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今年の梅雨も、お出かけをしない梅雨です。コロナ禍での暮らしになってから、以前ほど雨を嫌だな、と思わなくなりました。雨を嫌だな、と感じてしまう気持ちや、雨の日の通学から解放された、と感じているのは、再開の喜びも束の間、ほんの1ヶ月ちょっとでまたもリモート講義に戻っちゃったわが家の大学生だけでなく、降りしきる雨の中、駅に向かう自転車を見送る側のわたしもまた、同じ気持ちであったのだ、と気づきました。たとえ朝から土砂降りでも、1日中大雨でも、穏やかな気持ちでいられる、ということ。天候をいつもついつい心配してしまう気持ちからどこか解放された、ような。目の前で起こっていることは変えられなくても、一見よくないことが起こっているように見えても、それをどう捉えるか、で、人間の気持ちというのは、「上向き」にも「下向き」にも、「ラッキー」にも「アンラッキー」にも、「安心」にも「不安」にも、「怒り」にも「憐れみ」にも、そして「不満」にも「感謝」にも、「心配・・・」にも「大丈夫!!」にも如何ようにも なりうるものですね ( ´▽`) ****************************************急に何かを買うかもしれないから いつもマイバッグを持ち歩こう、という習慣はわたしには、あまりないです。( ※ 急に何かを買う、という状況が滅多に起こらないため)けれど、これからは、もしもお天気を読めないような、急にざざーっと雨が降ってきてしまいそうな、ちょうど今日みたいな曖昧なお天気の日には、これを持ち歩こうかな、と 思っています。「急なお買い物」のために、ではなく「急な大雨」のために。 *************************************ずっとずっと昔、セリーヌのラゲージを買ったばかりの頃のこと。嬉しくて、嬉しくて、さっそくお出かけしたら・・・「降水確率0%」の予報だったのに、とてつもないゲリラ豪雨に見舞われたことがあったんですね。当然 傘も持ってなくて、バッグを守る術が一つもなくて、途方に暮れた。お出かけ先で、急に大雨が降っちゃったら、これからは、これを・・・・こうしよう!!これを・・・・こうしてしまおう!! (`・ω・´)このマリメッコのマイバッグには、だからときどき防水スプレーを施そう!! (`・ω・´) なんとまあ、新入りエバゴス の、ちょうどすっぽりきれいに収まることよー ヽ(;▽;)ノ 【並行輸入品】 marimekko マリメッコ エコバッグ スマートバッグ Marilogo 048854-910 レディース エコバッグ お買い物バッグ 折りたたみ ブランド レディースバッグ おしゃれ 軽い 女の子 女性 バッグ ナイロンバッグ 北欧 bag 持ち運び マリメッコバッグ ****************************************こんなにバッグを大切に思うなんて おかしいかな?いえいえ、持ちものを大切に思えることって、とても楽しいですし、うれしいです。これから先、もっともっと年齢を重ねても、その時その時の「大切な持ちもの」がちゃんとあって、その大切なものを大切にできるように気持ちを行き届かせたり 自分なりに思いを注ぐことができたなら、それってとても素敵なことだと・・・ そう思いませんか? ( ´▽`) *************************************: 変な人とつながると、 素敵な人とつながるスペースが無くなっちゃうのよね。 二重で大きな損失なのよ。 精神科医 Tomy先生のTwitterより先日のお話の繰り返しになりますが、これは「人」だけでなく「もの」もまた、同じですね。変な人(もの)とつながると、素敵な人(もの)とつながるはずのスペースも予算もなくなっちゃって、それが「二重で大きな損失」であるように。素敵な人(もの)とつながることができると、変な人(もの)とつながるスペースがなくなってくれて、それが「二重の大きな幸せ」となってわたしの、そしてあなたの世界を、守ってくれる。しっかりプロテクトしてくれる (`・ω・´)大切な人やものを、心から大切に思えることって、素敵です。大切にされるって、無条件にうれしいです。人間の恨みつらみってそれぞれいろんな理由があるように見えても、元を辿って 辿って辿って その感情をとことん辿ってゆくと・・・・「(大切にしてもらいたかったのに)大切にしてもらえなかった」「(仲良くなりたかったのに)相手にしてもらえなかった」「(愛して欲しかったのに)愛情をもらえなかった」「大切にされたかったのに、それが叶わなかった」というただひとつの感情にほとんどの怒りも、恨みも、悲しみも、時にそう、「敵意」や「復讐心」でさえも、そこにたどり着くのが殆ど、なのだそうです。ああ、本当にその通りなのかもしれません。 ****************************************「わたしは 大切にされていた。」「大切にされている。」一点の疑いもなくそう思えるとすれば、それって とても幸せなことですね ( ´▽`)人はもちろん、ものだって、言葉を話せない生きものたちだって、きっとそうなのでしょう。YUKIKOさんのドッグカフェの 迷い猫 ちゃんのなんとまあ 可愛いこと ヽ(;▽;)ノ 猫を大好きな関西在住のお友達に、個人的にメールで記事をシェアさせていただくことしかわたしにはできなかったのだけれど、とっても素敵なご家族とのご縁が!というご報告( ★ )を拝見することができて・・・本当に、本当に、うれしかった (;_;)YUKIKOさん、すごいなあ。新しいご家族のみなさん、すごいなあ。なんて素敵な「繋がり」なんだろう。おこげちゃん・・・・ああ、とっても幸せそう ( ´▽`)ここに来てよかった。 この家に来られてうれしい。「紛うことなく大切にされている。」自分にとって大切な人や生きものだけでなく「持ちもの」であっても。もしもそう思ってくれているのなら・・・そんな自分のことも なんだか自然と大切に思えるような、大切に思う気持ちが「温かく行き交う」ような、そんな気がする 或る 雨の日です。たくさんあると、それがなかなかむずかしいですね。少ないから、少しだから わたしはそれができるのかな。そんな気がする、梅雨の、ある日です。お、この日記を書いていたら、知らないうちに雨が上がって、少し薄陽が差してきました。 梅雨の晴れ間は。梅雨じゃない時の晴れよりも、なんだかとてもうれしいな ( ´▽`) おわり今日もお読みくださって ありがとう。このブログのおかげで生まれた素敵な「繋がり」にも、本当に ありがとう。↓ 今日もポチッとしてくださるあなたに・・・にほんブログ村うれしいこと、素敵なこと、楽しいことが、たくさん 起こりますように ( ´▽`)フォローをしてくださっている1228名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつもありがとうございます :
2021.06.15
人生の、少しだけ先ゆく先輩のお話は、心に沁みいります。わたしが まだ知らないことを ひと足さきに、ご経験されているからです。どんな人を「美しい」と思いますか ( ´▽`)?顔やスタイルが美しい人でしょうか。お肌や髪が美しい人でしょうか。姿勢の美しい人でしょうか。所作や言葉づかいの美しい人でしょうか。わたしの思う美しい人というのは、「余裕のある人」です。心の余裕、時間の余裕、余裕にも色々あるけれど、美しさとそうでなさの分かれ道というのは、「余裕があるか、ないか」なのかな、と。50歳となった今、とてもそう思うのです。はつらつと若いころはまた違うのでしょう。けれども50という齢を迎えたなら、わたしの中では、そしてわたしの知りうる限り、そっと見渡してみても。「余裕」と「美しさ」というのは・・・多くの場合 「=(イコール)」だ (`・ω・´)余談ですが、あらゆる顔文字の中において わたしはこの子 → (`・ω・´) が、とても好きです。「意思」を感じる眉(笑)「不安な人」もまた、美しいです。自信満々な人にはない美しさがある。不安って、恥ずかしいことなような気がして できることなら隠したいし、平気なふりをしたくなってしまうけれど、「 迷いとか不安とかあるほうが 素敵なんですよ 」迷い、悩み、そして自信の無さに揺らぎながら、それでも自分の人生と向き合うこと。 そういう不安を持った人は、むしろ素敵よ、と。「迷いや不安がある人は、素敵」 ずっとずっと前の、或る日の彼女のブログに綴られていた、わたしの大好きな、この言葉。この日はほぐした焼鮭を加えた「4色弁当」。お弁当作りも26年目に突入です。 ****************************************美しさ(うつくしさ)という言葉の中にうつ(鬱)という響きがかくされていることに ふと気づくのです。50歳になってから気づきました。迷いや不安、そしてうつうつとした憂いの日々の中にもその人だけの「美しさ」がある、ということ。ヴォルスと目が合う朝。くすっと可笑しいのは、余裕をもってお弁当作れた日の証拠。 ****************************************わたしはこれは昔からなのですが元気いっぱいの人が、ちょっと苦手なのです。もう勘弁して・・・と、逃げたくなるのです(笑)明るすぎる人、ポジティブすぎる人、アクティブすぎる人というのもやはり苦手でしたし、いつも忙しそうだったりせかせかした人も、とても苦手でした。苦手、というか・・・怖かった(汗) 余裕があったせいで、ほうれん草とそぼろ卵の配置、逆の方がよかったかな、と悔やむ朝。*****************************************悪口の正体というのは、その人の弱点なのだ、急所なのだ、とどこかで読んだことがあります。自分の急所を守るために、人はつい悪口を言ってしまうのだ、と。悪口ばっかり言ってる人は、弱点だらけ、急所だらけ、ってことなのかな?そう思うと、少し可哀想に思えてきます (;_;)えっとそうだな いい例えはあるかな・・・?たとえばです。「あいつは仕事が遅い!」「役に立たない!」という悪口ばかり言う上司は自分がそう思われたり そこを指摘されるのがすごく嫌な人、なのだそう。自分のことを実は「仕事が遅く役に立たない」と、そう思っていて、そう言われるのが嫌だから、言わせないように、自分から先に言っちゃうのですね。また あるいは「あの人は昔はとても綺麗だったのにすっかり劣化してしまった」という悪口をつい言わずにおられない人は、自分が陰でそう言われることをとても恐れていたり、自分が周りからそう思われることに耐えがたかったり、つまりは自分自身の劣化を他者から指摘されることをものすごく恐れている人、嫌な人、「それをされると傷つく人」なんですって。それで先に剣を。「舌剣」を振り回すわけです。あの人は上品ぶってる!という類の悪口や皮肉を言いたくなる人は、自分のガサツさや身の回りの構わなさを実はとてもコンプレックスに感じていて、それをわかっていて、他人からは言われたくない!指摘されたくない!と思えば思うほど、そういう悪口を言わずにおられなくなるのだとか。人間って、本当に複雑ですね (;_;)「悪口の正体」というのは 自分が言われたら一番嫌なこと(弱点)を 実は自分でわざわざ暴露していているのであって隠しておきたい己のコンプレックスや弱みを自ら積極的に白状してしまっているようなもの、らしい。それは時に自分でも日ごろ気づいていないような、心の奥底に隠された「超・極秘レベル」のトップシークレット・コンプレックスであることも多いらしい。仮に指摘されても、認めないのはそのせいだ、と。なるほどー たしかにー ( ;∀;) そう思うと。わたしの先ほどの、やたら明るい人が苦手云々、元気すぎる人や忙しすぎる人が苦手、怖い云々というのもわたしは自分がそう明るくも活動的でもなく忙しくないこともわかっていて、それをなんの関係もない赤の他人からとやかく言われるのがものすごく嫌なんだ!!という・・・なるほど、そういうことなのでありましょうか。自分で分析すると、なかなかこれは恥ずかしいものですね(笑)テレビに向かって、ネットに向かって、そして時に心の中で、つい悪口や毒を吐いちゃった時には、しっかり注目してみると・・・自分の弱点が、わかってくるのかもしれません。克服してゆけるのかもしれません。リネンフルエプロンナチュラル 人気 おしゃれ シンプル ナチュラル 大人 カフェエプロン 母の日 父の日 実用的 ギフト キッチン レディースいまはね。そう明るくもない自分のことがむしろ好きだし、暗さも、出不精さも、忙しくない暮らしを求め、叶えたのも、全てが「わたしらしさ」だと思うのです。わたしの個性だ、とさえ思っている。コロナ禍においては その「暗さ」が幸いして、自粛生活がそれほど苦でもなく、いつも通りに淡々と暮らせているようにも思うからこの「非・活動的」なことはわたしのむしろ長所だったのか!と 感動すらしていますが、それをダメなことのように言われる方が (自分でもダメだと思ってしまうことの方が)長い人生の中では 多かったですよね (;_;)若い頃は、明るいふりして、ごまかしましたよ(笑)家族の前でも友達の前でも明るく明るく!!ようやく一人きりになって愛想笑いや嘘の明るさからやっと解放されて、好きなだけ「無表情」「無言」でいられる時間となると・・・わたしの心というのは、心底ほっとするのでした。回復するのでした。昔から「ひとりの時間」が、誰からも話しかけられず、ちょっかい出されず、一人きりで過ごせる時間が、ただただ、ただただ、好きでした。それがないと、心が、魂が、死んでしまうくらい。そんな暗く出不精でインドアなわたしでさえ、帽子かぶって、お弁当持って、近くの公園でもいいからひとりピクニックに「ソロピク」に。近頃は、出かけたくなります。 ***************************************揺らぐ人は 美しいです。ふと弱くなる人も、とても美しい。いつもいつも鉄壁のようにたくましく、四六時中 明るかったりする必要が、一体どこにあるのでしょう。強ぶらないことって、素敵。弱いことって、美しい。そして つらいことをつらいと言えたり、さみしいことをさみしいといえたり、そういう自分を受け入れ、それを話せることは、美しい。さみしいのにいじけたり、つらいのに怒ったり、不安だ!!といって八つ当たりするのではなく、さみしいなら そのさみしさを、つらいなら そのつらさを、不安なら その不安な気持ちを「そのまま」で、そのまま味わい表現できることは・・・とても自然で、尊いことなのだと思う。そういう気持ちを打ち明けることって、意外と勇気が必要なことだもの。平気なふりして強がったり、怒りや恨みにすり替えたり、ひねくれて周りに迷惑かけることの方が、本当はとても「幼稚で簡単なこと」なのだもの。 ↓ おとーさんのお弁当バッグは、もうずっとこれ一筋です。やっぱり「白」がいい。トートバッグ S (チャコールグレー/ブラック/ナチュラル) 人気 ロゴ入り おしゃれ シンプル エコバッグ マザーズバッグ お買い物バッグ 持ち手 マチ付き 折りたたみ 旅行 実用的 ギフト 母の日 父の日素直なことは美しい。どんな自分も素直に愛する、ということ。「良い自分」「悪い自分」をジャッジすることを少し休んで、慌てて今すぐどうにかしようとしないで、心の安らぎを最優先にしながら、「次の変化を、ただ静かに待つ」ということ。草花も、桜も、眩しい新緑も、自然界の全てのものが そうであるように。50歳を過ぎたなら、「人」もまた、そうなのかもしれません。揺らぐ人は 素敵。迷う人は、迷いのない人よりも ずっとずっと素敵。人として素敵なのよ、と。わたしにそう教えてくれたのは kotoさんでした。ずっと忘れられない、そしてこれから先の人生にこそ忘れないでいたい、とても優しい言葉です。 おわり長い日記を、今日も最後までお読みくださって ありがとう。↓ ポチッとしてくださったあなたの今日が・・・にほんブログ村 どうぞ お健やかな、心穏やかな・・・ 佳き1日となりますように ( ´▽`)フォローをしてくださっている1224名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつもありがとうございます :
2021.06.06
ワンピースが減った日から。白ワンピースが1着減ったあの日から、サロペットの出番が増えつつあります。用事で外に出る日になどは、とくに自然と手が伸びることに気づきます。久しぶりの「カジュアルアイテム」が楽しいのですね。この服が、好きなんですね ( ´▽`)1月と、5月と、9月。そしてまた1月。この「くるくる」は。もうみなさますっかりご存知の、歯科検診。すずひの通う「歯科クリニック」です。このくるくるを3回見たなら、わたしの、そしてあなたさまの1年がたちまち過ぎるのです!4ヶ月は、あっという間ですし、1年は 本当に早いですね ( ;∀;)秋まで、ちょうど次の歯科検診の頃まで出番の少なくなりそうだった、ちょっとお暇になるはずだったサロペット。ワンピースが1着減ったことで、急に忙しくなって、こういうとき、服って、どんな気持ちでいるのかな。喜んでくれているといいな。すると手放した「白ワンピース」というのは、「後進に道を譲った」という格好になるのか。さながら「勇退」か。かっこいいな (`・ω・´)ワンピースは すました気分の「お出かけ着」。カジュアルは、家でゴロゴロする日の「部屋着」。コロナ禍によって これがひっくり返ったようなところがあるように感じることってありませんか?家の中で着ていてとにかく楽なのは、実はワンピースの方なのでは、と思うのです。立ったり座ったりを頻繁にしても、着崩れないのがワンピース。長時間座りっぱなしのリモートワークでも、お腹を締め付けのないのがワンピース。昨シーズンも、今シーズンも、どのショップさんにおかれましてもふんわりとしたロング丈のワンピースや、1枚でサマになるような、ゆったりとしたチュニック丈のブラウスなどの展開がとても豊富だったように感じます。↓ 実はめっちゃ買いそうだったのがこの2着。「足りている!」と思い留まったけど(笑)!【SALE/30%OFF】UNITED ARROWS UWFM フリル チュニック ワンピース ユナイテッドアローズ ワンピース シャツワンピース ネイビー ホワイト【送料無料】【SALE/30%OFF】IENA ギャザーボリュームブラウス◆ イエナ シャツ/ブラウス シャツ/ブラウスその他 ネイビー ホワイト【送料無料】自粛ライフにおいて、長時間を家で過ごす、というライフスタイルにおいて、ワンピース的な服の「楽さ」に気づいてしまった人々に向けての新たなる市場(マーケット)が生まれたのかもしれません。「家の中で着ていて楽で、それでいて可愛い服」「どこにも行けなくても、気持ちの上がるような服」それを今、たくさんの女性が求めていることの・・・ 証?わたしにとって一番楽な服は、やっぱりワンピースだ。サロペットを持ったことで、改めて気づいちゃった。カジュアルファッションの方が、わたし、自分がちゃんと着られているか、むしろ緊張するわ。カジュアルな日こそ、髪とかメイクとか靴とか、ちゃんとしなくちゃ!と思う。ビルケン手放したの、良かったかも、と改めて思う。ビルケンある頃は、ついつい気軽に便利に履いちゃっていたから、それでせっかくのパンプスやスニーカーの出番がとても減ってしまっていたと、今、気づく。そっか そう思うと あのビルケンの手放しもまた「勇退」と呼べるのかな?ビルケン手放してから、パンプスやスニーカーを履く日が、わたしは圧倒的に増えたのです。レギンス レディース 夏 夏用 薄手 涼しい 9分丈 10分丈 12分丈 UVカット 大きいサイズ スパッツ インナー レーヨン ナチュラル LL 3L 4L ヨガ ルームウェア ロング 高身長 トール メンズ 黒 ブラック 【iLegアイレッグ】【シルクタッチ】 *3 *****************************************1年は早くて。あっという間に一つ、また一つと年齢をを重ねるのに。わたしという人間は、日毎少しずつ、しかし確実に変わってゆくのに。変わらないものや「定番」と呼ばれるものに頼りきってしまったり、現状のままでいいや、と安心しきってしまうと、また しがみついてしまうと、また、「適応しよう」と頑張り過ぎてしまうと、持ち物も、そして自分自身のことも、人は「生かしきれなく」なるのかもしれません。生かしきれていないことに、気づけなくなる。握りしめていた何かを手放すことで初めて、気づかなかったことに、人は気づくのです。今度こそ失敗なく!ブログに書かせていただいてるんだから、失敗しちゃいけない!ミスなく服を、ミスなくバッグを、ミスなく靴を買わないと!としっかりと真面目に向き合おうと頑張った結果、それがストレスになってしまったのか (とても疲れてしまっていたのか)服を欲しいという気持ちが起こらなくなって、丸々1年間、服を買うことを休んだ時が、わたしにはありました。服を買わないこともできる自分にはじめのうちはとても驚きましたが、やがて無意識にそれをできるようになったことにはもっと驚いて、そして感動しました。ゆっくりと見直し、余計なものを手放し、そして新たに歩き出すための、しかしそれが「今のわたし」に至るための、貴重な準備期間、充電期間、人生初の「リセット期間」と なることとは。1年休んだからこそ、これからなってゆきたい自分の姿と、「初めて」ちゃんと向き合うことができた。あの頃とは違って、ひとつひとつのお買い物が、今は、とても 楽しいのです。ちっぽけなわたしのこんな「お休み」のお話など、本当にちっぽけな、ちっぽけ過ぎるお話なのだけれど。 ***************************************けれども、です。わたしがわたしらしく歩むために。 わたしがわたしらしさを、あなたがあなたらしさを取り戻すために、失ってしまうことのないように。疲れたら、しっかり「休む」ということ。勇気をもって「一旦休んでみる」ということ。それによって「新たな自分との出会い」や「新しい流れ」「新しい発見」が生まれるのは、ワードローブだけでなく、社会も、組織も、個人の暮らしも、そしてそれぞれの「人生」や「心」であっても きっと同じことなのかもしれませんね。走り続けていると、無理をしていることや目指しているものが、自分でもわからなくなってしまうことがありますものね。 ***************************************深田恭子ちゃん、ご自分のために、どうかご自分のため「だけ」にゆっくりと休んでほしい。どうか安心して、今は1日1日を、「心の安らぎ」を最優先にして過ごしてくださいね。大切な体と、そして心を、ゆっくりと回復させてくださいね、と。 そう願わずにはいられません。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ 休むのもいいよね、と。 ポチッとしてくださってありがとう。にほんブログ村 5月も終わりですね。どうぞ あなたさまにとって 心穏やかな週末でありますように ( ´▽`)フォローをしてくださっている1210名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつも、ありがとうございます :
2021.05.29
このことを、もう一度、考える。なんども、なんども、考える。パートナーや家族や、周りの大切な人との良好な関係を続けるために、一番大切な能力って何でしょう。というお話。今日、改めて、考える。人生最大のテーマだと思うから、考える。「16時間断食( ★ )」を、ゆるくなんとなーく始めた5月。これがなんと、わたしに合っているのか、全くツラくない ( ´▽`)午前中の頭が冴え渡るし、快活に動けるし、むしろ胃腸やお肌の調子もいい。16時間以外は好きなものを好きなように食べ、暑くなってきて、晩酌ビールもますます美味しい。それなのに 約半月で、まさかの「体脂肪率2.3%」&「体重1.5kg」減っていた・・・というこの素晴らしき朝に、考える。喧嘩をしてしまったなら。 今は。問題がなるだけ小さいうちに、本気で向き合おうと思うのです。修復困難な大きな問題に発展してしまうその前に。(ああこれって「体重」や「健康管理」も、そして「片付け」も同じですね。)お相手のことを、そして自分自身のことを、「この世にたった1人の大切な存在だ」と思うのなら、なおさら。 ***************************************かつて、わたしには。「引き寄せ系」の本の内容を盛大に間違って解釈し、喧嘩は運気が下がるから、絶対にしないようにしよう!!衝突しないように、絶対に怒らないように、と必死になって努めていた時期がありました。はらわたが煮えくりかえりそうな時にも、引きつった笑顔で、ひたすら我慢をして、洗面所やお風呂場で、ひとり隠れて泣いていたのです。運気を落としたくない一心で。ああ苦しい。悲しい。もう死にそうだ。けれどこれで今日も「徳」を積んだぞ!こうしていればいつか幸せになれると、本気で思っていたの。心や体がおかしくなってゆくのに、そう時間はかかりませんでした。そのころのわたしは、ひざの裏あたりの皮膚にいつも、謎の紫色した帯状の蕁麻疹がでていて。皮膚は「第二の脳」であるとも、また、皮膚は「心」を持っている、とも言われますね。お医者さんにも原因がわからず、何をしても、何年も治らなくて、大好きだった膝丈のスカートも、とうとうはけなくなりました。白いシャツを着るのに一番気持ちの良い季節。おとーさんの今年選んだ白シャツ、とても素敵。【ポイント10倍】バグッタ BAGUTTA / 【国内正規品】 / 21SS!製品染めリネンポプリンバンドカラーシャツ「CANNES」(ホワイト)/ 春夏 メンズ イタリア リネンシャツ 麻シャツ 長袖 ロングスリーブ 無地健全な喧嘩は、大事。怖がって逃げていてはいけない。小さな問題や、互いの理解不足や、それによって起こる衝突というのは、「今のうちにちゃんと向き合いなさいよ」というどれもが ありがたいお知らせ。共に考え、より良い2人になるための・・・2人の未来がもっと良いものになってゆくための、またとない「チャンス」なのだから。 ************************************本来決して分かり合えることのない仕組みの脳を持つ「男」と「女」とが、相手の気持ちを考える、ということの難しさ。分かり合えないことが当たり前なのなら、怒りに任せて怒鳴りあうのではなく、冷静な言葉と態度で、真剣に話し合うこと。わたしの気持ちを、ちゃんと言葉で伝えること。相手の気持ちにも、真摯に耳を傾けること。傷ついたことを 隠してしまってはいけないのです。傷ついたのに「平気なふり」をしてはいけない。わたしも、そしてもちろん、 あなたも。隠したり平気なふりをすることの方が「善」だと親や周りから長年教え込まれてきてしまった人にとってはとても難しく、とても勇気が必要なことなのだけれど。↓ こ、これはかわいい (*゚▽゚*)! ありそうでなかった「marilogo」のキーリング。 かなり大きなサイズなので、スーツケースや防災リュックの「目印」に付けたいな!【今だけクーポン配布中】【メール便可】 マリメッコ キーチェーン キーホルダー MARIMEKKO メンズ レディース 49568 49876 49572 ブラック 黒 グレー レッド ベージュ 雑貨 おしゃれ 可愛い ブランド ギフト 北欧 鍵 小物 花 ウニッコ ロゴ 誕生日 プレゼント ギフト 父の日こういう「意思の疎通」「感情の共有」みたいなものって、出会ったばかりの関係性の方が、むしろうまくゆくのかもしれませんね。相手の気持ちって、男女の場合、「出会ったばかり」の方が、きっと、はるかにわかり合えるのだろうと思う。なぜなら とても「分かり合おう」とするでしょう?まだよく知らない相手のことを、一生懸命に知ろうと、近づこうと、「お互い」が「平等」に、積極的に努力する。 出会ったばかりの頃って、その努力さえも、いちいち楽しい時ですものね ( ´▽`) やがて付き合いが長くなったり、結婚生活がうんと長い夫婦になると、それがとても億劫になる。わざわざ分かり合おうという努力を、忘れがちになる。うっかりすれば「無神経」になり、疲れていれば「自分勝手」になり、「まあいいだろう」や「あたりまえ」や、「話さなくてもわかってくれるだろう」や、そして「今さらこのくらいのこと」などと、なりやすい。今さら? このくらいのこと? それは、違う。覚えてない、や、悪気はない、も、違う。どちらかが悲しかったり傷ついたのであれば、それは違うのです。絶対に。分かり合えないことが本当に堪えたり、より悲しく感じるのは、出会ったばかりの若い頃よりも、夫婦なら、むしろ「晩年」。歳を重ねてからなのではないか、と わたしは思うのです。お互い年々「頑固」にもなりますし、ね。ソックスだけなら「お揃い」も楽しいです。 一緒の日には、絶対に履かないけどー(笑)marimekko Kohina Logo Marikiska ソックス マリメッコ ファッショングッズ ソックス/靴下 ホワイトmarimekko Men Kohina Logo ソックス マリメッコ ファッショングッズ ソックス/靴下 ブラック「思いやり」とか「優しさ」とか。「誠実であること」とか「おもしろさ」とか、「愚痴や悪口ばかりを延々話さない」とか・・・そういうことも、人として、もちろんとても大切なことなのだけれど。 人間関係を長く続けるのに一番大切な能力は 「相手を不愉快にさせない能力」よ。 居心地の良さっていうのは、 「この人は自分を不愉快にさせない」という安心感なの。 精神科医Tomy先生のお言葉より居心地の良さの正体は、安心感。この人は自分を不愉快にさせないという「安心感」。もうね、これに尽きると思うのです。お若い世代の方々はまた違うのかもしれませんが、50歳になったなら、もう・・・ね。 ***************************************人間ですから、すぐには変われなくても、失敗を繰り返してしまうのだとしても、一緒にいたいなら、少しでも変わる努力をすることが「愛」だ。「大切な人に対する心配り」というのは・・・(自分がいい人だと思われたい心配りは違いますよ)それは、めぐり巡って、必ず自分に返ってくる。だからこれって本当は 、相手を大切にしているようで、「自分を大切にすること」 でもあるのです。 ************************************どーん、と笑わかせてくれることでもない。「いつも優しい」だって、どうだろう。「いつも怖い」「いつも意地悪」「いつもうるさい」「いつも図々しい」「いつも自己中」「いつも無神経」「いつも不機嫌」よりはうんと素敵なことですけれど、優しさというのも、必ずしも万能ではなく・・・取り返しのつかないことになる優しさや、「共依存」に陥るだけの、お互いが苦しむだけの優しさだってあるでしょう?どうでもいい人に優しくすることはできる。それは、どうでもいい人と喧嘩するのがバカバカしいからだ。喧嘩になるのは、大切な人だと思うから、だ。わたしたちが本当に求めているのは、きっと。一見心地よい優しさや、耳障りの良い言葉よりも、喧嘩してでも泣いてでもわかりあいたいと思える気持ちや、その結果として得られる「安心」や「信頼」の方、なのです。 ************************************居心地の良さの正体は「安心」。ほんと、そう (;_;)人間関係だけじゃなくて「日々の暮らし」だってそう。みんな「安心」したいんだ。安心して暮らせないことは、とてもツラいことです。人の心をじわじわと、音もなく蝕むのだと思います。 **************************************あなたが安心していられる人は、だから、あなたにとって、とても素敵な人ですね。とても大切にしなければならない人。ああ、きっと 人はみな。 その人といるときの安心感を「好き」だと感じて、「また会いたい」や「この人とずっと一緒にいたい」と、そう思うのでしょう。「相手を不愉快にさせない能力」。長く続いた「ご縁」というのが もしもあるのなら。それは運命だとか偶然ではなくて、お互いに安心感を与え続け合う努力をできたことの「結果」です。お互いがお互いを「大切な存在」と思うがゆえの・・・たゆまぬ努力の、集大成。「ありのまま」や「生まれっぱなし」や「テキトー」では、きっと叶えられないことなのでしょう。「居心地の良い関係」を、これからも積み重ねてゆきたいと、わたしはそう思うから。「平気で不愉快にさせる人」とは、お互いの幸せのために離れた方がいい、と わたしは本気で思うから。つまらないことでそうならないための努力を わたしは忘れたくないし、相手にも忘れて欲しくない。お子が成人した今。夫婦が夫婦であることは、もう、お互いのためでしかない。この人と一緒にいたいと「お互いに」思えるか、思えないか、それだけ。そう、「お互いに」。もしも、どちらか一方だけがそう思っているとすれば、どちらもがそう思わないこと以上に、それは「不幸」だ。「夫婦道」はきっと、これからも平坦な道ばかりではない。わたしたちは、生きている限り、何度だって、試されるのでしょう。好んで喧嘩したい人なんて、いない。本当は、いつも、楽しく仲良くできたらいい。けれど喧嘩になってしまうのが、夫婦の、人間の、しんどさでもあり、おもしろさでもあるのです。半年に一度くらい、こういうことが起こるのは、わたしが自分で決めたことや守るべきことをすぐに忘れてしまうから、なのでしょう。今回はね、わたしはたまたま「怒った側」だったのですが、逆の立場になるきっかけだって、わたしが怒らせる側になることだって、日々の暮らしの中には、気をつけないと、いくらだって転がっているよね。笑顔や幸せになれるきっかけもまた、そうであるように。 ***************************************これは本当に、本当に本当に大切なことだから自分でこれからも、何度も何度も、こういうことが起こるたびに読み返そうと思って、今日の日記を書きました。同じような思いを、もしもいま ひとりで抱えておられるかもしれないあなたのお心に、そっと届いたなら、嬉しいです。 おわり長い日記を、最後までお読みくださって ありがとう。↓ ひざの裏の皮膚に長年できていた「 謎の紫色の蕁麻疹」は・・・にほんブログ村ものを捨て、感情を初めて大爆発させた2015年の夏に・・・なぜか治ったのです。↓ 大好きな「パン」は、今・・・にほんブログ村朝ではなく「お昼」に食べていますよ。毎日のお昼が、とっても楽しみですよ ( ´▽`)ノ フォローをしてくださっている1198名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつもありがとうございます。:
2021.05.15
去年のゴールデンウィークの、ちょうど今頃は、「自粛させられている」というような受け身な気持ちを、まだなかなか拭うことができず、拭えているようでいて、やっぱり拭えず、拭わなければ!!と思えば思うほど心は苦しくなり、とてもストレスを感じていたように思うのです。もっともっと大変な状況に置かれている方々もあるのだから、文句言わず我慢しなくちゃ!!と。いつも通りのブログを書くことも、正直、とても難しかったです。「SURIPU」のクロワッサン。部屋中が「SURIPU」の香りに包まれる、幸せな朝。 ***************************************たとえば、あなたがどなたかのブログを読んでいて。(それはもちろんわたしのブログを含めて、です。)この人の(このブログの)こういうところが大嫌い!とかこの人のしていることは間違ってる!とか、この人は何もわかっていない・・・とか、この人の言っていることも、していることも、着ているものも、気に入らない!ああ、許せない!!!!そんな風に思うことって、ありますか?そんな風に思うのに、つい読んでしまうブログって・・・あなたには、ありますか ( ´▽`) ?好きなクロスなら、お洗濯も楽しい。干すのが楽しい。ヴォルスと目が合う、素敵な朝。 *************************************わたしの SNS発信は「ブログ1本」ですが。Twitter とか YouTube とか、Instagram、note や clubhouse や、もっともっと色々・・・今って、もしかすると「自分は何も発信をしていないです」という方のほうがむしろ、少ないのかもしれません。コロナ禍で、どこにも行けなくて、会いたい人や友達ともなかなか会えなくて、仮に会えたとしても、コロナ前のような「自由」とはどこか違って、「一定の緊張状態」や「制限」のようなものが、家から一歩出たのなら、絶えずそこかしこに存在して。すっかり変わってしまった世の中において、変わらぬコミュニケーションの唯一の手段がそれぞれの人にとっての「SNS」なのかもしれません。自分を表現したり、何かを発信することは、とても楽しいことです。けれどそれを「とても怖い」という人もいます。何が怖いのかといえば、おそらく・・・「嫌われること」?そして。「批判されること」なのかな、と 思います。好きなクロスなら、取り入れるのも楽しい。 薄いから、すぐに乾くよ、3兄弟。Fine Little Day モミの木柄 キッチンクロス ブラック&ホワイト ファインリトルデイ 北欧 スウェーデン【メール便OK】わたしね、仲良しのEちゃんに、実はブロガーになって欲しいんですよ。なぜって、彼女、すごいんです。何かを縫ったなら、← 売って欲しいレベル紅藤のかごを編んだなら、← エバゴス レベルジェルネイルを施させたら、← ネイリストレベルオーガニックのスキンケアを語らせたら、←プロレベルそして、ペット(特にわんこ)のご飯です。その安全や無添加や手作りに対するこだわりたるや・・・本格的な知識と、技術と、そして才能の持ち主。自分のご飯のことよりも大切に思っているみたい。だから「わんこごはん」を熱く語る時の彼女って・・・発光しています。 キラキラ輝いている。読書家の彼女は、文章を書くこともとても上手。絵を描くことも上手。Eちゃんの発信は、きっと多くの人々の心に届くはず。彼女の凄いところは、「私、得意なこといっぱいあるんです!」っていう風に絶対に言わないところ。とても控えめな女性なのに、その秘められたポテンシャルの高さよ。(ギャップが魅力)会える回数が、年に2〜3回くらいになっちゃった今、Eちゃんは、わたしのブログを読むことで、まるでわたしと毎日逢えてるよな気持ちでいてくれるんですって。うれしいなあ (;_;) **************************************ああ、でもこれって 発信するわたしの方も、実は同じで。読んでもらえることって、会えているのと、もう殆ど同じ気持ちでね。発信をしてみると、わかります。いちごのクロスはEちゃんとお揃いなのです。好きなものに囲まれて暮らすことの楽しさ。 ***************************************どこにも出かけられなくても。会いたい人と なかなか会えなくても。そんな未曾有の日々が、まもなく1年半にもなろうとしていても。そしてそれがこれからも、まだまだ続くのだとしても。いつまで続くのか、誰にもわからないのだとしても。さみしくない、という不思議。 **************************************これって、すごいことだと思うのです。わたしが青春時代を過ごしたような、外界との連絡方法が「固定電話」しかなかった時代に、もしも今のこの事態と向き合うことになっていたら・・・どんな気持ちだったろうなあ (;_;)文通とかしてたかもしれないなあ。 ****************************************発信は、とても楽しいこと。ときどきは辛いことも起こるんだけれど、それは「発信すること」だけ、に限らず、生きていたのなら。どこで何をしていたとしても きっと同じでしょう?この日の晩ご飯は「ささみおろしカツ定食」。 おとーさんと2人きりの晩ごはんでした。 *************************************わたし しばらく前に批判の正体の大部分は「粗探し」だったのか!というような日記を書かせていただいたのですが、もっともっとしっくりくる言葉に、少し前、出会うことができました。精神科医 Tomy先生のTwitterで、出会いました。 たいていの批判はね、 それを言われると都合の悪い人が 文句を言っているだけよ。だから何をやってもひどいこと言う人は必ずいるの。決してアナタが間違っているわけじゃないの。 と。聞き入れるべき忠告って、大切な仲間が真摯にしてくれるものよ。普段関わりもないような人に批判されても、気にする必要はないわ。だって、その人はアナタのこと考えてないんですもの。 と。↓ シリーズ14万部突破の精神科医Tomy先生の「幸せを呼び込む言葉」。 精神科医Tomyが教える 1秒で幸せを呼び込む言葉 [ 精神科医Tomy ]精神科医Tomyが教える 1秒で悩みが吹き飛ぶ言葉 [ 精神科医Tomy ]人の好き嫌いなんていい加減なものよ。 他人に振り回されないためのTomy流処世術 [ 精神科医Tomy ]優しくも、ものごとの本質をずばり見抜いた先生の言葉は、人間関係や親子関係、仕事や家事で疲れた心を癒やしてくれる「言葉の精神安定剤」とも。 ***************************************ああ、先生の言葉は、いつも優しいな (;_;)そうなのです。 発信をするなら、まさにこの意気! なのです。いま、何かを発信している人の、そして、これから発信してみようとしているかもしれない人の、全ての発信者の「心のお守り」になるであろう、優しくも、凛々しく強い・・・ 先生の言葉。少しずつ日が長くなり、自然光のもとで晩ご飯を撮ることができた、うれしい日。 ***************************************発信をするたび、このブログを書き上げて「公開する」のボタンを押すたび、わたし、いつもね、すごく緊張するんです。(今日のようなお話をお届けするようなときは、とくに。)まるで神社でお参りをするときみたいに 2拍手の「柏手(かしわ手)」を打つのです。「どうかまっすぐに、この日記があなたに届きますように。」そう思いを込めて。がらーん と何にもない部屋ですから、その柏手がものすごく響きわたるんですけれどね、その感じが、とても好きなの。まるで何かを「祓う」ような、とても厳粛な気持ちになるのです。晩ご飯にいただく白米は、このくらい。このくらいでちょうどいいのが50歳の胃(笑) ****************************************去年のゴールデンウィークの今頃は、「命令されて自粛させられている」というような、とても不自由な気持ちでいました。とてもさみしい気持ちでいました。あれから丸1年がたって、今は、どうだろう。あなたさまは、どうですか?自粛生活の中にも変わらない自由があることを、わたしは知りました。心はいつだって自由なんだ、ということを知りました。だって、今日もここで、あなたと会えた。この場所が、このブログがあってくれたおかげです。いつも読んでくださって ありがとう。 すずひ↓ 「今日も読んだよ」とポチッとしてくださったあなたに・・・にほんブログ村嬉しいことがたくさん起こりますように。幸せがいっぱい降り注ぎますように ( ´▽`) フォローをしてくださっている1177名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持を、いつもありがとうございます。:
2021.05.03
このブレスレットは、今から6年ちょっと前、44歳の誕生日に、家族からプレゼントしてもらったものです。そのころのわたしは、決して「いいお母さん」ではなく、こんな素敵なアクセサリーをプレゼントしてもらうにふさわしいような「いい妻」でもなく、家庭の中で、威張りちらして そっくり返って。家族を自分の思い通りにしようとして。そうならないと不機嫌になって。そのくせ嫌われることが怖くて、ビクビクと相手の顔色をうかがって言いたいことも言えない、勝手にがまんして、鬱憤をためて、ある日とつぜん爆発するような、たいそう面倒くさい人間でした。今、そばにいたなら、「あのひと頼むからどうにかして!!」 (´;Д;`)そう思わず叫びたくなるような人。周りを疲れさせる、迷惑で、最悪な人。そのころの自分のことを思い出したりするのはだからとても嫌で。そのころの写真を見るのも、すごく嫌で。ずいぶんたくさん捨てましたのですけれど、全部は捨てられなかったんですよね。なぜか。当時の自分の苦しかったり、つらかった気持ちを、いつの日か 自分だけでも理解してあげたいと、そう思ったからです。子育てや人生を、どこか甘く見ていて、そこそこうまくやれているとすっかり勘違いしている、何もわかっていない頃の、あまりにも甘ちゃんな頃の自分の写真を見るのはとても恥ずかしいのですけれど、自分にしかわからない気持ちって あるでしょう?いえ、「人の気持ち」というのは、本当は、全て、すべて、そうですよね。自分の本当の気持ちなんて、自分以外の誰にもわからない。そのころの写真を見ると 笑っているんだけれど、泣いているように見えるんですよ。救いを求めて 泣いている。これから起ころうとしていることをまだ何も知らずに、のんきに笑ってる。自分のことを大切に思えなくて、自分のことが本当は嫌いでたまらなくて、不安で泣いている。幼い頃も、大人になってからも。 ***********************************そういう顔しか出来なかった彼女(わたし)の気持ちを、今のわたしが分かってあげること。 「わたしが」理解してあげること。そうするとね、なんて言ったらいいのでしょう、そのころの自分が、時間を越えて、いま、救われる気がするのです。 *************************************今、すごくしんどいよね。 無理もないよね、と。しかしよく生きてくれたぞ、と。あなたがどこか途中で諦めてしまったら、逃げ出してしまったら、今のわたしはいなかったんだよ、と。ダメだったころの自分を責めるでもなく、隠すでもなく、叱るでもなく、今はつらいね、でも、大丈夫。今はしんどくても、とてもいい未来が あなたにはちゃんと待っているから、だから 生きろ! わたし!自分を信じて 必ず ここまで来い!!! と、思う。 いや、念じる(笑)UNITED ARROWS 【一部別注】<Athena New York(アシーナ ニューヨーク)>SHIHO TANBODY ハット ユナイテッドアローズ 帽子/ヘア小物 ハット グレー ブラック【送料無料】何を言っているのかわからなかったらごめんなさいね。そういう思いって、時間を遡って、時空を超えて、そのころの自分の心にも、ちゃんと届くような気がして。誰にもわかってもらえなかったわたしの気持ちを、少し先の自分が、そこを通り過ぎたわたしが、いま、ちゃんとわかってあげる、ということ。すると、泣いてるみたいだった顔の写真が、ちゃんと笑っているように見えてくるから、不思議です。すると、自分は一人じゃなかった、味方がいてくれた、と思えてくるから不思議です。「1捨」じゃなくて「1舎」。 あら!これは・・・!? 読者さま、覚えていてくださるかな? ***************************************人は未来しか変えられない、と言われます。過去だって、けれどいつか変えられるのかもしれません。過去を変える、というか・・・過去に対する意味づけを、自分の力で変えてゆく。それをできるのは、未来のわたしだけ。今を生きているわたし、そして今を生きるあなただけ、なのだから。*************************************おとーさんと、息子が、2人でお金を出し合ってプレセントしてくれた、その頃のわたしがいちばん欲しがっていたブレスレット。これを身につける資格など わたしにはない。そう思えて仕方なくて、たまらなくつらくなってしまう時期がありました。今。ふたたび、こうして 身につけて。もうこんな日はこないのではないかと思っていたわたしに、もしかしたらこの日記が届くような気がして、書いています。 **************************************今、何かの試練の中にいて、長い長い、終わりの見えない試練の時の中にいて、もうずっとこのままなのかな、と、希望を持てなくなっているかもしれないあなたにも。今を懸命に通り過ぎたなら、必ず未来がくるからね。 あなただけの未来がくるからね、と。うまく言えないのだけれど、届いてくれたらいいなあと思って、書いています。このブレスレットは、カーニバルと一緒に、わたしの「人生最後のつづら」に必ずおさめるつもりです。 そう決めています。↓この春夏は「PHILIPPE AUDIBERT ブーム」なのかな? 可愛いのがいっぱいです ( ´▽`)ノ BEAUTY & YOUTH UNITED ARROWS <PHILIPPE AUDIBERT(フィリップオーディベール)>FERGUS ブレスレット ̈ ビューティ&ユース ユナイテッドアローズ アクセサリー ブレスレット シルバー【送料無料】UNITED ARROWS <PHILIPPE AUDIBERT(フィリップオーディベール)>ELROI チェーン ブレスレット ユナイテッドアローズ アクセサリー ブレスレット シルバー【送料無料】Demi-Luxe BEAMS PHILIPPE AUDIBERT / EMMA ブレスレット デミルクス ビームス アクセサリー ブレスレット シルバー【送料無料】 ****************************************歳を重ねるって、いいですね。だって、色んなことが、ちゃんと「過ぎて」ゆく。若いブロガーさんの日記を、ああ、懐かしいなあ、と思える齢に わたしはなりました。わたしは2月、おとーさんは4月の誕生月に。日本年金機構から「ねんきん定期便」というハガキがくるんですけれどね。年金の受給開始時期は60歳から70歳まで選択できるそうなのですが、年金受給のスタートを、たとえば65歳ではなく70歳まで遅らせると。なんと年間受給金額が、最大 42% もアップするのだそうですよ!!よよよ、よ、42% !? 夫婦合算したら、めっちゃ大違いですよ!!!! Σ(゚д゚lll)これはもう、絶対に70歳開始にしよう!5年など、すぐに過ぎる。(そう言いながら1円ももらえずにあの世へ、ということもあるかもしれないが)なんとしてでも 先ずは70まで生きよう!!そして1年でも長くもらえるように一緒に頑張ろう! と、笑い合うわたしたち夫婦は、4月の最後の祝日に「結婚25周年」を迎えます。楽しい時、苦しい時、うれしい時、悲しい時、幸せだと思えたとき、思えなかったとき、20代、30代、40代、そして始まったばかりの50代。20〜30代の頃からは想像もできなかった未来の中に、いま、わたしは生きています。わたしたちの生きる「今」というのは、そうか、1秒ごとに過去だし、1秒ごとに未来なのだ、ということ。いろんな時を。1秒1秒をともに過ぎて、ともに生きて、ともに笑って、ともに泣いて、乗り越えてこられた。おとーさんのことも、そしてわたし自身のことも、「大・大・大嫌い!」で 「大・大・大好き!」と そう思える・・・とても大切な「いま」が、ここに、あります。 おわり今日もお読みくださって、ありがとう。↓ ポチッと応援してくださるお気持ちを・・・にほんブログ村 いつも、いつも、ありがとうございます。 とてもうれしいです。 ( ´▽`)フォローをしてくださっている1169名ものみなさま・・・あなたとあなたの大切な人が。今日もどうぞお健やかな、心穏やかな1日をお過ごしになれますように・・・ :
2021.04.24
たくさんのものに囲まれて暮らしている頃は、自転車をネットで買うなんて。そんなの無理無理無理無理! と思っていました。実物を見ないで自転車買うなんて、ムリ! 信用できない! と。お財布ポシェットではなく、ちゃんと靴にピントのあった日(たんぽぽエリアにて) ***************************************「たくさんのものに囲まれて暮らしていること」と、「自転車の買い方に対する思い」とは、それは一見なんの繋がりもなさそうなことなのですが、不要な持ちものを手放してゆけることと、古い考え方や思い込みを手放してゆけることとは、心の奥底では「同じ仕組み」であるように思います。深くつながっている、と、わたしは感じます。「もの」も、「考え方」も、手放せる人は どちらも手放せる。手放さない人は、そのどちらもを手放さない傾向が。まもなく5年目になる「すずひ1号(白)」も、もう3年目となった、この「すずひ2号(黒)」も、屋根はあるけれどまあまあ雨の当たる、ほぼほぼ「野ざらし」の、マンションによくある共用駐輪場にとめてありますが、全く問題なく、調子よく、快適に使えています。ネットで自転車買えるのって、最高だ。 なんていい時代なんだ!! ヽ( ´▽`)ノ 今はとても素直に。 そう思っています。わたしがタイトスカートを持たなくなったのは、大好きな自転車に安全に乗りたいから。暗くなったら勝手に点灯してくれるライトの「すずひ2号」。ペダルも重くなりません。【東京・神奈川送料無料!】【完成品配送】自転車 27インチ おしゃれ Lupinus(ルピナス)LP-276TA-Kシティサイクル LEDオートライト シマノ製6段変速朝食を、ゆっくりと丁寧に楽しめた日は、その日1日が、なんだかとても良い日になるという仕組みも知っちゃった。「じゃこと目玉焼きとチーズのマヨトースト」 お腹いっぱいになります。 ***************************************パンとか、自転車とか、お皿とか、マグカップとか。服とか、靴とか、木漏れ日とか、目玉焼きとじゃことか。それらが日々の暮らしや「心の状態」「満足度」や「幸せ度」と全てとても密接に繋がっていることを知ると・・・どれも「テキトー」に済ませてしまうことはわたしにとって、とてももったいなく感じられて、できる限り 大切に向き合いたいな、毎日、ゆっくり、大切に楽しめたらいいなと、そう思えるのです。ものが多い頃は、ものすごく頑張らないとそれが出来なかったのですが、ものが少なくなってからは、そんなに頑張らなくても、できるのです。 いつも心が 無理なく行き届く、という仕組み。【ポイント10倍】【送料無料】【NEW:ベージュ】Classic Tea Towel クラシック ティータオル by DESIGN LETTERS デザインレターズ 同色2枚組 40×60cm モノトーン キッチン ランチクロス 家電隠し 人気 ギフトわたしは長いこと。自分で何かを決めることに、いつも自信がなかったです。服1着。 靴1足。 お皿の1枚さえも。だから誰かの真似をして、雑誌の、SNSの、素敵な人の真似をして、失敗した時には、いつも知らない誰かのせいにしていました。わたしは悪くないもん、 と。なんども、なんども。 数え切れないくらい。家の中も、心の中も、「ものだらけ」になりました。そういうものだらけ、になりました。 **************************************それを昔は、「楽」だとか「楽しい」と感じていたのです。ところがそれをすると、今はものすごく気持ち悪い。自分で選ぶ。 自分の選択を信じる。 こっちの方が、断然いい。それが成功しても、たとえ失敗だったとしても、自分で決めたことなら、そのどちらもに、等しく価値があるのだ、ということを知りました。 ***************************************少ないものでの暮らしを目指し、ものの手放しを始めると、初めはとても迷います。失敗することが ひたすら怖くて、迷うのです。「失敗にも意味がある。」「価値がある。」「失敗してもやり直せる。」「大丈夫。大丈夫。」自分の失敗を、そんな風に許したり、励ますことを知ると、心って、ほんわか温かくなりますね。「失敗してはいけない」という気持ちって、「真面目」なのでも「しっかりしてる」でもなくて、ただただ自分をいじめているのと同じ、だったのかもしれません。お財布ポシェットではなく、ちゃんと靴にピントのあった日(シロツメグサエリアにて)【中古】J&M DAVIDSON◆TRAVEL POUCH WITH STUDS/ショルダーウォレット/レザー/BLK/10132N【バッグ】↑ USED に、お財布ポシェット(TRAVEL POUCH)の お揃いが! ( ´▽`) ***************************************4月19日の午後4時頃のこと。楽天ブログが、10分くらい?か、もっと? 完全にシステムダウン? していて。 URLが間違っているか、 間違ってないならそのページは削除されました。 ご了承ください。という、たいそうあっけないメッセージとともに、忽然とアクセスできなくなった、表示されなくなった時間帯があったのです。わたしのブログ、消えちゃった!こういう時って、ブロガーさんは焦るのでしょうか。わたしのブログ返せー!オラー!!ってなるのでしょうか。 **************************************システム的に何か原因不明のトラブルが起こって、ある日忽然と「それ」がなくなっちゃう可能性は、ネットの世界なら、きっと どんなところにも起こりうることで。仕方ない、そういう運命だったんだ、と(笑)またどこかで 1からブログ書こうか。それとももう、ここで全てを「おしまい」にしようか。そんな風に達観した自分がいて、ちょっと驚いてしまった。 **************************************「わたしはどこに行ったら解放されるんだろう。」カテゴリのお引越しをした時の気持ちの根底には、実はそういう本音がありました。カテゴリを変えるのは、それでもやっぱりとても怖かった。なのに、ブログ忽然となくなっちゃった!って時は、ぜんぜん怖くなかったという不思議。それもまた終わり方の形の一つなのかも。こんな風にあっけないほうが、もしかしたら幸せなのかも、とも思った。永遠にあるものなんて、そして「変わらないもの」なんて、この世には、もともと、何一つないのですもの、ね。自転車をネットで買うなんて。そんなの無理無理無理無理! と思っていました。実物見ないで買うなんて、ムリ! 信用できない! と。信用できない! というのは お店や品物を信用できないのではなくて、それをする「自分」を。自分の選択や決定を信用できない、ということだったのだ、ということが、今なら よくわかります。もしもこのブログが消えちゃっても、わたしという存在が消えない限り、またどこでだって始められるさ、大丈夫、と。なにも怖くない。 そう思えた。自分を信用できるって、こういうことなのかな? 黄身がとろーん。 フォークで崩す瞬間の、一生飽きることのない幸せよー ( ´▽`) **************************************今日は、こんなお話でごめんなさいね。ブログが消えちゃった!!という出来事に対する自分の反応が、わたしの想像していたのとあまりにも違っていて ちょっと驚いてしまったの。自分のことはよくわかっているつもりでも、わかったぞ! と思ったその時点から、人はまた、絶えず変わっているんだなあ、って。人間って、生きるって、そして「変わる」っておもしろいなあ!って、そう思った・・・そんなある日の。 じゃこのパンをいただいて、黄身を崩してよろこんで、大好きな自転車に乗って、公園をひとりお散歩した、そんな日のお話、でした。 おわり 今日もお読みくださって ありがとう。↓ とろーんの黄身に、えいっ!と、ポチッ!っと、ありがとう ( ´▽`) ψにほんブログ村今まで、ずっと変わらず読んでくださる読者さま、ありがとうございます。ファッションカテゴリのみなさん、すずひを仲間に入れて下さって、ありがとうございます。 フォローしてくださっている1162名もの皆さま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつも本当にありがとう ( ´▽`)ノ :
2021.04.22
黒い帽子、というのは、早々の時期からかぶりやすいのだ、ということに、この春、改めて気づきました。4月とはいえ、日差しの強い日がありますが、帽子をかぶりたくても、4月ゆえ、まだちょっと早いような気もしてしまう。そんなとき。黒い帽子というのは「黒以外」の帽子と比べ、髪の毛っぽいと申しますか、頭部と一体化してくれる、と申しますか、帽子帽子主張しない、と申しますか、春のとっても早いうちから、そしてきっと晩夏の残暑厳しきころにも。もうすぐ秋だよ、というギリギリまでも。あらゆるカラーの帽子の中でも、うんと長い期間かぶりやすい色だ、と感じています。黒い帽子は、50代女性にとって、「とってもかぶりやすく便利な帽子」だと思う!UNITED ARROWS 【一部別注】<Athena New York(アシーナ ニューヨーク)>SHIHO TANBODY ハット ユナイテッドアローズ 帽子/ヘア小物 ハット グレー ブラック【送料無料】 ***************************************春です。 少し風の強かった昨日の朝。1年と2ヶ月ぶりに「行ってらっしゃい」と、お子を大学に送り出すことができました。対面講義が、ようやく、本当にようやく再開されたのです。入学式と同じくらいの、なにか特別な気持ちになりました。大学生が、大学に通えることが、ふつうでもあたりまえでもなくなってしまった、長かった、この1年と2ヶ月余り。去年ご入学された学生さんたちの中には、コロナ禍の、怒涛の受験の日々を乗り越えたあと1年間待って、待って、待って、待って・・・ようやく初めての「キャンパスライフ」なのだ、という方々もきっと沢山いらっしゃることでありましょう。みなさん、本当によく辛抱されたと思います (;_;)この日の格好 ( F )+ Athena New York 「SHIHO」+ J&M Davidson カーニバル ※ 2021 わたしの最新ワードローブ一覧の日記はこちらです → ★ *************************************学校に通えることって、あたりまえのことじゃなかったんだ、と知った。けれど、リモート講義にはリモート講義ならではのいいところもあるのだ、ということも知った。どうしてこんなことに! と怒ったり、高校も中学も小学校も幼稚園も、企業や会社もみんな再開されているのになぜ大学生だけ・・・と、嘆き続けることもできたのかもしれないけれど、そうすることには、おそらくあまり意味はなく、誰も幸せな気持ちになることができず、こういう時は、だから。「ああ、こうなったんだな」「今はこういうときなんだな」「今は、仕方ないのだな」と、受け入れるのがいちばん。従うのがいちばん、ということも知りました。我が子の姿から 学びました。そして、1日1日ひたむきに生きていれば、やるべきことをきちんとして、待っていれば、またこうして通える日がくるんだなあ、と。ああ、今、こうして きてくれたんだなあ、と。この日はストラップを、シルバーカラーのチェーンに。 きらきらと、きれい ( ´▽`) ***************************************みんな、この春のご入学、新生活、おめでとう。在学中の大学生のみんな、再開、おめでとう。未だ不安な状況であることに変わりはなく制限されることも沢山あるのだと思うけれど、去年の春よりも ちょっとだけ明るい今年の春。去年は春をうれしく感じる余裕すら持てずにいたから、いつもならちょっと紫外線の気になる眩しい日差しも・・・今年はなぜか、とても嬉しいのです。もともとはお財布に付いていた付属品ですが、カーニバルの斜めがけにもぴったりなのです。 **************************************うんとうんと時が過ぎたころ、このたびの自粛生活のことも、みんなでがんばったことも、とても不安だったことも、いろいろなことが不自由だったことも、いつの日か、懐かしいこと、として思い出せる日が来るのかもしれません。きっと、来るよね ( ´▽`)黒い帽子は、街中でかぶるのにぴったりです。リゾートっぽくなり過ぎないのがいい ( ´▽`) *****************************************kotoさんが、気づいてくれた。「50代の生き方」のカテゴリで、ほんの短い間、日記を書かせていただいたのは、すずひは50歳になりました、と。kotoさんに、もしかして気づいてもらえますように、とそう祈ったのです。★kotoさんと、ずっとずっと昔から読んでくださっている、わたしのことをよく知ってくださっている読者さんになら、この意味を、わかっていただけるかな?あのね、ブーメランは、もどってきました。kotoさんの聞かせてくださったあの日のお話は、本当でした。辛かったときに、いつも心の支えになってくれた、あなたの言葉。「この言葉を信じよう」「信じて待とう」と、まっすぐに思えたことで わたしの心は、少しずつ強くなることができた。自分で自分を励まし続けることができたのです。そこを過ぎた方だけが語りうる、今、その渦中にいる人の心に寄り添える言葉。向き合い、乗り越えた人にしかわからない、本当のこと。その痛みを本当に知っている人にしかわからないこと。kotoさん、ありがとう。お嬢さまのご結婚、本当におめでとうございます。くじけそうになるたび、わたしの心の奥で いつもキラッと輝いて、もう何もかも嫌になってしまいそうなときにも、kotoさんの言葉に、いったい幾度 わたしは励まされ、救われたことか。 **************************************1日1日ひたむきに生きていれば、わたしにできることをしながら待っていれば、またこうして逢える日がくるんだな。会ったこともない、お顔も知らないあなたのことが、大好きです。ああ、これは読者さまへの、「全てのあなた」への思いも同じ。会ったこともない、顔も知らない、遠く離れた見ず知らずわたしのことを、いつもそっと支えていてくれる。いつかそんな人に、読んで下さった方の心の中で生き続けるような言葉を紡げる人に、わたしも なりたいのです。 おわり今日もお読み下さって ありがとう。↓ ホームだった「ライフスタイルカテゴリ」を飛び出し、 すずひは1人ここで。「ファッションカテゴリ」で、今、頑張っています ( ´▽`)ノ にほんブログ村いつもポチッとしてくださるあなたのお気持ちが、毎日、わたしに勇気をくれる。みんな、みんな、ありがとうね (;_;)読者登録をしてくださっている1136名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるたくさんの思いを・・・いつも本当にありがとう ( ´▽`)ノ:
2021.04.06
わたしたちの世代って。周りと一緒であることとか、常に空気を読むこと、とか、世間の目とか、周りの大人からの評価とか、そういうことが自己決定の軸になってしまったようなことが、多分にしてあったように思うのです。いつもみんなと一緒であれ。 平均か、できればもっと優秀であれ。 優秀で、おとなしく従順であれ。「自分らしさ」や「個性」なんてとんでもない! みたいな、ね。服の少なさで「爪痕」残したい時期が・・・わたしには長いことありました。 ごめんね。 *************************************「みんなと一緒であること」や「はみ出さないこと」を目指したりそうであることを常に求められてきたわたしたちにとって。「人と違うこと」「違った存在」というのは、「個性」や「その人らしさ」というよりも、不公平であり、格差であり、恐怖であり、我が身をおびやかす危機であり、脅威、でした。どちらかというと「良くないこと」だったのです。それをね、すっかり大人になってしまってから急にね、「これは多様性ですよ!」「みんな自由で平等だったのです!」「さあ、お互いを認め合って!!」「さあ、尊重!」と 捉え直そうとしたって、そう簡単には なかなか・・・ね (;_;)がらーん の冷蔵庫。買い出し前の野菜室。ついこうしてお披露目してしまうのですが、わたしにとって、毎回こうなることは、わりと「ふつう」のこと、なのです。 ***************************************急激に発達してしまった SNS によって知ることとなった、いろんな人のいろんな「自分らしさ」にいろんな人のいろんな「ふつう」に、自分とは大きく異なる「ふつう」に、どうしても理解できない「ふつう」に、「多様性」や「違い」に対する耐性が、著しく乏しい世代であるところのわたしたちが、思わず面食らってしまうのも・・・だから無理もないように思うのです。今日の日記は、中1日あいてしまいましたね、先日の日記の続き( ★ )です。 **************************************何かを発信しようとするとき。若者は「何でも聞いて」と。インスタグラムやTwitterなどのSNSにおいては、「自身への質問を求める行動」というのを取ることがとても多いのだそう。なぜか。「自分語りは恥ずかしいこと」という認識。それが彼ら世代の中に、とても強くあるからなのだそうです。とくにSNS等で唐突に自分を語り始めるのは、多くの若者にとって「きわめて格好悪い行動」 と捉えられているのだそう。 ・・・・・・・・ ( ゚д゚)わたしのブログ、どうなる(爆)!!!だから、まず、質問を求める。「なんでも聞いて」を使えば、自然に自分語りができる。「聞かれたから答えるのだ」という体裁を取ってさえいれば、そこで語られることは「恥ずかしい自分語り」とならずに済むのですね。なるほどー ( ゚д゚) 質問に回答することで簡単にコミュニケーションが生まれますし、また質問をされるということで「自分が誰かから関心を持たれているのだ」という心地よい快感も得られる。「いいね」とはまた別の承認欲求が満たされるのだ、と。若者は、ゆえに「質問されたい」のですって。へー そうなのー ( ゚д゚)そっか!! めっちゃ納得!!「質問されたい心理」って、もしかすると「若さの象徴」なのかも!!「自分語り」が全く平気なこと、と(笑)質問されるのが嫌だ、苦手だ、自分の頭で考えて、と思ってしまう時点で、いかにわたしが身も心もすっかりオバハンであるか、という・・・これはもう、何よりの証拠だわ ヽ(;▽;)ノ ちょっとだけ嘘でした。にんにく、お餅、パン1/2斤が、次週へと持ち越されます ( ´▽`)↓ この青森にんにくが、とっても便利でよかった!なくなったらリピートしよう!あす楽【送料無料】青森 にんにく バラ500g中国産と比べて!国産 ニンニク 福地ホワイト六片種青森『厳選』バラにんにくにんにく 500g青森 ニンニク バラ 500グラム青森県産 にんにく 剥けなし【1500円】 **************************************おっと話が逸れかけてしまいました。お話を「爪痕」に戻しましょう。わたしたち世代にとって、たとえば自分語りをするにしても、あるいは質問にお答えするのだとしても、何か発信するときに、最もむずかしいと感じるのは。何か特殊な特別なむずかしさ、よりも、いろんな「ふつう」のあることのむずかしさ、なのではないでしょうか。自分にとっての「ふつう」を、不特定多数のお相手を傷つけることのないように伝えることって、実は、とても、ものすごく、むずかしい。たとえば、です。「〇〇する人がいるけれど、わたしはしないです。」「わたしは〇〇は利用しないです。」「〇〇と言う人がいるけれど、わたしはそうは思いません。」という主張には、逆側にあるものを否定(攻撃)するニュアンスが どうしても漂います。いわゆる「匂わせ」ですね ( ´▽`;)その人の個人的な主張を、その人にとっての「ふつう」を正当化するために、「自分たち側を否定された!」「こちら側を(ダメなもの、間違ったものとして)引き合いに出された!」「敵認定 」 (`・ω・´)というように、〇〇側にいる人は、これをとても敏感に察知しますし、裁かれたかのような不快さを感じるのだと思います。しかしこれね、裁かれた側である時には敏感に気づくのに対し、裁いた側である時には そのことになかなか気づけないでいることが、悲しいくらいに、あるのです。1本残っていたバナナは、おやつで消費。生鮮の廃棄・・・今週もゼロです! ( ´▽`) ****************************************そういう書き方ばかりしていた、気をつけることができなかった時期が、わたしには長いことありました。言葉を大切に思う時。そしてこの場所を大切に思う時。それではいけなかったのだ、このままではいけないのだ、ということに、ある頃、気づいたのでした。気づかせてもらうことができたのでした。今でもそれでもやっぱり、失敗してしまうこともあるのだけれど。一つだけわかったのは。こんな多様な価値観溢れる世の中にあって、自分のしていること(だけ)を、「正当化」しようとすると、たいていの場合、失敗しますね(泣)ステキな花屋さんのステキなアレンジに、心の底から感動するけれど、そういうお花屋さんだけになってしまってはきっととても困るのです。特別に好きなパン屋さんや愛してるサンドイッチ屋さんはあるけれど、だからと言ってそれ以外のパン屋さんを認めない、というのは違う ( ´▽`)いろいろあるからいいのです。多様性って、そういうこと。暮らしの発信も それと同じで。そこを間違えてしまうと、書くのも、読むのも、とても苦しい。 **************************************爪痕を残す。 という言葉がありますね。新人タレントさんなどがテレビ出演するとなれば、「とにかくなんでもいいから爪痕残してこい!」などと事務所から言われたのも、もはや昔の話。今は「爪痕残さないタレントさん」の方が、なぜか視聴者から支持され、長く愛されるんですって。過激なこと言ったりやったりする、いわゆる「ぐいぐい系」や「爪痕系」は、もはや「古い」のだ、と。 わかるような気がします。しかし爪痕残さず印象に残ろう思うと・・・それってめっちゃ大変なことよ (;▽;) ?ブログも、同じよ (;▽;) ? **************************************「爪痕を残さないのも爪痕。」 この言葉は、とある番組内で、中居くんによって発せられた名言。「みんな爪痕残そうとするけど、残さないのも立派な爪痕。」と。そうね。 爪痕を残さないことは、それはきっと、とても美しいこと。 **************************************やたら爪痕残したかったり、やたら自分を正当化したかったのは、「圧倒的に自信がなかったから」そして「不安だったから」だと気づいたの。「自分を正当化したがること」と「強がること」は、似ている。心の焦りや波立ち方のようなものが、とてもよく似ている。じゃあ今は自信があるのか、といったら、それとはまたちょっと違うのかもしれないけれど、今のわたしの暮らしが、わたしはとても好きなのです。昔は大嫌いだった「自信のなさ」や「弱さ」や「欠点」も、それも大切な「伸びしろ」だと、今は思ってる。自分の良いところだけでなく、ダメなところも全てひっくるめて、まだまだなところもひっくるめて、50歳になった今のわたしのことが、なんだかとても好き。人生の中で、多分、今がいちばんに。 **************************************子供の頃や、若い頃は、自分を好きだと思えたことはあまりなかった。周りから本当に好かれていると思ったこともなかった。友達の多い、誰とでも仲良くなれる風な子でしたが、みんなの前で明るいように、うまいこと大人を安心させ、先生に好かれるようにしていただけ。子供ながらに、ものすごく無理をしていた。「無駄な爪痕」ばかり残していました。そういう子って、わたしたち世代には、男女問わず、とっても多かった気がするな (;_;)素敵パン屋さんのクロワッサンも好き。昔ながらのメロンパンも好き。ステキな花屋さんの花束が好きだけれど、けれどそのままお墓にお供えできるよう上手にセットされた、ユリや菊やデンファレの花束も好き。かすみ草だって、大好きだ! **************************************「爪痕を残さないのも爪痕。」 そう言った中居くんにね、共演者の方からは 「そんな爪痕ありますか!?」 との声。「あるあるあるある」と、中居くん。わたしも「ある」と、思います。せっかく残すのなら「爪痕」よりも。「安らぎ」や「愛情」や「優しさ」「心地よさ」や「思いやり」や・・・「可愛げ」?そんな「痕」を、自分の人生や、大切な人の記憶に残したいし、刻みたい。そういう人になりたい。そういう文章を書ける人になりたいし、そんなおばあちゃんに なってゆきたい。50歳の今。 とてもそう思うのです。 おわり長い日記、最後まで読んでくださってありがとう。いつの時も、何歳であっても。「今がいちばんいい」と思いながら生きてゆけたなら・・・とても幸せですね ( ´▽`)↓ 「服の少なさ」を、今は心から楽しんでいます。 いつもポチッとありがとう!にほんブログ村↓お子の大学では、待望の対面授業が、4月からようやく本格的に再開されるのだそうです。にほんブログ村↓昨年度は、本当にただの一度もキャンパスに通うことの許されない「未曾有の1年」でした。にほんブログ村先の見えない中で、長引くリモート講義を耐え忍び乗り越えた大学生みんなの春を・・・膨らんだつぼみも、そっとお祝いしてくれているようです ( ´▽`)読者登録をしてくださっている1131名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつもありがとう ( ´▽`)ノあなたとあなたの大切な人が、今日もどうぞお健やかに、微笑みいっぱいの1日をお過ごしになれますように・・・ :
2021.03.29
いつも カラーなのかモノクロなのかわからない画像ばかりなのが「すずひのブログ」ですが、今日の画像はカラフルです!花束みたいなサンドイッチです。花屋さんと、パン屋さんって、わたしの中では、なぜか同じカテゴリに位置しています。お店を選ぶ基準みたいなものが、似ているのです。おいしいパン屋さんは、世の中にたくさんありますね。けれど、おいしくて、さらに「素敵でおしゃれなパン屋さん」となるとその数は ぐっと絞られるように思います。さらにさらに、おいしくて、素敵でおしゃれで、そして「接客も抜群に素晴らしいパン屋さん」となりますと、その数というのは、夜空にまたたく数多の星の中にあって、全天に21個しかない、ほんのわずかな「一等星」の数くらい・・・そのくらい自分にとって「とても限られたもの」であるのだ、ということを日々、感じるのです。 *************************************「花屋さん」もまた然りで。お花が売ってるお店は世の中にたくさんあるのです。スーパーの一角にも必ずあったりします。けれども「素敵な花」を扱ってくださっている花屋さん、となると、その数というのはぐっと少なくなって、「素敵な花」を扱ってくださっているお店で、さらに接客も素晴らしい花屋さんで、さらにさらにこちらの意を的確に汲み取ってくださる相性の良い花屋さん、となるとこれもまた「一等星」くらいの確率 (;_;) *************************************お花をいただけたり贈ったりできる嬉しい機会が3年ほど前から、わたしの暮らしの中にはうんと増えて、素敵な花屋さんが作ってくれる、最近のアレンジや花束というのは本当に本当に素敵なのだけれど、これ、他と、わたしの思う「ひと昔前」、「昭和の花束」と何が違うのだろう、と考えた時、あ、花束の定番脇役であったところの「かすみ草」がこれらにはほとんど使われていないのだな、ということに気づきました。かつてのかすみ草のポジションには、ユーカリや、名前も知らない「謎のおしゃれ葉っぱ」や「実」や「ベリー」みたいな格好をした植物が可愛らしく君臨している。↓ いつも安心してお任せできる、大好きな「joujou frowers」 さん ( ´▽`)けれども。もしも淘汰されて淘汰されて、世の中のお花屋さんの全てが、揃いも揃って「ステキ花屋」になってしまったのなら、それもまた困るのだろうと思うのです。お墓参りに持参するにふさわしいようなお花は、「ステキ花屋」では取り扱っておられないことが多い。ふつうの白菊や黄色い菊は、店内のどこにも見当たらない。ふつうのバターロールやメロンパンが「ステキパン屋さん」ではなかなか手に入らないことが多いのと同じように。用途と、その時の目的と、そして「好み」。いろいろあるから、いろいろが生きる。みんな一緒じゃないから、さまざまな価値感で、さまざまな場所で、さまざまな人から求めるからこそ・・・それぞれが、輝く。ああ、これってブログも同じですね。SNSに溢れかえる多様なライフスタイル。金銭感覚や、家事や子育てや、暮らしやファッションに対する意識や考え方。それはもう 本当に人それぞれで。これは わかっているつもりでも忘れがちで。Z世代(1995年以降に生まれた世代?)と呼ばれる、生まれた時からインターネットやSNS が身近なものであった若い世代の方が、そういうこと(多様性)に対しむしろ柔軟で、クールで、「みんな違うのなんて当たり前でしょ?」 ということを、とてもよく、心の深いところで理解していると聞きます。「なんで自分と違うんだ!」とか怒らないですし、「ふつうはこうでしょ?」とかも あまり思わないみたい。人の数だけの「さまざまなふつう」があること。「その人その人にとってのふつう」があって、良いも悪いもなくて、そこを決して侵略してはいけないことを・・・若者たちは、ちゃんと知っている。わたしたち親世代なんかよりも、ちゃんと(;_;)たとえばテストの点数や順位ひとつとってみたって、何点を「ふつう」と思うかは、何位をふつうと思うかは、一人一人が全く違うように。休日の過ごし方だって、どんな過ごし方を「ふつう」と呼ぶのか、なんて将来すすむ道だって、どんな社会人が「ふつう」であるかなんて、そんなの、みんな、全然違って、みんないい。だから、周りと「同じ」「一緒」でなければ!というような無理はしないし、なんでもかんでもわかり合おうともしない。冷たいとか、距離感とかとも、ちょっと違う・・・言うなれば、これは むしろ「優しさ」の一種?「理解し合わない」という優しさ?互いに無理してまで他人を理解しすぎ合おうとしない、ということ。************************************さまざまな人の、それぞれの思う「ふつう」を、ふつうに尊重できる、ということ。これは生きる上でも、そして何かを発信させていただく上においても、とても大切なことなのですが、ブログを続けさせていただく中で、それがとてもむずかしい時期がありました。なぜむずかしく感じてしまっていたのか。50歳となった今、あらためて考えるのです。 後半につづく今日もお読みくださって ありがとう。↓ つづきも読むよ!のポチッと、ありがとう ( ´▽`)にほんブログ村「爪痕を残さないのも、爪痕。」とは。後半も心を込めて書きます。 お楽しみにしていただけたら嬉しいです。読者登録をしてくださっている1129名ものみなさま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ちを、いつもありがとう ( ´▽`)ノ:
2021.03.27
「その男の価値 < 洗濯物」 出典:くらため帖 「オバさんっぽくて色気がないと思われる女。」 よりこの不等式に、朝から吹き出して始まった・・・ある雨の日の、春の朝。 捨てたいのになかなか捨てられいでいる家電の一つに「コーヒーメーカー」があります。 ***************************************「オバさんっぽくて色気がないと思われる女の特徴」として(1)洗濯物の乾き具合を外出先でも気にしている という、たいそう具体的なご意見があるらしく、さらにそこには、 洗濯物が濡れたら一大事ですが、 男性の前では洗濯物のことを忘れて 会話に集中しましょう。というご丁寧なアドバイスまでも添えられているらしく、 それは「その男の価値 < 洗濯物 」なだけの話、でしょ? って、ね!やろがい!!! と。 (← これは すずひ)まさに!!! ヽ(;▽;)ノ オバさんと思われようとどうでもいい男の前だから、 雨が降れば洗濯物の方が断然気になるのだ。 それ以上でも以下でもない。 by くらためちゃん ほんとそれー ヽ(;▽;)ノ ! いいぞー!!家族と一緒の時はコーヒーメーカー。一人きりの時はこんな風に淹れています。 ***************************************その男性は。「女性のオバさんっぽさ」をずばり指摘したつもりが、自分で自分のことを「俺は洗濯物以下の男です」「つまらない男です」と言ってしまっているのに等しい、ということに、おそらくここでは気づいておられません。↓ とってもお求めやすい価格なのに、とっても美味しいコーヒー。パッケージも大好き!送料無料 自家焙煎 コーヒー リッチ ブレンド 1kg ( 500g × 2袋 ) ( コーヒー豆 コーヒー粉 珈琲 )( ドリップ コーヒー ファクトリー )↓ 開封後は、こちらに移して冷蔵庫保存をしています ( ´▽`)フードコンテナ ホワイト3コセット 3点セット(S/M/L) レンジ可 食洗器可 お弁当 ランチボックス 弁当箱 保存容器 キャニスター フードコンテナ ストッカー ギフト 新生活けれど、潜在意識的には、そんなご自分に、本当は気づいているのでしょうね。もともとちょっと自分に自信がなくて、(洗濯物より)軽く見られたことにムカついて、多分それをずっと根に持っていて、こう言わずにはいられなかったのかもしれません。ちゃんとした自尊感情の育った人であれば、「自分の価値」に自信があれば。こんなことくらい、きっと、気になどならない。こぽこぽこぽこぽこぽ・・・ ( ´▽`)♪ ****************************************「いい男」か。夫婦の場合、旦那さんが果たして「いい男」かどうか、っていうのは、とてもわかりやすいのだそうです。「奥さんがどんどんキレイになるかどうか」でわかるのだ、と。 奥さんを見れば、 目の前の男が「どの程度の器量の男かどうか」など 大体わかる。斎藤一人 さんのお言葉だったと記憶しています。 **************************************会話中に、心ここに在らずで、洗濯物の乾き具合の方を心配されたことに、ムカついた、というよりは、くだんの彼は、もしかすると。ムカついているのではなくて・・・ほんとうは「傷ついた」のでありましょう。ゆげゆげゆげゆげゆげー ( ´▽`) ♪ ****************************************「俺との会話中に洗濯物のこと気にするのは、オバさんっぽいし、失礼だ!」「はぁ?あなたの話がもっと楽しければ洗濯物のことなんて思い出しませんけど!?」どんなものごとも。相手のせいにしてしまうと、たいてい喧嘩になりますね(笑)相手にせいにしてしまうかぎり、人は変わることはできないのだろうと思います。 夫婦でも、家族でも、友人でも、会社の人間関係でも、どんな人間関係でも。「誰かのせいにしないこと」や「言い訳をしないこと」って、素敵です。けれどこれは、とても むずかしい。常にそれを本当に実践しようと思ったら、一筋縄ではいかない。ご機嫌のよい時なら、意外と簡単なのです。どんな時にも そうあれるか。というむずかしさ。ほろ苦いカラメルのフレンチトーストとコーヒーの相性は最高。ほうじ茶でも敵いません。 ****************************************洗濯物に負けてしまった彼の前には、いま、2つの道がある。このままでいい。相手が悪い、と思い続ける道か。目の前の自分に集中してもらえるような話のできる男になろうと、相手ではなく自分が変わろう、と思う道か。目の前の女性は、あなたにそれを教えてくれた人。たとえ 多少「オバさんっぽくて色気がなく」ても、あなたがもっと素敵に変われるかもしれないかけがえのないチャンスをくれた人 ( ´▽`)ノ **************************************洗濯物の乾き具合を心配している女性に「それは心配だね。」「ぬれるのめっちゃ嫌だよね!わかる!」と言える男性は、きっととても「いい男」だし、お洗濯をしたことのある男、だ。家事に対する意識の高い、優しくて素敵な人。もっとお話ししていたい人で、また会いたいと思える人。洗濯物を心配する気持ちをわかってくれるパートナーと暮らすことは、ちょっとしたことですけれど、こういうことこそが「夫婦の相性」というか、その夫婦が幸せであるかどうか、というか、 この人と老後も一緒に居られるかどうか、というか、このくらい壮大な話にも、やがて発展する。「わかってくれた」「わかろうとしてくれた」という気持ちのあたたかさって・・・「愛」と同じか、むしろそれ以上なのでは、と、わたし、いつも、思うのです。人はそんなに強くない。 そこを目指してゆけるか、わかり合おうとしてゆけるか、小さな愛を2人で育ててゆけるかどうか、を わたしたちは。いつもこうして試されているのかもしれませんね。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ 1日降り続いた雨が上がりました ( ´▽`)にほんブログ村↓ 昨日乾かなかった洗濯物と、今日の山盛りの洗濯物・・・にほんブログ村↓ めっちゃ工夫しながら大量に干して・・・コーヒーでひと休みです。にほんブログ村いつもポチッと応援してくださって、ありがとう ( ´▽`)読者登録をしてくださっている1127名もの皆さま・・・更新を楽しみに待っていて下さるお気持ち、とても嬉しいです。いつもありがとう ( ´▽`)ノ:
2021.03.21
やさしい人が好き、と。また、やさしい人になりたい、と。自分でそう思ったり。やさしい人になりなさい!と親や先生や周りの大人からそう言われたり。やさしい、って、何だろう。 なんか、このままではちょっとさみしいような気がしました。がらーん の野菜室を、ごそごそ。 **************************************やさしい人になれ!と。そうたしかに命令してきた大人に、とても不安な時や、とてもつらい出来事のあった時に、「このことがとても不安なんだ」とか「今、とてもつらいんだ」と打ち明けたら、やさしく寄り添ってくれるのかと思いきや、「そんなこと、みんな一緒だ!」 とか「泣きごとを言うな!!!」 みたいに一蹴されて、びっくりして涙も止まるわ!! ( ;∀;) みたいなことって。生きていたら、どなたさまにも きっと一度や二度のご経験があるかもしれませんね。春の付け合わせのサラダには「スナップえんどう」がよく似合います ( ´▽`) ***************************************ぜんぜんやさしくない人から、「人にはやさしくしなさい」なんて指示されると、「うっせぇわ」という気持ちになりますね。「うっせぇわ」というタイトルの、いまとても注目を集めている曲のことは少し前から聞き知っていました。 あなたが思うより健康です 一切合切凡庸な あなたじゃ分からない かもね 頭の出来が違うので 問題はナシ噂に聞いていたような、荒々しく乱暴な言葉遣いの、子どもに聞かせたくない歌、というイメージよりは、とても瑞々しく、そしてどこまでも繊細な、もうわたしには知り得ようもない、若さ迸る感性の歌詞に、すずひは圧倒されました。わかったようなことを言う大人が。わかったようなことを言いたいばっかりの大人が、ね。「それ知ってる」と。思わず言いたくなるようなキャッチーな歌詞が含まれているんですけれど。「それ知ってる!」などと。何もわかっていない大人が迂闊に言おうものなら、ほうら、やっぱりそう言った www と、せせら笑われてしまうんだろうな ( ´▽`)それこそまさに「うっせぇわ」なんだろうな、というような。この日はここに「チキンステーキ」でした。お肉が焼けるまで、ここで待機、です。 **************************************やさしいって、何だろう。たとえば街や電車の中で見かけたり出くわしたりしたちょっととんでもない人だって。どうしてそんなに不機嫌なんだろう、という店員さんだって。生まれた時からそんな人だったわけじゃない。いつもいつもそんな人なわけじゃない。その時の、その日の、その瞬間の、その人だけの事情がある。人生には、それぞれの背景があります。家族やパートナーにだって、わたしたちは、本当の自分の姿をいつもいつも全てさらけ出せているわけではないでしょう?誰にも見せない顔が、誰にだってある。そこを知ったかぶらないことは、冷たいことなのか、やさしいことなのか。わからないことを、わからないままで、そっとしておくのは、冷たいことなのか。やさしいことなのか。相手の気持ちを「わかったふり」したくなるのは、わからない自分に自分が耐えられなくて逃げたいだけなのだ、ということを、自分勝手なだけなのだ、ということを、それをわかっているだけで、人は「やさしく」なれるのかもしれません。 ************************************* 心の中が悲しみでいっぱいの時も、笑顔でいようとすることは、強いことなのかな。 泣いている人が弱くて、笑っている人が強いわけではない。 表面だけでは、何もわからない。だから気持ちを想像する。そっと想像する。 こちらが知りたくたって、 お相手にとっては話したくない時もありますものね。 そっと相手の背景を思いやる。 目に見えないやさしさって、言葉をかけることなんかよりも、本当は、ずっと、ずっと、ずっと むずかしい。 お相手にもっとできたのじゃないかと 後悔することってあるわよね。 大丈夫、 そんな気持ちをもってるだけで、 充分お相手に伝わってるわよ。 そんな後悔してくれる人なんて、 そうそういないんだから。 精神科医Tomy先生のTwitterより お相手の気持ちを何もかもわかることなんて、できない。それでも、こちらの気持ちを精一杯に想像してくれる人は本当にやさしい人なのだと思います。 誰かの気持ちを精一杯に想像して、けれど何もできなくて、何も言えなくて、その人のことが大好きで、大好きなのに、ただ遠く離れた場所で泣いてしまうことしかできなくても、その涙が、どんな言葉よりも「やさしい」ものであったらいいのに、とああ、神さま、そうあってくれたらいいのに、と。とても思うのです。どんなときも、あなたが大好きですし、どんなときも、遠くの空の下で、応援しています。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。にほんブログ村:
2021.03.08
さよならしようと思うのです。にほんブログ村の「ミニマリスト」というカテゴリから、です。まるでブログをさよならすのるかと驚かせてしまうようなタイトルでしたね。ごめんなさいね。50歳になったら さよならしようと。「卒業しよう」と決めています。だから、あと1週間ですね ( ´▽`)ノ 2016年にブログ村に登録させていただいてから、わたしはこれまでカテゴリを変更したことは一切なく、だからこれは「すずひ」始まって以来初のことです。 ***************************************「ミニマリスト」のカテゴリで過ごさせていただいて嬉しかったことは。kotoさんに出会えたこと。なんども優しく励ましていただいたこと。 くらためちゃんがずっと仲良くしてくださったこと。ときどき「アンサーブログ」を書いてくれたこと、とっても嬉しかったなあ ( ´▽`)彼の「ご飯を美味しそうに食べる顔が好き!」とか、あと「ソング集」も、ね!「全く逆のタイプ」の、「ないものを持ったもの同士」の、「人生で出会ったことのないタイプ」の(もういい?・笑)ゆうこちゃんから、たくさんの気づきをいただいたことも。ブログを書くというライフスタイルと真正面から向き合う中で起こった出来事は、わたしにとって、ここでしか得られない、とてもかけがえのない「大切な学び」でした。楽天ブログのお仲間の YASUKOさんも、Q輔さんも、このカテゴリにいたからこそ、わたしを見つけてくださったのかもしれません。そして、本を出版させていただけたこと。あの時わたしが勇気を出すことができたのは、ずっと応援し続けてくれた、ブログの読者さまが、あなたがいてくださったおかげです。少し前に、ね。「半年くらい(か、無期限で)ブログ休みます」みたいな日記を実は。 人知れず書き上げていたのです。もうほんとのほんとに公開しよう、という寸前で、あれ?なんか違うわ。そうじゃないわ、と自分の本当の気持ちと違っていることに気づいて。書くことを休みたいんじゃなくて、ここを卒業したいんだな、と。このカテゴリでたくさんのことを学んで、もう、ここで叶えたかった夢を、わたしは充分に叶えさせてもらえましたから (;_;) ***************************************これまで200年以上も続いたとされる「地の時代」に別れを告げ、2020年の年末から始まったばかりの「風の時代」は、心や魂の夜明けの時代だといわれているのだそうです。 「自分の本当の気持ちに素直になること」や、「やりたくないことを勇気をもってやめてゆくこと」や、「今の自分と合わなくなったものを手放してゆくこと」や、「学びの終わった関係を感謝をもって卒業しこれからの人生に大切なご縁だけが残ってゆくこと」や、「新しくやりたいことをどんどんやってゆくこと」や、「自分が自分らしく生きることを自分にゆるす」そういう変化が加速してゆく時代、なのだそう。 その流れにのって、軽やかな風のように自由に変わってゆく人と、じっと動かない地の時代の価値観を手放せない人とで、幸せの実感に「二極化」が生まれてしまう・・・そういう時代なのだそうなのです。読者さまも、色々なところで、このようなたぐいのお話に触れられる機会って・・・ここ最近、きっとおありだったのではないかな ( ´▽`)? *************************************** 風の時代がどんな時代なのかっていう解釈はとてもたくさんあるのですけれど、 ジャッジしたり、自分を必死で正当化したり、誰かと自分を比べたり、競ったり、粗探しをしたり、足を引っぱったり、どっちが正しいか裁き合ったりするのは、それはこれまでの、すなわち旧の時代の、地の時代までの、ちょっと「古い」、そしてとても「ダサい」やりかたで・・・ 比べたり競ったり争ったりすることも、それによって人はものすごく成長することもあるし、もちろん決して悪いことばかりではないのだけれど、もうそろそろ、そういうの、やめようね。 みんなが気持ちよく生きられる、 お互いの素晴らしさをもっと認め合える世の中に、これからは してゆこうね。 風の時代って、そういう時代なんじゃないかな? というあるとき目にした素敵なブロガーさんの解釈に・・・すずひは、心打たれました。 *************************************** とってもいい時代だな、と感じたのです。「色々な価値観を認め合おう!」 や「それぞれの素晴らしさに気づこう!」 って、とびきり耳ざわりの良い、美しき理想なのですが・・・生きていれば。実際には。 生身の人間にとっては。これって、そうそう容易いことではないでしょう?けれど、 わたしもようやく、本当にようやく、ようやくその「スタート地点」まで、たどり着くことができたのかもしれません。 わたしはこの「ミニマリスト」カテゴリに。ミニマリスト・パワーブロガーさんが最も多く集うこのカテゴリに身を置くことに、とても執着していたと思います。それを素直に認めて、そして手放そう。 じっと根をはって動かないのは、地の時代でおしまい。風のように、ふわりと卒業しよう。何かが終わるときは、何かが新しく始まるとき。慣れ親しんだ場所を離れることは、やっぱりちょっと怖いですけれど ( ´▽`) ****************************************わたしがこうして変われたのは。本当に未熟なところだらけの、わたしブログの。ずっと読者さまでいてくださった、あなたのおかげです。 これからのわたしにふさわしいカテゴリは、どこかな?他にはどんなカテゴリがあるのかな? きのうね、初めていろいろ見て回ったの。 (それをしたこともないくらい、一途だったのよ。)まるでお引越し前の、わくわくの、春から新しく暮らす物件を探すような気持ちになりました。「ミニマルライフ(持たない暮らし)」というカテゴリで、大好きなブロガーさんのおにぎりのアイコンを発見し、思わず喜ぶすずひ。大好きな服のことや靴のことを、もっともっと思いきり書けるような、「ファッション」のカテゴリにも挑戦してみたいな。ものを減らすことや片付け。物質的なことの変化のその先にある、心の変化。「片付けと心の関係のお話」も、もっとしてみたい。50代の先輩方の集う「50代の生き方」のカテゴリも、とても素敵でした。この先 夫婦2人になる未来がやってきたなら・・・ミニマル初老夫婦の老後のお話をできる日もくるのかな? と。「ミニマリスト」のカテゴリを飛び出して、新しいステージで挑戦してみよう!のびのびと、わたしらしく進んでゆこう!まだ見ぬ素敵な出会いだって、あるのかもしれません。 ***************************************もっと短く書きたかったのに、長くなっちゃいましたね。誰も知らなかったわたしのブログを、あなたが見つけてくださったカテゴリ。あなたがわたしを初めて見つけてくれた「ミニマリスト」のカテゴリ。本当に大好きな、大切な居場所だったから、何か辛いことがあったり、嫌なことがあって、それを理由にここから逃げ出すような中途半端な去り方だけは、わたしは絶対にしたくなかったのです。全てのことに 心から感謝できた今だから。心からの「ありがとう」の気持ちで、ここを卒業できる。4年半、ありがとう。こんな気持ちになれたのは、あなたがあの日、わたしを見つけてくださったおかげ。そして今日まで支えてくださったおかげです。本当に、ありがとうね ( ´▽`)ノ すずひ↓ すずひの決心のお話をお読みくださったあなたに・・・心から、ありがとう。にほんブログ村立春の日に決めたことなのです。立春の日に決めたことや心に描いたことは、とんでもない力を発揮するって・・・本当かな!? 読者登録をしてくださっている1017名もの皆さま・・・いつもありがとう。すずひの新しいスタートを応援していただけたなら・・・うれしいです :
2021.02.05
幸せな成功者さんのおっしゃることには。たとえば あるご夫婦があったとして。旦那さんが「いい夫」であるか奥さんが「いい奥さん」であるかは、パートナーがどんどんかっこよくなってゆくか。パートナーがどんどんキレイになってゆくか。で、分かっちゃうのだそうです。 年末にとても欲しくなった食器があったことを、もはやすっかり忘れていることに気づく今日。 ***************************************人というのは、基本的に。「ネガティブ」なことの方が覚えていられるそうなのです。3日前のお昼に何食べたっけ?は思い出せなくても、たとえばそれが「カレーうどん」で、それが「とっても美味しかった!」というだけでは意外とすぐに忘れちゃうそうなのですが、「そのカレーうどんのおつゆがお気に入りのシャツに飛んだ」という場合は人は「3日」はおろか、何年経とうと覚えていられるのだそうです。忘れようにも忘れられないのだそうです。確かに!! (笑)おっと話がそれました。 戻しましょう。直近の最後に買った食器はこちらです(2019年9月)。直近が、1年4ヶ月前!(笑) ***************************************パートナーがどんどんかっこよくなってゆくか。パートナーがどんどんキレイになってゆくか。この言葉の素敵なところは、「もともとの器量や容姿がどうであるか」は関係なく。「他の誰かと比べて」というお話なのでもなく。「外見や見た目の話」なのでもなく。ある時点のその人と比較して、より素敵な人となっているかどうか、なのだ、というところ。また(残念ながら)その反対と感じるかどうかというお話なのだ、というところ。自分自身を振り返ってみて。あるいはパートナーをじっと眺めて。果たして一体どう感じるでしょう、というところ。もうね、これは。究極的な身内贔屓でも構わないのだろうとわたしは思うのです。その判断を、パートナーと本人さんだけに委ねることの許される世界。ちょっとだけわざと残しておいたラタトゥイユは翌朝のご馳走。朝が楽しみになる残り物(笑) ***************************************「うちの旦那さん、年々かっこよくなってゆくわ」「うちの奥さんって、どんどん可愛くなってゆくよな」口に出す出さないは別として。互いの思いというのは、いつも一緒におりますれば、何気ない会話に、表情に、そして眼差しにあらわれます。自分が相手からどう思われているか、どう扱われているかを知るのに、「眼差し」というのは・・・ときに言葉以上。たとえ罵倒し合ったことが1度もなくたって。「大きなため息」と「冷たい眼差し」だけで、相手の心を深く傷つけることはできますから。たとえば 旦那さんのお腹がちょっとどころではなく出てきても。奥さんに、年齢による様々な生物学的変化が生じても。そういう美的基準とは関係なく。もちろんちょっとは関係するんでしょうけれど(汗)そこはおそらくあまり重要ではなく・・・パートナーとの心の距離が。年を追うごとに確かな結びつきとなってゆくのか、少しずつ離れていってしまうのか、ということなのかもしれません。長年連れ添って、古キズも好きになる。「食器」も「夫婦」も、そうあれたら素敵ですね。 ****************************************そんな、本来夫婦間でしかわからない極めてパーソナルなことが、どうして傍目にわかるの? といったら「どんどんかっこよくなってゆくか。」「どんどんキレイになってゆくか。」で、分かっちゃうのだよ! ということなのですから。心の充実度や満足度というのは、それが「真実」であるならば (←ここ!)その人の顔に、姿に、振る舞いに、雰囲気に・・・「黙っていても滲み出てしまう」ということなのでありましょう。 **************************************人というのは、基本的に、「ネガティブ」なことの方が覚えていられるそうです。つらいできごとや、愛するものを失ったできごとというのは、ネガティブなことに他ならないのだけれど。その経験が、やがて大切な誰かのために、今、真っただ中にいる人の役に立つことができたとき、その意味合いが変わることがあるのだ、ということをわたしは知りました。わたしにこの経験がなければ、その悲しみを理解することはできなかった。本当の意味で気持ちに寄り添うことはできなかった。気持ちをわかる「ふり」、寄り添う「ふり」しか、きっと、できなかっただろう。あの経験があったから、今のわたしがある。心の底からそう思えることで・・・「氷のようなネガティブな記憶」は、自分の人生になくてはならない「大切な記憶」となってゆく。わたしの大切な一部、となってゆく。いえ、なっていた。ああ、悲しいできごとは、長い時間をかけて、わたしの中でこうなってくれていたんだなあ、と。クロワッサンを美味しく見せてくれる白いお皿。大きなお皿は「パンくず飛び散り対策」にも。 ************************************** 人に声をかけるときは、「あんなときの自分にほしかった言葉」を考えてかけるといいわ。 逆に考えれば、「あんなときの自分」が沢山あれば、いいアドバイスができる。 精神科医Tomy先生のTwitterのお言葉より元気で可愛い大人気ブロガーさんが。「本当に幸せな人って幸せってアピールしないよね」と仰っていて。ああ、本当にその通りですね。幸せって、声高に叫ぶことではなく、誰かにアピールすることでもなく、黙っていても、それこそむしろバレないように隠そうとしたって「自然とにじみ出てしまう匂い」 のようなものなのだと思います。それは「自信」と、どこか似たものなのかもしれません。 幸せな成功者さんたちは、それをご存知なのでしょう。「どんどんかっこよくなってゆくか。」「どんどんキレイになってゆくか。」幸せも自信も、そういう形で顕在化してしまうのだよ。隠しても無駄だよ、滲み出ちゃうんだから、と。この数がちょうどいい。服の数の「適正数」とも・・・そういえば似ています。 ***************************************いつもいつも順風満帆なことだけが幸せなのではなく。その時はまったく幸せとは思えなかったりむしろとても辛かったり苦しかったのだとしても。怒りに震えたり、涙が止まらない夜があったとしても。いろんなことが起こって、それを受け入れて、乗り越えて、わたしたちは生きている。それがいつか「大切な記憶」「その人の一部」となった時・・・その経験で得た何かが、やがて自然とにじみ出てしまった時・・・「なんかかっこいい」とか、「なんかきれい」とか、それはそういう「匂い」として、ふわりと伝わるものなのかもしれません。このエプロンもまもなく1年です。ダメになったなら、また同じのをわたしは買うと思います。 **************************************カレーうどんのおつゆが新品のシャツに飛んで、しばし咽び泣いたとして。それを機に本気でシミ抜きの方法を調べたり、「クリーニング屋さんに駆け込む」だっていい。ちゃんときれいにすることができたなら。「シャツにカレーが飛んだネガティブな思い出」は、「カレーのシミなどもう怖くないぞ!」という自信へと姿を変え、カレーうどんの味をすっかり忘れてしまったその後も、脳裏に刻まれ続けるのでありましょう。カレーうどんのせいで!カレーうどんを許さない!絶対に忘れるもんか!!! と。鬱々と恨み続け、自分をずっと苦しめるのではなく・・・ね ( ´▽`)ノ ****************************************起こってしまったできごとには きっと。本当は「良い」も「悪い」もなくて。どんな風に記憶するかは。そこにどんな意味を持たせてゆくのかは。いつも わたしの。 そして あなたの。「心の方向」「捉え方の方向」次第、なのかもしれませんね。これからの時代は、幸せの実感も「二極化」してゆくと言われます。「いい眼差し」になってゆけるかゆかけないか、の、これは大きな「分かれ道」。自分で選ぶことのできる、暮らしのいたるところに存在する「チャンス」。とても大切な分かれ道、なのでありましょう。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ カレーと同じくらいトマトソースも飛ぶよね ヽ(;▽;)ノ のポチッと、ありがとう。にほんブログ村食べている時よりも「作っているとき」によく飛ぶのがトマトソースな気がします。ふつふつと沸いてきたときが最も危険で、袖口めがけて、めっちゃ飛んでくるよね!読者登録をしてくださっている1013名ものみなさま・・・いつもありがとう。あなたとあなたの大切な人が、今日もどうか安全に、そしてお健やかにお過ごしになれますように・・・ :
2021.01.27
今日ね。わたしの大切なお友達からメールがきてね。それは。「メールでもいいから、 すずひちゃんと、お喋りしたくなったの。」という とてもうれしいお言葉から始まる、ここしばらく会えなかった間の、何気ない近況を報告をしてくれるようないつもの彼女の楽しいメールで、ね。ここはカフェではありません ( ´▽`)ノ 4ヶ月に一度の「歯科検診」にゆきました。 *************************************そうしたら、それは本当は「嘘っこ」で。わたしがそのメールのお返事をまだ書き終わらないうちにもう1通「追記」のメールが来てね。そっちが「本物」だったのです。天井を見上げなから待つのです。 ずっと見ていられる、大好きな天井なのです。 ****************************************彼女と彼女のお嬢さんが。動物愛する優しいお2人が保護して。大切に 大切に 大切に、家族の一員として愛して、うんと愛して、ずっと大切に一緒に暮らしてきた「わんこ」が。わたしも大好きだった可愛いわんこが。「昨日、天国に旅立った」 って。 **************************************すずひちゃんが。「亡くなったお父さんも、ななも、今も心の中に生きている」って。「いつもそばにいてくれる」って。いつかそう話してくれたことを思い出したの。 と。今、耐えがたい喪失感と、辛くて、悲しくてたまらない気持ちに押しつぶされそうなのだけれど・・・どうすれば、愛するものの「死」を。私もいつかそんな風に思えるようになれるのかな、と。 *************************************会いたかった。会って彼女を抱きしめたいし、悲しみに寄り添いたいし、わんこにお別れのお花を手向けたかったし、たまらない気持ちになって 涙が出たけれど。わたしの知っていることを、一生懸命メールしました。サンダルで行くつもりでしたが、この日は朝から、静かな雨降りの日となりました。 ***************************************つらい出来事は。その時には とてもつらくて。どうしてこんな目にあわなければならないのだろう、ととても悲しくなるけれど。大切な人に悲しいことが起こったときに。いちばん悲しいときにわたしを思い出してくれて。わたしの知っていることが、その悲しみの中で、なにか少しでも役に立つのなら。彼女を悲しみの淵から救うなんて、そんな大きなことは滅相も無いことだけれど。悲しみの暗闇の中に灯る、ほんの小さな「灯り」になることができたなら。わたしが、いま、雨の日の足元にしょんぼりしないでいられるようになれたのは・・・・ ****************************************生きていると。悲しい目に遭うなんて、まっぴらだ!!「楽しいこと」ばっかりがいいに決まってる!嬉しいことだけが起こればいいのに!って。いつもいつもそう思ってしまいがちだけれど。「晴れの日ばかりがいい!!!!」それが幸せなのに決まってる!!そう思ってしまいがちだけれど。「雨の日にとても大変な思いをする出来事が起こってくれたおかげ」だったのでした。 ****************************************その経験が、いつか。誰かの暗闇を照らす小さな「灯」になれることが もしも あるのなら。大切な人を支える小さな「灯り」になりうることがあるのなら。これまで流した、どんな涙も。胸をえぐられるような 悲しみも。なにひとつ無駄ではなかったんだ、と。かけがえのない経験だったのだ、と。心の底からそう思えてね。そんな自分に、今。とてもびっくりしているのです。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。にほんブログ村彼女のわんこは天国で。きっと「なな」をすぐに見つけ・・・仲良しになってくれているかな。読者登録をしてくださっている1013名もの皆さま・・・いつもありがとう。更新を待ってくださって、ありがとうね。あなたとあなたの大切な人が、毎日をどうか安全に、そしてお健やかにお過ごしになれますように・・・ :
2021.01.25
こんなタイトルの日記ですが、けっして意地悪な日記ではありません。どうぞ安心してお読みすすめいただけたら、と思います。 ***************************************いつも唸るのです。唸って、「どきーっ!」ってなりました。今週の「しいたけ.占い」が、すごかった。フレンチトーストを仕込む朝。フランス食パンが残った時だけのおたのしみ ♪( ´▽`) *************************************** ちょっと変な話をしたいのですが、 クリエイターとかアーティストが 自分の作品を作っていく際に、 2つの燃料を必要とするかもしれないのです。 その2つとは「自分の好きな作品と、嫌いな作品」です。 自分の嫌いな作品って、ネガティブなものではなくて 「私だったらそうしないぜ」という気持ちも出てくるし、 「本物の作品がどういうものなのか教えてあげるよ」みたいに、 自分にとって重要な燃料源になったりします。 ※ 今週の VOGUE GIRL「しいたけ.占い・水瓶座」からの抜粋ですいつも唸るのです。唸って、そして今週は、「どきーっ!」ってなりました。ブログを書く人々にも、どこか同じところがあるように思ったからです。「好きなブログ」と「嫌いなブログ」。「好きな食べ物」と「嫌いな食べ物」みたいに、「好きな映画」と「嫌いな映画」みたいに、「好きな選手」と「嫌いな選手」みたいに、「好きな声」と「嫌いな声」みたいに、「好きな匂い」と「嫌いな匂い」みたいに。どなたさまにもきっとおありだと思うのです。書き手さんの側も、もちろんそうなのだと思います。ブログに限らなくとも、インスタでも、YouTubeでも、Twitterでも、なんでも。やさしいブログを書こうと思う時。何かをジャッジしてはいけないのだ、ということに気づきました。「想いや考えを述べること」と「ジャッジ」とは、混同してしまいがちですが、全く違うんです。けれどもそこが、とてもとても難しい。わたしのその日1日の幸せ度というのは、午前中で、ほぼ「朝食」で決まります。 ***************************************その言葉は。外側にある何かや、特定の誰かや、見聞きしたことに対するジャッジや批判なのか。それとも、自分の内側から純粋に生まれ出てきたものなのか。全然違う温度で伝わるのだな、ということ。自分のしていることを正当化しようと思うと、どうしても表現は「ジャッジ」に傾くのだ、ということも。書いていても、読んでいても、この頃は、とてもよく気づく。 **************************************簡単なことではないのです。ジャッジをしないわたしになろう、とまず思うこと。失敗しても、がっかりしないで、今度は気をつけよう、と、自分を励まし続けること。幸福度の高い人の寝具は「白」であることが、実はとても多いです。(すずひ調べ)やっぱり「白」は、よく眠れるのかな? ****************************************いい人生ってなんだろう、と思う時。自分という人間を、昨日よりも今日、今日よりも明日、「よりよくしてゆくこと」だと思うのです。今日1日、何もせず、ただ時間だけが過ぎる中で何かをジャッジするよりも、自分の理想や、目指す何かに向かって、ほんの少しでもいいから動くこと、変わろうとすること、だと思うのです。そして幸福度の高い人の朝の目覚ましは、スマホのアラーム機能でなく、昔ながらの「目覚まし時計」であることが多いです。そして実際には、鳴る前に自然と目が覚めて止めちゃうことが多いそうです (すずひ調べ) ****************************************美味しい朝食は、わたしの場合。今日をいい1日にするぞ! きっといい1日になるぞ! という気持ちが自ずと高まります。「しみろー、しみろー、しみろー」と 呪い 祈りながら、フォークでめった刺し(笑)バターでこんがり焼いたなら、仕上げはしっかりとお砂糖で「キャラメリゼ」します! ***************************************どんな分野にも、先に築き上げた人が必ずいて、そこに風穴を空けるとするなら、これまでとは違う方法を果敢に試みたり、否定や批判されることに立ち向かう度胸と覚悟と、勇気を持って突き進む「情熱の炎」のようなものが必要で。その情熱の炎を燃やし続けるには「燃料」が必要で。好きな作品だけでも、嫌いな作品だけでも、燃料にはならなくて。その両方があるからこそ、人は何かを生み出すことができるのかもしれません。「なぜ好きなのか」と同じくらいに、「なぜ嫌いなのか」にこそ、むしろ大きな学びがある。ものを選ぶときもそう。 人と対峙するときもそう。どちらも同じように、大切な感情なんだ。それは、自分自身の心の奥底の深淵を覗き込むようなとても恐ろしいことではあるのだけれど・・・「好き」と「嫌い」。「好き」はいいもん。「嫌い」は悪もん。みたいにされがちだけれど。どちらもなくてはならない、とても大切な感情なんだな。「好きな人」と「嫌いな人」。どちらもなくてはならない、とても大切な人なんだな。「好きな自分」と「嫌いな自分」も。どちらもなくてはならない、とても大切な自分、なんだな。1歩、また1歩、わたしが歩んでゆくための大切な 大切な「燃料」なんだな。 おわり今日もお読みくださって、ありがとう。↓ 「よい1日にしようね!」「よい焼き色ね!」のポチッと・・・ありがとう!!にほんブログ村今日が昨日よりも、明日が今日よりも、「より良い1日」となりますように ( ´▽`)ノ 読者登録をしてくださっている1010名ものみなさま・・・いつもありがとう。あなたとあなたの大切な人が、毎日どうか安全に、そしてお健やかにお過ごしになれますよう・・・ :
2021.01.19
今日のご挨拶は、まずこれを申し上げさせてください!2021お正月!! みなさま、お疲れさまでした (´;Д;`)!わたしのブログを読んでくださる方の多くは、おそらく家庭における家事の大部分を、たった一人で背負っておられる方、のような、お手伝いはしてもらえることがあっても、お正月休みの間の家事は。やはりそのほとんどをメインで背負ったさ!!というような。ああ、お疲れさまでした (´;Д;`)!!みなさん、本当によく頑張られましたね (´;Д;`)!ごはん、みんな、何回作ったの (´;Д;`) ?すずひも、今年はとてもよく頑張れたと思います!穏やかな気持ちで「全てのご飯」を作れたことに、たったいま気づきました。こんなこと、結婚以来初めてだったかもしれません。奇跡です。「な、な、なんなんだ! この くそ 寒そうな足元は!!!!」 ***************************************おとーさんは、かわいそうに、昨日の夕方頃から前日までの元気は明らかに失われ、あまりしゃべらなくなり、笑顔も消え、しまいには銅像のようになり・・・・今朝は小さなお弁当を持って、しょんぼりと出勤してゆきました。これって、仕事を好きだとか嫌いだとかやり甲斐がどうだとか云々ということよりも、単純に「家が大好き」なのだと思います。長いお休みの毎日が、ただただ幸せで、我が家の居心地が良かった。お休みが、あっという間に終わっちゃった (;_;)もっとお家に居たかった、という気持ち。これは、このパンツを買った日に撮った写真です。まだ暑かった頃の出来事でした。わたし、嬉しすぎて・・・包んでもらわず、試着のまま、穿いたまま家に帰ってきたのです。↓ ネイルはどんなに浮気してもこれに戻ります。今はもうこれ「だけ」、です。アディクション ADDICTION ザネイルポリッシュ 12ml #023C Private Jet プライベートジェット[ マニキュア ]☆再入荷 ***************************************そのお休みが長ければ長いほど、楽しければ楽しかったほど、最終日というのは悲しいのかもしれませんね。出勤してしまえばキリッとカッコよく働くからこそ、の「最終日の絶望」を、ゆるそう。 額に汗して働く姿は尊い。 だがいつまでも額に汗して働くのは 知恵のない話である。 それは東海道を、 汽車にも乗らず、やはり昔と同じように テクテク歩いている姿に等しい。 東海道五十三次も徒歩から駕籠へ、 駕籠から汽車へ、そして汽車から飛行機へと、 日を追って進みつつある。 それは、日とともに、 人の額の汗が少なくなる姿である。 そしてそこに、 人間生活の進歩の跡が見られるのではあるまいか。 人より一時間、よけいに働くことは尊い。 努力である。 勤勉である。 だが、今までよりも一時間少なく働いて、 今まで以上の成果をあげることも、また尊い。 そこに人間の働き方の進歩があるのではなかろうか。 それは創意がなくてはできない。 くふうがなくてはできない。 働くことは尊いが、 その働きにくふうがほしいのである。 創意がほしいのである。 額に汗することを称えるのもいいが、 額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう。 怠けろというのではない。 楽をするくふうをしろというのである。 楽々と働いて、 なおすばらしい成果があげられる働き方を、 おたがいにもっとくふうしたいというのである。 そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう。 「道をひらく / 松下幸之助」より額に汗して働くのも素晴らしいが、「楽をするくふうをしろ」と。楽々と働いて、なおすばらしい成果があげられる働き方をお互いに「くふう」しなさい、と。これは家事にも言えることなのかもしれませんね。松下幸之助さんは、働くすべての人の味方、なんだな(;_;)まだ試せていないけれど、スニーカーにも、こんなイメージで合うことでしょう。 ****************************************年末年始。今年のお正月の長い長いお休み。24回くらいのご飯の支度があったのだと思います。一度も外食することなく、ご飯を作れたことに。「穏やかな気持ち」で全てのご飯作れたことに、たったいま気づきました。わたしは 一度もイライラしなかった。家族の長いお休みが、わたしは昔は苦手で苦手で、自分の時間が奪われたような、自分だけお休みがないような、わたしだけ被害者のような、いつもそんな気持ちでいたのです。そういう日記も、だからこれまでたくさん書いたよね。お休みが終わった途端「今日から自由だー!!」と。お墓まいりの日にもパンツを穿きました。 長靴にもとってもよく合いました。 ***************************************このお正月。わたしがイライラしなかったのは。どういう心境の変化かわからないのだけど、わたしは「慣れた」のかもしれない。「自分の自由な時間がないこと」は誰のせいでもなく、それが半ば強制的に引き起こったのが「2020」。どなたさまにとっても大きな転換期だった「2020」。一人でいられる時間も、そうでない時間も、わたしはわたしのペースで、自分が心地よくいられるための「心の持ちよう」を知らず知らずのうちに、身につけることができたのかもしれない。わたしは「長年の苦手」を克服することができたのだ。年明け早々、不安なニュースばかりですが、コロナ禍における、唯一の、わたしにとってのこれは「賜物」なのかもしれないな。パンツを買った頃の写真をスクロールしていたら、窓辺に置かれたEちゃんの可愛いバッグの懐かしい写真が出てきました。コロナの前にランチに出かけたこのお店は、今も無事であってくれるのだろうか。大好きだったフレンチのお店は、とんかつ屋さんに替わってしまっていました。自由がないことには慣れたけれど、まだ「慣れないこと」がある。お友だちと以前のように会えなくなってしまったこと。時間が止まってしまったような気持ち。止まったことで生まれた、ほんのちょっと会えたときの爆発的な嬉しさも、けれどわたしは知りました。再び会える日までの時間をどう過ごそうか。その時どんな自分でありたいか。大切な友と会えることを想像するだけで、心はちょっとだけ上向くのです。次に会うときまでにやれることって、いくらだってあります。会えない間こそ、今こそもっともっと自分を磨こう!!って、ね!おばあちゃんになってからも、ずっと仲良しでいられるように。「無理してまで(そこまでして)会いたくない人」 「自分の本心を偽って頑張って合わせてきた人」「しんどい関係性」そういう存在が、どなたさまの心の中にも少なからずあることが、恐ろしくもはっきりと浮き彫りになった今。「またこの人に会いたい!」「ちょっとでもいいからお話したい!」「大好き!!」人間として。互いにどれだけ興味を持てるか。一緒にいるとホッとできるか。 安らげるか。そして「尊敬」できるか。大人になってからの人間関係って、これが本当に大切になる。人はみな「優しい人」のそばにいたいのです。そう思ってもらえるかどうかも、誰のせいでもなく。いつも「自分次第」なんだ。家庭内における自分の自由時間や、ひとりの時間がなくなることが恐怖だった「古いわたし」は。そこに怯えるわたしは、2021年、もう いません。いえ、まだちょっとはいるのだとは思うのだけれど、だいぶ 弱体化しました(笑)これを「無きもの」に、「わたしの人生にはもう必要のないもの」として、静かに「一捨」できるときが訪れた時・・・わたしはわたしの「道」を。 またひとつ、ひらくことができるのかもしれません。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ いつもポチッとしてくださって ありがとう。にほんブログ村会うことをずっと我慢している方が、読者さまにもきっといらっしゃることでしょう。あなたが、あなたの会いたい方と、誰憚ることなく会える日の来ることを・・・祈っています。読者登録をしてくださっている987名もの皆さま・・・いつもありがとう!今日もここで会えました。うれしいです ( ´▽`)ノ :
2021.01.06
今日は「パンツ」をはきました。 お墓参りに行く日だからです。 人に声をかけるときは、 「あんなときの自分にほしかった言葉」 を考えてかけるといいわ。 逆に考えれば、 「あんなときの自分」が沢山あれば いいアドバイスができる。ほんとね。 自分の領域は自分で決めなきゃいけないわ。 他人が自分の領域に口を出してきて、 その通りにしても、 彼らはまた不満を言ってくるの。 自分で決めたほうが他人は不満を言わないわ。その通りにしても彼らはまた不満を言ってくる。ほんと、そうだと思う (;_;) 身の程を知るって、 自分を蔑むことじゃないのよね。 自分にできること、できないことを知って 謙虚に生きること。 これができないと無謀になり、 自分を傷つけることになるのよ。あああああー (;_;)ああ、Tomy先生、ほんとそうですね (;_;) ※ 引用は、全て 精神科医Tomy先生のTwitterのお言葉です。↓ これまでのたくさんのお言葉がまとめられた御本も大好き。全て持っています。精神科医Tomyの自分をもっと好きになる 「自己肯定感」の育て方 [ 精神科医Tomy ]精神科医Tomyが教える 1秒で不安が吹き飛ぶ言葉 [ 精神科医Tomy ]Tomy先生の毎日のTwitter でのお言葉や、数々のご著書に刻まれたお言葉から、わたしが学びたいのは。学んでいるのは。「自分はまだまだだ、という謙虚さ」です。人は油断すると、すぐにそっくり返ってしまうでしょう?自分(だけ)が正しいと思ってしまったり頑なになってしまったり、しなやかさを失ってしまったり、謙虚さを忘れてしまったりするでしょう? ************************************自分にできること、できないことを。まざまざと思い知るできごとがありました。愛情いっぱいの時間を過ごせるように、と心から思って、気を配って、喜んでもらえることを願っていたはずなのに、そうではない、真反対の結果になってしまった。これがわたしなんだな。我慢できなかったんだな。無力感に押しつぶされそうだ。できなかったわたしを。昔は、即、嫌ってしまい、自分はなんてダメな人間なんだ、こんなわたしなんかいなくなればいい、と嫌悪して呪ってしまったのだけれど。今は ちょっと違ってね。そんなわたしも、やっぱり「わたし」で。どうしようもないほど、わたしで。わたしは わたしを。だから責めるのではなく、嫌うのでもなく、自分で自分のことを、励まし続けます。次はきっとできるよ。 大丈夫。今日のことで学んだのだから、今度は違った対応ができるわたしになれる。きっと。自分の気持ちを大切にしていいんだよ。このことを「いいこと」に変えてゆこう。人生は、その繰り返し。 心の成長の繰り返し。本当の「優しい人」や「目指す自分」になってゆけるかどうかの、全ての出来事は、ありがたいありがたい「修行」なのだから。そろそろパンが恋しいですね。みんなきっとそうなのではないかな? ( ´▽`) **************************************人の感情の「源」は全て。「愛」か、「怖れ」か、の そのどちらかなのだそうです。・愛を差し出す人。愛を与える人。・愛を求め、救いを求め、怖れている人。そのどちらかの自分を、誰もが常に。知らず知らずに選んでいる。「選びとって」いる。愛を差し出す人。 愛を求める人。眠る前に振り返った時。今日1日のご自分自身のことを・・・わたしは。そしてあなたは。そのどちらだったと思うことができるだろう。お正月のおやつ。何より嬉しいおやつ。「愛いっぱいの人」が贈ってくれたおやつです。↓ わー!わー!大好きな「クラブハリエ」。期間限定で楽天市場に登場してる!うれしい! 大切な人に「愛」をいっぱい込めて送りたい・・・そんなお菓子ばかりです ( ´▽`)ノ クラブハリエ ショコラバームクラブハリエ ハートブラウニー ***************************************自分で選んでいるのなら。自分で選ぶ力を持つのが「人間」なのなら。たとえ何年かかっても。たとえ最後まで できなかったとしても。どんなに不器用でも、自分の心を大切にしたい。そして、「愛を差し出す人」に。差し出し続けられる人に。わたしは なりたいのです。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。お正月、母とけんかをしてしまったのです。今日はなんか、こんな日記になってしまって、どうかゆるしてね。にほんブログ村今日はお墓参りに行ってきます。 お盆よりもご先祖さまの存在を感じるのが「お正月」ですね。 お正月。 読者さまもご先祖さまにご挨拶・・・なされましたか ( ´▽`)ノ ?読者登録をしてくださっている982名もの皆さま・・・ありがとう。読者さんは、みんな、いつも優しいな (;_;):
2021.01.04
今日は 家族全員でとってもお寝坊しました。わたしは10時近くまで寝ていました。昨日までの寒さも一旦ゆるみ、暖かなお日さまを浴びながらのお洗濯物干しは、まだ薄暗い早朝のそれとは大違いの、たまらない至福よー ヽ(;▽;)ノ さて。こんにちは、すずひです。くらためちゃんの先輩が。社内でちょっとした人間関係トラブルがあった時、口にされたとされる このお言葉は。 (お言葉ブログはこちら→ ★ )遠く離れたすずひにも・・・・ 何を語るかが知性で 何を語らないかが品性 そして、無知が人を追い詰めるのよあああ、刺さったー (´;Д;`)ああ、湯気ー ヽ(;▽;)ノ 1)何を語るかが「知性」2)何を語らないかが「品性」3)そして、人を追い詰めるのは「無知」起こってしまったトラブルを第三者がどうにかなさろうとするのではなく、問題の本当の在り処を、冷静に当事者それぞれの元に、それぞれのパーソナリティに還元している、というか、起こった問題を誰のせいにも、「どっちが悪い」というレベルの話にはさせない、互いの「気づき」を促すような、この言葉。好みの色になりました。 紅茶って、抽出のあいだも楽しくて・・・じっと眺めてしまいます。 ***************************************3)の「追い詰める」といえば・・・暮らしのトラブルでも、お金の問題でも、人間関係のなにかでも、およそ何であっても。「人のせいにする人」というのは「追い詰められている人」 なのだ、となにかで読んだことがあります。そういう時は、だから、こっちのせいにされたぞ!と憤るのではなく、「 この人は今、追い詰められているんだな」「ああ、とても困っているんだな」または「不安なのかな?」「怯えてるのかな?」そう理解することが大切です、と。ほんとにね。その理解があれは、せめてこちらが、 そして、最終的には どちらもが救われる (;_;)ディーンアンドデルーカブレンド 20pcs紅茶 ティーバッグ ダージリン アッサム フレーバーティー オリジナルブレンド ティー ギフト お中元 父の日 手土産ミニマムエコバッグホワイト エコバッグ 折りたたみ 軽量 コンパクト レジ袋 トートバッグ 買い物バッグ シンプル ギフト 新生活 マイバッグ お買い物パンダとっさにこんな風に思い馳せるのは決して「たやすいこと」ではないけれど、感情のままに ぐわーって怒ってしまった方が人間らしくてもはや楽なのかもしれないけれど。そこが、そうか。「品性」の差 なのか。そういうシーンって、生きていたら どなたさまの人生にも、いくらだって起こりますね(;_;)そのたびに、実はそれは「訓練」で、そして自分自身を育てる絶好のチャンス、なんですね (;_;)こないだのケーキは「HARBS」のケーキです。この箱に、6個ぴったり買うのが好きです。 ***************************************「 この人は今、追い詰められているんだな」 これを少しでも意識できるか、できないか。そういうシーンに遭遇するたび、こつこつ訓練することで少しずつでも身につき、いつの日か「自然とそう思える心」という輝く宝物を手に入れることが叶うのかもしれません。 *************************************人の心の複雑さ。人間関係やコミュニケーション。先輩の言葉が刺さったのは。その先輩がきっと「その言葉を生きておられる」のでしょう。言葉と行動が一致している、ということ。口先だけなのか。 本当に行動が伴っているのか。それはその人の「一貫性」に表れるのだそうです。だからこれも、決してたやすいことではなく、誰が言っても刺さる、という種類のものではない。何を語るかが知性で。何を語らないかが品性。そして、無知が人を追い詰めるのよ。2021年の「星栞」を眺めながら、今日はゆっくり過ごすゆとりの1日です ( ´▽`)星栞 2021年の星占い 水瓶座 [ 石井ゆかり ] *************************************かける言葉が見つからないようなときに、なんとか励ましたくて、力になりたくて、一刻も早く問題を解決したくて、焦って何かを語ろうとしてしまうことってありませんか? (;_;)人はなかなか黙っていられない。大切な人のことであれば、なおのこと。 (;_;)けれど。そんな時こそ、ただただお相手の気持ちにそっと寄り添うことができたなら、それがきっと、「語らない」という「品性」。「何かもっといい言葉をかけられたんじゃないか」「何もしてあげられなかった・・・」そんな自分の不甲斐なさに打ちひしがれたり、自らを責めたり、落ち込んだり、後悔もするかもしれないけれど・・・こちらがそんな気持ちで側に居たことは、その瞬間、お相手にはちゃんと「言葉以上に」伝わっているのかもしれません。「話せばわかる」ではなく。「どんな言葉も時に無力であること」を知ること。人を追い詰めるのが「無知」なのだとすれば、言葉の無力さ知ろうとすること、その「知」こそ「品性」なのかもしれません。一朝一夕では決して身につくことのないのが、穏やかさ。「真の穏やかさを身につけた人」。またの名を「静かで素敵な人」。穏やかに見えながら、とても「心の強い人」。なのかもしれませんね。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ ポチッとしてくださったあなたの1日が・・・にほんブログ村ゆったりと心穏やかな 素敵な1日となりますように。 いつもありがとう。読者登録をしてくださっている958名もの皆さま・・・ありがとうございます。今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ :
2020.12.20
「これ履いてみたい!」「わぁ、なんて可愛い靴なの!」 と。ただまっすぐに、そう思ったのです。ものの少ない暮らしになって以来、こういう理由で「もの」を。「靴」を買ったのは初めてだったかもしれません。 もう、それでいいじゃないか。 わたし。たとえ それが 唯一の「理由」だったのだとしても。この1年。「2020年」は。多くの方々が。それぞれに、これまでの、そしてこれからの、 ご自分の「生き方」「在り方」について、改めて考えさせられるような、そんな1年だったのではないかな、さまざまな「気づき」のあった1年だったのではないかな、と、そう思うのです。 ***********************************わたしの気づきは。 いちばんの気づきは。「本当にやりたいことをやって、 1日1日を幸せに、大切に、 もっとわたしらしく、自由に生きてゆきたい。」という気づきでした。わたし、そんなこと思っていたんだ、という気づき。 (それをできていなかったんだ、という気づき)気づきというよりも。ああ、こんなことになるのなら、もっとああすればよかった。こうすればよかった。もっと自分に優しくすればよかった。もっと行きたいところへ行って、もっと会いたい人と会って、もっと旅にも行きたかった。家事も家族も大好きだけれど、いつもいつもそれを優先しなければ、と、思い込んでいたのは「わたしだけ」で・・・わたしが勝手に遠慮していただけ、なのであって、わたしは、もっと自由に旅に行ってよかったんだ。 おとーさんが、あるとき真顔でこう言ったのです。 「なんで遠慮してるの?」 「誰に遠慮してるの?」 と。ああ本当だ。ああ、それなら、これからは。「突然に(また)こういうことが起こったとしても、 決して悔いることのないような人生を、 何かの犠牲になることのない人生を、 そういう自由な人生を、 わたしはこれから歩んでゆきたいよ!!」という・・・ちょっと「ブチ切れ気味の決意」 のようなものがわたしの心の中に生まれた(笑)ここで思う「こんなことになるのなら」というのはね、 決して恨みがましい気持ちなのではなくて、「ふつうの毎日って、 ああ、こんな突然に失われてしまうんだな」という確固たる気づきのことで、「ありがたいありがたい気づき」のことで。そのことを、つい去年まで。2019年まで。わたしたちは、誰も。誰も、知らなかったでしょう (;_;)? ***************************************だったらもう、これからは。誰かの顔色よりも、ほかの人がどう思うかよりも、どうにもならない何かをどうにかしようと無理して疲弊するよりも、本心以外のことをいつも優先してしまうよりも、 周りに遠慮したり、また頑張りすぎたりするよりも。 本当に「自分の自然な気持ち」を一番大切にしてゆきたいと、幸せな笑顔で生きてゆきたい、と。心底、そう思ったの。あなたも、もしかするとそうだったのではないのかな?わたしのブログの読者さまは。自分のことをいつも後回しにしてしまったり、周りの意見を拾い上げすぎて、自分の本当の気持ちを抑えたり見失ってしまうような、とても優しい方が多いような、そんな気が、とても、とても、するから。 ***************************************自分のことを、わたしの人生を、もっと大切にしてもよかったんだ。この「コロナ禍」のおかげで。はっきりと気づいたんですね。新しい時代は。何十年もかけてもはや無意識レベルにまで染み込んでしまった、「自分に無理や不自由を強いるような思い込み」こそ、怖れることなく、どんどん手放してゆきたい。 そう思うのです。 この靴を買うに至った「超・言い訳」みたいなブログをね。 一旦は、ほとんど書き上げてしまっていたのです。読み返していたら、何故かだんだん苦しくなってきて。こんなこと聞いてもらいたいんじゃない!! って、もっと素直な気持ちをそのまま伝えたい!っていう気持ちが、心の奥底から、突き上げてきました。【SALE/30%OFF】Odette e Odile 【WEB限定】O ストラップ FLT15●↑ オデット エ オディール シューズ フラット ゴールド ブラック ブラウン【送料無料】大好きな、とても歩きやすい新しい靴を履いて、大空に飛び立つ飛行機を見送りながら、空と靴を交互に眺めたこの日。わたしの迷いや葛藤なんて、そして「わたしが気にしていることの全て」は、なんてちっぽけなことだったんだろう、と。 ****************************************次回の日記は、そんな お話。こんな気持ちで、わたしはこの靴を買いました。のお話。絆創膏の必要な靴を手放したよ!のお話。思い込みを手放し、「プチプラ靴」も買ってみたんだよ!の、お話。(そう。靴を2足、実は同時に買ったのです。)「コロナ前」の古い価値観と一緒に、「古いわたし」を、もう、恐れることなく手放してゆくよ! のお話。を。大好きな靴の写真いっぱいでお届けします。お楽しみにしていただけたら、嬉しいです。すっごいプチプラ靴、初めて買ったから!(ドキドキ!) つづく今日もお読みくださって ありがとう。↓ 大空にポチッとしてくださったあなたが。にほんブログ村「誰かの顔色を伺うあなた」や「無理してしまうあなた」、「自分のことを後回しにしてきたあなた」を・・・勇気を持って手放すことができますように。読者登録をしてくださっている843名もの皆さま・・・ ありがとう (;_;)!今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ :
2020.12.04
「どうしたら毎日掃除ができるようになりますか?」そう聞いてもらえることがあります。習慣だから?まじめだから? 強い意思があるから? それとも根性があるから?どれも違うのだとわかりました。わたしが毎日掃除をできる理由。 それは。今日の日記の、「いちばん最後」に あります。 *************************************1年後。半年後。かつてワニで話題になったのは「100日後」でしたね。自分が死んでしまうなら。 というお話。ワニくんのお話があれほどまでに人々の心を震わせたのは。おそらく、その「死」の設定が、「もしも」の話なのではなく、「必ず」であったから。 ***************************************何もそう物騒な深刻なお話、としてではなく、そういうことって、楽しい時であっても、そうでない時であっても、どなたさまもが時々はふと考えることなのではないかな、と想像するのです。わたしはしょっちゅう考えています。こんな今だからこそ余計に。仮に100日後、1年後に死ぬのだとしたら、わたしは何をしたいか。 何をすべきか。リースから落っこちた葉っぱと、ちょっとだけカットしたユーカリ。 小さなクリスマス。 ***************************************人の抱く悩みや迷いの多くは。このままの人生がこれからもずっと永遠に続く、という不確かな確信が大前提な場合がほとんどなように思うのです。「100日後に死ぬ」という仮の前提に立ってみると、たいていの悩みは驚くほど「どうでも良いもの」となり・・・一瞬で消え失せてしまうのかもしれません。だから、しょっちゅうそう思っていることは、わたしにとっては 物騒なことでもネガティブなことでもなくむしろ、余計な悩みから解放され、日常がとても楽しく、心も軽くなるのです。残された時間のありがたみに、気づく。服でも、家電でも、何か「もの」を買うのは。「何かを真剣に選んで買う」ということは、まさに「生きることへの意欲や希望」なのだろうと思います。それを今日買うのは。明日も、明後日も、それこそ「100日後」も。わたしは(きっと)生きていると信じているから。100日後に死ぬとわかったら。わたしは「もの」は、買わなくなるだろうな。買うことをやめ、今以上に捨て始めることでしょう。少ないもので暮らしているとはいえ、いざそういうこととなれば、わたしの持ち物は、まだまだ「いらないものだらけ」です。残された人が。「生きてゆく人たち」がどうか困らないように捨てる。& 自分があの世で赤面しなくていいように捨てる。 人間、死ぬ時まで持っていたモノは、 生きている人に処分してもらうということになるわけです。 中川淳一郎さん / by くらため帖そして、たとえば「犬を飼おう!」とか 「今の仕事で出世しよう!」とか、100日こっぱでは責任を果たせない、達成できないことに対する思いは自ずと低下し、「いまできることだけをしたい」と思うはず。 なのです。わたしは何をするかな。「なんでもない毎日の暮らし」を、やっぱり大切にするのかな。椅子を上げたこの景色の気持ちよさ。 一人で過ごす日中なら、夕方まで上げっぱなしです。 **************************************もしも100日後に死んでしまうなら。それなら要らないや、それだったら持たなくていいや、と思うものって たくさんたくさんありますね。ずっと欲しかった何かを買ってしまって「形見の品」を残されるより、おとーさんだってお子だって「現金」の方がいいでしょ?(笑)なかなかいつもそんな風に思うことは難しいけれど。ときどきそんな風に思うだけでも、不要なものって、むやみには増えにくくなります。あと100日で死んでしまうと宣告されたなら、わたしは、このブログを毎日書くと思います。伝え残したことを、思い切り書くのだろうと思います。今は。 ずっと生きていられると思っているから。書けないことも実はたくさんあるんだよ(笑) ***************************************特別なことは、何もしないんだろうな。いつも通りの好きな服を着て、エプロンをして。ご飯を作って、この部屋の掃除をして、ブログを書く。残り100日でも、そうでなくても、このままを続けたい。そう思えるくらい・・・わたしはこの暮らしが好きです。今、こうして日記を書きながら、そのくらいかけがえのない日々の中にわたしはいるのだ、と気づく。このブログを書けることの幸せに、気づく。わたしのブログを今日もお読みくださるあなたがいてくれること。あなたさまとここで会えることは、今しかできない本当に幸せな、そしていつか「終わり」があるということにも、気づく。 この景色をただ見たくて、今日も掃除するわたしがいます。床に反射する「光の柱」が、こちらまで長く長く伸びるこの感じが、たまらなく好き。100日後に死ぬのなら、わたしは100日、毎日掃除をしたい。あと99回。 あと98回。 あと50回・・・ううう、あと3回ー・・・・・ (;_;) と。残り少なくなればなるほど、わたしは「掃除」を、きっと、日に日に愛おしく思うことでしょう。それをできる日が1日1日減ってゆくことは。たとえ「残り100日」であろうとなかろうと、今日だって。 今だって。 わたしにとっても、どなたさまにとっても誰一人として例外のない「真実」でありますのに、ね。少しずつ「ドライ」になり始めていますよ。どれだけ眺めていても飽きることがありません ♪( ´▽`) *************************************人の行動の出発は「愛」か「怖れ」かのどちらかで。何かが目障りだから掃除する。家族から文句言われたから掃除する。誰かが訪ねてくるから掃除する。運気が下がるのが嫌だから掃除する。散らかっていては(誰かに対して)恥ずかしいから掃除する。それらはきっと「怖れ」の掃除で。怖れがあると、やはりあまり楽しくはないのです。自分の心が喜ぶから、掃除する。これが「愛」の掃除、なのかもしれません。それがわかるまでに。わたしは何十年もかかっちゃいました。わかったのだから。ああ、せっかくわかったのだから。できれば元気で、 少しでも「長生き」して(笑)1日でも長く、わたしは掃除をしたいです。 ************************************そして今日は。 自由を満喫できる日。 願わくば。「美味しい昼ビール」も、1回でも多く飲みたいです(笑) おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ 「読んだよ!」と、いつもポチッと知らせてくださってありがとう。 このワンピースが「はげはげ」になるまで自分は必ず生きられると信じて買いました(笑)にほんブログ村さて、いちばん最後のお話。わたしが毎日掃除をできるのは、根性があるから? 意思があるから?いいえ「いのち」があるから、です。今日の命があるから、わたしは掃除することができる。 最後までお読みくださったあなたの「今日」が・・・どうぞお健やかな1日でありますように。読者登録をしてくださっている928名もの皆さま・・・本当にありがとう!今日も、書けたよー ( ´▽`) :
2020.11.24
さて、何を書こうかな、と思う朝。「くらため帖」を、開く。わたしの大好きなお帖面を開く。毎朝、出社の前の時間にブログを更新をしてくれるくらためちゃん。「おはよう!」の気持ちでうれしく開き、「熱を出した」と知れば心配になり、「気をつけていってらっしゃい!」の気持ちで閉じる、わたしの愛おしいお帖面。離れて暮らすオカン、か!(笑)今日の「くらため帖」のお題は・・・「私は駒であり消耗品だと割り切ったら・・・」(★)なんて読みたくなるタイトルなんだろう。それは「田中みな実」ちゃんのお話、でした。 *************************************わたしのブログの下書きに。もうずっと前から書きかけで眠っている、「永野」という仮タイトルの日記があってね。 (仮だとしてもテキトーすぎるタイトルね・笑)くらためちゃんの日記のおかげで、今日はそれを書き上げられそう!ってそう思いました。田中みな実ちゃんって、すごいと思うのです。彼女のことをどう感じるか、というのは意見が分かれるところと思うのですけれど、そこからしてもう、すごいこと。なんとも思わない、とかそんな人は知らない、という人はもはや少なく、何かしら、何かを、どなたもが思うのです。それぞれの心の中に、それぞれの「田中みな実論」がある、ということ。それって、ものすごいこと。 ************************************とはいえわたしは、それほど彼女に詳しいわけではなく、話題のドラマも見ていませんでしたし、だからむしろ何にも知らないのですけれど、なんとなく「好き」なのです。とても魅力的な女性だと感じる。どこに魅力を感じるのか、と問われたら。「どんでんがえし力」と「強さ」かな。「嫌われ者」と称された数年前から一転、今や押しも押されぬ「美のカリスマ」となったこと。あれほどまでの向かい風に、彼女は負けなかった。 ***************************************そのみな実ちゃんに関することをしたためた下書き日記の仮タイトルがなぜまた「永野」なのかと申しますと、「永野」は、みな実ちゃんの友人なのです。お笑い芸人の「永野」氏です。ゴッホより、ふつ〜うに、の、あの「永野」です。みな実ちゃんがパーソナリティーを務めるラジオ番組に、ゲストとして登場した彼があの「田中みな実」に向かってアドバイスをする、という一幕があったらしくそのことを記事にしたまとめニュースのようなものを、すずひは読んだのです。そこに記された永野(芸名だと思うので以下敬称を省かせていただきます)の言葉が・・・思いのほか 深かった。メインのお料理の付け合わせの「サラダ」を作るのが、とても好き。フリルレタスは神。 **************************************永野は「突き抜けている人」は好きだが、「中途半端な意識高い系」や「単に良いことを言う人」には疑問を感じるのだそう。それを踏まえ、今をときめく田中みな実に向かって、永野はこう指摘します。永野:「みな実ちゃんはギリギリの限界値で踏みとどまっているけれど、 ちょっと気が緩んだらあなたはそっちに行っちゃいますよ。」みな実:「うそ〜! え〜!?」ファンや周りの人から称賛されまくる日々。今のみな実ちゃんなら「そんなことないですよ〜」と謙虚に返すんでしょうけど、気を許すと(称賛に上機嫌になり)風呂上がりのような顔になるだろう、と推察。とりまき → ちやほや → 勘違い → からの自滅。に気をつけろ、と。みな実ちゃんのことを、昔からよく知る永野だからこそ。数年前まであんなに嫌われていたのに、今は変に尊敬されて、何か「女性の生き方」みたいになってるじゃん?今は「上げて上げて落とせ」っていう世の中なんだから、だから気をつけてくださいよ! と。 アドバイス、というよりも誰もしないような「苦言」を呈したのです。それに対し、みな実ちゃんはとても素直でした。「それはすごく感じてます。危険ですね。」と。爆笑問題の太田さんにも「こんだけ持ち上げられちゃうともう次が怖いね」と言われてます。「私もすごく持ち上げられている意識はないけど、でもやっぱりビューティー誌や女性誌のインタビュー(で称賛を)受けると、それはもう・・・」と、ややもすると勘違いをしてしまいそうになる状況にある、今のギリギリの胸の内を告白。永野は最後に。これが一番注意が必要なところ、として。「嫌われ者から一転カリスマに。その理由を教えて」と求められた時に、 かわさず(上機嫌になって)教え出したら終わりですよ。と。みな実ちゃんは「それは絶対にしたくないです!(気をつけます!)」と、旧友(永野)のアドバイスを、とても素直に聞き入れていました、というお話。 ************************************くらためちゃんがご覧になった番組では。みな実ちゃんは、自らのことを「商品」「消耗品」と表現されておられたのだそう。持ち上げられて勘違いしてしまいそうな自分を、今もちゃんと客観視できている、彼女の強さ。 ************************************おそらく。数年前にボロボロになったところが彼女の「転機」で。人が心の傷やツラさや恐れを乗り越えてゆく姿を、その過程を、みな実ちゃんはみんなに見せた。誰の心の中にもある「恐れ」。誰の人生の中にもある「挫折」。誰の心の中にもある「傷」。心に傷を負っていない人に、これまでに出会ったことはわたしはおそらく一度もありません。それを超えて新しい自分に踏み出してゆく、以前の輝きを取り戻す、にとどまらず、以前の何倍も、何百倍も輝きを増すことができるんだ、という人として生きる上での「理想の姿」を、いえ、希望、を?わたしたちは、彼女の中に。「田中みな実」という人の中に見たのだと思う。 サンドイッチにはさむにも、ふつうのレタスよりも華やか。さすがのフリル具合。 ***************************************空高く舞い上がるには。飛行機だって、追い風ではなく「強い強い向かい風」が必要で。それはわかっていても、人はくじけそうになります。世の中に負けなかった、のではなく、向かい風に負けなかった、のでもなく、彼女は「自分」に。自分自身に負けなかった人。そんな田中みな実ちゃんの姿は、今、それぞれの向かい風に、毎日必死で立ち向かっている同世代の女性たちにとって・・・きっと「希望の星」なのでありましょう。わたしはぜんぜん同世代ではなくそれこそもはや「オカン寄り」世代なのですが。まるで遠くのくらためちゃんを思うように。どうかお幸せでいてほしい、どうかずっと幸せであってほしい、と願わずにいられない、そんな「とても大好きな女性」のひとり、なのです。 おわり今日もお読みくださって ありがとう↓ ポチッとしてくださって、いつも本当にありがとう。 にほんブログ村「気分にムラのある仕事してすみません (`・ω・´)」というくらためちゃんに笑ってしまった。気分にムラのない人、気分にムラのないブログを書ける人を・・・わたしも、目指すね!読者登録をしてくださっている872名もの皆さま・・・ありがとう ( ´▽`)今日も、書けたよー ( ´▽`) :
2020.10.29
「節約」するのは、お好きですか? ( ´▽`)ノ節約は、いつもみんなの人気者です。なのに。節約を楽しんではいけない?節約生活を「楽しい」と・・・節約のことを「最高!」とか「好き!」と思っては、いけない?いつも楽しみに拝見させていただいている大好きな方の YouTube 動画で。「節約を楽しいと思ってはいけない理由」を、すずひは知りました。 知ってしまったのです。なぜか。なぜ節約を楽しいと思ったり好きだと思ったりしないほうが良いのか。節約を「楽しい!」と思ってしまうと、それを楽しめば楽しむほど「豊かさ」がどんどん遠のいてしまう、という仕組みが、この世には、いえ、この宇宙にはあるのだそう。節約を楽しみすぎてしまうと、「これは素晴らしいことなのだ!」「節約は楽しい!」「節約するわたしは善!」「とても良いことをしている!」という思いが繰り返し、その人から強く発信されて・・・その結果。永遠に節約しなければならない未来がもたらされてしまうのよ。 と。ひゃー ヽ(;▽;)ノ今日は特に心を込めて玄関掃除をしました。「大切な日」と思える日があること、家族のことを思う日があることは、幸せなことですね。 ***************************************節約を心底楽しんでしまうと、「そんなに楽しいならそういう未来を用意してあげましょう」みたいな、「あなたの節約生活がいつまでもずっと続きますように」みたいな、ちょっと勘違いとも言える、それ誤解ですー!とも思えてしまうような天からのご加護が次から次へと「もたらされ続けて」しまうのだそう。「もう、節約生活とはさよならしたい!」「こんなことは、終わりにしたい!」「私は豊かになりたいんですー!!!」こっちの思い(本音?)にフォーカスすることで、もうその時点からして、その人に次に起こることやその人がこの先受け取ることのできる「豊かさ」の流れみたいなものが、一気に、どばどばどばーっ!って 変わり始めるんですって。あああー わかる気がするー (;_;) **************************************どうせ節約するなら楽しく! って。それは決して間違いではないと思うのに、本当は楽しくないのに本心や本音を偽って楽しんでしまうと、そこから抜け出せなくなってしまうことも多いのよ、と。 ****************************************6年前、思いっきり、一気にものを手放した時。毎日苦しくて、辛かったんだけれど、どこか「楽しい」と感じたのも事実なのです。けれど、楽しいから、すっきりするからといって、この今やっているようなレベルの「爆捨て」をこれからもずっと毎日していたい!とは思えなくて、楽しいけれど、こんなことは二度と嫌だ! もう絶対に嫌だ(;_;)! と、強く思った。以来。 わたしの身に。二度とそういうことは、起こっていないです。 *****************************************一方で。毎日、1つ、1つ。小さな何かを。時には思い切ったものを。またある時には「心の中の不要な感情」を。丁寧な気持ちで手放すのは、とても楽しいこと。だから、ずっと、ずっと、続いてる。防災リュックを、わたしは「節約」しそうだったのです。お気に入りの長靴とも、とっても似合う「BUDDY」。本当に欲しいものを買って良かった。【P5倍 10/26 23:59迄】マリメッコ Marimekko バックパック バディ BUDDY ROADIE リュックサック 通勤 通学 レディース メンズ 02699マザーズバッグ あす楽 ****************************************これって「節約」に限ったことではなくて。 「楽しいふり」をしないこと。 「気に入っているふり」をしないこと。 「満足しているふり」をしないこと。 「いい人のふり」をしないこと。これって、大人になってしまうと。とっても気をつけていないと、本当に難しい。そして、優しい人なら、きっと。 「平気なふり」も してしまうでしょう?毎日、毎日、してしまうでしょう?本当は、つらくて。 本当は悲しくて。本当は深く傷ついていても、一生懸命に「平気なふり」。それでも「こんなことに負けちゃいけない!」ってますます平気なふりして頑張ってしまうから、「あれ、平気なんだね?」と思われて、同じようなことが繰り返し起こってしまう(;_;)本当は。「もうこんなこと断ち切りたい!」と泣き叫んでいるあなたが、心の中にいるはずなのに。 ***************************************〇〇なふり を、今日1日、わたし、手放してみよう。今日だけじゃなくて、「〇〇なふり」してしまっている自分の癖に気づいたら、1日1個でも、手放してみよう。わたしの中の本当の気持ち、今までいつもいつも無視してきてごめんね、とひとつひとつに、謝りながら。 *************************************そのほうが いいことが起こるなんて。自分の本当の姿に。 本当になりたい自分に近づけるなんて。嘘みたいな話だけれど・・・これが本当なら、それって すごく素敵!! 「〇〇なふり」の・・・ 1日1捨。1週間続けたら7個の「〇〇なふり」を、1ヶ月続いたら30個あまりの、そしてもしも1年続いたなら・・・365個もの「嘘の自分」「偽の自分」を手放せる!365個も手放すことができたなら・・・そうしたら、手放せたときには、嫌でも「本当の自分」に、自分でも知らなかったような「本当の自分」に、戻れそうですね ( ´▽`)ノやってみたくなりますね!わたしのブログの読者さんは、自分を抑えて「〇〇なふり」をしてしまう、そういう心の優しい方が、とても多いような・・・そんな気がするのです。 あなたはどうかな? 違うかな?「〇〇なふり」の・・・ 1日1捨。すずひと一緒に。 今日、さっそく あなたの「〇〇なふり」の手放し・・・無理してる自分の最初の「1個目」の手放し・・・ぜひご一緒に いかがですか? ( ´▽`)ノ おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ 「〇〇なふり」しちゃう自分、一緒に手放してゆきたい!のポチッと、ありがとう。にほんブログ村読者さんのみんなと一緒なら、わたしも楽しく続けられそうです。 いつも、ありがとう。読者登録をしてくださっている867名もの皆さまも・・・本当にありがとうございます。今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ:
2020.10.24
こんにちは。 すずひです。昨夜のお月さま。 ご覧になられましたか ( ´▽`)ノ ?息をのむような美しさでした。昨夜のお月さまは「中秋の名月」。 今夜は「満月」。おひつじ座の満月です。お月見には「丸いもの」を食べると良いのだそうですね。今夜のお月さまのために、とっておきの「丸いもの」・・・すずひも用意しましたよ ( ´▽`)ノ さて、今日も ちょっと「心」のお話をさせてくださいね。怖い話や意地悪な話じゃないから、安心して読んでくださいね ( ´▽`)ノ 自分にとっての「悪者」や「敵」を創らなければストレスを発散できないような仕組みが、人の心にはあるのだそうです。悪者の存在がストレスの原因、なのではなくて、自分の心の平穏や平和を守るために、いつでも叩ける悪者の存在をむしろ必要としているのだ、と。簡単にはへこたれない(ように見える)、なるだけ自分への実害が及ばない(気がする)、そして自分にとって叩きやすい対象であることがそこには求められるのですね。手っ取り早く「弱いもの」を叩くケースもあれば、「強いもの」を叩くことにこそ優越感や快感をおぼえる、というケースもあるそうです。どんなにいい人の心の中にも、誰の心の中にもある「深い闇」。誰の心の中にもあるものなのならば。堂々巡りにならないように。その闇にのまれないように。ああ、自分が強く賢くなれたら良いのになあ、と思う。それが未来永劫、人類の性(さが)なのだとしても、「許すことでの昇華」をできる人は、格好いいですね。ああ、そういう人になりたいなあ。そうなれるように成長したいなあ、と思いながら、この小さな古い玄関を、隅々まで。心を込めて掃除する・・・ そんな、秋の朝。わたしはもう、恨まない。意地でも恨まないぞー(笑)!!そうだ! この玄関を通るたび、そう気付こう。この「H」を見るたび、毎日それを心に刻もうね ( ´▽`)ノ ぽんぽん放り込める収納が玄関にあることは、とても便利です。 マイバッグ、ぽんぽん。椅子にもなります。もうね、座るものがないとスニーカーもサンダルもよろけて履けない(泣)ゴミ箱 ふた付き おしゃれ フタ付きバケツ バケツ おもちゃ箱 おもちゃ入れ ごみ箱 蓋つき ダストボックス オムツ入れ オムツ 洗車 収納 洗濯カゴ 洗濯物入れ 収納ボックス スツール 北欧 八幡化成 ギフト【ポイント10倍 送料無料】[ オムニウッティ 10L ふた付き ]↑ 腰掛けて靴履くのにちょうどいいのは・・・「10L 」。 5年座っても大丈夫!(笑)同色S/L/LLサイズ3個組 sceltevie omnioutil オムニウッティ ニュートラル スカンジナビアン ナチュラリュクス フタ付バスケット/八幡化成【送料無料】【ポイント10倍/在庫有】【10/14】【あす楽】↑ まとめてひとつに収納できる3個セット。 ***************************************トイレ掃除でも。玄関掃除でも。キッチンでも、リビングでも、ベランダ掃除でも。その掃除をやったかやらなかったか、よりも。どんな気持ちを込めてやったか、が、本当はいちばん大切なことなのかもしれません。靴を履いてからマイバッグを忘れたことに気づくこと数知れず。玄関にあるととてもいいのです。マリメッコ エコバッグ marimekko SMART BAG MARILOGO 048854 910 マリロゴ ブラック/ホワイト ****************************************並みの営業マンは「どうやったら客に売れるだろう」と考え、優秀な営業マンは「どうやったらお客さんの役に立てるだろう」と考える、と聞いたことがあります。どんな気持ちを込めて取り組んだか。ということ。金運のためだけに掃除していたことがありました。家族や誰かから褒められたくて、感謝の言葉が欲しくて。良い妻だと、良い母親だと。そう認められたくて家事や掃除していた時期も長かった。そういう頑張り方しか知らなかったのです。向き合う気持ちが美しいかどうか、ということなのでしょうか。今は。家族の役に立てることが嬉しくて、掃除しています。家族が。そして何よりも「わたし自身」が、気持ちの良い1日を過ごすことができるよう、掃除しています。悪者をつくらなくても。自分の心を「美しく」整える方法は。平和で穏やかな気持ちを保つ方法は。毎日のないげない暮らしの中に、たくさん、たくさん、たくさんありますね ( ´▽`)ノ お月見の、丸いもの! 昨日のお月さまと、今日のお月さまを想いながら、ふたつ。ホワイトムーンと、ロゼムーン。東から昇ったばかりの大きなお月さまは「ロゼ」のような色に見えますし、真夜中の、空高く輝く小さめのお月さまは、プラチナのように美しい「ホワイト」です。お月さまは、知っている。お月さまは、なにもかもお見通しだ。あなたの、わたしの、心の中も。あなたの、わたしの、過去も、未来も。あの日笑ったことも、あの日の涙も、嬉しかったことも、悔しかったことも。何をしたのかも。 何をしなかったのかも。今日までうんと頑張ってきたことも。今この瞬間を、確かに生きているということも。まんまるお月さま。 ああ、今夜も、姿を見せてくれるといいですね ( ´▽`)ノ か・ら・の!!あああ、お片づけー ヽ(;▽;)ノ (笑) おわり 今日もお読みくださって ありがとう。↓ 今日も読んだよ!の合図、いつもとてもうれしいです。 ありがとうね。にほんブログ村ポチッとしてくださったあなたさまの今日が、平和で穏やかな1日であられますように。登録をしてくださっている836名もの読者さま・・・本当にありがとうございます。今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ
2020.10.02
10月ですね。 もう年末ですね。ここから大晦日までの時間の流れがどれほど高速であるかを充分に知るわたしたちは、もう「10月」を、そろそろ「年末の一部」とみなしていいと思うのですがいかがでしょう。*************************************やっと来られた!9ヶ月ぶりの、美容院 ヽ(;▽;)ノ うわーん夏の暑さや邪気を祓うような「9月みそか」の日に。そして10月1日を気持ちよくスタートできるように。髪どうこうより、前髪どうこうより、ここへ来てみたら。こういう時間が、わたしにも戻ってきてくれたんだなあ、ということがじんわりとうれしくて。みんなよりも、すっかり遅れてしまいましたけれど、これが「わたし」なのだと思います。「&Premium 」を読めることが嬉しい時間。 素敵な言葉がたくさんありました。 **************************************わたし、決めたんですよ。決めたというか、わかったんですよ。同じパターンをたどれば、同じ結末になる。もう、だから、新しい時代はそこをするりと抜けてゆきたくて。もう今までのような心理ゲームには乗っからないわたしになるよ、と。これは無論わたしではありませんが、こんな風にしてください、とお願いをしました。こんな風になれたと思います!!思っています!!(笑)読みたかったこちらも読めた!デジタルパーマは時間がかかるけれど、雑誌いっぱい読める! ****************************************少し前に。いつもお世話になっているマッサージサロンのスタッフの方とお話しする機会があって。コロナ禍の、あの、世の中が最も「緊急事態」だったとき。一般のお客さんは超・激減で。もちろん外出の自粛を守っておられてのこと、また、感染が怖いこと、そういったやむをえない理由で一気に減ってしまって。サロンの経営としてはとても厳しくて。お客さんに来ていただきたいの半分。お客さんがいらっしゃっるのが怖い気持ちが半分。ところが。そんな中「ある職種」のお客さまだけが、倍の倍の倍増しの急増をしたのだそうです。医療従事者の方々です。疲れ切って、マッサージにいらっしゃる方々。もうお店をしばらく閉めようか、と思っても、この方々のお疲れを癒せるなら、我々を頼ってくださっているのなら、お店の採算とか関係なく、今、なくてはならないこの方々のために頑張ろうと思った、と。医療従事者の方が 医療の現場を支えてくださるその陰で。その方々のお疲れに献身的に向き合ってくださっていたお力があったのだ、ということ。涙が出てしまいました (;_;)美容もまた医療を支えていた、ということなのですね。人々の疲れを癒し、心を潤す、尊いお仕事。きっと美容師さんも同じ思いでいらっしゃったのかもしれません。 信じられないようなことする人もいるわ。 たいていそういう人って 自分でも何やっているのかわかってないのよ。 憤る(いきどおる)より、離れましょ。 精神科医 Tomy先生のTwitterより精神科医Tomyが教える 1秒で悩みが吹き飛ぶ言葉 [ 精神科医Tomy ]離れましょ。 ね、そうしましょう。読者さまも、今、もしも理不尽な目にあったり、何か苦しいことに悩んでいたら。憤るよりも、離れましょう。自分ではない何者かの「正しさ」に、あなたの柔らかな心が潰されしまう、その前に。 ****************************************離れられない人もあるのだと思います。あの美しい人は、あまりにも美しかったから。あまりにも有名になってしまったから。日本中どこへ行ったって、「自分が自分であること」から離れられないと感じていたのかもしれない。本当のことは、何もわからないです。仕事なのか。 人間関係なのか。 母親としての何かだったのか。生きるために何かを手放す、ということの難しさ。仕事を手放すのも。人間関係を手放すのも。どちらもとてつもなく勇気が必要なことだけれど。命を手放してしまうという、こんな・・・こんな、悲しいこと、ね。わたしね、決めたんですよ。これからわたしがパソコンやスマホで「発信」するのは。そして「受信」するのは。このブログでも。 家族や友達に送るメールでも。「愛のある言葉」だけにしよう、と。不平、不満、愚痴、悪口や、ねたみ、悪意などが入っている言葉は 発信もしないし、受信もしない、という「決心」を、自分がすること。そうと決めたら、すぐに実行にうつすこと!それが全てだ。 それが大事なんだ! と。 ある方のブログが、わたしにそう教えてくれました。他の誰かがそうしてくれることを待つんじゃなくて、「まず自分がそうするんだよ」 と。 それは。「辛抱」とか「心のごまかし」じゃなくて。そうすることで、あなたの、わたしのいつものスマホやパソコンが、最高の「幸運ツール」に進化することにもつながるのだそうです。清められる、っていうのかな?自分を守るツールになる。そして運気のアップですね ( ´▽`)ノ 読者さまも、ご一緒に、運気アップ!!なんだかどうも最近ついてないなあ。とか、運気が停滞してるなあ、と、もしも感じていらっしゃるのなら。今日この瞬間から、さあ!すずひと一緒に・・・ ぜひ、いかがですか ( ´▽`) ノ 人生を、一緒に、ここからもっと。どんどん「上向き」にしてゆきませんか ( ´▽`)ノ ♪誰かに対しての「好き」とか「憧れ」の感情。また、その反対の感情。人間なのだから、そのどちらもがあることはとても自然なことですし、そして、そのどちらもが、その人の中にしか正解のない、とても複雑で、移ろいやすい感情なのだけれど。「自分自身がそう生きたいと思えるでしょうか・・・?」ということなのかもしれません。あの人の素敵さに近づこうと、 真似をするのもいいこと。華やかな人や、雰囲気の素敵な人に、次から次へと、昔は、憧れてばかりいました。同じものを着て、同じものを買い揃えれば自分もそうなれるとさえ。 ああ・・・” 彼女たちの素敵さは、 生き方を吟味し自分らしく紡いできた結果 ”その人の表からは見えない努力を知っても、その努力ごと真似できるか。本当にそう「生きたい」と思えるか。 ***************************************「生きたい」か・・・ああ、「生きたい」と自然に思えることは。決して当たり前のことなのではなく。とてもありがたい心の状態なのだ、という気がしてきました。強くなくてもいい。弱くてもいい。素敵でなくたっていい。どうしてもうまくゆかなかったことや、「どうしても合わない人」や「つらすぎること」からは、自分なりに精一杯の努力をしたのなら、もう、堂々と離れたらいい。今までありがとう。 勉強になりました。じゃあね。 元気でね。 ばいばーい、と。 *************************************自分らしく生きたい、と思える心を大切にしながら、1日1日を。 今日を。 明日を。 明後日を。大切に生きてゆきたい、ですね。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ 運気上げてゆこう!のポチッと、ありがとう! 一緒に上げてゆきましょう ( ´▽`)ノ ブログを書かせていただけることが、わたしは幸せです。 今日もあなたに読んでいただけて、うれしいです。今夜のお月さま、中秋の名月。 とても美しいですね。 見えますか? ( ´▽`)読者登録をしてくださっている834名もの皆さま・・・ありがとう。今日も、書けたよー ( ´▽`)ノ :
2020.10.01
たい焼き3匹ください、といって、買うのです。ああ、幸せだなあ、と思うのです。昔は 和菓子が大の苦手で、あんこなんて甘いだけのもの、といって 呪うほど受け付けなかったおとーさんは、今は、小さな茶色い紙袋を見るだけで嬉しそうに「それたい焼き!?」と聞いてくるほどになりました。人は、変わるのです。「優しい方」や、「良い方」に。今日は、自宅で甘味屋さんの気分を満喫です。これはもう、最高だ(震)最高に幸せな事件だ ヽ(;▽;)ノ今日はね、「おとめ座の新月」といって、これまでの運気の流れががらりと変わるような、あなたの願いが叶いやすくなってゆくような。幸せになるパワーが天からあなためがけて降り注ぐような、古い価値観を捨て、あなたの、わたしの「なりたい自分」に、新しく生まれ変わってゆくような、自分の「理想」や「使命」に目覚めてゆくような・・・とても、とても大切な日、なのだそう。 (こういうことは、まっすぐに信じるタイプです)わたしの腰紐が写り込んでいますね。いつもほどいているのは「わざと」です。昔「ピンクハウス」を好きだった頃、スカートの紐をひらりとほどいて穿くのが正装で。よく見知らぬ人から注意されたり、あらあら、と、勝手に蝶々に結ばれたりしたものです(笑) **************************************どうかあなた自身の気持ちを大切に。自分のことを大切にしてくださいね。とくに今日は。いつも頑張っているあなたにうんと優しく、あなたがいちばん心地よいことをして過ごす日にして欲しい。どうか、どうか、そんな、優しさ溢れる1日をお過ごしください。ご自分の小さな願いを、どうか今日は、無視しないで叶えてあげてほしいのです。すずひは たい焼き買いました(笑) おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ いつも「読んだよ」と知らせてくださって、ありがとう。にほんブログ村今日は曇り→雨の予報で完全に諦めていましたが、日差しに恵まれ、お洗濯がよく乾きました。次回のブログ用の服の写真も、明るい日差しの中で、今日はとってもいい写真が撮れたんですよ ( ´▽`)ノ またここで。 会いましょうね ( ´▽`)ノ
2020.09.17
人の機嫌をとることが得意で。相当ご機嫌斜めな人であっても、それを立て直させたら無双なのが、わたしで。もはや特技で。そうやって、うまいこと生きてきた。人の機嫌をとることが「幸せ」だったのかといえば、そんなことなかったと思う。そんな自分が情けなくて、しんどかったと思う。機嫌をとることが下手くそな人は、いろいろと損をすることも多いのかもしれない。けれど、そのほうが、うんと健全で、そして「幸せ」なのかもしれないな。もう こういうことはやめようね、と。こんなことするために一緒にいるんじゃない。昨日、夫婦で話したんだ。お互いの言い分が食い違ったり、伝えたと思ったことが正しく伝わってなかったり。そういうことは、一緒に暮らしていれば、いくらだって起こる。どっちが悪いわけでも、喧嘩しなければならないような案件なのでもなくて。ただ「お互いの言い分が食い違った」り、「伝えたと思ったことが正しく伝わってなかったりしただけ」なのだ。こんな苦しい時間は早く終わらせて、穏やかに仲良く過ごしたい、という気持ちは、いつも一緒なはずなのに。 **************************************ご機嫌の悪い相手に気づいて、ご機嫌を取り合うようなヒマがあったなら、どうしてこうなったのか、どこに腹が立ったのか、どこが悲しかったのか、どうすればもう繰り返さないのか、きちんと話し合う。本題に向き合うことをせず、怒っている相手の機嫌をただ取り合うことに、なんの意味がある?一生懸命に機嫌を取り合ってそれで「仲直り」することもできるんだろう。実際、できるのだから。けれどそこに、なにが残る?残るのは、恨みだ。機嫌を取らされたという「恨み」。そしてずっと消えない、「みじめな気持ち」。昨日、夫婦で話したんだ。もう そういうことは今日で終わりにしようよ。と。わたしたちは、対等で、平等なのだから。わたしたちには「言葉」があるのだから。大人同士が無言の不機嫌をぶつけ合ったり、機嫌を取り合うなんて人生において、そんなの1秒だって無駄だ。ちゃんと目を見て話して、ちゃんと向き合って、ちゃんと穏やかな2人に戻る。それができたなら。苦手でも、怖くても、機嫌とり合ってうやむやにする方が、本当は楽なのだとしても、どんなに下手くそでも、それができたなら。「恨み」じゃなくて。ずっと消えない「みじめな気持ち」でもなくて。そこに残るのは。きっと「愛」のようなもの、なのだろうと思う。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ いつもポチっと応援、ありがとう。 すごくうれしいです ( ´▽`)ノ にほんブログ村誰かのご機嫌を取るなんて無駄なこと、もうしたくない。 相手にも、してもらいたくないし、そんなこと、させたくない。読者さんも、きっとそうでしょう? (;_;)こういう仲直りが、以前はできなかった。できるようになったのは、つい最近なのです。わたしは変わったと思います。 機嫌をとるなら「自分の機嫌だけ」です。
2020.08.15
コロナ禍で、青春を奪われている若者を思うと。わたしの年齢の1年と、彼らの1年とでは。同じ1年でも、時間の重みや、かけがえのなさみたいなものが全然違って。あと1年早く生まれていたら、とか逆にあと1年遅かったら。とか、どうにもならないやり切れない思いが、きっと心の中にあって。子どもの1年と。 大人の1年と。 それは、比べられるものではないのだけれど。ほんの少し残しておいたミネストローネが別物のように輝く時間。すずひ至福のお昼ごはん。 **************************************今年の「1年生」を「0年生」にしてあげたらどうだ、というような。もう一度、最初から。春からやり直させてあげたらどうだ、というような話を聞いた時。そんなことをすれば小学校は「7年生」まで必要になっちゃうし、現実的には無理なことなのだろうけれど、ほんとに。 それができたならどんなにかいいのに、と思った。 **************************************亡くなったわたしの祖母は、戦争で伴侶を、旦那さんを亡くしていて。わたしの母は。だから戦争で父親を失っていて。「火垂るの墓」を観るのが、わたしは無理なんですよね。可哀想すぎて、ツラすぎて、思い出すたび動悸がして苦しくて、そのまま立ち直れないような気持ちになってしまう。 ***************************************幼い頃のわたしに「戦争」の話を聞かせてくれたのは。祖母と、母でした。つまり戦時下において、「母親」であった人と、「子ども」であった人から聞いた話、でした。一番かわいそうだったのは、女性や子どもだったのかな、という気持ちになりました。わたしも子どもでしたから、食べ物がない話や、疎開の話や、空襲の話を直に聞くと。怖くて、怖くて、怖くて、そんな怖い目にあった祖母と母がかわいそうでかわいそうで。平和の中で生きられることに感謝しよう、というよりは何不自由なく暮らす自分がたまらなく申し訳ないような、心がきゅーっと縮んでしまうような、そんな悲しい気持ちになる子どもでした。ふつうのJALとかの航空機が飛んでいるだけで、焼夷弾が降ってくるのではないか!というありえない恐怖から、家に逃げ帰ってくるような、そんな子どもでした。誰が一番かわいそうだったのか、なんて。決して比べられるものではないのだけれど。写り込んだ失敗の写真。 失敗の写真なんだけれど、なんだか気に入ってしまった ( ´▽`) ***************************************「わたしが一番きれいだったとき」わたしが一番きれいだったとき街々はがらがら崩れていってとんでもないところから青空なんかが見えたりしたわたしが一番きれいだったときまわりの人達がたくさん死んだ工場で 海で 名もない島でわたしはおしゃれのきっかけを落してしまった〜中略〜わたしが一番きれいだったときわたしはとても ふしあわせわたしはとても とんちんかんわたしはめっぽう さびしかっただから決めた できれば長生きすることに年とってから凄く美しい絵を描いたフランスのルオー爺さんのように ね 茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」より永遠の詩(2) 茨木のり子 [ 茨木 のり子 ]戦争のために、かけがえのない青春を奪われた。みんなみんな、生きるか餓死するかの瀬戸際で、その日1日を生き延びることに精一杯だった。そのとき 一番「きれい」だったのに。ああ、一番かわいそうだったのは、青春を奪われた世代なのかな、という気持ちになる。決して比べられるものではないのだけれど。戦争で青春を。 大切な人を失った苦しみと。子どもの感じた苦しみと。大人の感じた苦しみと。コロナ禍で青春を。大切な人を失った苦しみと。大切な時間を失った苦しみと。決して、決して 比べられるものではないのだけれど。黙祷は、とても苦手なのです。8月6日も、8月9日も、8月15日も、3月11日も。この日付けではない、どんな日の黙祷であっても。失われたたくさんの命を思うと、目を閉じながら、かわいそうで、かわいそうで、苦しくてたまらない。わたしは、いま、生きている。 生かされている。怖がらず、感謝しようと、今は、思う。今日という日の命をいただけていることに感謝して。ただただ精一杯に生きようと。できれば長生きしようと、そう思う。年とってから、すごく、すごくすごく美しい絵を描いた、フランスのルオー爺さんのように、ね。 おわり今日もお読みくださって ありがとう。↓ いつもポチッとしてくださって、ありがとうにほんブログ村
2020.08.06
彼女は、最初は「ママ友」でした。それぞれのお子は、まだ3歳で。そういう出会い方、だったのでした。彼女は今月。もうすぐ49歳になるのです。お互い、もうすぐ50歳になる。50歳になった時に友達でいられる友達こそ、本当の友達なのかもしれない、と最近、ふんわりと思うのです。もっとお若い読者さんにおかれましては、何さ!今の年齢の友達だって友達だわ!と どうか怒らないで聞いて欲しいのです。わたしも、その時その時は、本当にそう思っていました。今仲良しのみんなみんなみんなとわたしも変わらず、みんなも変わらず、今と同じ気持ちで、同じテンションで。いまと同じまま楽しく。このままずっと永遠に続いてゆくような、そんな気持ち。ついに解凍の儀。すずひ家の家宝、長谷川稔氏監修の、御クリームチーズチーズケーキ様。 *****************************************母親と子が、なんとなくセットで行動するような年齢の頃までは、母親同士としての、また、子を取り巻く出来事を通しての「共通の話題」というのは事欠きませんね。それがなくなるのが50歳頃なのだと思います。そう。子の大学受験が終わった頃。子を通して知り合った友達とは、子に関する情報交換みたいなものがどうしても会話のベースにあり、それ失ってしまうと、パタリと話すことがなくなってしまう時期がくる。高校受験、大学受験までは、なんとなく互いに足並みが揃っているというか、共通の知人や、共通の不安や喜びや、つまりは「話題」がある、というか、話がもつところもあるんだけれど。そこを過ぎてしまった時。よほどしょっちゅう会えるわけでもないと、こちらの知らない近所の人の噂話とか、お勤め先の愚痴とか、そういう話題しか残らなくなることがある。それが互いに楽しければいいのだけれど、どちらかが苦だと、たいそうしんどい。「あれ?」「あれれ?」という感じになる時がくる。「ママ友」の・・・ これが、限界?こんなサイズです。大きいか小さいかいえば、「ちっさ!」です(笑) **************************************これは自然なことだと思うのです。お互い「母親」というベールが剥がれ、「一人の人間」として向き合うのなら。わたしも変わるし、みんなも変わる。どちらのせいでもなく、そういうもの。変わらない方が、むしろそれは人として不自然で。子の就職がー とか 結婚がー とか、初孫がーとか、仮にこの先そういう話題だけで繋がってゆくこともできるのかもしれなくても、そういう話題って、いよいよ難しいです。だって、いよいよ足並みが揃わない(笑)興味だけで知るのには、そして知られるのには、それはあまりにもデリケートな領域で。包丁を温めて、緊張しながらカット。本当に柔らかくて、お皿に移動するのも怖かった(汗) ***************************************およそたいていのトラブルは、男女間においても、女性同士であっても。もともと成り立っていない関係性や、終わりかけた関係を、無理に継続させようと、どちらかが一方的にあがいた時に起こる。相容れない価値観を擦り合わせてまで付き合い続けるエネルギーを発露するのには、わたしが思うに、ある程度の「若さ」が求められるのです。50歳には、もう、そんな余力は、ない。そんな疲れること、もう、できない(泣)これ以上は難しいのかな、と気づいたら、もう無理はしないで、そっと終止符を打ち、お互いを傷つけ合わないのが大人。 なのだと思う。小さなスイーツばかりいただくようになったので、小さなフォークを3本、MUJIで買いました。ポイント10倍!チーズケーキ【クリームチーズケーキ 約17cm、410g】お菓子 洋菓子 おやつ ケーキ スイーツ Cheesecake HOLIC ****************************************人間として。互いにどれだけ興味を持てるか。一緒にいるとホッとできるか。 安らげるか。そして尊敬できるか。これが全てになる。わたしは、そして周りも。 もう、そういう年齢だ。したくない話も、聞きたくない話も、会えばしなければならない。聞かれれば答えなければならない。せっかく会ってるのに何時間もおし黙っているわけにもゆきませんから、自分の情報を話すことになる。それがもうどこかしんどいのは、きっとお互いさまなのです。一緒の時代に助け合い、子育てを頑張ってきた。 本当にキラキラと輝く、眩しい思い出なのだけれど。その「魔法の粉の効力」だけで、一生関係を続けてゆくことは、難しい。 ***************************************今、辛いことがあった時に、つつみ隠さず話せるか。その人の前で泣けるか。それを面白がって他言される心配なく、心から親身になって聞いてくれるか。嬉しいことを知らせたい、と聞いてもらいたい!とまっすぐ純粋に思えるか。ともに喜んでくれるという安心があるか。(これです。嬉しいことを言いづらくなるのは「黄信号」だとわたしは思う)元気のない時、不安な時には元気出せ!とか 気にするな!とか 贅沢な悩みだよ!とか そんなのみんな一緒だよ!とか身もふたもないような攻撃的なことを言うことなく、抱えている辛さや心細さに、ただただそっと寄り添ってくれるか。誘って断られることがお互い怖くないか。 (だからお互い誘えるし、だからお互い断れる) 断っては悪いから、と無理して会って疲れたり、都合が合わずに断ったことで気まずくなることなども、一つもない安心。メラメラと友情の炎を、火柱のように燃やすのではなく。穏やかに、静かに、灯火のように信頼しあえるか。健やかなるときも、病めるときも。ああ、この人がいてくれて良かった、と 心から思えるか。わたし自身も、彼女にとってそういう存在であれるよう自律できるか。小さくても少なくても、こんなに満足。まるで「ミニマルライフ」みたいなケーキだ! ****************************************そういう友が、いま、わたしには いてくれて。今はお互い家族があるけれど。 (彼女にはワンコもあるけれど)この先 もしもお互いひとりぼっちになった時も、うんと年老いた未来にも、そばにいてほしいと思うのは彼女で。ほんとうに大切にしたいと、思うのです。わたしは血管、もとい 欠陥だらけの人間ですが。ご存知「変人」いいえ 偉大なる変人 な訳ですが。こんなわたしを嫌いにならないでいてくれて、ありがとう。 *****************************************彼女は、最初は、「ママ友」だった。お互いに、たくさんあるママ友の中の一人、だった。「ママ友の限界」を突破することのできたわたしたちは。サバイバーなわたしたちは。今、ようやく。 本当の「友だち」だ。 おわり今日もお読みくださってありがとう。少し前に、彼女のお嬢さんの嬉しい「合格」のニュースがありました。家族と同じくらいにいち早くわたしに知らせてくれたこと・・・嬉しかったなあ (;_;)↓ 49歳の思いの丈を読んでくださって、ポチッとしてくださって、本当にありがとう。にほんブログ村コロナ禍で、なかなか会えないのですが、不思議と淋しくない。互いの無事を願い、互いに思いがかようだけで心温まる。そんな大切なお友達が、読者さまにの心の中にもいらっしゃるんだと思います。これから出会うことも、きっとあるのだと思います。
2020.08.02
子育てを語るなら。少なくとも成人が節目、というか。せめてそこまでいかないと子育てには、まだ何が起こるかわからない、というか。そんな気持ちでいましたが、そうではないのかもしれません。ぶ厚いたまごのサンドイッチを、今日は作りました。たまごは2個、使います。 ****************************************ときどき「うちの子は反抗期がなかったから育てやすかった」と自慢げに言う親がいます。わたしのことです。言ってる本人は、自分の遺伝子やら子育ての方法が素晴らしかったと思い込んでいるのです。自分の子育ては何も間違っていなかったと。とんでもない勘違いでした。とんでもない親でした。 *************************************子が成人する、ということ。 または、社会に出ること。わたしはまだそこまでたどり着けていないのですけれど。たどり着いたとして、何か新たな悟りをひらけるかといったら、全くそんな予感はない。自信もない。挟んだ時は、このくらいの高さがあるといいです。 たまご、ふわふわです。*****************************************「こんなお母さんが欲しかった」。子供の頃、誰もが夢見ると思うのです。もちろん自分のお母さんのことも大好きなんだけれど、それとは別の、勝手に描いている「理想」や「夢」みたいのって誰しもあるじゃないですか。こんなお母さんがいてくれたらいいなあ・・・っていう。わたしは。愚直に そこを目指してしまった。「わたしの思う理想のお母さん」を、目指した。本当に目指さなければならなかったのは、「子どもの思う理想のお母さん」だったのに。自分の理想を、ひたすら追い求めてしまったんですね。子どもにとっての理想と大きくかけ離れていることに気づけずに。ずっとずっと気づけずに、ひとりで得意げになっていた、恥ずかしさ。子どもにとって理想の、子どもにとって「ちょうどいい」お母さん。それが一番だったのに。サンドイッチの一番難しいところは「カット」だと思います。いつもちょっと緊張します。 ***************************************まずはその誤った認識を捨てようと、誓った。間違いに気づいて「変わろう」「変わらなければ!」と。けれども。それまで14年半「正しい」と頑なに信じていた自分を変えることは、簡単なことではなかったです。気づいたけれど。直そうと頑張ったけれど。今も頑張っているんですけれど。一番大切な時に間に合わなかった、と。気づくのがあまりにも遅すぎた、と。正直わたしは感じています。 ***************************************お子さんとの関係が良好なお母さん方に共通するのは、お子さんの話をよく聞いている、ということ。対等の「ひとりの人間」として尊重している、ということ。「子供にとって嬉しいお母さん」であること。自分が満足して踏んぞり返っているお母さん、では、ない。 ****************************************自分の「大間違い」に気づかされたのが、5年前の、ちょうど今頃で。この季節が来ると、なんとも言えない気持ちになるのです。でも、同時に。この気持ちを、死ぬまで忘れまい、と思ってる。この痛みを忘れてしまったなら、きっとわたしはまた、元どおりだ。ちゃんと胸に刻んで、生きる。それは「贖罪」の毎日ではなく。 たとえどんなに不器用であっても、子への「愛情」の毎日、でありたい。そういうお母さんに、わたしは、なりたい。 おわり今日もお読みくださって、ありがとう。にほんブログ村 ぜんぜん短く書けなかった。 ごめんね (;_;)
2020.06.23
2月生まれゆえ。わたしはただいま「49歳」なのですが。2020年は、同級生が。4月生まれ〜12月生まれの同級生が「50歳」になる年です。わたしは、もう自分のこともだから「50代」なのだ、と自覚して生きています。人生折り返しの齢に差し掛かかるにあたり。50代や、もっと先ゆく人生の先輩のお話を聞くことは、とても面白いですし、興味深いですね。その世代その世代で、「心に響く言葉」というのは、これほどまでに異なるものなのか、と感じています。これからは、好きな作家さんや本が変わったり、昔読んだ本をもう一度読んでも、「泣きどころ」が、全く違ったりするんだろうな。「バルミューダ」のオーブンの。 わたしが一番好きな部分は・・・「角皿」です。 ***************************************これは、少し前にどこかで読んだものなのですが。ある時、60歳の女性が「バイオリンを弾けるようになりたい」と思ったんですって。けれど、もう自分は60歳になってしまったし、バイオリンなんて、もう今さら・・・という気持ちになってしまって、その時、始めることをしなかったんですって。その女性は、やがて90歳となり。ああ、もしもあの時にはじめていたなら、わたしは30年もバイオリンを経験することができたのに、と。バイオリンともにある人生を、30年も歩むことができたのに、という・・・ 衝撃。 衝撃? ショック?いいえ・・・それはおそらく。「言葉にならないほどの後悔」だったのではないかな (;_;)掘り立てのジャガイモをたくさんいただいたのならば、すずひ家はコロッケの一択!です。 (小さいのが1個あるのは、おとーさんのお弁当用だよ。)電子レンジ オーブンレンジ フラット【あす楽14時まで】P5倍 送料無料 バルミューダ ザ レンジBALMUDA The Range [ブラック / ホワイト]シンプル おしゃれ ご飯 本体 調理器具 新生活 ◇引っ越し祝い ブラック 黒 ホワイト 白 ザ・レンジ **************************************若いうちは、なんだかずっと「必死」で。30代も、40代も、まだまだどこかわたしは「必死」で。頑張らないと、世の中から置いてゆかれてしまいそうで。必死でがむしゃらでパワフルな人が、40代の、これまでのわたしの目には、だからとても輝いて見えたんですけれど・・・50代に感じる「輝き」は・・・なんだか、それとは少し違うものになりそうだ。わたしの思う「輝く50代」「憧れの50代」を、もしもひとことで表すのなら・・・それは・・・ 「余裕」 だ。余裕のある人は、美しいのです。人としての「美しさ」。人生の後半ともなれば。生まれつきの「造作」だとか「美醜」なんて、女性であろうが、男性であろうが、ほとんど何の意味もなさないのであろうと思う。良くも悪くも、その人の「内面」や「人間性」が。偽りなく、ごまかしも効かず、そっくりそのまま「見た目」に反映されてしまう。必死の内面が。僻みっぽい内面が。意地悪な内面が。せかせかとしたセコい内面が。穏やかな内面が。優しい内面が。感謝あふるる内面が。ゆったりとした余裕に満ちた内面が。そのままが、その人の見た目になる。その人の「佇まい」に。人生をとりまく「雰囲気」になってゆく。紫たまねぎのサラダが、ずっとお気に入り。 トマトを買わなくなっちゃった。 **************************************同じコロッケでもね。コロッケであっても、その「佇まい」が、ね。バタバタと慌てて必死の形相で作った日のコロッケと。時間にも心にも余裕をもった中で、穏やかな気持ちで心を込めて作ったコロッケとでは・・・味、なのか、出来栄えなのか、なんなのかわからないのだけれど、何もかもが違う。後片付けの時の気持ちまでが、全てセットで、違う。バタバタせかせかイライラ作った日には、そういう味になるし、片付けの最後まで、その気分を引きずってしまうところがあります。「イライラコロッケ」か。 「余裕コロッケ」か。 ***************************************いつか家庭での「揚げもの」を卒業できたらいいなあと思いながら、「ひれかつ」「コロッケ」「カキフライ」だけは・・・家族の大好物だから。 わたしも大好きだから。家族の誰かが「食べたい!」と思ってくれるうちは、喜んでもらえるうちが花だと思って、揚げていこうと思ってる。穏やかに、優しく、願わくば「美しく」(笑)・・・ 揚げていこー ( ´▽`)ノ余裕をもって作ることのできたこの日は。日も長くなって、晩御飯の時間でも、まだ外が明るくて、手作りコロッケの画像を、自然光のもとで 撮ることができました ( ´▽`)いっぱいもらったジャガイモで、いっぱい作ったから、昼呑みの「あて」用に・・・冷凍ー ( ´▽`) おわりおまけ!マスク、届いたー ヽ(;▽;)ノ ほんとのおわり今日もお読みくださってありがとう。↓ コロッケ、食べたくなったわー!のポチッと、ありがとう ( ´▽`)ノ にほんブログ村わたし。「コロッケ」だけは。どんな有名店で買ってきたものにも負けない自信が、ひとり密かにあるのです。「残されし4%の国民」だったお仲間のみなさまー! マスク、届いたかなー ( ´▽`)ノ
2020.06.17
今日の一句。「悪くない。色が揃えば 部屋干しも」梅雨入りの発表がなされた途端に そのあと1週間くらいずーっと晴れてたりする年もありますが。今年はしっかり「梅雨」です。朝から じめーっとしてます。そして ざざざーって降ってきました。雨が降り出す前の午前中に、ほんの3時間くらい外に干せただけでも、いきなり部屋で干すのと比べたら乾くのが早くて助かりました。今日も早起きして、良かった! ***************************************梅雨入りは。わたしの中では「上半期終了のお知らせ」でもあります。もう少しで「上半期」はおしまいです。あっという間に「今年」の半分が、終わりますね。この半年の間に買った「服」は、果たして何着だったかな。クローゼットやタンスの中を見ることなく即で答えられるでしょうか。わたしは・・・・ 「3着」です ( ´▽`)ノ ちなみに、今年買った靴は「1足」で、今年買ったバッグは「0個」です ( ´▽`)ノ この「完全に把握できてる感」は・・・わたしにとって、たまらなくうれしいことの一つです。 ***************************************自分のしていることを 自分がわかっていることって決して当たり前のことではないですね。意識していないと、わからなくなる。 ずれてゆく。自分で買ってきたのに、自分の家の冷蔵庫なのに、 冷蔵庫の中に、あと何と何がどれだけ残っているのか常に全然わかっていないことが、昔はあたり前でした。よくそんなことが平気だったなあ、と 今となっては、信じられないのですが。いつもそうだと、それはその人にとっての「当たり前」になります。クローゼットの中も同じことになっていて、自分で買い揃えたくせに、自分が何をどれだけ持っているのか1年中、春夏秋冬、全くわかっていなかった。よくそれで平気だったよなあ、と思う。 いや、違う。本当はぜんぜん平気じゃなかったんだろう。わかっていないから、不安で、不安で、それで次々と買ってしまったんだと思う。ちゃんとわかっていれば、多くの場合、人は安心できるのだから。 ***************************************今。何が起こるか予測もつかない世の中で。初めてのことにも、わからないことにも、必死に対応して生きてゆかなければならないのに。その上自分の家の冷蔵庫の中とタンスの中と押入れの中と引き出しの中のことまでわからなかったら、何もかもがわからな過ぎじゃありませんか (´;Д;`) この世の全てが「わからないことだらけの場所」になってしまうじゃありませんか (´;Д;`)それは、嫌だ (´;Д;`) !!だから。せめて「家の中」だけは。自分の暮らす家の中くらいは、全部把握できていたらいいなあ、って。最近は「薄いトースト」が好きなのです。昔は 超・ぶ厚いのが好きだったのになあ。 ****************************************何がどれだけあるのかわからないほどたくさんあることって、決して「豊かなこと」ではなくてわたしには「不安」でした。把握できていない不安。 全貌を知り得ない不安。 聞かれても答えられない不安。全てが「自信のなさ」に直結するのです。手放して。 手放して。 「手放す不安」も、手放して。不安がどんどん少なくなったならそしたら。まるで入れ替わるみたいに、あるとき「安心」がやってきた。そうか、入れ替わるのか。「不安」と「安心」って、そうか!同居不可能な心理だったんだな。不安を握りしめている限り、安心は訪れてはくれない。不安を手放す、ということ。それは 入れ替わりに安心と自信を迎え入れる、ということ。一度自力で掴んだ安心や自信って、意外とどっかに行っちゃったりしないです。こっちの方が断然心地いい、って、すぐに自分が気付くからです。不安を手放す。 安心を迎え入れる。 毎日それを、ただ淡々と、淡々と繰り返す。安心していたいじゃないですか。 せめて「家の中」だけは。 ****************************************わたしは、ガラクタに囲まれて暮らしていた頃は。自分でどうしてほしいのかを伝えずに、「不満だけをある日爆発させる人」でした。いわゆる「不機嫌で他人をコントロールする傾向のある人」だったのです。迷惑だったと思います。家の中で「孤立」していたと思います。たった3人家族の中で孤立、とかね(泣)でも、ほんとそう。自分のせいとはいえ、ほんと、むせび泣くくらい、寂しいことでした。 「突然不機嫌になる人」「恩着せがましい愛情を注ぐ人」がいつもいつも我がもの顔して家の中に待ち受けていたんじゃ・・・家族じゃなくたって、「安心」なんて、できませんよね (;_;) ***************************************ものを手放す中で。気付くことができたこと。わたしは「不安」だったのだ、ということ。安心したかったのだ、ということ。世の中がこんな時であっても、この家の中は、安心だった。自粛の日々も、ここに じっとこもっていられることが、幸せだった。買い出しで外に出ることの方が、よっぽど不安でした。この家にいられることが、どれだけありがたいことかを、知った。こういうことを言う人は「コロナ脳」とか呼ばれて、嘲笑されちゃうらしいんですけれど・・・それでも確かにわたしは「幸せ」だったのだから。この小さな暮らしを「幸せだ」と思う この気持ちだけは、誰にも笑えないこと、そして「誰にも奪えないこと」だと・・・いま、静かに そう思うのです。 おわり今日もお読みくださってありがとう。にほんブログ村いつも読んでくださって。 なんかもう、本当に、本当に、本当に、ありがとうね。うれしいです 。・゜・(ノД`)・゜・。
2020.06.11
今日は、また嫌われそうなことを書いてしまうのか。そうならないように、書きたいのです。書けるだろうか。いつかこのお話をさせていただきたい、と。ずっと、ずっと 心に温めていたこと。ああ、ブログの神さま。どうか、伝わる文章が、今日はわたしに、書けますように。6月ですね。梅雨に入る前に、意識して必ず買い替えるものがあります。 **************************************「専業主婦」は、今、とても少ないのだそうですね。確かにわたしの周りでも、今となっては希少な気がいたします。絶滅危惧種の野生動物は、とても大切に保護されますけれど。専業主婦に対する風当たりというのは、年々、日に日に厳しいですね (;_;)突然の休校措置などで、その存在価値がちょっとだけ見直された感もあった昨今ではありましたが、やはりそれでもどちらかというと「こういうとき専業主婦はいいよね!」というようなどこか怒りを孕んだような、どこか敵対するような・・・そういう種類の発信を、たくさん、たくさん、お見かけしました。それは「まな板」です。近所のスーパーで買える安価なもの。食中毒シーズンの前の、習慣。 ***************************************わたしの人生と全く関係のない人から、「1日中家の中にいて一体何してるの?!」とか、「専業主婦!?優雅でいいね www」とニヤニヤ笑って嫌味を言われたことが、わたしはふつうにあります。そんなこと面と向かってよく言えるなあ、と ちょっとびっくりもしますが、そういう人は陰ではもっと言ってるのでありましょうから(笑)顔見て直接ひとこと言わずにおられないくらい、その方は「専業主婦」を?いや違う、わたしのことを、バカにしておられるのでしょう。それは別にいいのです。 仕方のないことです。それよりも、専業主婦は、そのくらい「少数派」なのか。15年前くらいまでは、周りにたくさんいた気がするんだけどなあ (;_;)カンパーニュを薄くスライスして、サンドイッチ。目玉焼きの、白身の回りのこんがり焦げたところって、美味しいよねーヽ(;▽;)ノ ***************************************けれども、ですよ。専業主婦が、多い。 めずらしくない。そしてそれが「ふつう」な世界は・・・今もちゃんとあるんですって。それはどこか。「年収1000万円以上の世帯」の、世界です。年収1000万円以上の世帯では「妻が専業主婦です」というケースは、未だ決して少なくはなく、それは「ごくふつうのこと」なのだそう。なるほど。 なるほど。 **************************************以前、明らかに「世帯年収3000万以上」の旧友とお話をしていた時のことです。彼女は、超・バリバリの共稼ぎで働いている女性でしたので、ああ、またわたしは「あなたまだ専業主婦なの!?」って叱られちゃうのかな。 ああ、怖いなあ (;_;) と。なんだか居たたまれなくて、とっても小さくなっていたんですけれど。「専業主婦!素敵!すずひちゃんは、とても幸せな人よ。」 と、開口一番、そう言われて、とても驚きました。彼女曰く。一度外でばんばん働いて「共稼ぎの収入」を経験しちゃうと、収入はもちろん倍々に増えるんだけれど、どうしてもそこに慣れてきて、暮らしのレベルも上げてしまう。上げざるを得ない感じになってきてしまう。周りに負けじと子を私立に入れたくなってしまったり、有名な塾に通わせてしまったり、交際費がかさんだり、旦那さんの車を外車に買い替えたくなったりもしてしまう。仮に年収1000万としても、税金やら何やらで、実際の月々の手取り額は「65万」くらいかも知れないのに、毎月100万くらい使ってしまっても大丈夫なつもりでいてしまうところがある。また稼げば良いんだから!と。だから、なかなか貯金ができないのよー。 と。ほうー、そういうものなのかー (;_;)無添加のベーコンを探すよりも、ふつうの豚肉スライスの方が無添加な気がします。(笑) ****************************************そして彼女は、静かにこう続けるのです。それにね、お給料日に旦那さんに(お互いに)感謝する気持ちが、専業主婦だった時と比べると、どうしても薄れてしまってね・・・と。こっちも働いてるんですから!こっちは家のことも子供のこともほとんど全部背負ったまま働いてるんですから!と、どこか殺伐としてしまう。と。互いの収入を張り合ってしまうところもある。素直な気持ちで「ありがとう」と言えなくなってしまった。あの純粋に感謝できた気持ちが・・・今ね、とても懐かしいんだよ、と。少し寂しそうな表情をした後、わたしの目をまっすぐに見て、「専業主婦はね、だからね、とても素敵なことなのよ。」 と。「すずひちゃんの旦那さんは、きっととても幸せだよ。」とも。ううう (;_;)いや、本当に、その時わたしは・・・ ちょっと泣いた。 ***************************************「あなたの生き方は素敵だ。自信持って!」と、そう励まされた気がした。わたしがどこか「自信なさげ」にしていることに、彼女はきっと、気づいていたのでしょう。専業主婦は、専業主婦同士でなければ、もはや承認不可能なのかと思っていた。わたしは「専業主婦」になることが、ずっと夢だった。わたしはそれを、叶えたんだった!それを、あの時 ようやく、はっきりと思い出したのです。バカにされ過ぎて、長いこと忘れてしまっていた。彼女は、「優しい人」だったのでしょうか。 優しいです。 けれど「優しい」だけじゃない。おそらくあれこそが 「お金持ちの余裕」というものなのでしょう。ありがとう(;_;) *****************************************これは、彼女が個人的に感じておられることであって、「年収1000万以上世帯の奥様代表」の意見、ということではありません。ぜんぜんそういうお考えではない方も、だからもちろんたくさんいらっしゃると思います。ただ・・・叱られるか、またバカにされるのかと思って小さくなっていたわたしがただ、たまらなく嬉しかったのは、彼女が眩しかったのは、「専業主婦」を。悪いものみたいには決しておっしゃらなかった、その「優しさ」と「余裕」。優しさと、余裕と・・・お金持ちの「品格」。甘いパンにはコーヒーが。しょっぱいパンには「ほうじ茶」が合います。この日は、ほうじ茶。 ****************************************本当にお金持ちの人は、専業主婦をバカになどしないのか!、とわたしは初めて知ったのです。ご自身とは全く異なる生き方をしている人に対する「敬意」を忘れない。本当のところはわかりません。わたしに気を遣って、お情けでそう言ってくれただけなのかも知れません。たとえそうだったとしても。けれど、わたしは、ものすごく嬉しかったのです。相手を嬉しい気持ちにさせてくれる話し方ができるという・・・彼女の「品格」。なんて美しいんだろう、と。見習いたい、わたしもいつかこういう人になりたいなあ、と 感じました。 ***************************************「持ち家」と「賃貸住宅」とか「専業主婦」と「働く主婦」 とか。「対立構造」が作り出されているものは 世の中にはたくさんありますね。自分が幸せなら、納得できているのなら、そんなもの、きっとどっちだっていいのだと思います。自分だってどっちでもいいし、周りのことだってどっちでも良くなる。そのどちらかが不幸、なんじゃなくて、対立することや、喧嘩することこそが不幸、なんだ。 ***************************************金持ち 喧嘩せず。お金持ちは、つまらない喧嘩で自らを危険に晒すようなことはしない。お金持ちは、だから挑発には乗らない。「金持ち喧嘩せず」は、お金にゆとりがあるからいつも寛容でいられ、穏やかさを保つことができるのだ、という意味で使われることの多いことわざですが、お金持ちは、もはや「自衛策」として喧嘩を避けているだけなのかも知れない。つまらないいざこざで立場を危うくするリスクや、無益なトラブルに巻き込まれることを、本能的に避けているだけ、なのかも知れない。お金持ちは「勝てる喧嘩ならする」と、どこかで聞いたことがありますから(笑) **************************************ああ、上手に書けなかった。何が申し上げたいのかといえば、「そうなりたい」と思った、ということ。お金持ちになりたい、というよりも。それはもちろんそうなれたなら嬉しいですけれど、そういうことよりも。今が「幸せ」なら。今が「幸せ」だから。わざわざ対立することや、喧嘩をすることが、どれだけ「不幸」なことかを忘れないでいたい、と そう思ったのです。お金持ちの「心の余裕」を、今こそ見習いたい、と思うのです。なぜ今日、ここにこうしてブログに、これを一生懸命にしたためたのか申しますれば、これをわたしがしょっちゅう忘れるから! です (´;Д;`) !!昨日も、おとといも、めっちゃ些細なことに、ムカつきました。些細なことに腹を立てない「精神的な余裕」を、だから、どうか見習いたい。「心の余裕」を、経済力、お金そのもの云々よりも、コミュニケーションの領域において、いかんなく発揮できる人になりたい。お金持ちが喧嘩をしないのは、喧嘩は「損だ」と ちゃんと知っているからです。より大きな成果のために、自分を律することができるから、だと思うのです。煽り運転とかなんて、絶対にしないのだと思います。なんて素敵な人たちなんだ! これを見習わない手はない!お金が先か。 心の余裕が先か。 卵が先か。 ニワトリが先か。お金持ちの「思考」や「心」を見習うことで、準備することで・・・お金は後からついてくるのかも知れないよっ!お金がちゃんとついてきてるかどうか振り返るばかりでなく(笑)ここからの、折り返しの人生。 まっすぐ前を見て、彼女のように、優しく、にこやかに、「心穏やか」に、わたしは わたしの人生を、歩いてゆきたいのです。 おわり今日もお読みくださってありがとう。↓ いつも「読んだよ!」と押してくださって、嬉しいです。とても嬉しいですにほんブログ村専業主婦の方も、働く主婦の方も、持ち家の方も、賃貸の方も。どんな読者さまが読んでくださっても「にこやか」であれるブログを書ける人になりたいです。以前はそれが全くできなくて、間違ってばかりだったから。間違えそうな時は・・・今日のブログを、自分で何度も、繰り返し読み返そうと思います。
2020.06.05
母の日にちなんだ「匂わせ投稿」が、なんと。気にならなくなってきました。昔はね、卑屈でね、ほんとうに心が狭くてね、今ももちろんそうなんですけれど、おかげさまで、年々ちょっとずつですが「マシ」になってきていてね(笑)以前は、「自慢された!」と激しく感じてしまうような人間だったのです。今は「本当のことなんだな」「幸せなんだな」と。ちゃんと素直に「祝福の気持ち」になることができるわたしになれました。これは、大きな進歩。 別人になったような進歩だぞ!(笑)そして、ショックなことに気づいちゃった。こちらの気持ちでいた方が自分も嬉しい、という恐ろしいことに・・・気づいちゃった!ちょっと愕然となってしまった。今まで、なんという醜い嫉妬心で、みじめな消耗をしてきてしまったのだろう、と。自分を蝕んできたんだろう、と。いつものように写真をとって、「さあ頂こう!」と思ったのですが。 **************************************妬んだり、ひがんだりするのは・・・自分を苦しめる行為だったんですね。お相手に対して、ではなく自分に対してのひどい感情、侮蔑の感情、だったんですね (;_;)相手にぶつけたつもりの攻撃は、本当は、全部全部、「自分に対して」だった。 ****************************************それにしても。「本当のことを聞いた」と「自慢された」の違いって。どちらと感じるのかは、受け取り側の問題だったんだなあ、って。相手は関係なく、「自分の中にある問題」だったんだなあ、と。自分の心の「波打ち」の穏やかさに驚きながら・・・ 今、ひしひしと実感している。「こういうことがありました」「こんなことがありました」という事実は同じで。それは その人の身に起こった本当に本当の「うれしいこと」で。嘘とか作り話だったら嫌ですけれど、「本当のこと」なのなら。とても素敵なことじゃありませんか ヽ(;▽;)ノ それを、例えば「母の日」に、もしも「こんなこと書いたら自慢だと思われて嫌われる!」とか「叩かれるかも・・・」とか気にしてしまって、最悪な母の日でした!なんて発信したりしたら、そっちの方がよっぽど「嘘」でしょう?そういう配慮(偽装?)をした方が羨ましがられずに済んで、もしかしたら、むしろ同情や共感を得られたり、誰からも叩かれないで済んだりするのかもしれないけれど・・・それは「嘘」ですよね (;_;)「発信しない」という選択ももちろんあるわけですけれど、「発信する」という場合に限っての気持ち、について いまは考えているのです。いやちょっと待て。これチーズ乗せてオーブンで焼いてみよう!と思いました ( ´▽`) ****************************************本当のお話。 (本当の気持ちや事実とは異なる)嘘のお話。どっちの話が聞きたいかな? って思った時・・・もちろん「本当のお話」が聞きたいなあ、と わたしは思うのです。本当のお話というのは時に残酷であり、だからこそ羨ましくなってしまったり、悲しくなってきたりすることもあるんだけれど、だからといって「ムカつく!」は間違っていたなぁ、と (;_;)そんな自分をとても恥ずかしく、けれど目をそらさず、今、振り返るのです。 **************************************「わあ、よかったね!」「おめでとう!」という祝福で よかったんだ。それが 人としてあるべき姿、だったんだ。昔はね、誰かが幸せになるとまるで自分の幸せが減るような気がしてしまって、それでムカついたりひがんだりしてしまったのだと思うのだけれど・・・そんなこと、あるわけがないよね (;_;)あの苦しい幻想は、一体なんだったのだろう。どうしてそんな風に感じてしまっていたのか、と そんな自分に対し、すごく情けない気持ちになるんだけれど・・・残念ながら、過ぎた過去は、もう変えられない。苦しく感じてしまった頃は、自分がまだそういう段階に、まだまだそういう「レベル」にいた、ということなのでしょう。そこから、少しだけ 成長することができた。なんか 今・・・ とても、うれしい。3割り増しの美味しそうな感じになりました! やった! いただきまーす ヽ(*゚▽゚*)ノ *****************************************みんなの「嬉しい報告」が、わたしも うれしい。ああ、こんな境地があったなんて。もっと早くこうなりたかった。今まで、ひがんでしまった人、ごめん。 ムカついてしまった人、ごめん。そうやって苦しめてしまった自分自身にも・・・ ごめんよ。全部全部、わたしの中にある問題、だったんだな。それをはっきりと感じた、祝福できることの喜びを知った・・・ちょっとだけ成長することのできた・・・なんだか忘れられない気持ちの「2020年・母の日」だったのでした。 ***************************************最後に。「母の日に振り返る」という、デーブ・スペクターさんの母の日のツイートがとても素敵でした。母の日に振り返る 4歳:お母さんは何でも知ってる!14歳:お母さんは何もわかってない16歳:お母さんなんかいなくてもいい18歳:お母さんは古すぎる25歳:お母さんに相談しよう!45歳:お母さんだったらどうするんだろう85歳:お母さんに相談したかったどんな関係も、いつか必ず別れの時がくる。いまを大切にしたい、と、感じさせられるツイートでした。敬意を込めて ここにシェアさせてください。 おわり今日もお読みくださってありがとう。人の幸せを心から祝福する、って。 言葉でいうのはとても美しいですし、うわべではそのように装えても・・・「本当に心の底から」と思ったなら、なかなかそうなれない時が、人間にはありますね。↓ いつもポチッとありがとう。 たくさんの読者登録も、本当にありがとうね。にほんブログ村自分次第なんだ、と ようやく気づきました。気付けるまでにこんなに長く時間がかかってしまって、49歳になってしまったけれど(泣)周りの人の幸せを心から祝福できるわたしに・・・ 今、ここから。 なってゆきたいです。読者さまと、読者さまの大切な人が、今日も1日 お健やかであられますように・・・
2020.05.11
自由に生きなきゃ 幸せになれないよ 斉藤一人さん大人になってしまったら。そう簡単に自由になど生きられるわけない。そんな夢みたいな話、と。真面目な人ほど、きっとそう。真面目すぎた人が真面目すぎる自分の生きづらさに気づいて、ちょっと自分をゆるめようとしたり、ちょっと「自由」に生きようとし始めると・・・真面目をやめられないままでいる人が、すごく怒ってくることってありますね。そんなんじゃ生きていかれないぞ!と めっちゃ脅かす。そういうお節介な人には、真面目なあなたは、じゃあどのくらい成功したんですかと言いたいですね。と、一人さん。そういう嫌なヤツの脅かしは無視するに限るよ。と、一人さん。最後の1着のワンピースが揃いました。 5月以降の「ワンピース暮らし」に向けて。 *************************************「脅かし」の正体って、実は「恐怖」なのだそうです。失敗しちゃいけない、とか間違っちゃいけない、とか舐められたくないとか、自分よりも幸せになってほしくない、自分よりも成功してもらいたくない、という「恐怖」。自由に楽しく生きること。それが「成功」。幸せになりたかったら・・・ 自由にいなきゃ。おしゃれが大好きな人は、誰かから「無駄遣いばかりしないで、もっと有効なお金の使い方をしたら?」なんて脅かされても無視するんだよ。もしあなたが脅かしに負けて、突然「世界平和のために洋服代を節約して、そのぶん寄付をします!」みたいな真面目なことを言い出したら、あっという間に不幸になっちゃうからね。あなたは、自由に好きな事をしていいんです。楽しめば楽しむほど豊かで幸せに満ちた人生になるし、それが周りの人のためでもあるんだ。 (こちらも一人さんのお言葉) ****************************************自分のやりたくないことをしている人ほど、それと同じことを他人にも強要するところがありますね。たとえば 本当は働きたくないのに働いている人は、働いていない人のことを馬鹿にしたりします。たとえば、読書なんて好きじゃないのに親から「本を読め!」とものすごく強要されてきた人は、すごく嫌々本を読まされてきているから、本を読まない人のことを やたら見下したりします。それをしないでこられた人のことが許せない気持ち。大人になってからもずっとその「恨み」みたいなものが心の奥底にあって、自分の教養を自慢したり、読書しない人を小馬鹿にしないではおられない。本当に本が大好きで読んでいた人なら、絶対にそんなことしないのです。「したくない苦労をさせられてきた人」もそう。同じ苦労を味わせようとしてきたり、苦労していない人のことを理不尽に責めたり、そうかと思ったら めっちゃ不幸自慢してきたりします。自分が不自由だったから、自由な人が許せないんですね。そういう「闇」って、誰の心の中にも、必ずあるのだろうと思う。なぜなら。この国で、本当に「自由」に生きてこられた人なんて、きっと ほんの1%もいないでしょう?これ以上首が開くと、家事ができません。 ちょっとのことなんだけれど、わたしのこだわり。 うるさいことや お節介なことを言ってくるのは大抵は「他人さま」や「世間さま」であって。こんな風に「世間」と切り離されている時間が増えた今、ある意味、わたしたちは、とても「自由」だ。こんな長いお休みは、就職して以来初めてだ! とはいえ外出もできないし、一体何したらいいのか、さっぱりわからない。というような「真面目」な社会人さんも・・・たくさんたくさんいるのだろう。急に大量の時間をもらっても、困ってしまうよ、というような気持ち。今、やりたいことをやれなくてとても苦しい思いをされている人がたくさんあることはわかっているんだけれど・・・やりたくないことをやらずに済んでいる人も、きっと、ものすごく多い。やりたくないことや、今までとても無理して頑張っていたんだ・・・ということにこのたびのことではっきりと気づいてしまって、戸惑ってしまうような。今の感じが、なんか自分にはちょうどいい。自粛が解除されちゃうことの方が今度はなんだか怖いよ、恐ろしいよ、という人も きっと「一定数」、いるんじゃないのかな。このままでも困るけれど。全くの「コロナ前」の元どおりの戻るのも、もう嫌だよ、御免だよ、みたいな気持ち。うまくいえないのだけれど。 昨日、ZOZOTOWNさんを退会しました。長いことお世話になりました。ありがとう。 ***************************************自由に生きるだなんて。この制約だらけの世の中で、一体どうしろと?無理だよ!どうにもならないよ!と 放棄してしまっていた思考が。一斉に動き出している時なのかもしれない。自分と向き合う「時間」が、あまりにも足らなすぎた日本人。ゆっくり自分と向き合われたりなんかすると、みんなが「自分らしさ」とか「自由」とか「人生」について いろいろ考え始めちゃうからそうなると 人を束ねたり統率してゆくことが難しくなるから、始業時間。 終業時間。 開店時間。 閉店時間。 登校時間。 下校時間。時間、時間、時間。 ああ、時間。世間から私達がいちばんに奪われていたものは、「時間」だったのかもしれませんね。ワンピース。今シーズンは1着手放して3着買いました。今年はワンピース当たりの年。133.5cmの着丈!迷いなき「ミニマリスト的爆買い」でした。ASTRAET <ASTRAET(アストラット)>ウエストギャザースクエアネックワンピース ユナイテッドアローズ ワンピース シャツワンピース ブラック ブラウン【送料無料】 ****************************************今日は、結婚記念日です。わたしたち夫婦の結婚生活は、今日から「25年目」です。25年は、あっという間です。すごく長かったんだけれど、あっという間でした。時間って、いつもそういうもの。 実際の長さと 感じられ方が、とっても「矛盾」したもの。あっという間に過ぎてしまうのなら、幸せにいたいですね。その気持ちは、結婚何周年であっても、これまでも、これからも。そして 何歳であっても、小さなお子さんでも、お年寄りでも、どの国で生きる人であっても。きっとみんな同じ、なのでしょうね。 おわり今日もお読みくださって、ありがとう。 そして、おとーさん、お誕生日おめでとう!にほんブログ村夏を暮らすワンピース4着のお話は・・・ また 後日、あらためて。今日はとてもいいお天気。 張り切って撮影をしようと思っています ( ´▽`)ノ 今日も1日、読者さまと 読者さまの大切な方が。 どうかお健やかでありますように。↓ 今年の母の日はこれ!と、羽生くんの本! お母さん、どうか無事でいてね ヽ(;▽;)ノ 母の日ギフト 進物 ギフト記念品 ギフト うなぎ【朝じめ活鰻 蒲焼き 2尾 約280〜300g】発送日当日に焼き上げ発送![2人前] 送料無料 うなぎ ウナギ 国内産 国産 土用丑の日 国産うなぎ 誕生日 御中元↓ 25年目の結婚記念日&おとーさん生誕祭ケーキは・・・こちらでした ( ´▽`)ノ 【北海道 沖縄以外 送料無料】フルーツロールケーキ2本入り母の日 誕生日ケーキ パーティー ギフト プレゼント 御祝 手土産 バースデーケーキ のし対応 お誕生日カード 生クリーム
2020.04.29
心だけは、別の場所に 持っておこう。そう思った。心の中までウイルスに侵食されてしまわないように。ある楽天ブロガーさんのお話が、とても心に沁みました。「寄り添うことは黙ること」だ、と。誰かに寄り添いたいのなら、言葉を尽くすんじゃなくって。声をあげ続けるんじゃなくて。正義語ってるふりをするのはやめたほうがいい。ちょっと黙ろ? と。 *************************************ああ、本当に、その通りだ。「元気だそう!」という言葉も、「一緒に乗り越えよう!」という言葉も、「一緒に頑張ろう!」という 励まし合うような言葉も、これらは一見「寄り添うような言葉」に見えて、それは、そういう元気を持てない気持ちの時に言われたなら、とてもしんどい言葉だろう。そうなれない自分を責められているような、もう放っておいてくれ!と。 頼むからちょっと黙ってくれ! と叫びたくなるような言葉だろう。正義は、人を、悪意なく、残酷に、傷つける。使い捨てマスクを、こんなに大切に思ったり使ったことなんて、人生で1度もなかったなあ。 **************************************思春期外来を専門にされていた、ある心療内科の先生のお話が好きでずっと心の支えに読んでいた時期があります。(先生のお名前は「北島晴夫先生」とおっしゃいます)先生はとても悲しいことに、もう他界されてしまわれたのですが、先生の教えは、今もわたしの心の深いところに。ご存命中の先生のブログでは、思春期の子育てに悩む親に対し、子ではなく親が変わることの大切さ、というか、それが「全て」なのですよ、と。 決して子をいじくり回して「自分好み」に変えようとしないで、という・・・S D K S + CS= 信じるD= 黙るK = 聴くS = 全て任せる+C =(親自身が)変わる変わるべきは「親」なの ですよ、どうか気づいて、と。子を「信じる」ことをせず、良かれと思って口出しすることにばかり必死で「黙る」ことをせず、子の話や心の声に耳を傾けること、「聴く」ことをせず、任せてはおけない、とばかりに何もかもを親の価値観でもって先回りして仕切り倒し・・・支配する。それらの行為は全て、子のエネルギーを奪う。その子がその子らしく生きる力を奪う。子どもの心のエネルギーを奪い尽くし、支配しやすくし、パンパンに膨らんでいたはずの心のエネルギーの風船をしぼませているのは、他でもない「親」なのだ、と。子を一番いじめているのは「親」なのですよ、と。黙ってみてください。もう今までに、嫌というほど口出しはしてきたでしょう?もう充分ではありませんか?だからお母さんは、とにかく黙って。と。ひたすら、ひたすら、ひたすらに提唱されておられた先生でした。変わるのは、「親」の方ですよ、と。 親が「黙る」ことの大切さ。 *************************************「黙ること」を、簡単だと思われますか?わたしは、冗談抜きで頭がおかしくなりそうなくらいに難しかったです。口出しせずにいられないことを大変だ!ああ大変だ!と思っていたのに、実際には 全くの逆で。「黙る」ということの・・・なんと、なんという難しく苦しいことか。経験したこともないほどの忍耐と辛抱と冷静さが必要でした。いちいち口出ししている方が、どれほど「お気楽」だったのかを知ったのです。口出ししている方が安心なんですね。自分が。 そう「親」が。「あなたのためを思って」の全ては、本当は「自分が安心したいため」だった。自分が、どれほど愚かで幼稚で、楽な方を選んで、子を信じることのできていない親であったかのを、思い知ったのです。好きな香りのバームでハンドマッサージ。 好きな香りは、心を優しく鎮めてくれますね。ナプラ エヌドット ナチュラルバーム 45g / スタイリング ヘアケア napla *************************************人は、心配や不安があると、何かしないといられない性質があるそうです。こんな事態の時には、現代人は、 SNS を、そのはけ口にしてしまいやすい。黙っていられない想いや不安を、喋りたくなってしまう そして自分が不安だから、自分が安心したいから、「一緒に乗り越えましょう!」と言いたくなってしまう ← わたしですね文章に書くと気持ちが落ち着くのは、可視化することで頭が整理されてゆくのと同時に「吐き出して」いるから、なのですね。ああ。 少し、黙ってみよう。ブログで黙ってしまったら ブログの意味をなさないのですけれど、黙る、と言うのは 喋らない、という意味なのではなくて、感じたことを何もかもだだ漏れにしてしまわないで、ちゃんと自分の中で、一旦、黙ってみよう。そして、それでもお話しさせていただきたいことだけを、ちゃんと、話そう。何でもかんでも、じゃなくて、「不要なこと」を ちゃんと黙りながら話すことも、できるはず。 ***************************************少し前にお話しさせていただいた「知的」の話とこれはとてもよく似ていますね。知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、ということであり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものです。ああ、知的であることに求められる「忍耐と冷静さ」。黙ることにも求められる「忍耐と冷静さ」。「忍耐と冷静さ」が・・・わたしには とにかく足りていないんだ。人生において、ずっとずっと欠落しっぱなしなんだ。子育てで気づかされ。 新型ウイルスに気づかされ。それでもまだぜんぜん身についていないから、卒業できていないから、なんども 気づかされるようなことが起こるんだ。いや違う。「黙る」を学ぶ チャンスなのかもしれない。今、この新型ウイルスによって、わたしは「学ぶチャンス」を、もう一度、与えられたのかもしれない。ずっとこもっていて、表情が変わらないので、顔がこる。 顔が四角くなりそう(笑)顔のマッサージがこんなに気持ちがいいことも・・・今回の出来事で、改めて知りました。【数量限定特典付き】 リファエスカラット ReFa S CARAT リファ リファカラット リファsカラット MTG 美顔器 美顔ローラー フェイス マイクロカレント 公式 remo0420今、世の中は。思うようにならないことが起こっています。文句を言うのも、批判するのも、怒りをぶちまけるのも、簡単なことです。不安だー、こんなの嫌だー 。・゜・(ノД`)・゜・。 と感情のままにわめき散らすことも。黙って、耐える。ことの成り行きを、静観する。こんなことが起こってしまった「意味」を わたしはどうしても知りたいから。そうか、 自粛! 自粛! と やかましく騒ぎたてるんじゃなくて・・・・今は、黙って、耐えてみよう。 **************************************S D K S + C この国の未来を信じて(S)ちゃんと黙って(D)デマに流されず、信頼できる話をよく聴いて(K) そして今は 全てを任せて(S)+C の「C」は・・・「CHANGE」の「C」。世の中が、どんな風に「チェンジ」してゆくのか・・・どんな風に変わってゆくのか、この目で見てみたい。S D K S + C は、きっと、子育てにおける課題、なんかじゃない。自分を育てるための課題だったんだ。忍耐強く、冷静に・・・ 1日1日、もう一度、わたしを。自分で自分を、今こそ。 根気強く「育て直して」みよう。 おわり「+C」は「チェンジ」なのですけれど、もしかしたら「チャンス(chance)」の「+C」、でもあるのかもしれないですね。わたしのブログを、今日もお読みくださって、ありがとう。にほんブログ村読者さまが、読者さまの大切な人が、今日もどうかお健やかであってくださいますように。
2020.04.22
「補償」がどうなるのかわからないままだと、「要請」を受け入れることは、難しい。要請と補償が一人歩きで、特に補償の方はどっかに彷徨ってしまって。国の補償などもはや信じられないから。 あてにできないから。おめおめ自粛などできるものか!と。今のままですと。「自粛し損」みたいな気持ちになるのも、無理もない。損、というより・・・ 怖くて休めない。要請だけを受け入れて自粛してしまったなら終わってしまう、というような。精神論になってしまうけれど、たとえば 安心して休業できるだけの補償をまず先に発動してくれたなら、国はこれだけのことをしてくれた!その思いに応えなければ! よし、ちゃんと約束守って自粛しよう!というような、「受けたご恩をかえす」みたいな意識を感じやすいのは、日本人の素晴らしい国民性であり特徴のような気がするのです。お金だけもらっといて自粛しない人をみれば、世間は相当厳しいはずです。卑怯だぞ!と。 恥ずかしくないのか! と。馬鹿なのか!と。 今年の桜は・・・とっても長い間咲いていてくれたような気がしませんでしたか? *************************************わたしたちは「頭が悪い」とか「馬鹿」だとか、「卑怯者」とか「恥ずかしい人」だとか言われることを極端に嫌うところがあります。ちゃんとした人に見られたい、責任を果たそうとする人、ルールを守れる人だと見られたい、卑怯者や恥ずかしい人にはなりたくないと、多かれ少なかれ、そう思っている。つまりは、できれば「知的」でありたいと。それが人間そのものの優劣を決めるかどうかは別として、知的であることは、多くの場合、世の中においてはたいそう有利であるし、「知的」と言われて気を悪くする人、怒り出す人も・・・ 恐らくは、いない。では、「知的」って、一体なんなのかな。どのような人物を知的とするか、という判断には個々の「好み」みたいなものも大きく関係すると思います。「知的」のものさしは、とても混沌としている。 **************************************** 「知的」とは。 ある大学の先生がなさったお話を、このようにまとめておられるとても含蓄深いコラムに出会いました。人間の属性と知性との相関は いまだよくわかりませんが、その人が「知的」であるかどうか、について、少なくとも私が判断をするときは5つの態度を見ています、というお話。 *************************************** その「5つの態度」とは。1)異なる意見に対する態度知的な人は、異なる意見を尊重できるが、そうでない人は、異なる意見を「自分への攻撃」とみなす。 2)自分の知らないことに対する態度知的な人は、知らないことの存在を喜び、怖れない。また、それについて学ぼうする。そうでない人は、知らないことがあることを恥だと思う。それを隠し、学ぼうとはしない。 3)人に物を教えるときの態度知的な人は、教えたことが伝わらない場合、「自分の教える力の無さ」ゆえ、と思っている。そうでない人は、「相手に理解する力が無い」と思っている。 4)知識に関する態度知的な人は、知識全般を尊重する。そうでない人は、自分にとって役に立たない知識を蔑視する。馬鹿にする。 5)人を批判するときの態度知的な人は、相手の持っている知恵を高めるための、「より良くなるための批判」をする。そうでない人は、「相手の持っている知恵をおとしめるための批判」をする。 知的である、というのは頭脳が明晰であるかどうか、という話ではなく、自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、ということであり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものです。 そういった態度の全てが、「知性のバロメーター」になると私は考えます。 と。まるでわたしたち人間を励ますように咲いていてくれた。芽吹き始めた新緑の葉桜は美しいなあ。 **************************************偏差値って、なにかね。そういう気持ちにさせられるコラムでした。わたしの中での知的の象徴というは、「山中伸弥教授」なのですが。知的な人は、話し方が静か、という印象があります。決して やかましく話さない。世界中がウイルスと戦い、なんとか制圧しようと敵視しているときに、教授は、もう、制圧は困難です。と。今はもう「ゆっくりと受け入れる時です」と。正しく畏れ敬いながら、ゆっくりと受け入れる時。 と。こんなこと、あの時点で言っている専門家・・・ 誰もいなかったと思う。 ***************************************ウイルスに、もしも「意思」があるのなら。敵視し続けられれば、攻撃の手を決して緩めないのかもしれない。制圧しようとするものに対しては、ますます攻撃しようとしてくるのかもしれない。甘くみればみるほど、容赦しないのかもしれない。一方、畏れながらも受け入れる、という感覚。とても悲しいことですが、こうなってしまった以上、もうそうするしかないというような。まさに、1)異なる意見に対する態度 を、ウイルスから試されているような。人類の「知性」を 試されているような。知的な人は こうなってしまったことを尊重する(受け入れる)ことができる。そうでない人は、こうなってしまったことを「全人類への攻撃」とみなす。敵視し、制圧しようとする。ああ・・・5月の新緑の下を、帽子をかぶって散歩できたらいいなあ。 季節は流れる。 必ず、過ぎる。 *************************************「ウイルスを尊重する」だなんて。そんな高尚な精神は、残念ながら、このとおり持ち合わせてはいない「愚」丸出しなのが わたしです。毎日悲しいですし、どうか収束してほしいと 身勝手に祈るばかりなのです。受け入れるのは、とても、とても、むずかしい。けれど。この自粛生活に、わたしは だんだん「慣れて」きました。自粛させられている、という 受身的な、被害者的な気持ちではなく、自分の意思で今は自粛しているのだ、という・・・自主的で能動的な気持ち。自分にできることは 悲しいくらいに小さいし、本当に、何もできないのだけれど。だったら、そのまま、何もしないでいよう。 大人しくしていよう。怒ったり、イライラしたり、ウイルスを恨んだり呪ったりするよりも。そのまま を 見ていよう。 生きてみよう。この世の中に従おう。 そんな気持ち。なんだかうまくかけませんが、ちょっと「あきらめた」ような・・・そうしたら 心が楽になったような・・・早くこうなってほしい、早くああなってほしい、と考え続けることは思いのほかツラく、それが余計にストレスになってしまうことを知った。それなら今は。 ただ、ここに、こうして居よう。季節が巡るように。 いつか必ず過ぎてゆく。 きっとなにか 意味がある。それが何なのか わたしは知りたいから。自分自身の弱さとどれだけ向き合えるか、ということであり、大変な忍耐と冷静さを必要とするものです。忍耐。 そして、冷静でいること。そのとおりですね。わたしはここで、待っていたい。マスクを外して桜の木の下を歩ける日を。 思いきり深呼吸できる日を。ウイルスを畏れながら。 何もできない自分の弱さと向き合いながら。おとなしく、そして、忍耐強く、冷静に。 待っているよ。 おわり昨日は、この事態になってから、初めて「医療の現場」に触れる機会がありました。↓「私も待つよ!」「 家で過ごそう!」のポチッと。いつもたくさん、ありがとうね。にほんブログ村わたしにできることは、娘のような年齢の、ここで働く方々をこれ以上困らせることなく、とにかく元気でいること、家にいることなんだ、という強い気持ちを・・・新たにしました。お読みくださって、ありがとう。「ようせい(要請)」って打つと、しつこくしつこく「妖精」って出て、全く覚えようとしないわたしのパソコンなんとかして・笑
2020.04.14
PCの、google の検索のウィジェットの下に。昨日、「家にいよう。みんなのために。」という言葉がありました。感染予防って、どうしてもはじめは「自分のために」という気が先行してしまうけれど、みんなのために。本当にその通りですね。わたしはわたしなのだが。みんなから見れば、わたしも「みんな」だ。わたしはれっきとした その他大勢の「みんな」の中のひとり、だ。スーパーやドラッグストアに人が多いと、うわ、怖いな、って足がすくんでしまうけれど、他のみなさんから見たなら、わたしだって、その人混みを形成する「ひとり」。レジに並ぶ、ひとり。「できればそこに居ないでほしい、ひとり」なんだ。家で食器を洗い、片付ける。そういう時間の尊さは、コロナが改めて気づかせてくれたこと。 *****************************************みんなの中で、生きている という自覚。ひとりだけ元気でも、嬉しくなんかないです。「みんな元気」でなければ・・・笑顔だって不自然になるし、心は小さく縮こまる。仲間だって。 家族だって。ひとりだけ無事、なんてことは、もう、難しいのかもしれない。みんなが無事でなければ。 **************************************不況に強い職業、というのはそういうコラムを何度も目にしたこともあるし、ふつうに論ぜられてきたことだけれど。「ウイルスに強い職業」って何があるんだろう、って今、初めて日本中が、いいえ世界中が考え始めているのかもしれない。不況は、これまでにもあった。だから経験があるし、データだってあるし、考察のとっかかりやソースは、たくさんあるんだけれど、こと「対ウイルス」に関しては。 初めてのことです。不景気で業績や売上が・・・というのはこれまではたいていの場合「企業」とか「小売」とか「飲食店」とか「サービス」とか限定された業種だけがその煽りをモロに受ける、というようなイメージでしたけれど、ウイルスだけは、違った。エンタテイメントや芸能界・・・ドラマの撮影やロケができない、なんて話は生まれて初めて聞きましたし、安定の中の安定とされる「公務員」だって、ひとたびウイルスの脅威に晒されたなら、ひとたまりもないことを知る。人と接するお仕事の全てに、感染のリスクがある。 ということ。 ***************************************じゃあ、「ウイルスに強い仕事」というのは。人と直接接することのないお仕事だけ、ということになる。何がある?ユーチューバーや インフルエンサーや ヘッジファンドなどが・・・ 最強? わたしは、ずっとずっと専業主婦なのだけれど。去年は「収入」が、あったのです。ここでブログを書かせていただいたことが全ての始まりでした。去年、思いがけず「本」を出版させていただけて、わたしは今年「納税」をすることができたのです。本の出版にあたっては 打ち合わせがあったり、撮影があったり、と、「人と接する機会」は避けられないのだけど、それでも とても最少限だった、というか・・・やりとりのほとんどはPCでした。それでも、「お仕事」をさせていただいているのだ、というとてつもない怖さと覚悟が、わたしには あった。 ****************************************ブログは日記です。ブログを発信することは、誰とも会わずにできる行為です。ブログ書いて必ず本を出すぞ! いつか稼いで見せるぞ! なんて、全く思っていなかった。けれど、こういうことが、小さな日記が。こんな「奇跡」を招くことが、実際に、ありうる。周りの人もすごく驚いていたけれど、誰よりも一番驚いているのは、ほかでもない「わたし自身」なのです。あの日、ドキドキしながら始めたブログが。まさかこんなことに繋がろうとは。 ****************************************本の出版のお話をいただいた時。嬉しいんだけど、やっぱり怖くて、逃げてしまおうか、と何度も思った。やめたほうがいい、という人も もちろんいた。「夢だったんでしょ?やってみなよ。母ちゃんなら、絶対にやれるよ。」背中を押してくれた、おとーさんの言葉。 **************************************一体何が申し上げたいのかというと。わたしはここで これまでも「ぜひブログを始めてみて欲しい」というようなお話をたびたびさせていただいたことがあるんですけれど、今こそ、始めてみてほしい。 そう思うのです。家で過ごす。 人に会えない。 けれど時間はある。誰かと会えたなら話していただろうことを、思っていること、気づいたこと、今感じていることを、文章で、あなたの言葉で、綴る。ただそれだけでも、誰かと繋がることのできる可能性がある。可能性・・・?違う。 これは「実感」だ。 一方的な実感。発信する時に、最後の「記事を公開する」というところをクリックする時にとてもドキドキするです。ドキドキするのは・・・その瞬間に「繋がる」からだ。自分の文章が放たれて、誰かに、あなたに、届くかもしれない。 そういう実感を伴うからだ。あなたに直接会うのと変わらないくらいの強い気持ち、が わたしには、ある。書いたり、消したりしながら、わたしはおそらく千数百の日記を、これまで公開させていただいてきたんですけれど、その1回ごとに、同じように ドキドキするのです。今もそうです。 これに「慣れる」なんてこと、きっとないのだと思う。 ***************************************満員電車に揺られて通勤し、オフィスで集まる。それが、これまでのお仕事の常識だった。駅や都心に近い土地や物件が高価なのも、その常識があるからこそ、だった。出勤しなくてもできるお仕事が増えたなら、その常識も、不動産の価値も、丸ごとひっくりかえるのかもしれない。空気の良い、人の少ない郊外での暮らしを、人々は求めるようになるのかもしれない。何がどうなるか、わからないです。今回の不況は、リーマンの時のようなただの「経済不況」じゃなくて。 「ウイルス」によってもたらされた、先の見えない不況、初めてのパターンの不況、なのだから。今、わたしのこの日記を読んでくださるあなたさまが、「発信する側」にシフトしてくださることがもしもあったなら、わたしは嬉しい。わたしのブログを読んでくださって「ものの少ない暮らしを目指そう!」と思ってくださるのは本当に嬉しいことです。わたしのブログを読んでくださって「ブロガー目指そう!」って もしも思ってくださる方がいらしてくださったら、そんなブロガー冥利につきることはありません。ブログはオワコン(終わったコンテンツ)なんて言われ始めて幾久しいですが、わたしはそうは思わないです。動画にはない素晴らしい世界が、ブログにはあります。音声のないところが、とくに、いい。「声が苦手」で見られないユーチューバーが、実はわたしにはあります(ごめん・汗)苦手な声、苦手な話し方、話のスピード感、って・・・ どなたにもあるでしょう?動画にはない世界。言葉と写真だけの、とても「静寂な世界」が、ここにはある。読みにきてくださって、ありがとう。わたしが本を出版させていただけたのは、読みにいらしてくださるあなたのおかげでした。わたしだけにそのチャンスがあった、と思われますか?そんなこと ありえない。チャンスは、誰にでもある。動き始めるか。 始めないか。ただそれだけのこと、なのだ、と。 わたしは思っています。 おわり大好きなイタリアンのお店が、この事態を乗り切るため「テイクアウト」を始めるそうです。動き出す人はどんな時も動き出す、ということを知りました。とても勇気づけられました。 ↓ 家にいよう。みんなのために。 いつもポチッと。「繋がること」をわたしに教えてくださったこと、ありがとう。にほんブログ村もしもこの度のことでお店がもたなくなっても。屋台からでも始めるさ!と。必ずお客さんは帰ってくるさ!と。 なんて強くてかっこいいのだろう。ご自分のお仕事に、作り出すお料理に、誇りを持っている人しか言えない言葉だと感じました。今日もお読みくださって ありがとう。
2020.04.11
ミニマルな暮らしをしていると、大切なものは少ない、ということに気づきます。捨てて気づいて。 気づいて捨てて。それを、毎日くりかえす。今、世の中がこんなことになってしまって。台風も、地震も。紛争や戦争も。 不慮の事故も。 みんなみんな とても恐ろしいのだけれど。 このような「目に見えない脅威」というのは、今までは。SF小説や映画の中だけの世界、のような気がしていて。「放射能」とか「集団食中毒」とか、目に見えないものは恐ろしいのだけれど 今までは「地域限定」というような認識で。日本のどこかには、「安全な場所」というのが 必ず残されていて。そこに逃げることが、わたしたちには、可能だった。もう、そうじゃないのですね。大切なものは 少ない。それは ふつうの暮らしの中で わたしが気づけたことだけれど。大切なものは「すごく」少ない。これは 非常時だからこそ、気づけたこと。今しか気づけないことが、たくさんある。今だから気づけることって、実はとてもたくさんあるのです。 *************************************「体温計」が売っていないのだそうです。今、とても手に入りにくいのだそうです。そんなことが起こるんですね。「もともと一家に1本は必ず常備されているもの」という常識はわたしの中だけでの常識だったのかもしれない。わたしのブログを読んでくださる読者さまは。今、どんなブログを求めておられるのでしょうか。「明るいブログ」を 求めておられるのでしょうか。それとも 不安な気持ちを共有できるような、そんなブログを求めておられるのでしょうか。わたしは わたしの書けることしか書けなくて、今はこんなの読みたくないよ!!ということを書いてしまっているのかもしれません。どうか許してくださいね。何度も読み直して、心を込めて書いています。家の中にいて、誰にも会わずに、こうして「発信」できること。日本中の、さまざまな都道府県にお住いの読者さまと、もしかしたら 外国にお住いの読者さまとも、つながることができる。いま それぞれの方々がおかれている状況は。 それぞれに大きく大きく異なるから。あなたさまのおかれている状況とズレたことをわたしが書いているときには、どうか。 どうか許してください。外出自粛の毎日の中で。わたしのブログを読んでくださる時間がちょっとでも楽しみになってくださったら嬉しいなあ、と思うのに。明るい気持ちになれるようなブログを書くことは いま、とてもむずかしくて。でも、これが 人として自然なことだと、わたしは思っています。「さて、今日は どんなことを書こうかな」と思うその前に、いつも これだけのことが頭の中をぐるぐると駆け巡ります。こんな時に「服がー」とか「靴がー」とか、バカじゃないの!? ということもあるのだと思います。自分でも、そう思いながら書いています。覚悟して、書いています。だから、こんな時であっても、読者さまが。これまでと変わることなく読みにいらしてくださることが、余計に、とても嬉しくて、ああ、発信できてよかったなあ、って ものすごくホッとするのです。ありがとう。結局いちごジャムは作れないままでいるのです。そんなわくわくする気持ちが湧いてこなくて。わたし、1月31日の日記に、こんなことを書いていました。(★)外で働く皆さんは。とくに接客するお仕事に従事されておられる方々は、まさに今、どれほどの不安を抱えておられることでしょう。時給と命を天秤にかけることなんて、ふだんそこまで考えることはないのかもしれないけれど、今は、世の中全体がそういう雰囲気に陥っています。とても不安だと思います。送り出す方も、見送る方も、やはり不安で。それでも働いてくれている人の尊さを、こんな時にしか気づけない自分に、改めて、気づく。「時給と命を天秤にかける」だなんて。1月末のあの時点では、まだ「またまたそんな、大げさな www」と わたしは思われて、笑われていたかもしれません。けれど、今は。 もう、そうは思われないのかもしれません。その時に思ったことを発信していると、その時にはちょっとズレていても、しばらくした頃にピタッとくるようなことも、これからはあるのかもしれない。そう思って。その時に感じたことを、これからも勇気持って発信したい、ってわたしは思っています。 ***************************************ライフスタイル系のブログは。本来なら なんだか楽しかったり、美味しそうだったり、お出かけやお買い物のお話だったり、服だったり、バッグだったり、収納やインテリアのお話だったり、そういう役割り、というか、多分そうなのです。何を発信したらいいかわからなくなっておられるブロガーさんは、今、たくさんいらっしゃるのかもしれません。いつもどおりのブログを発信されている方であっても、きっとものすごく葛藤があるんだろうなあ・・・って「行間の気持ち」を読む癖のあるわたしは、すごくそう感じます。 ***************************************好きなブロガーさんが、いつも通りの日記でも。 非常時に関することの日記でも。楽しい日記でも、悩んだ日記でも、何かを発信してくださることが、わたしは ただただ 嬉しい。日本の国のどこかで、無事にいてくださることがわかるから。みんなみんな、先の見えない不安の中で、頑張っていることがわかるから。ひとりじゃない、って思えるから。だから。発信してくださって ありがとう。みんな、ありがとう。そして読んでくださって、ありがとう。わたしもそんなひとりであれるよう、心を込めて読むし、発信します。どうか、読ませてくださいね。 どうか、発信させてくださいね。 おわり今の気持ちを、正直に書きました。にほんブログ村お読みくださって、ありがとう。 みんな、どうか、ご無事でいてください。
2020.04.07
48歳を、捨てよう。今日は、わたしにとって、「48歳」最後の日。クロワッサン・パトロール。クロワッサンだけで4種類もあるパン屋さんへ出かけました。 ****************************************ものを一気に捨てたときのわたしの話を、今日は少しだけ聞いてくださいますか?片付け、とか、暮らしを整える、とかそういう次元じゃなくて。「自分ごと消えちゃいたい気持ち」で、わたしは捨てていました。何もかも嫌になってしまうような瞬間って、一生懸命生きていたなら、誰しも。どなたさまの人生の中にも、1度や2度 おありだと思います。自分ごと消えてしまいたいような気持ちで、そのつもりで何もかも捨ててしまったのに、自分は消えないし、人生は、まだまだ、ちゃんと続いていた。 残酷なほどに。ここからどうやって生きるのかを、どうやり直すのかを、空っぽの部屋から、冷たく・・・ そして「本気」で、突きつけられた気がした。「クロワッサン・プレッツェル」に出会えた! バルミューダが、連日の大活躍です ( ´▽`)ノ *******************************************空っぽの部屋。 空っぽになった自分。 あの夏の日から。生き方を、持ち方を、考え方を、ひとつひとつ選び直して、いまがある。もう間違えないように。 もうあんな思いをしなくていいように、気をつけながら、それでもやっぱりまだ失敗したり、間違えたりしながら、「いま」の わたしが あります。48歳最後の日。小学校生活最後の運動会、とか言われると、特別な気持ちになったことを覚えているけれど、3年生や4年生の運動会が、じゃあそれよりも価値が薄いのかと言ったら、そんなことない。最後じゃないなら、次があるなら、来年もまだあるなら手を抜いていい、というのは違う。どの時も、どの日も、どの瞬間も、本当は いつも「最後」で。同じ瞬間など二度となくて、いつも同じように大切で。 かけがえがなくて。これが最後だと思うと、人って「特別に」心を込めることができたりしますけれど、それじゃ、命が、時間が、もったいないですね。毎日が、最後だと思って生きる。 ほらまた大袈裟な、と せせら笑われてしまいそうですが、ものを一気に捨てた、自分も消えてしまいたい気持ちで捨てた、2015年のあの夏の日から。そういう気持ちで生きることを、わたしは、心がけています。 (できない日もあるけれど)ものを捨てて人生が変わるなんて。 信じられないけれど、本当に、そうだったんだよ。人生観が、変わった。捨てることは。 何もかも捨てて、自分をも「空っぽ」に無くしてしまうのではなくて。嫌な自分(だけ)を、無くす。 自我まみれで思いやりのない、嫌な自分は無くす。そのあとに、キラキラ残っていた自分の良心や、自分の良いところは 大切に大切に守る。自分の中に持っている (とっても 少ない・笑) 良いところを・・・ 大切に、守る。「少ないものを大切にすること」と「人生」は全く同じだ、と、知ったのです。48歳までの自分の中の、「嫌な自分」は ちゃんと、今日、捨てて。大切なものだけを 抱きしめて。自分の中の「嫌なところ」「余計なもの」は 潔く手放して。 自分の中の「良いところ」は 失うことのないよう、大切に、大切に。明日から。「49歳」を、始めよう。 また、1歩、1歩、 歩き出そう。 おわり消しちゃった昨日のブログ。 読んでくださった読者さま、ありがとう。 ↓ たくさんポチッとありがとう。 思いを伝えさせてくださって、本当にありがとう。にほんブログ村後悔するのでは、と、本当は、とても怖かったのです。けれど、書いてよかった。この場所のおかげ。 優しい読者さまのいてくださったおかげです。 本当に、ありがとうね。
2020.02.11
自分の身についた攻撃性はどうしたら消えるか。自覚して「嫌だなあ」と思った瞬間から少しずつ消えていくから大丈夫よ。相手が悪いと思っている人が、一番攻撃的。 精神科医 Tomy 先生わたし、気づいたことがあるのです。きのう、そして 時々「短いブログ」を書いてみて、気づいたのです。刃物の切れ味とストレスは超・直結。人間は実につまらないことに「イライラ」するものです。藤寅工業 【メール便での発送商品】 Tojiro キッチン鋏(セパレート式) FK-843 05-0173-1001↑ 10年ぶりに買い替えたキッチンばさみの切れ味に感激の日々。鶏もも肉もさくっと斬る! ****************************************わたしの「性格の悪さ」や「身についてしまった攻撃性」について。書くブログが長ければ長いほど、そういうところがじわじわ顔を覗かせるのではないか、と。露呈するのではないか、と(笑)優しい人になりたい。 いつも思っているのです。(これでも)大きなお皿にうやうやしく乗っけたくなるのが、このお菓子。じっと見ていたい「余白の美」。プレスバターサンドバターサンド黒(9個入)長文を書けば書くほど、良い人から遠ざかる。優しさから遠ざかってゆく。わたしの「長文ブログ」は・・・ 長ければ長いほど、いつも、そうだ。↓ 当分買わなくて良い! 500g×4個! 買いに出かける回数を減らせることの喜び。送料無料 自家焙煎 コーヒー リッチ ブレンド 2kg ( 500g × 4袋 ) ( コーヒー豆 コーヒー粉 珈琲 )( ドリップ コーヒー ファクトリー )※パッケージ移行中に伴い、商品画像とパッケージが異なる場合があります。あらかじめご了承ください。成功者やカリスマや美しい人が大好きで、そういう人の話を聞いたり著書を読んで「この人ステキー!!」ってなって、簡単に心酔してしまうのが、わたしでした。今、こうして年齢を重ねて。若かった頃の自分に「もう少し気をつけたほうがいいのでは?」と苦言を呈したくなる。理想を追い求めるのも、度がすぎたり身の程に合っていなければ、滑稽なだけですよ。もっと、そのままでいいのに。 いびつでも、情けなくても、素のままで、いいのに。あなた、一体、自分以外の何になりたいの?服やバッグやインテリアや、成功した他人さまのライフスタイルを目指すんじゃなくて・・・自分さ・・・ もっと、「人としての優しさ」を目指したらどうなの?ちょっと、自分以外の何かになってしまいそうなペースだった期間なのが「去年まで」で。ゆっくりと取り戻せてきている、今。自分を「このままでいい」と赦すことの安心を・・・ゆっくりと、噛みしめている。ほろ苦い「プレスバターサンド(KURO)」とともに、噛みしめている。 ***********************************何を申し上げたいのかというと。攻撃性や怒りをガソリンにして走り続けることって、とてもとても苦しいのだ、ということ。攻撃性の反対は、「無気力」や「衰え」や「諦め」や「敗北」や・・・みじめなことばかりなのかと思っていたのだけれど。きれいごとをいいますよ。 今からすずひが、すごい「きれいごと」を言いますからね。攻撃性を手放すことは、意外や意外「感謝」への切符だった、って気づいた。怒りはある。 腹がたつこともある。 それは、誰にだってある。だからと言って、カッとなって、負けてなるものか!と攻撃するのではなくて気づかせてくれてありがとう、と そう思う。こういう経験をさせてくれたことに「ありがとう」と。攻撃を手放すと、そこに ふっと「感謝」の隙間ができる。心の余白。 心にうまれる「感謝」の余白。きれいごとですね。 でも、「きれい」なんだから。 きたないよりも、ずっといいよね。*****************************************攻撃性を失ったら、社会の中でちゃんと生きていけないと思っていたの。それじゃ負けてしまう、と。 あまりにも脆い、と。そんなことないですね。うんと生きやすくなるし、優しくなれる。 人が集まってくる。それでもやっぱり 人間ができていないですから 日常の中で、時としてむくむくと湧き起こってしまう 自己の「攻撃性」を・・・嫌だなあ (;_;) わたしはどうしてこうなんだろう (;_;) と思ってた。いつも、いつも、思ってた。自覚して「嫌だなあ」と思った瞬間から少しずつ消えていくから大丈夫よ。わたし、自分の中の「攻撃性」を自覚している。 そして、嫌だなあ、って、いつも思ってる。すごく、すごく、ものすごく。「少しずつ消えてゆくから大丈夫よ。」本当なのかな。 本当だったら嬉しいな。ああ、どうか、少しずつ、少しずつ、少しずつ、消えてゆきますように。優しくなれますように。 おわり今日もお読みくださって、ありがとう。 いつも、ありがとう。↓ ポチッとすると、今日も1日優しく過ごせます! だったらいいのにな。にほんブログ村今日から気温がぐっと下がるって。みなさま、あたたかくしてお過ごしくださいね ( ´▽`)
2020.02.05
以前にもご紹介をさせていただいた、斎藤一人さんのお言葉です。人間の言葉の中で一番大切なのは相手にどうしたら劣等感を与えないか、です。 斎藤一人 自分に劣等感のある人は、とかくその場の空気をおかしくするような発言をしがちなのだそうです。お相手を不快にさせたり、まして傷つけたいわけではなくて、そういう言い方しかできないのだそうでです。自分の中の劣等感が、そうさせるのだそうです。劣等感(コンプレックス)が、本来持っている自分の「良い面」をことごとく出し渋らせる、というようなイメージ。「良い人だ」と思われないようなことを、わざわざしちゃう。 良い人ね、と思われたいはずなのに・・・反対のことばっかり、無意識にしてしまう。 本来持っている自分の せっかくの「良い面」を出し惜しむ、だなんて。なんのためにそんなことを? 好かれようとして嫌われる(叶わない)くらいなら、最初っから嫌われていた方が楽だと、傷つかずに済むと、本能が知っているからなのだそう。これまでの経験から、歪んだ学習をしてしまっている。 傷つくことを事前に回避、または防御? してるんですね。 お正月に用意したお花はこれだけ。高さもあってどっしりとしたこのグラスは 花器にぴったり。ガミガミいう人は、100% そうなのだそうです。本当に伝えたいことはガミガミ言わないほうが伝わることなんて、大人なら誰だって知ってます。なのにそれをする。 そういう言い方を、あえて選ぶ。 (嫌われておくためかな?)男性の場合、コンプレックスや劣等感は「出世」では解決できないそうです。家族が優しくちやほやしても解決できないそう。問題は、本人の「心の中」にあるから。 飲み屋やなんかでお金を使って、いくらかちやほやされて 外で発散できる人はまだマシで。それすらできない人は、家に帰ってから 家族に対して「ねちねち」とやる。奥さんが、ある日突然ヒステリーを起こしたりノイローゼになったりしたら、それは大抵、旦那さんの持つ「コンプレックス」が原因です。 と、 一人さん。 掃除の済んだ床に、日差し。こういうのを、ただ ぼーっと見ている時間がわたしには必要。 ***************************************奥さんを「本当に」自由にさせていたか。自分(旦那さんご自身のこと)を褒め称えさせていなかったか。楽しかった話をした奥さんに、「よかったね、また行っておいでね」と心から言えたか。そんなに楽しくなかった、つまらなかったと聞いた時の方がホッとしなかったか。******************************************自由って、難しい。宇宙で一人きりだったら「自由」か、といえばそうではなくもともとどこかに所属しているからこそ、解放された時に感じられる幸せ。それが「自由」なように思う。一年中自由だったら。 きっとそれは、とても不自由だ。 ****************************************大好きなお友達が、新しくお仕事を始めて。通勤に時間がかかり、しかも満員電車。 業務もなかなか激務。仕事して、帰って、もうバタバタで 余裕のない毎日なんだけれど・・・・それでも頑張れるのは 楽しいのは 新しいお仕事先の人間関係がね、「クリスタル・ホワイト」なんですって *・゜゚・*:.。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. :*・゜゚・*「ブラック」な企業。 「ホワイト」な企業。 それは聞いたことがあるよ。ホワイトの上には、そうなのか、「クリスタル・ホワイト」という世界があるのか!それは、彼女ご自身がそういうお人だから。 本当に面白くて、優しい、素敵な人なんです。そういう人ばかりが周りに集まった、ということ。わたしも、いつか そんな世界をみて見たいな。 彼女のようになりたいなあ ( ´▽`)ノ ***************************************「本当に良い旦那とは」 なんてタイトルに書きましたが。これは「本当に良い奥さんとは」っていうのと つくづく同じだ、ということを忘れてはならないと・・・ 改めて すずひは気づくのです。何かのアンケートで、よその奥さんを羨ましいなあ、と思うのはどんな時ですか?というのを既婚男性が匿名で答えてたんですけれど・・・「若い」とか (やっぱそこか!・笑)「料理上手」とか、「可愛い」とか、「スタイルがいい」とか、まあそういうわかりやすいのが一通りあって・・・そこにぴったり続く感じで「自分の趣味の外出に理解がある」(旅行とかゴルフとか釣り。マリンスポーツとか?雪山?)「自分が飲み会にゆく時に嫌な顔をしない」(会社の同期や学生時代の友人との飲み会など)そういう奥さん、まじ羨ましい(;_;)! と、わらわら わらわら 噴出していました。すずひはね、 (゜∀。) ??????? こういう顔になりましたよ。これは、世代の違いにもよるのでしょうけれど・・・えっ!?旦那さんが趣味の外出したり飲み会にゆくのが「嫌」な奥さんが、いるの??? と。 *****************************************乳飲み子抱えてたときは、確かに、嫌といえば嫌だったかもしれない。初めての子育ては、なんとなく一人では不安でしたし、放って置かれてるような気がして。赤ちゃんがいて、まだ体もしんどくて、夜中にも何度も授乳があって、おかーさんには24時間全く休む間もなくフラフラなのに、旦那さんだけ好き勝手なことしてるように見えたら、そのときは腹たつかもしれない。その恨みは、一生ものかもしれない。でも、今は。 なんでも自由に送り出せる。 家のことは何も心配いらないよ。 ぜひ、自分の余暇を、「自由」に、存分に楽しく過ごして欲しいと思う。おとーさんに、「自由」でいて欲しいと。 心から、そう思う。あの日の「味噌おでん」が、効いている。 すごい効果なのだ。年末に。 「自由」を叫んで(笑)。 わたしはずっと行きたかったお店に行きました。食べたかった「味噌おでん」を、一人で食べた。 本当に、本当に、嬉しかったのです。そのたった数時間の喜びが、嬉しかった気持ちが 想像を大きく超えて長く効いていて・・・このお正月休み。 わたしは 今のところ、全くツラくない。ほら、みなさまもうご存知の通り、わたしは「一人の時間」がないと それだけで精神が参ってしまうタイプで、長期休暇の後半なんかは、もう自分で自分の感情がおさめられなくなってしまうどうしようもないところがあるんですが、今回、とても平気なんです。 あの「味噌おでん」と「黒ラベル」思い出すだけで。これは 自分でも知らなかった。お休みが終わったら。 やり遂げたら。 そしたらご褒美だ! ランチだー!!! というパターンが最良かとばかり、これまで思っていたのですが、わたし、先に「嬉しい目」にあっておいた方が頑張れるタイプだったようだ。あの「自由」を叶えたのだから。 今は家族のために頑張ろう、という気持ち。優しくなれる 気持ち。自分の感受性くらい。 ほんと、そうね。 自分で上手に扱えるようにならないと、ね。仲良し夫婦の秘訣って・・・もしかすると。深い愛情や、どんなに優しい言葉や、べったりと一緒にいる時間よりも。 もっともっと大切なのは、 それぞれの「自由の確保」なのかもしれない。そういう時間があればあるほど。 互いの自由を尊重し合えれば し合えるほど。一緒にいる時に、うんと優しくなれるのかもしれないです。かもしれない、じゃないです。 わたしは、確実に、なれます。 今年のお正月休みの すずひは・・・ 去年より、どの年より、実際、めっちゃ優しいですから! (味噌おでん効果!) おわりすずひも考えました。今年の「一文字」。 パワフルなミニマリストさんを見習って! ↓ お正月休みも後半戦。自分にも周りにも優しく頑張ろう!決意のポチッと、ありがとう!にほんブログ村わたしの今年の一文字は・・・「優」。 ずっと言ってますけど「優しく」なりたいの(笑)何か迷うこと、選択することがあれば・・・より「優しい方」を選べるわたしになりたいな。優しいお料理。 優しい言葉。 優しい笑顔。うわあ、できるかなあ ヽ(;▽;)ノ
2020.01.04
2020年。 新年 あけましておめでとうございます。読者のみなさまは、いま、お家でゆっくり過ごされておられるのでしょうか。それとも旅先の温泉旅館などで優雅な新年を迎えておいでなのでしょうか(羨ましいっ!)または、ご帰省なさって、義実家やご実家で、みんな揃って賑やかにお過ごしなのでしょうか。今年は梅酒で。 ビールも飲むけれど、梅酒メインで! キレイな琥珀色。 Single year。 ****************************************いま、この瞬間、楽しく過ごせている方は、どうぞそのまま思いっきり楽しく ( ´▽`)ノ !そうではなく。いま、なんとも言えない「気遣い」や「居たたまれなさ」の中におられる方に・・・すずひの大好きな精神科医の先生の言葉を、あなたのお心の支えになることを願って、捧げます。他人ってガッカリさせてもいいのよ。自分のやりたいことを貫けば、どこかの誰かはガッカリするものよ。1番モノのわかった人は、ガッカリしない。2番目にモノのわかった人はガッカリしても言わない。1番わかっていない人が「君にはガッカリした」と わざわざ 言いに来るの。今年もすずひのブログを、どうぞよろしくおねがいします。 一つ一つ、心を込めて書きます。 *************************************あなたが、いま、この瞬間、誰を大切にすればいいのか。 申し上げるまでもございません。あなたご自身と。 「あなたを1番わかってくれる人」を、どうか大切に。どうか どうか 心穏やかなお正月を お過ごしくださいね。お正月のおやつは・・・この麗しい木箱の中に。 この木箱が空いたなら、読者さんから頂いたお手紙を入れる箱に・・すずひの宝箱にしよう!あれっ! えっ!? もう1個ない!! ちょ、犯人、誰!? 誰さーっ ヽ(;▽;)ノ ****************************************せっかくのお正月に、新しい年・輝く2020年の幕開けに。無理してしまったり、傷ついてしまったり、どうか、どうか しないでいてね ( ´▽`)あなたらしく、穏やかな笑顔で、良いお正月を過ごせること・・・ 祈っています。 おわり令和2年、あけましておめでとうございます!にほんブログ村今年は、去年に引き続き「わたしから家族へ」新年のお年玉を渡すことができました。去年、とってもとっても実り多い1年でしたから・・・今年もね、続けてみたよ ( ´▽`)ノ お正月にも、すずひのところに会いにきてくださって、ありがとう。今年もたくさん、ここで会えますように。↓ また楽天が重いです。切れ味の悪くなった爪切りを買い替えたいのに、めっちゃ重いです。
2020.01.01
子育てに関する ご本には、読む ご本によって、真反対のことが、よく書いてありました。・暮らしの全てを「当たり前」だと思わせてはいけない。・恵まれていることを自覚させよ。・お手伝いは絶対にさせてください。・子に役割を持たせよ。そういう、「親への感謝を忘れさせてはなりませんよ!」であるとか、「そうでないとロクな大人になりませんよ!」的な、そういう ご本。ところが、別の先生のお書きになられたご本には。そういうすべてが子の可能性を摘むのです!! との 警鐘が。そういう親の姿勢こそ 子にとって「害」にしかならないのです、気をつけて! と。それこそが「毒になる親」だ、と。お子さんの、生きる気力を奪う行為ですよ、と。・生まれてきてくれたことにありがとう。・そのままで、あるがままで、素晴らしい。・親は、親としてできるだけのことを ひたすらするだけ。・いちいち感謝を強要してはならない。(親が好きでやっていることなのだから)そのままの自分で十分に価値があり、ありのままで愛されている自信を持った子は強い、と。無限の可能性を発揮する。 自分を好きだ、と思える子になる。 逆境に強い子になる、と。「責任を果たしたから愛された」のではなく、「ただ無条件に愛された」という記憶と自信こそが、お子の生きる力の源となるのですよ、と。 ************************************混乱するよね。 親に向かって、子が「ありがとう」などと言う必要はないのだよ、と。どっちを信じたらいいのでしょうね。 答えなんて、どこにもなくて。その子 その子によって きっと違うのでしょうね。目の前の我が子と向き合う、ということ。 「アポロチョコ」をね、ビールのグラスに沈めたこと、ありますか? **************************************お義父さんが亡くなったとき。(4年前のことです)最後の最後のお別れの時、斎場のはからい、というか 式の流れの決まり、で・・・故人に向けて、お子が、最後にひとことずつ、何か言葉を、というシーンがありました。「ありがとう」という言葉が 多いそうですが。おとーさんは。 「ありがとう」ではなく。「俺、頑張って生きるから。見ててくれ。」 と 言った。びっくりした。涙が、止まらなくなった。 ****************************************わたしは 「いいお母さん」ではなかった。一生懸命やったけれど、いいお母さんではなかったと思う。いいお母さんだなあ・・・と思う人を見かけると、だから、泣きたくなる。 今も。これは、この泣きたくなる気持ちの正体は、「罪悪感」なんだろうな。 きっと。いっぱい「ありがとう」を求めた・・・ 罪悪感。とってもおもしろい現象が起こるんですよ。 読者さまは、もうご存知だったかな ( ´▽`)? *************************************罪悪感があると、自分を傷つけたくなりますね。性格の悪い人は、人を傷つけたくなるのだそうです。だから わたしは、性格は、まあまあ良い方なんだと思います。 ( ←えっ! )自分に向けられるだけ。 まだマシな人間だった、と、自分で 自分を。今日は、褒めよう。 ビールにアポロを沈めて。 小さく、小さく、褒めてあげよう。 おわり急に心に浮かんだことを。 ただそのまま、書いてしまいました。にほんブログ村お読みくださって、ありがとう。
2019.11.13
わたしは「闇を持つ人」が 昔から嫌いではありません。ちょっと暗い人が 好きなのです。ふだんとても優しい人が 時折垣間見せてくれる、ふっともらす闇って、「魅力」でしかない。月のように、人には見せない「裏っかわ」を ちゃんと持つ人が好きなのです。裏表のない無邪気で明るい人には、なぜか魅力を感じられないのです。 変かな?(笑)あったか「かかとケア」ソックスのままで スニーカーが履けた!! やった!!\新色追加/かかとケア 靴下 かかと モイストパックソックス インナーソックス かかとつるつる 靴下 レディース 暖かい ソックス かかとガサガサ 保湿 コンフォートハグ 靴下 レディース 暖かい 【メール便 送料無料】あす楽 ギフト プレゼント キャッシュレス暗い人は、優しいです。 明るい人は・・・明るいんだけれど、意外と冷たかったり、自己中だったり、気分屋だったり。明るい人の明るさは、多くの場合、虚像であると思っているのです。 表向きの「社交用の顔」であって・・・頑張ってくれている。 無理してくれている、と。明るすぎる接客はとても苦手だし、画一的でつまらないし、辟易してしまう。ふだん真面目そうな、笑顔が苦手そうなおとなしい雰囲気の店員さんが、不意に笑ってくれた時なんて、たまらなく嬉しい。ひねくれているかな? ひとしきり笑った後の「真顔」こそ・・・ ふと背を向けたときに見せる表情こそ、その人の、その時の、本当の気持ちの本当の顔、でしょ?「ありがとうございました〜!!」と とびきりの笑顔でお客さんを出口まで見送ったバイトさんが、振り返って店に戻るときに「真顔」になるのを 見るのが とても好き。ああ、人間らしくていいよ、よかったよかった!と、つい安心してしまう、変な わたし(笑)お財布だけで、お出かけ。 バッグを使わなさすぎて、不意に心配になる(笑) *************************************日常生活でも。 お仕事や接客の上でも。「ありがとう」は言える。 けれど、「ごめんなさい」を なかなか言えない。そういう人が 世代問わず、いま、増えてきているのだそうです。 「ごめんなさい」を言えない、だなんて。 ****************************************ごめんなさいと言わない(言えない)理由には、2つの可能性が考えられるそうです。(1)自分を「特別な存在」かなにかだと勘違いしている場合 いちいち謝らなくたって、自分は許される存在だ、と勘違いしている。 つまり、他者を常に「下」に見ている。(2)謝ることが恥ずかしい場合 謝れない方がずっとずっと恥ずかしいと、ふつうの人なら知っていると思うのですが(笑)自分が明らかに間違った事をして、或いはわざとでなくとも失敗をして、誰かに指摘されたとき。素直に謝るのと逆上するのとでは どちらが大人として恥ずかしい行為でしょうか。一般的な感覚であれば「逆上するほうが恥ずかしい」のは間違いない、と思うのですが、恥をかくことを極端に嫌う人は、この感覚がズレていってしまうのだそうです。恥をかくことが 死ぬほど恥ずかしい。それは単なる「恥ずかしがり屋」というレベルではなく、恐怖を抱いているといっても良いレベルなのだそう。自分が恥をかくことを回避するためであれば 平気で開き直ったり、激しく相手を罵倒し 闘いを挑むことも厭わないところがあるのだそうです。 こういうサンドイッチを作っているパン屋さんは、他のパンも、もれなく美味しいです。この間読んだコラムに、興味深い記述がありました。「恥」の感情を上手に処理できないまま大人になってしまうと、謝れない人になる、と。謝ることが、恥ずかしい。 恥の感情を上手に処理できずにいると、その恥ずかしさから目をそらすために、「自分は特別な存在なんだ」という幻想に執着し、やがて本当にそう思い込んでしまうのだそう。「恥ずかしさ」は「自分の未熟さ」と直結しているから、そこ認めるわけにはゆかないのですね。恥ずかしいから、謝りたくない。謝りたくなさすぎて、やがてそれを「自分は特別な人間だから謝らなくても良い」という思考にすり替えてしまうのだそうです。回避依存症と呼ばれる・・・ それはもう「謝罪を回避する依存症」なのだ、と。本人は自分の思考の歪みや、まして「依存症」であることには全く気が付いておらず、本当に「自分は特別」と思ってしまっていて、だから「ごめんなさい」を。 そのうち「ありがとう」さえも 言えなくなるのだそうです。性格が悪い、とか 威張っている、とかなのではなく・・・「恥の処理機能が未発達である」というケースが かなりの主流なのだそう。 ****************************************ほう・・・・・処理能力が未発達、なのか。「ごめんなさい」も「ありがとう」も それを言う「能力」が必要だったのか。なるほど。 能力の高い人や 立派な人は、その両方を、必ず言えますものね。やたらと攻撃的な人の本質も・・・もしかするとそこなのかも。 恥ずかしい目にあいたくない。 つまりは「謝りたくない」という気持ちが、強すぎるがゆえ (;_;) *************************************回避依存症の人にとって最もしんどいのは、「自分は無能なのでは」という感情が顔を覗かせること、なのだそうです。それを認めてしまえば自分が崩れてしまうような気分になりますから、そうならないための行動を 次第にエスカレートさせてゆく。様々なコンプレックスを拗らせ、そこから目を背けるために「自分は特別なのだ」と ますます思い込もうとしてしまう。強い人の本を読んで、自分も強くなった気になる。成功したビジネスマンの本を読んだりセミナーに参加しただけで、自分にも同じような能力があると錯覚してしまう。一般的なビジネス書がターゲットとする読者層は、実は「優秀なビジネスマンや起業家」ではないのだそう。ビジネス書の真のターゲット、というのはね、「優秀なビジネスマン気分を味わいたいと思っているさほど優秀ではない人たち」なのだそうです。 えっ!そうなの!? Σ(゚д゚lll)だからこそ、中学生でも理解できるようにわかりやすく書いてあるのだ、と。それらを何百冊読んだところで、ですから仕事ができるようにはなりません。一時的な高揚感を得て満足して終わり、という場合がほとんどなのだそうです。「美容本」「健康本」とかにも 確かにそういう側面がありますね。しかし回避依存症者は、それらの本を読むことで、自分もその著者と同じくらい優秀になれた気分になってしまうのだそうです。いったい何種類の野菜が挟まっているんだろう。眺めるだけで嬉しくなれる、素敵サンド。 ごめんなさい、は。 わたしは「謝罪の言葉」なのだと思っていました。本当は、きっと 「尊敬の言葉」 なんですね。自分を正しく知っていて、そしてお相手への敬意があることで、初めて出てくる言葉。「ごめんなさい」は 多分、敬意なくしては、言えない。相手を大切に思っていないと、言えない。あなたに「ごめんなさい」を言ってくれる人は、あなたのことを、あなたの気持ちを 本当に大切に思ってくれている人なのだと思います。あなたにとっても、大切な人。 あなたが大切にしてゆくべき人。逆に「ごめんなさい」を言ってくれない人は、その逆、ということなのかもしれません。そんな気がしています。 おわり「ありがとう」とお礼を言うよりも「ごめんなさい」と謝る方が、うんと緊張をともないますね。軽々しく言う事のできない とても大切な言葉だから、なのですね。↓ 今日もいらしてくださって。最後までお読みくださって、ありがとう ( ´▽`)にほんブログ村 ごめんなさいを言える人は、しなやかな人。 強情な人は、頑として言いません(笑)年齢を重ねたとき、ますますしなやかであれる人に・・・わたしは なりたいです ( ´▽`)*「11月」の季節のフレーバー。「メープル焼きりんご」! これは見逃せない!コガネイチーズケーキ【白砂糖不使用チーズケーキお試し4種セット 中秋】ハロウィン お菓子 ギフト プレゼント ランキング スイーツ ランキング 送料無料 誕生日ケーキ 大人 誕生日 レア 2019 内祝い 贈り物 糖質制限 ローカーボ ヘルシー 砂糖不使用【あす楽】* 年賀状の手配も完了!! 今年からは、もう ほんのちょっぴり、です。【 バラ売り 】年賀状 印刷 2020 (全245デザイン)〜 ハガキ代込み で お年玉くじ 付 官製はがき に 印刷 します〜 sale 【YOUNG zone】【HLS_DU】 ネズミ マウス
2019.11.08
ハグオーワーの。 雅姫さんの Instagramを見ていたら・・・ キョンキョンがいました。小泉今日子さんです。今年のニットにも 大好きな「指あな」があります。 今シーズンの、今日が、初・ニット。【並行輸入品】 アディクション ADDICTION ザネイルポリッシュ #023C プライベートジェット 12ml [473742]キョンキョンのデビューは、わたしが確か小学校5〜6年生くらいのことで。当時、わたしの周りには「伊代ちゃん派」が多く、あとは「ちえみちゃん派」、ちょっと後からデビューした「明菜ちゃん派」という感じで、子供の中には、キョンキョン派は 少数でした。わたしは キョンキョン推しで。 断然 キョンキョンで。その後、キョンキョンが、 なんだか それまでの他のアイドル勢とは全く異なるような存在感や才能を発揮し始めたとき、ひとり、ニヤリとほくそ笑んだものです。(子供の頃からこんな子でしたよ・笑)先見の明よ、と(笑)なぜキョンキョンがハグオーワーに!? と驚きましたが、その日は「ハグオーワー20周年」の、お祝いのパーティーだったのです。キョンキョンは、ゲストでした。 とても可愛い、雅姫さんと色違いの、くすんだブルーの花柄のワンピースを着ていました。「なんてったってアイドル」や、「あなたに会えてよかった」を歌うために、そこにいらしていたわけではありません。「朗読」のゲスト、だったのです。もちろん、洗えます! さらっとしているのに、ちゃんとウール。 ちゃんと暖かい。詩の朗読。キョンキョンは、朗読していた。キョンキョンにしか出せない、あの少し鼻にかかったような チャーミングな声で。茨木のり子さんの・・・ 「小さな娘が思ったこと」という、作品。小さな娘が思ったこと 茨木のり子 (1927~2006)小さな娘が思ったことひとの奥さんの肩は なぜあんなに匂うのだろう木犀みたいにくちなしみたいにひとの奥さんの肩にかかるあの淡い靄のようなものは なんだろう?小さな娘は 自分もそれを欲しいと思ったどんなきれいな娘にもないとても素敵な 或る なにか・・・小さな娘がおとなになって妻になって 母になってある日 不意に気づいてしまうひとの奥さんの肩にふりつもるあのやさしいものは日々ひとを愛してゆくための ただの 疲労 であったと我が家には、実は、「アンデルセン先輩」が。 2学年上のパイセンが(笑)すずひはブラックの7GG。「おとーさんアンデルセン」は、ホワイトの5GG。ANDERSEN-ANDERSEN アンデルセン アンデルセン クルーネック セーター SEAMAN 7GG (メンズ レディース)人の奥さんの肩に降り積もる、あの目にはうつらない「やさしさ」は、人を愛し続けてゆくことで、澱のように降りつもり重なってゆく、その美しい何かの正体は。「疲労だったのだ」と気づいた 作者。 (そして、すずひ)愛することの代償として、肩に、人生に降り積もってゆく「疲労」。 その美しさよ。その代償を払う覚悟がなければ、人を愛することなどできないのだよ、と。キョンキョンは、朗読していた。あの場所に、とても、行きたかった。 あそこに居たかった (;_;)キョンキョンは、朗読していた。キョンキョンが、キョンキョンであるがゆえに表現できうる、あの、大人のようで、少女のような、ちょっとはにかんだような 唯一無二の世界観で。大好きな詩を。わたし、この詩には、最後の一行で、・・・ ちょっと、意識を失いそうになる。 遠のく。魂を抜かれる、というか、ああ、そうであったか!というような。 圧倒的な発見と、脱力。若い頃に読んだ時よりも、今のほうが、わかる。 ずっと。小さな娘が思ったこと。 小さなすずひが思ったこと。小さなすずひがおとなになって、妻になって、母になって、いま、じんわりと感じていること。疲労は、悲しいものではない。わたしは、実によく「疲れる」のだが。 呆れるほど 疲れてばっかりいるのだが。それは、日々。 人を愛している証拠、愛せている証拠、なのかもしれない。疲労を醜いものみたいにいう人はには わかるまい。疲労の美しさ。 素敵さ。どんな「きれいな娘」にもない・・・ 日々 降り積もった、とても やさしい「何か」。 おわりお読みくださって、いつも、ありがとう ( ´▽`)にほんブログ村キョンキョンの歌の中では 「木枯らしに抱かれて」と「優しい雨」と、 「My Sweet Home」と「月ひとしずく」、「BEAUTIFUL GIRLS」が 好きです( ´▽`) ♪
2019.10.25
自分の望む「幸せのかたち」って、人生の段階によって異なるものだと思いますけれど例えば小さな頃なら ケーキを丸ごと1個食べたい!とか、おもちゃいっぱい欲しい!とか。もう少し大きくなれば 可愛くなりたい!とか 人気者になりたい!とか。社会に出れば 仕事のできる人になりたい! 信頼される人になりたい! 稼ぎたい!とか。けれども。幸せとは。わたしという人間の1番の幸せとは。 今は。結局は。 シンプルに。ストレスのないこと。 なのではないかしら、と 48歳は 思う。今日の掃除のメインイベントは鏡を磨くこと。 あとはお洗濯を干すだけだ!ストレスのないことが 一番幸せ。パリやハワイやNYに行けるよりも、たぶん 幸せ。楽しすぎることも、騒ぎすぎることも、気合いを入れることも、もはやストレスという不思議。気分の沈みはわかるけれど、気分が「上がり過ぎること」も、ストレスだなんて。若い頃には 想像もできなかったことです。 ***************************************なるだけ変わったことが起こらない中で、同じ調子で いたい。 それが幸せ。家族を送り出したなら・・・ のんびりと 自分のペースで、掃除などの家事をする。 それらが済んで、一息ついたなら、好きなときに、朝食をいただく。慌てることは、恐るべきストレス。 わたしの1番のストレスって、これかも。 バタバタと慌てることが、呪うほど嫌い(笑)さあ家事が済んだ!ひとりだけの時間が始まる瞬間の・・・ るんるん うれしい後ろ姿(笑) ↓ まだワンピース1枚で暮らしています。 靴下だけは、あったかく。&かかとケア。\新色追加/かかとケア 靴下 かかと モイストパックソックス インナーソックス かかとつるつる 靴下 レディース 暖かい ソックス かかとガサガサ 保湿 コンフォートハグ 靴下 レディース 暖かい 【メール便 送料無料】あす楽 敬老の日 ギフト プレゼント キャッシュレスいちばんお金が動く節目の年・2018年(お子18歳)を通過することができた今。「教育に関するお金」の、親としての責任。そのことに対する未知なる不安や心配の時期も、気づけば、そっと、過ぎた。心配事のない毎日、というのは、果たしてなん年ぶりだろうか、と ふと、しみじみする。ずっと 心の中に「心配のカテゴリ」が あった。こんな48歳の日々を、想像できていたような、いなかったような。もっと「しんどい感じ」「キツい感じ」を想像していたのです。もちろん、あちこち衰えたり、疲れやすくなったりしてるんですけれど、それも、いい。もっとどうにかしたい! 若返りたい! とか 不思議なほど、思わない。十分。 充分。 本当に、なにもかも。寿命が長くても、短くても、それも なるようになるままで、全然いい。48歳まで元気で生きられて、もうほんとこれだけでも十分だ、って思っているの(笑)子供の頃よりも、10代の頃よりも、20代、30代の頃よりも、そして 40代の前半よりも・・・・・ なんだか 今が、いちばん いい。今が、いちばん ストレスが ない。 なんだろう。 「余裕」って、もしかすると、こいういうことなのかな。 わたしの求める「余裕」って、こんな平凡な、こんな枯れた感じのもの、だったんだな。「余裕」って。 「豊かさ」って。 もっと 金ピカで、派手で、豪華で、ウェイウェイしたものなのかと思ってた。全身シャネルとか、バーキン10個、とか、ベンツ3台とか、豪邸とか、タワマンとか、ね。 (発想が陳腐&30年前で止まってて、もう赤面します)採れたての無農薬小松菜をいただいた今朝は「小松菜とチーズのスクランブルエッグサンド」。豊かさとは 流れの量のことであり、 貯まることだと思っている人には、豊かさが 訪れない。 為末 大生き抜くチカラ ボクがキミに伝えたい50のことば [ 為末大 ]豊かさは、流れの量。ストレスのないことは気持ちよく「流れる」こと。 流れてゆくのは・・・暮らしも、体も、同じですね。 同じところには、1秒もとどまらない。この ちょっとずつ老いてゆく身体も、ふつうの部屋も、みんな、いい。今の「流れの量」が、今のわたしに ちょうどいい。窓を開けて、朝一番の金木犀の香りを 深呼吸する。ふつうの1日が始まることは、こんなにも尊いことなのか、と感じる。これからは、もう、こんな風がいい。豊かさは、流れの量。 「貯めること」「溜めること」じゃないんだね。たくさんのものを手放した時に感じた変化は・・・確かに「流れ始めた」という実感。貯めてないで、溜まってないで、滞っていないで、詰まっていないで、止まっていないで・・・そう。 流れながら。 どんなときも、流れながら、生きよう。 おわり1年の流れは、歳を追うごとに早いです。 今年もまた、このスワッグを買えたらいいな。 予約開始は11月の初め、だったかな?↓ このバナーを覚えていてくださるのはきっと、ずっと前からの読者さま。にほんブログ村「努力」は「夢中」に勝てない。「あの時やりきったという自分、あそこで耐えたという自分。やり遂げた、逃げなかったという履歴からくる自信。これは生涯誰にも奪えない。」という為末大さんの言葉も、とても好き。昨日のブログは あんなに長かったけれど、最後まで読んでくださって、嬉しかったです。いつも、ありがとう。
2019.10.24
お会いしたことのない方の、胸の内に秘めたお気持ちを知ることができたり。人生における数多のご経験や、日々の、心にうつりゆくよしなしごとを 共有させていただくことができたり。ああ、それはどんなにお辛かったことだろう、と 胸が痛くなったり、ああ、お子さんはお元気になられたかなあ、口内炎は大丈夫かなあ、と心配したり。手の短いかわいい猫さまの 、毎日変わるお名前が おもしろかったり。わあ、そんな嬉しいことがあったんだな。 わたしも嬉しいなあ、って喜んだり。わたしも明日からまた頑張ろう! と思えたり。お会いしたことのない方のことを、こんなに「大好きだ!」と思えるのなら。SNSって、とても恐ろしい側面もあるけれど、やっぱり、夢みたいなツールだと 思う。 インターネット・ドリーム。こんなわたしのことを、何かの折にふと思い出してくださる、大切な kotoさんや、可愛らしい くらためちゃんや、お優しい YASUKOさんや・・・とっても面白くて、わたしが勝手に大好きな kinakoさんや クドウさんや、abeちゃんや・・・お会いしたことはないのに「大切な人」が、いまのわたしには、たくさんいる。ここへいらしてくださる あなたさまも、わたしにとって、とても、とても、大切な人。 **************************************泣いてしまった、という日の日記があれば、わたしまで 思わず涙が出そうになるし、ご家族とのあたたかな心のふれあいの日記を拝見すれば じーん と 体温が上がる。なんども読み、思い出し、心に刻む。わたしも 今日からまた頑張ろう、と思える。中途半端な知り合いよりも。 わたしにとって、はるかに大切な人。勝手にお名前出してしまって ごめんなさい。大好きなあなたのブログを。 わたしはいつも 本当に 大好きで。たくさんの元気や気づきを 数え切れないくらい いただいています。本当に、ありがとう。 すずひ 短い日記に気づいてくださって、ありがとうにほんブログ村
2019.09.24
3連休だったおとーさんが。その中日に、わたしのいちばん大好きなサンドイッチのお店に連れて行ってくれました。わたしは。連休は、いつも 実は、ちょっと緊張しているのです。最後まで、どうか喧嘩することなく仲良く過ごしたい、と とても思うからです。仲良く過ごしたいのなら リラックスしていた方がよさそうなものなのですが、わたしの場合、なぜか、そこのところが 昔から「逆」で。完全にリラックスしてしまうと、油断が生じるのか、気が抜けすぎるのか、ろくなことが起こらないの。ついつい余計な一言を言ってしまったり、気の利かない人になったり、疲れが顔や態度にもろに出てしまい・・・ 倦怠感丸出しの、だだ漏れになってしてしまう。「美しくリラックスすること」が、できないのです。(;_;)ここにあるの以外は、注文を受けてから作ってくださるのです。 もう、幸せの絶頂。お休みの日にゆっくりする という感覚が、そもそも、正直、よくわからない。ゆっくりしていたりしたら、3回まわった山盛りのお洗濯物を いったい誰が干すの? 朝ごはん、お昼や夜ご飯を誰が作り、誰がお鍋や食器を洗って、キッチンを片付けるの?読者さまは・・・ 「ゆっくり」おできになりますか?お休みの日にゆっくりすることを、上手にできますか? どうしたらできる (;_;)?上手に「ゆっくり」できない。 気が休まらない。(自分の気を休めることができない)お休みの日の方が、平日の何倍も、ヘトヘトになってしまう。一人でいるときのわたしってね、反対に、異様に「元気」です。一人で元気って めっちゃキモいでしょ?元気といってもね、大声で騒いだりとんだり跳ねたり踊り狂ったりしているわけではなくて、安心してください、もちろん黙っていますよ(笑) とっても静かーに、息を吸ったり吐いたりしながら、大人しく、過ごしていますよ。 けれど心は。「元気」が 炸裂しているのです。 消耗のない、ものすごい「はつらつ」さ。かぼちゃの冷たいスープ。 別添のクルトンも、大きくて美味しい!そこを治したくて。そんな自分を「治療」したくて。 変わりたくて。 今、本を読んでいます。定年夫婦のトリセツ (SB新書) [ 黒川 伊保子 ]この本が 面白すぎて。 全然ページが進みません。面白い本は いつもなら怒涛のスピードで読破するんですけれど(わたしの本を読む早さは、なかなかすごいです)面白すぎると。 本って、逆に早く読むこと、できないんだ! 1ページ1ページが面白くて、1行1行を読み返したり唸ったり、ああ、そうだったのか! ああ、知らなかった!などと、噛み締めたり、感動したり、いちいち腑に落としたりしていると、本って・・・ こんなに 進まないんだね(笑)初めて知ることや、これはぜひ覚えておいて、実践したい!ってことが次から次へと。ページの角を折る、という 滅多に、滅多に、滅多にしない 禁断の手癖も出た。「嫌われる勇気」以来かも知れない。徹底的に読む、と決めた本は。わたしは参考書のごとくズタズタのボロボロにするタイプです。あー、折っちゃったー!でも、これは本気で読む本の証。 わたしの情熱のバロメーター。この本は、多くのご夫婦を。 妻を、そして夫を、きっと、救う。新婚さんや、結婚20年に満たないご夫婦には、まだ読むには少し早いのかもしれません。と申しますか、切実に受け止められないかもしれない。わたしは、まさに この本のターゲットだ。 どどどどどどストライクだ。結婚20年を超えたくらいからの 日本の夫婦を笑顔にするための。 幸せにするための本。なかよく楽しく暮らしてゆけるための秘訣が 溢れてる。妻にとっても。 夫にとっても。 「知らなかったことだらけ」 なんじゃないかな。読めば読むほど・・・「あれ?わたしたちって、実はものすごくいい夫婦なのでは?」 と。わたしたちって、最高にいい組み合わせだったのでは!?!? という気がしてくるの。全ての理由は「脳の違い」にあった。一番下に塗ってあるきゅうりのやつが、もうたまらなく美味しいの!どうやって作るんだろ。定年間際のご夫婦に。これ、自治体から1冊ずつプレゼントするといいのに!って 真剣に感じている。免許の更新にゆくと、交通安全読本、みたいなの 毎回もらえるでしょう?夫婦もさ。 誤解や批判を恐れずに申し上げるならば。結婚25周年超えたら2〜3年くらいごとに更新するシステムにすればいいのに。その都度こういうご本を配ってくださったらいいのに。特に、日本は、さ。夫婦が本当に楽しくなるのは、後半戦。 安寧の扉が開き、希望の光を二人の手のひらで包めるようになるのは「後半戦」。でも、その前に。子育てにかまけ、仕事の忙しさや疲れにかまけ、しっかりと向き合ってこなかった「ツケ」をここから払わなければならない。それが後半戦。 ヽ(;▽;)ノ ひー 恐ろしいー「結婚70年時代」は 幕を開けたばかり。 これからは まさしく「未知」の時代。夫婦にとって、定年からの40年は長い。残念ながら、この事態に。 人類は、まだ慣れていない。この言葉が、沁みた。 みんな、慣れていないだけなんだ。初めてだから、知らないから、怖いだけ。ちなみにこの文章は「はじめに」からの抜粋だ。「はじめに」を、こんなに何回も読んだ本は、初めてかも知れない。「はじめに」から 全然先に進めなくて、もうね、次第に笑けてきたよ。わたし、いつになったら本文に進めるの、と。知らないことは、誰だって、怖いのです。知れば、きっと、違う。 闇雲に恐れることは、なくなる。 そして「楽しみ」になる。夫はなぜ 朝食を食べながら「今日の昼メシなに?」と聞いて妻をイラつかせるのか?妻はなぜ「どこに行くんだ?」「何時に帰ってくるんだ?」と聞かれるとキレるのか?定年前には我慢できたあんなこと、こんなことも、24時間一緒に過ごすとなると、もう、お互いにイライラが止まらない。その原因は、すべて「脳」にある。 性格とか、思いやりとか、ほとんど関係ない(笑)夫の脳と、妻の脳は。 そうか、こんなに違うんだ。 **********************************でもね、「違えば違うほど、夫婦は、素晴らしいんだ」って、この本には、そう書いてあるの。「夫婦の考えが同じ」は、かえって危険だ、と。夫婦は真反対であればあるほどいいんですって。「ムカつき合うことこそ、愛の正体」なのだ! と。こういう「夫婦なかよく系」の本って、普通は反対で。「わかりあい、話し合い、ゆずり合うこと」を推奨してくるでしょう?同じ景色を「美しいね」とかいって肩を並べて眺めているようでは 生存や存続の可能性の高い夫婦にはなれないのだ、と。同じ景色なんか見ちゃいない夫婦であれ、と。妻がキレイな桜に感動しているときに「ああ、ラーメン食いたい」と思っているような夫。それが、「最もいい夫婦」。え、これ、なんか、ちょっと、ウチのこと!? あなたたちは最強の組み合わせの夫婦よ! そう太鼓判を押してもらえた気がした。まだ「第1章」しか 落ち着いてちゃんと読んでないのに!!!!(笑) ************************************読めば読むほど、勇気が湧いてくる。変わらなきゃ!と思って手に取った本なのに、このままでいいのかも、と思わせてくれる。わたしたち世代は、結婚70年時代に飛び込む 最初のペンギンだ。ファースト・ペンギン(の、つがい)だ 勇気を持って 飛び込みたい。 未知なる大海原だけれど。旦那さんと。 おとーさんと。 なかよく過ごしたい。お互いが平等に幸せな、笑顔いっぱいのペンギン 夫婦で いられるように。キッシュも。 わたしが買える範囲の価格のものの中で、飛び抜けて美味しいと思うの!それにしても。 本文すっ飛ばし、先に「おわりに」を読む、という掟破りを犯したわたしは、泣いてしまった。最初に「おわりに」を読んで、泣いてしまったのです。この世に生まれ、同じ時代に生まれ、縁あって 夫婦になった。「この人がいなければ この人生はなかった。」 そう思える夫婦に、わたしたちも、なりたい。 最期の時に、お互いそう思えたなら、それはどんなに幸せな人生だろう。たった一言で絶望させることもできる。 それなら、たった一つの言葉でやり直せることだって。この調子ですと、わたし この1冊、いったいいつ読み終えることができるのかしらー(笑) おわり「家事」は男の想像の6倍あるのだよ、とか。座ったまま「あれ取って。これ取って。」と、妻を手足の代わりにしてはならない、とか。なんだか腰が痛くて、という妻に「じゃあ病院いけ!」は 最悪のNGワードである、とか。ぱらぱらと読んだ「夫の禁則・5箇条」が もうね、めっちゃ面白かった! ↓ 今日も長いの最後まで読んでくださって、本当にありがとう にほんブログ村男はとても繊細で(女よりも)ずっと優しいのだ! 悪気はないのだ! とか。口角の下がった仏頂面のおばちゃんになるな!とか「妻の禁則・5箇条」もあるようですから、しっかり勉強しようと思います(誓)ちなみに「腰」の件における 「正解ワード」は・・・「腰か、それは辛いなあ」「痛いの?大丈夫?俺が片付け物するから、座ってな。」だそう。もう、そんなこと言われたら・・・ 何度でも 何度でも 惚れ直してしまいます!!!
2019.09.18
昨日の日記の、今日は、少し、 続きです。なんか、人生の階段、みたい。 1歩、1歩、進みます。 初めてのお店って楽しみ! *********************************わたしの「触角」は、つぶさにそれを感知しました。(見えないけれど、生えている)大好きなブロガーさんに、どうも、異変が起こっている。これは、なんと申し上げたら良いかわからないのですが、好きなもののことって、ほんのちょっとの変化にも気づいてしまうものです。美味しかったお店やパン屋さんのちょっとした「異変」にも、わたしは気づくところがあります。表向きには大繁盛していたり、いつもと変わらないように見えていても、ある時期を境にして、どうも様子がおかしい。 何か、歯車が、狂い始めている。なんだろう、何かわからないけれど、これまでと違う感じ。「お客さんにバレないように手を抜くことが上手くなったな」という感じ。そんなこと、繁盛店なら当たり前のことか、まあいいか、と思って通っていても、突然の「閉店」に その後なったりすると・・・自分が異変を感じていた時期と、振り返ると辻褄があったりして、ぞっとすることもあります。そういう「勘」というか・・・ 触角? (鬼太郎の妖気を感知するアレのようなものです) ************************************大好きだったブロガーさんは、たった一人で、ひた耐えていた。ある頃から、意地悪なコメントがつき始めた。重箱の隅をつつくような、 そこ!?!?というというような揚げ足取りや、「自分の方がものを知っている」ということを誇示したいような人からの書き込みや。彼女は。 それでも平気そうに見えていたのです。感情的になることなく、理知的に、冷静に対処していらっしゃいました。それが、余計にムカつかれてしまったのでしょう。 嫌がらせのようなコメントが、ますます後をたたなくなりました。彼女を傷つけることを面白がっている人たちによって「襲撃されている」という感じでした。見えない安全な場所から、執拗に石を投げつけられていた。石がたくさん当たって、傷だらけ、血だらけになってゆく 彼女の心を思うと・・・可哀想だった。 その痛みはどれほどか。 どうか どうか 頑張って欲しかった。こんなことに負けないで! ここからいなくならないで!!! って いつも 祈った。でも・・・・ いなくなっちゃった。 わたしは、祈るしか。 何もできなかったです。追い詰めて、辞めさせるのって、一体、どんな気持ち? 爽快な、いい気持ち、ですか? 勝利をおさめたような、成敗したような気持ちですか?素敵なお席で過ごすことができました。Eちゃんの小さなバッグが、もう、可愛い! ( ´▽`)あなたのことを大好きだった人間が ここにいて。今、こうして ブログを書いている。小さかったお子さんは、もう随分と大きくなられたことだろう。あの素敵な何にもないお部屋は、きっと ますますがらーん と素敵なのだろう。もう会えないけれど。 伺い知ることはできないけれど。わたしの心の中に、今も、彼女のブログは、生きている。最後の更新の日で 止まったまま。 あの日の とても「美しい」まま。どうか お元気でいてほしい、って、届かなくても、いつも、そう思うのです。 ***************************************彼女は、水瓶座でした。水瓶座は。世間一般の「普通の人」って、細かいところまで観察すると、いろいろなところが「破綻」しているのが普通なのに、それを、しないそうです。たとえば「俺はやさしい人間だ!」と言っている人でも、何かとっさに嫌なことがあったら他人を平気で怒鳴りつけるとか、そういう可能性は大いにありますし、今年はダイエットするぞ!と誓っても、「今日だけちょっとだけ食べちゃお。ダイエットは明日から」ってやっちゃうのが人間らしい可愛らしさでもあります。でも、これが水瓶座の場合・・・そういう「破綻」を まず 起こさない。ダイエットすると決めたのに、ちょっとだけケーキ食べちゃお!とか思った自分を、本気の本気で許せなくなるって。「本気で自分に罪悪感を抱いてしまう可能性がある」、って。水瓶座は、自分が決めたことを自らの手で破ることに対して、ものすごく罪悪感を抱く星座なのだそうです。(しいたけ.さん 曰く。)そうだ!! そのとおりだ!!!!自分自身を縛る「ルール」「規則」を増やしていきがちな星座であるがゆえ、「もう少しだけ、いろいろな縛りから解放されたい」という気持ちも、実は人一倍強い。縛りから解放されたい、という気持ち。彼女は、もう、解放されたかったんだろうな。 とてもつらかったんだろうな (;_;)彼女のブログがなくなってしまったことは、とてもさみしいけれど。 また会いたいけれど。今、心穏やかに「解放されて」いてくれるのなら・・・ それなら、とても、嬉しい。読者さんを裏切ってしまった、とか、どうか思わないで、ご自分を責めないでいてほしい。お幸せで、いてほしい。わたしは、今も、あなたのことが、とても、 大・大・大好き、ですよ (;_;) ************************************このブログを始めて3年が過ぎ。 今、4年目なのです。3年、という「大きな壁」が目前に迫ってきた頃、すごく恐ろしくなった時期がありました。この壁を、わたしは超えられるのだろうか、 果たして、突破することができるのだろうか。とても大きくて分厚くて強靭で屈強な壁が、行く手を阻むように、わたしを挫けさせるかのように そびえ立っているように見えた。けれど。 近づいてみたら。 1日。 1日。 1歩。1歩。 1捨。 1捨。 自分の歩みで近づいてみたら。壁だと思っていたそれは、破れない「壁」なのではなくて 「扉」だったのでした。目の前まで来なかったら。遠くから見て怖気つき、どこかで諦めてしまっていたとすれば・・・決して わからなかった。「壁」の隅っこには ちゃんと小さな「ノブ」があってね。(千鳥の「ノブ」じゃないよ)人ひとりが ちゃんと通れるようなドアが・・・あったよ。 なんだ、壁じゃなくて扉だったのか! という気持ち。扉の向こうには、まだ見ぬ新しい世界が果てし無く広がっているってこと、知ることができた。ブログ書くこと・・・ 今、だから、とても 楽しいです。 果てしなく広がる景色の入り口に立ち、投げ出さず、逃げ出さず、続けて来られて、本当によかった、って 心から思っています。わたしのブログを見つけてくれて。 本当に、ありがとう。 おわり4年目の毎日を、こんなに楽しく書かせていただけること。この気持ちを知ることができたのは、読者さまの、あなたさまのおかげです。にほんブログ村今日の日記は「苦しい日記」でしたけれど、今なら書ける、と思ったのです。ずっとわたしを支えていてくださる、ここへいらしてくださる読者さま。 本当に ありがとう。
2019.09.13
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