か気になることがあれば、日記に書いてみましょう。 表立って書けないことがあれば、非公開日記に書きましょう。少なくとも黙っていることに比べれば、穴の中で「王様の耳はロバの耳」とでも叫べば、暗い気持ちはある程度軽減されるかもしれません。 細やかなことでも良いのです。今日はこんなに良いことがあったと感じたのであれば、日記帳に書き込みましょう。それはきっと、あとで振り返ったときにあなたの支えとなるでしょう。
2020.03.05
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救いようのない阿◯と関わってはいけません。 朝起きたとき、自分にこう言い聞かせると良いのです。貴方は今日も、恩知らず、吝嗇家(けちんぼう)、媚びへつらい、聞き手の肩書に応じて接し方を変える御仁、あるいは詮索好きの連中に顔を合わせることになるでしょう。彼らは世間では底知れない阿◯と呼ばれているような皆様ではありますが、彼らによって社会が動いているという一側面を考慮すると、彼らを無闇に除こうとしてはなりません。彼らも曲りなりにこの世界を構成する一要素なのですから、毅然とした態度で接することはあっても邪険に扱ったり疎んじたりしては、貴方は何らかの不利益を被ることになるでしょう。 「右の頬を殴られたら左のそれを差し出しなさい」と申し上げるつもりは毛頭ありませんが、貴方が蛇蝎の如く嫌っている連中もこの世を作るパズルのピースのような存在なのですから、彼らへの悪口を公然の場で言うことは控えるのが望ましいでしょう。やむを得ず話したくなった場合は、その人ではなくその人を取り巻く環境を対象として話すか、それが困難であれば非公開日記に書いて自分の感情や思考を整理することに務める、ということが最善でしょう。
2020.01.13
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記憶だけに頼っていると、いつか脳内の記録装置(ストレージ)が支障を来したときに何らかの不都合を引き起こすことになってしまう。私のなかでも、しばしばあることをやったのか、やっていなかったのかどうかで、自我と論争を展開することがある。 そこで、その日に自分がしていたことを振り返るために、日記をつけることを推奨する。日記に書くものは、自分が書きたいと思ったもの任意である。これは、その日の行動はもちろん、感情の変化、自身の心身の移り変わり、あるいは、心に浮かんでは消えていく他愛のないことであっても構わない。 その日精一杯生きた証拠があれば、貴方は前を向いて歩くことができるだろう。
2020.01.04
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人間万事塞翁が馬。あなたが物事に失敗して悲嘆に暮れているのであれば、「大丈夫。これから前を向いて歩いていこう」とあなた自身を励まそう。逆に、あなたが成功して浮かれているときは、「浮足立っているとこれから痛い目に遭うだろうから、地に足を着けて行動しよう」と引き締めよう。 悲観したりせず過度に楽観したりせず、少し楽観的に事物を捕らえ、一つ一つ丁寧に物事を処理していこう。
2019.08.27
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十分な睡眠、栄養、そして休息を取っていれば、いつか何もしていないのに躰が動きやすくなっていることに気づくだろう。それは、調子(コンディション)の良さが一定の水準に達したことを意味する。 アイデアが心の内側から枯れることのない泉のように滾々と湧き出るときは、忘れたときに後で思い出すことができるように、その都度何かに書き残しておくのが望ましいであろう。
2019.08.11
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人を貶めたくてたまらない連中を相手にするな。彼らと同じ土俵に立ってはならない。 彼らは自分の中にある弱い自分、影なる我、あるいは真なる我と呼ばれるようなもう一つの性格(ペルソナ)から目を背け、他者をスクリーンとしてペルソナの影を見出す。 そして、それがもう一人の自分の姿であることを頑なに否定し、スクリーンごと“影”に対して攻撃を仕掛けてくる。 彼らは“影”のことをもう一人の自分として承認しようとしない。何故ならば、彼らにとって“影”は大抵の場合、自分が想像していたものとは異なるからだ。弱かったり、劣ったり、あるいは姿形が現在の自分と遥かにかけ離れていたりするので、なかなかこれを受容しようとはしない。 自身の知性が他者よりも劣っていると無意識で感じている連中は、貴方のことを阿○と呼んでくるだろう。だが、貴方はその人を相手にしてはならない。相手にすればするほど、逆にキレて突っかかるようになるだろう。そのような連中とはまともに取り合おうとせず、貴方のことを○呆と思わせておけば良い。阿○には○呆と思わせておけ。馬○には○鹿と言わせておけ。 決して連中とはまともに取り合おうなどとは思わないことだ。
2019.08.05
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他人様は貴方を自分たちの集団に取り込むために、あれやこれやと難癖をつけてくるでしょう。だが、貴方は彼らの無責任な助言に従ってはなりません。必ず自分の頭で考えて、彼らが親身となって貴方の話を聞いてくれるのか、とか、あるいは、その助言は本当に自分のためになるのか、と貴方自身に問うて彼らの話が正当なものなのか、吟味する必要があります。 世の中はまだ、出る杭は打たれる傾向にあります。年長者に無私と正論を武器に歯向かうと生意気な餓鬼というレッテルを貼られるということは避けられないでしょう。また、個性を発揮しようとすると、他者から調子に乗るなと白眼視されることもあるでしょう。 ですが、貴方は地に足を着けて少しずつ、前向きに進む必要があります。相手にも理解してもらえるように日々努力を重ねていれば、世間のなかから貴方の意見に共感してくれる人がきっと現れることでしょう。 他人の評価は移ろいやすいものです。どんなに頑張っても、基準が上方修正されて正当に評価されることは稀でしょう。ですから、自分のなかに絶対的な評価を設けて、それに適合することができるように、少しずつ物事に取り組みましょう。このときに注意するのは、あまり高すぎる目標を掲げないことです。少し行動に移せば簡単にクリアできるかなと考えられるような難易度のタスクを幾つか、何か記録する媒体(もの)に書いてみましょう。
2019.07.22
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思考に気をつけよう。それが言葉になり、行動になり、習慣になり、性格になり、そして巡り巡って運命となるから。ある人のことを邪険に思っていると、その人の物までぞんざいに扱うことになってしまう。人のことを心の底から敬愛するということを忘れないようにしよう。
2019.05.05
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まとめ あなたの心に影響を与える要因は、良いものも悪いものも差別せず言語化して何らかの媒体に記録として残し、後で振り返ることができるようにしよう。その記録を読み直したときに、心身の健康の周期と感情の起伏のサイクルがある種の同調をしていることを観察する上で大いに役に立つであろう。本文 食欲不振や胸の辺りに違和感を覚えたときは、その日のうちに起きたことと何らかの関連がある。誰かからあなたを精神的に追い詰めようとするような発言をされなかったか、他に不定愁訴はないか、あるとするのであればその症状はいつから、どのくらい続いているのか、また、その症状が起きたときはどのような状況であったのかなどと、心当たりがあるものを可能な限り、詳細に記録しよう。個人情報を含むものは非公開日記に記して外部への流出を抑えるとともに、そこで思いつくことを手が動くままに記述を続けよう。 そこに書きつけたものは、あるストレッサ(ストレス発生因子)に対する精神の防御機制が働いた結果生じたものであると考えられる。そこから先に、その機制が解除されたときも合わせて記すと、自分のストレスに対する反応の動態(ダイナミズム)を読み取ることができるようになる。自分が何に怒り、哀しみ、喜び、あるいは楽しみを見出すことがあったのか見直すことで、あなたは心身の健康に影響を与える要因を、ある程度探ることができるようになるだろう。それは、胸襟を開いて話し合える間柄の人に打ち明けるときにも感情の振動を齎す要因が何なのか、無意識から意識へ引きずり上げる手助けとなるだろう。 良いか。あなたが起きたら、あなた自身に以下のように語って聞かせろ。"お前は、今日もまた「繊細な」人に会うことになるだろう。他者に出来もしないことを押し付けておきながら自分を甘やかしてばかりいる、性根の腐りきった連中に出くわすだろう"と。だが、その連中を邪険に扱ってはいけない。何故ならば、彼らもまた、社会の一員であり、彼らが行動することで世界が動いていくのだから。彼らの存在を承認しつつ、あなたはあなたのやりたいことをやれば良い。彼らが放つ無責任な言動には適当に相槌を打っても良いが、真に受けてそれを実行に移そうとするな。それをしようとした瞬間、あなたの進化が止まる。これからも自己変革を続けたいと心のどこかで願っているのであれば、そのような些末な言動に付き合うな。 幸いなことに、あなたは未知の事象に対して畏敬の念をもって接することができる。あなたは自身が見聞したことをもとにそれを検証し、有益であると認めたものを積極的に受容することができる姿勢をもっている。だから、あなたが良いと認めるまでは、適応を続けながらも、無批判に鵜呑みにするようなことを避けよ。
2019.04.28
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あなたが話し上手になりたいのであれば、まずは聞き役に徹しよう。世の中には、愚痴や薀蓄を聞いてもらいたいという人もいる。愛嬌たっぷりに振る舞って太鼓持ちを務めれば、気分が良くなったことに乗じて何か大切な情報を聞き出せるかもしれない。 人の話を聞くときは、この人であれば話しても大丈夫であろうと相手に思わせることである。自分が話し手の立場であれば、どんな人に話を聞いてもらいたいのか、考えてみよう。まずは、相手の話を否定するのを避けて、適当に相槌を打つことから始めよう。そこから更に発展させて、女子大学生が合同コンパで使う「さしすせそ」を適切に使って、相手に聞き手よりも話の引き出しが多いと錯覚させてみよう。
2019.04.27
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世の中には恫喝を加えることで、人心の掌握を試みようとする人もいる。あれは、私に云わせれば、短期的には従わせることが可能であろうけれど長期的には人心の離反を指数関数的な速度で引き起こす、不毛な選択である。小学校低学年以下の乳幼児〜児童への躾の一環で行う矯正プログラムはいざ知らず、それ以上の年齢であって自我や理性の存在を「発見」した者には、矯正とは異なる学修方法、アダルト・ラーニングを適用することができる。この方法は個人、家族、地域社会、そして国際社会へと拡張された自己愛が再度収縮していった、お年寄りにも使っても良いだろう。彼らが誤ちをしたときは、現役世代自らが教え、諭し、そして耐える必要が出てくるであろう。それでもなお、人の失敗を論い、「矯正するしかない!」という強迫観念に駆られて恫喝に走るよりは、遥かに健全といえるだろう。 他者が失敗したときは笑ってはいけない。何故ならばその人は何かをしようとしたのだから。義憤に駆られて大声で怒鳴りつけるのは、最悪の行動である。ましてや、公衆の面前でそれをやろうものなら、傍観者からも見限られることが予想されるのは、想像に難くない。 責任の所在がその人にあることが分かっているのであれば、失敗そのものを糾弾することが不毛であることが容易にわかるはずだ。ここで大事なことは、結果ではなく、そのようなことに至った過程(プロセス)を重視して記述することに務めることである。例えば、ある人が何か失敗したとしよう。その人に対して「あの人はこんな失敗をした。だから、その人を矯正しなければならない!」と脊髄反射的に反応するのではなく、「あの人はこんな失敗をした。どうして、このような失敗をしたのだろうか。何か、環境に原因があるかもしれない」と考えを改めることである。 失敗の原因を個人に求めるのではなく外的な要因に求めることで、あなたは何か、誤りに気づくであろう。その矛盾を克服しようと務めたとき、世の中に存在する転換点を「発見」することも容易にできるであろう。
2019.04.27
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人前では、穏やかな口調で話せ。例えあなたががお年寄りの相手をしているときであっても、彼らに残っている微かな理性を信じて静かに落ち着いて話すことが望ましい。 公衆の面前で誰かを怒鳴りつけるのは、最悪の手段である。当事者は云うまでもなく、傍観者でさえあなたの怒りに共感を覚えることは少しもないだろう。周囲に当たり散らした挙句、頭を下げると誰かに殺されてしまうという被害妄想に囚われた人間に訪れる未来は、孤独そのものである。彼らは誰からも信頼されることがないし、頼る相手を失っている。そして、彼らは昏い、たった一人の深淵に佇み、そして失意のうちにこの世を去るのがオチである。 世の中には静寂を好む人間が存在する事実を承認し、彼らと上手く意思疎通を図る方法を探るのが望ましい。幸い、あなたにはSNSやブログなど、自身の意見を発信する手段がある。丁寧な言葉づかいで記述していけば、あなたに共感し、同調する方も現れるだろう。
2019.04.25
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あなたは時には、周囲の空気を凍りつかせるような無礼な言動をすることがある。相手の逆鱗に触れたことがきっかけで、それまでの人間関係が破綻することもあるだろう。しかし、それは既に過ぎ去ったことである。お盆から溢れた水やテーブルに零した牛乳のように、後になって戻そうとしたりその飲み物のことを後悔したりしても無駄なことである。 何かものを言ったり書いたりするときは、丁寧な言葉づかいになっているかどうか、気をつけよう。9ヶ月ほど前にツイッタを”卒業”された、とあるお年寄りは年少の者たちに向けて繰り返し「人と話すときは丁寧に、可能であれば敬語を使いましょう」とおっしゃっていたことが自然と思い出される。あなたがどんなに丁寧な話しても、どんなに真心を尽くして接したとしても、「繊細な」感性をお持ちの御仁はへそ曲がりな言動をすることもあるだろう。そのときは御縁がなかったと思って、新しい人との関係づくりに取り組めば良い。この広い世界に話の合う人がきっと、どこかにいるはずだ。
2019.04.25
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卑屈な人間は、自己肯定感の小さい人間である。その人を褒めても「いやいや、そんなことないですよ……」と返事が来て、褒める効用が失われてしまう。時には、逆効果となってしまうこともある。人から褒められたときは、その言葉に対応する御礼の言葉を言おう。自分を貶めてまで謙遜を言う必要はない。自分が今いる境遇には誇りを持て。 卑屈な人間は、自身を過剰なまでに貶めることで、まるで自分に自信がないかのように振る舞う。彼らの卑屈な言動は、おしなべて自己愛から生じる虚栄心であり、虚栄心から生まれる傲慢であり、それが転化されたときの産物に過ぎない。試しに、聞き手が卑屈な言動を取ったとき、あなたが額面通りに受け取って「そうですね」と返答してみよ。彼らは自分が思っていたことに図星を突かれたという顔をして頬を朱に染めて怒り出すであろう。彼らが顔を赤らめるのも、無理はない。何故ならば、彼らはあなたが「そんなことないですよ〜」と云ってあなたが彼らのご機嫌を直してくれることを期待して卑屈を言うのだから。 彼らの発言には耳を貸すな。彼らは嫉妬深いので、その汚らわしい舌であなたの躰に汚物をなすりつけ、あなたの幸福を吸い取ろうとするであろう。彼らの発言には、顔色を変えることなく沈黙を貫け。そうすることで「あなたの言ってることは、あんまり面白くありません」ということを彼らに示してやれ。だんまりを決め込むことで「他にもっと面白いお話は、ありませんか」と言ってやれ。そして、何も語らぬことで「良い歳をしているのにも関わらず、他人の力を借りて自分の機嫌をようやく直してもらうということは、"寒い"人のやることですよ」と語ってやれ。
2019.04.23
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他人を変えようと思ったら、まずは自分から変われ。丸い卵も切りようで四角という言葉があるのであれば、四角いものも切り方によっては丸く作ることもできるはずだ。 好き嫌いせず色んな本を手に取り、表現方法を学ぼう。語彙が厚くなればなるほど、今の感情を記述するときの適切な言葉が選べるようになると確信している。
2019.04.22
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世の中には、些末なことで騒ぎ立てる「賑やかな」御仁がいる。言葉尻をとらえ、現代の魔女裁判である学級会のように人を袋小路に追い詰めて囲んで棒で叩こうとする連中がいる。己の中にある弱い自分の存在を承認することなく、嫉妬心で自他を滅ぼそうとする「こんな人たち」が主張することは大抵の場合無責任なものであり、錆びついた十銭硬貨程度の聞く価値すらない。 自身の感情を自分で制御できないことを棚に上げて、他者を律しようと考えている連中の助言なんて、耳を貸す必要はない。彼らのアドヴァイスを真に受けてこれを実行に移した場合、その時点であなたの進化は止まるだろう。 質素倹約を奨励する人の云うことを真に受けてはいけない。放蕩に耽らないと自分の感情を整理することさえままならない人間にはある種の防御規制が働き、他者を統治しようと考えることがある。「俺はこんなに苦労している!お前は一見楽をしているように見える。俺が苦労しているのに、お前が楽をしていることが気に食わない。お前は俺を苦しめる悪◯(サ◯ン)だ、この場で叩き切ってやる!」……ということである。嫉妬という感情は諸刃の剣である。上手に操ることが出来れば上位の者に追いつこうとする強い欲望と成るが、使い方を誤ると自他を滅ぼす業火となってしまう。(「嫉妬」に関することで私は度々twitterで言及しているので、この記事を読んでいる人であって興味がある御方は私のtwilogから「嫉妬」で検索してください。また気が向いたら、「嫉妬」に関するお話をこちらの方でも記述するかもしれません) 嫉妬に狂った餓鬼の戯言を拝聴するだけの余裕は、あなたにはない。あなたは、あなたの思ったように、あなたの道を行けば良い。自分が最も納得することができる行動を取っていけばそれで良い。 さて、ある程度書いたところで手が鈍ってきたので、ここで筆を置くこととする。また何か書きたくなったことがあれば、再び筆を取って、手持ち無沙汰なままに心に浮かんでは消えていく他愛もないことを筆の動くままに取り留めもなく書きつけることとしよう。
2019.04.22
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複数の人と接するときは、人の前で態度を変えてはならない。何人にも分け隔てなく接することを心がけよ。朋友の信を守り、支援者である民衆を生かし、宗教心に満ち、そして慈悲に溢れる態度で人に接しよ。そうすることで勝ち取った信頼はやがて、個人の力量として備わり、あなたを足元から支える力の源となるであろう。 人によって態度を変えてはならない。当事者のいないところでその人の醜聞を流そうとするなら、その人の心証を害するであろう。朋友を裏切り、無実の市民を虐殺し、宗教心に欠き、慈悲心に欠いた行動を個人の力量と呼ぶわけにはいかない。何故ならば、後世の歴史家は、そうすることによって獲得された新しい君主政体を自己の力量と権力によって獲得されたそれと同列に記述することを許さないからである。恐怖政治によって人心を掌握された民衆は、支配者に為政者としての器が備わっていないと知るやいなや新たな為政者を推戴し、古い支配者を権力の座から引きずり下ろすだろう。 至誠に悖る言動は慎め。真心をもって人と接し、胸襟を開いて話し合うことができると相手に思わせるように話せ。あなたは、誠実に話せば相手からの信頼を勝ち取ることができるということを確信するだろう。
2019.04.21
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