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孔子曰、不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也。 孔子曰く、命を知らざれば、以て君子と為る無きなり。礼を知らざれば、以て立つ無きなり。言を知らざれば、以て人を知る無きなり。 孔先生の教え。己の天命を覚れない者は、君子たり得ない。礼(規範)が何たるか分からない者には以って立つ場所はない。(まともに生きてはいけない)(人と人とをつなぐ)言葉の真意を理解できなければ人を理解することはできない。論語の最終句である。天命を覚り、日日修身し、礼と人智(言葉)身につけた君子だけが道を行うことができる。人間社会の理想を説いたものだろうが、2,500年たっても程遠い現実、人は進化していない 。
Nov 25, 2009
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子張問於孔子曰、何如斯可以從政矣。子曰、尊五美、屏四惡、斯可以從政矣。子張曰、何謂五美。子曰、君子惠而不費、勞而不怨、欲而不食、泰而不驕、威而不猛。子張、孔子に問うて曰く、何如(いか)にせば斯(すなわ)ち以て政に従う可きか、と。子曰く、五美を尊び、四悪を屏(のぞ)けば、斯ち以て政に従う可し、と。子張曰く、何をか五美と謂う、と。子曰く、君子、恵にして費(つい)やさず、労しても怨みず、欲しても貪(むさぼ)らず、泰(たい)にして驕(おご)らず、威ありて猛(たけ)からず、と。子張が孔先生に質問した。「どうあれば政治にたずさわれますでしょうか」と。先生は言われた。「五つの美徳を尊重し、四つの悪徳を除ければ、政治に従事してよい」と。子張が聞いた。何を以って5美と謂うのでしょうか、と。先生は言われた。政治を行う者は、必要な恩恵は与えるがお金はかけない。民を働かせても怨みは買はない。欲しても欲張らない。泰然としているが驕りはしない。威厳はあるが猛々しくはない。この五つだ、と。子張曰、何謂惠而不費。子曰、因民之所利、而利之。斯不亦恵而不費乎。擇其可勞而勞之、又誰怨。欲仁而得仁。又焉貧。君子無衆寡、無小大、無敢慢、斯不亦泰而不驕乎。君子正其衣冠、尊其瞻視儼然、人望而畏之、斯不亦威而不猛乎。 子張曰く、何をか恵にして費さずと謂う、と。子曰く、民の利する所に因りて、之を利す。斯れ亦た恵にして費やさざるにあらずや。労すべきを択んでこれを労せば、又た誰をか怨みん。仁を欲して仁を得たり、又た焉(いずく)んぞ貪らん。君子は衆寡と無く、小大と無く、敢て慢(あなど)る無し、斯れ亦た泰にして驕らざるにあらずや。君子は其の衣冠を正し、其の瞻視(せんし)を尊び儼然たれば、人望んでこれを畏る。斯れ亦た威ありて猛からざるにあらずや、と。子張がさらに訊ねた。「恵にして費やさずとはどういうことですか、あとの4美についても教えてください」と。先生は言われた。「民が利益としていることによって利益を得させる、これこそ恩恵を与えてもお金をかけないことではなかろうか」(分かりにくいが、生業が成り立つように仕事を与える、というようなことかなと思う)「2番目の美は、自分等が働くべき仕事(治水事業など)を選んで働くのだから、誰を怨むことがあろう」「次は、人の道を求めて、人の道を得るのだから、どうして貪ぼることになろうか」「次は、相手の多少や貴賎にかかわりなく決して侮らない、これが泰にして驕らずだよ」「5番目は、衣服を整えて、真っ直ぐ前を見、謹厳に振舞えば、人々はこれを見て畏敬する。これが、威ありて猛からずということではないか。以上が5美の中身だよ」、と。子張曰、何謂四惡。子曰、不教而殺、謂之虐。不戒視成、謂之暴。慢令致期、謂之賊。猶之與人也、出納之吝、謂之有司。子張曰く、何をか四悪と謂う、と。子曰く、教えずして殺す、之を虐(ぎゃく)と謂う。戒めずして成るを視る、之を暴と謂う。令を慢(ゆるが)せにして期を致す、之を賊と謂う。猶(なお)之を人に与うるとき、出納(すいとう)の吝(やぶさ)かなる、これを有司と謂う、と。 子張がさらに訊ねた。「四悪とは何々ですか」と。先生は言われた。「善悪の教育もせずに悪いことをしたと死刑にする。これをを虐という」「注意も与えないで成績を視る。これを暴という」「決まりを緩くしておいて期限を厳しく致し罰する。これを賊という」「結局は民に与えるべきものを出し惜しみする。これを有司(小役人根性)という」と。[四悪とはこの4つを言うのだよ]「労しても怨みず」 の解釈で、労するのが「君子」なのか「民」なのか?加地訳は「民」、ネットで読む他の2件は「君子」、文章の流れとして加地訳を採った。加地訓で訓む論語もいよいよあと1篇。あとは何に取り掛かろうか。
Nov 21, 2009
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子夏曰、仕而優則學、學而優則仕。 子夏曰く、仕えて優なれば則ち学ぶ。学びて優なれば則ち仕う。 子夏のことば。就職して余力があればさらに学ぶ。学んで余力があれば初めて就職する。稼ぐより学ぶのが先ですよ、と言っているのかな?精神論としては分かる。しかし、食えなければ働かざる得ないのは今も、昔も同じだろう。まあ、腹いっぱい飯が食えたにしても余暇には「勉強」しようの精神は必要ではあるが、今夜は金曜会で一献、論語を読んでも殆ど身についていない。将に論語読みの論語知らず。
Nov 6, 2009
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子夏曰、大徳不踰閑、小徳出入可也。 子夏曰く、大徳は閑(のり)を踰(こ)えず。小徳は出入すとも可なり。 子夏の言(ことば)人格者(大徳)は規範を踏み越えることはない。(努力はしているが)まだまだの者(小徳)、多少の出入りはあってもいいだろう。愚利公独白小徳でもない小人の我等、「でしゃばった」とか「言い過ぎた」とか後で反省すること結構多い。
Nov 5, 2009
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子夏曰、小人之過也必文。 子夏曰く、小人の過(あやま)つや、必ず文(かざ)る。 子夏の言(ことば)小人が過ちを犯すと、必ず、言葉で飾りたてて言い訳をする。知らん振りをしたり、他人に罪をなすりつけたりするよりは、言い訳の方が可愛げはある。
Nov 4, 2009
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子夏曰、日知其所亡、月無忘其所能、可謂好學也已矣。 子夏曰く、日々に其の亡(な)き所を知り、月々に其の能くする所を忘るること無し。学を好むと謂うべきのみ。 子夏の言(ことば)。「日々、自分の分からないことを知り、月々、覚えていることを忘れまいと復習するなら、学問好きだと言って良いだろう」 学而第1ー1 「学びて時(つね)に之を習う。また説(よろこ)ばしからずや」と同じ。「時に」を、ときに、と読むか、つねに、と読むかは意見の分かれるところ。日々学び、月々習う(おさらいする)であれば常にではなく時にの方が物理的に合理性がある。
Oct 31, 2009
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子夏之門人問交於子張。子張曰、子夏云何。對曰、子夏曰、可者與之、其不可者距之。子夏の門人、交わりを子張に問う。子張曰く、子夏は何とか云えるか。対えて曰く、子夏曰く、可なる者はこれに与し、其の不可なる者は之を距(ふせ)げ、と。子夏の門人が(友人との)交際の仕方について子張に質問をした。子張は「お前の師の子夏先生は何と教えたのだね」先生はこう仰られました「いい人であれば仲良くし、良くない人は遠ざけなさい」と。子張曰、異乎吾所聞。君子尊賢而容衆、嘉善而矜不能。子張曰く、吾が聞く所に異なり。君子は賢を尊びて衆を容れ、善を嘉(よみ)して不能を矜(あわれ)む。子張はこう述べた。「私が(孔先生から)学んだこととは違っている。君子は、賢い友人を尊敬するが、普通の人も受け入れる。賢くて善き友を喜ぶ一方で、できの悪い駄目な友を気の毒に思う」我之大賢與、於人何所不容。我之不賢與、人將距我。如之何其距人也。 我れの大賢ならんか、人に於いて何ぞ容れざる所あらん。我れの不賢ならんか、人将(まさ)に我れを距(ふさ)がんとし。これを如何ぞ其れ人を距がん、と。「自分が賢く優秀であれば、誰もが歓迎し受け入れてくれ、凡人なら遠ざけようとする。そんなことになるとすれば、どうして凡友を遠ざけるなどできようぞ」と。孔子の精神は中庸、中庸とは(ほどほどではなく)「天道に照らして時に応じた最適な道」というような精神かなと思っている。中庸章句に「偏らざるを之れ中と謂い、易(か)わらざるを之れ庸と謂う。中は天下の正道にして、庸は天下の定理なり」とある。偏せず不易なものが中庸だから、中庸の精神でことを処すことの意味を子張は示したものであろう。
Oct 27, 2009
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子張曰、執徳不弘、信道不篤、焉能爲有。焉能爲亡。 子張曰く、徳を執(と)ること弘からず、道を信ずること篤(あつ)からざれば、焉(いずく)んぞ能く有りと為さん、焉んぞ能く亡(な)しと為さん。 子張の言(ことば)。徳を守るにしてもそこそこ、人の道を信じるにも熱心では無いでは、仁徳があるとも言えないし、かといって無いとも言えない。(そんな人間は居ても居なくてもいっしょ)だからどうなんだ、の(カッコ書き)の部分に意見が分かれて良く分からない。子張先生、随分と手厳しい人物のようである。凡人に、完璧を求めても無理。時々でもそうありたいと想い、努力することは善しとしよう。
Oct 26, 2009
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子張曰、士見危致命、見得思義、祭思敬、喪思哀。其可已矣。 子張曰く、士は危うきを見ては命を致たし、得を見ては義を思い、祭りには敬を思い、喪には哀を思う。其れ可ならんのみ。 子張のことば。士(おとこ)は(国が)危ういとみれば命を投げ出し、利得を見れば義にかなっているかを思い、(祖先などの)祭祀に当っては敬を尽くし、喪(葬儀)には哀しみをこめる。そうあってこそ(士=おとこ)だ。
Oct 23, 2009
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孔子曰、君子有三畏。畏天命、畏大人、畏聖人之言。小人不知天命、而不畏也。狎大人、侮聖人之言。 孔子曰く、君子に三畏(さんい)あり。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らざれば、畏れず。大人に狎(な)れ、聖人の言を侮る。 孔先生の教え。君子には畏れはばかることが三つある。天命を畏れ、大人(聖人)を畏れ、聖人の言葉を畏れる。小人は天命を知らないので畏れない。(聖人を理解できず)狎れなれしくし、聖人の言葉を侮る。
Sep 12, 2009
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丘也聞、有國有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安。蓋均無貧、和無寡、安無傾。丘(きゅう)や聞く、国を有(たも)ち家を有つ者は寡(すく)なきを患(うれ)えずして、均(ひと)しからざるを患う。貧しきを患えずして安からざるを患う、と。蓋(けだ)し、均しければ貧しきこと無く、和すれば寡なきこと無く、安ければ傾くこと無し。私(丘=孔子)はこう学んだ。国や家を運営する者は、人々の財産が豊かでないことを憂えるのではなく、運営が公平ではないことを思い患う。国や家の財政が貧しいのを憂えるのではなくて、人々が安心して暮らせないこと憂える。思うに、均しければ(人より)貧しいということはなく、調和していれば少ないというとともない。(国民が)安心・安全に暮らせれば国家が傾くこともない。政治の根本理念を述べた言葉だと思う。政権を奪取した民主党に贈りたい文章である。
Sep 1, 2009
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子曰、君子貞而不諒。 子曰く、君子は貞にして諒ならず。 今回は三者三様の訳を紹介。老先生の教え。教養人は大正義に従うが、小信義にはとらわれない。(加地伸行さん)先生が言われた、「君子は正しいけれども、馬鹿正直ではない。」(ネットにあった訳)先生が言われた。『君子は正しさを守るが、馬鹿正直ではない。』 (これもネット上の訳)貞=大義 諒=小さな義理立て君子は大義には従うが小さな義理立てにはこだわらない。「小異を捨てて大同につく」に近い考え方?かな。
Aug 18, 2009
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子曰、民之於仁也。甚於水火。水火吾見蹈而死者矣。未見蹈仁而死者也、 子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚だし。水火は、吾れ蹈みて死する者を見る。未だ仁を蹈みて死する者を見ざるなり。 先生の教え。人々にとって、仁徳は火や水(現代ではお金=生活の糧)よりもずっと大切なものである。然るに、暮らしのために命を賭ける人は見るが、仁徳に命を賭ける人を見たことはない。
Aug 15, 2009
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子曰、君子不可不知、而可大受也。小人不可大受、而可小知也。 子曰く、君子は小知す可からず。而して大受す可し。小人は大受す可からずず。而して小知す可し。 先生の教え。君子は(技術的な)細かい仕事をする必要はない。仁徳を基にした大きな仕事をすべきである。小人は大任を受けるべきではない。技術的で身近な仕事を果たすべきである。この文章は、日本人的感覚からすればかなり違和感があり、差別的である。今読んでいる司馬慮太郎の「この国のかたち(二)」参考になる記述がある「儒教では、身を労することはいやしく、小人にあたる。四民のうち農工は身を労するがためにいやしい。これに対し、心を労するのが君子で、つまり儒教が理想を託している精神的階級のことである。士がこれにあたる。」英国でも貴族階級では「工学部」には進まないと紹介している。日本人は古来、職人(匠の業)に対する尊敬の念が強く、武士にも卓越した技術者が多かった。僕が感じる違和感の淵源もここらあたりに起因しているらしい。
Aug 12, 2009
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子曰、知及之、仁不能守之、雖得之必失之、知及之。仁能守之、不莊以*之、則民不敬。(*のぞむ=さんずい偏に位)知及之、仁能守之、莊以*之、動之不以禮、未善也。 子曰く、知 之に及ぶも之を守る能わざれば、之を得と雖も、必ず之を失う。知 之に及び、仁能く之を守るも、荘以て之にノゾまざれば、則ち民 敬せず。知 之に及び、仁能く之を守り、荘以て之にノゾめども、之を動かすに礼を以てせざれば、未だ善からざるなり。 先生の教え。知識が(人の上に立つのに)十分であっても、仁徳を守れなければ、例え、地位を得たとしても、必ず之を失うことになる。知識が十分で、仁徳を守れても、威厳のある荘重な態度で臨まなければ、人々は敬わない。知識が十分で、仁徳を守り、荘重な態度で臨んでも、人々を動かすのに礼によらなければ、まだ善しとはできない。 この文章には「之:これ」が何を指しているのかが示していない。加地訳では「指導者たるもの」、別のネット検索では「士太夫(官吏)」、また「統治」など。卑近な例に当てはめれば「これ」は、教師であり、父親であり、母親でもあるかなあ?教師はその昔「聖職」とされ、生徒はもとより、保護者からも十分に尊敬されていた。現在は、民主化?されて友達関係に堕してしまい、教育が目的どおり機能しなくなった。家庭における父親、母親の権威も然り。知、仁、徳、威のバランスで教育も統治も成り立つ。
Aug 10, 2009
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子曰、君子謀道、不謀食。耕也、餒在其中矣。學也、禄在其中矣。君子憂道、不憂貧。 子曰く、君子は道を謀りて、食を謀らず。耕せど、餒(たい)其の中に在るあり。学べば、録其の中に在るあり。君子は道を憂え、貧しきを憂えず。 先生の教え。君子は道を求めて努力するが、食うためにあくせくすることはない。耕作していても(餒=飢饉で)飢えることはある。学んでいれば、禄を得られることもある。君子は(自分が進むべき)道のことを憂えるが、貧しいことを憂えたりはしない。ご尤もだけれど、我々小人にはとても無理な注文。そこそこに学び、そこそこには食べられないと、とても安心して暮らしてはいけない。
Aug 9, 2009
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子曰、吾嘗終日不食、終夜不寝、以思無益。不如學也。 子曰く、吾れ嘗(かつ)て終日食(く)らわず、終夜寝(い)ねず、以て思うも益なし。学ぶに如(し)かざるなり。 先生の教え。私はかつて、一日、食べもせず、終夜、寝もせずに考え続けたが何の得る所もなかった。(思うことも大事だが到底)学ぶことには及ばない。 学習と思考は表裏一体ではあるが、「学ぶ」ことのほうが先で大事ということ。為政第二=14に、子曰、學而不思、則罔。思而不學、則殆。がある。、 子曰く、学びで思わざれば、則ち罔(くら)し。思いて学ばざれば、則ち殆(あや)うし。
Aug 7, 2009
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子曰、過而不改、是謂過矣。 子曰く、過(あやま)ちて改めず、是れを過ちと謂う。 先生の教え。過ちを犯したと自認しているのに改めない、これが本当の過ちである。 孔子様の仰るとおりですね。最近、2度と過ちがないように、と毛が薄くなった頭を下げてお詫びするTVニュースが多い。JR、教育委員会、社会保険庁ほか、打たれ強いお詫び会見専門職員が必要かもよ。
Aug 6, 2009
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子曰、人能弘道。非道弘人也。 子曰く、人能く道を弘む。道 人を弘むに非らず。 先生の教え。人のみが道を高めることができるのであり、道が人の道を高めてくれるわけではない。当たり前だと思う反面、どういう意味かなと首を傾げたくなる部分ががる。意味深なのである。この文章、儒教が他の宗教と異なる所以だと書いてある文章があった。もう一つよく理解できない。
Aug 5, 2009
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子曰、衆惡之必察焉、衆好之必察焉。 子の曰わく、衆 之を悪(にく)むも、必ず察し、衆 之を好むも、必ず察せよ。 先生の教え。世の大衆が悪く言うときも、良く言うときも、俄かに信ぜずに必ず真実を見通すことだ。付和雷同するな、ということかな。世論は雪崩現象を起こすことがしばしば。郵政民営化選挙でもそうだったし、ヒガシコクバル知事選でも同じだった。やはり雪崩は、人間社会にとっては災害でしかない。つけは結局大衆が払わされる。
Aug 4, 2009
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子曰、巧言亂徳、小不忍、則亂大謀。 子曰く、巧言は徳を乱る。小 忍ばざれば、則ち大謀を乱る。 先生の教え。うますぎる弁舌は世の道徳を乱し、小事を我慢しないと大望を逸する。 口先人間になるな。巧言令色すくなし仁であるぞ。村上ファンドやホリエモンの巧言には国民がだまされ、自民党もだまされた。大望ある君は、些細なことで人と争ったりせずに辛抱して時期を待て?大望ある学生がほんのちょっとした弾みで大麻に手を出し、一生を棒に振る。人間、小さな欲を中々捨てられないから付け込む隙も出る。マルチ商法、つかまってもつかまっても後継者が出てくるし、騙される人も絶えない。
Aug 3, 2009
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子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎。子曰、其恕乎。己所不欲、勿施於人。 子貢問いて曰く、一言にして以て終身之を行うべき者有りや、と。子曰く、其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所は、人に施すことな勿(な)かれ、と。 子貢が質問した。「一言で生涯、行うべきものを表わすものが有りますでしょうか」と。先生は答えられた。「それは恕(じょ;思いやり)だね。自分が人から受けたくないことは、人にもしないことだ」と。 これは、万人が何の抵抗もなく納得できる言葉であるが、行うのは大変難しいことでもある。僕自身「あんたは、思いやりちゅうもんがなさすぎる」といつも家内から非難されている。過干渉が(妻・母親・姑)の思いやりだとの勘違いがある気がしないでもない。
Aug 1, 2009
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子曰、君子不以言擧人、不以人廢言。 子曰く、君子は言を以て人を挙(あ)げず、人を以て言を廃せず。 先生の教え。君子は相手の言葉や意見だけで抜擢したりしない。人によって(いい意見を持っているのに、出自や身分で)意見を無視したりしない。 若いころ、緊急に伝えないと困るだろうと推察される情報を直接部長へ伝えたことがある。すると、係長が部長へ直接問題を持ち込んだと疑問視された。部長の小人ぶりに唖然とした。僕が直接怒られたのではなく、課長が「部下のしつけが悪い」と叱られたのである。普通の問題は、手順を踏むが、緊急事態は間がいなければ飛ばすことも当然必要であるのに。一方、巧言令色、すくなし仁でもある。
Jul 31, 2009
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子曰、君子求諸己、小人求諸人。子曰く、君子は諸(こ)れを己のれに求め、小人は諸れを人に求む。先生の教え。君子は何事も己に求め、責任も自分でとる。小人は何事も人に求め、責任も人に押し付ける。非常に抽象的で解釈が難しい。言わんとするところは、君子は諸々の問題が起きた時、自分の責任において自らの力で対処し、その責任は自らが負うのに対し、小人はその逆。自分では手を出さずに人にやらせて結果責任もすべて人の所為にする、ということかな?
Jul 29, 2009
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子曰、君子疾沒世而名不称焉。子曰く、君子は世(よ)を沒するまで名の称せられざることを疾(にく)む。 君子は、(後世)「あの男は、生涯何もしなかった」とされることを最も気にかける。この文章には、違和感がある。死後のために生きるとなれば「宗教」と同じ。自分としては、死んだあとのことまで心配するのが君子?だとは思わない。生きて名利を求めず、死して名誉を求めず。死後誤解され悪名を轟かせている君子もいるかも?死後のことなんか知ったことではない、わが道を貫ければそれででいいではないだろうか。まあ、借金さえ残さずに死ねたらそれで良しとしたい。
Jul 28, 2009
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子曰、君子病無能焉、不病人之不己知也。 子曰く、君子は能(よ)くする無きを病(や)む。人の己れを知らざるを病まず。 先生の教え。君子は己の力不足を気に病むが、他人が自分の力を知らないことなど気に病むことはない。 人事などで、力相応の処遇を受けていないのに平気で頑張ってる人は結構いるな。一方で、何であんなやつが管理職になれたのだろうと不思議に思える人物も結構多いな。
Jul 25, 2009
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子曰、君子義以爲質、禮以行之、孫以出之、信以成之。君子哉。 子曰く、君子は義以て質と為し、礼以て之を行ない、孫以て之を出だし、信以て之を成す。君子なるかな。 先生の教え。義(道理)を中心に置き、礼法により行い、謙遜をもって発言し、誠意により成し遂げる。之が君子だねえ。
Jul 24, 2009
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子曰、羣居終日、言不及義、好行小慧。難矣哉。 子曰く、羣居(ぐんきょ)すること終日、言 義に及ばず、好んで小慧(しょうけい)を行う。難いかな。先生のことば。群れ集って終日過ごし、道義の話など全くせずに、好んでするのは小ざかしい話ばかり。これでは(一人前の人間になるのは)難しいね。
Jul 23, 2009
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子曰、不曰如之何如之何者、吾末如之何也已矣。子曰く、之を如何せん、之を如何せんと曰わざる者には、吾之を如何ともする末(な)きのみ。先生の教え。(自分から)どうしたらいいのでしょう、どのようにすればいいのでしょうか、と問わない者には、私としても、どうすることもできない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、(知らぬは末代までの恥 、はないかな)聞いてくれなきゃ、教えようがない、というのが孔先生の考え。聞かずに盗めは職人の世界?
Jul 22, 2009
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子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣。子曰く、躬(み)自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨みに遠ざかる。先生の教え。我が身は厳しく責め、他人にはできるだけ穏やかに責めれば、怨まれることもなくる。自分に甘く、他人に厳しいのが小人の習い。夫婦間でもこれが多い。
Jul 21, 2009
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子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。 子曰く、志士・仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く。身を殺して以て仁を成す有り。 先生の教え。志士(高邁な目標を持つ人)や仁人(仁徳の道に生きる人)は、自分が生きるために人の道を害うようなことはなく、(逆に)己の命を殺してでも人の道を全うしようとする。
Jul 17, 2009
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子曰、可與言而不與之言、失人。不可與言而與之言、失言。知者不失人、亦不失言。子曰く、与(とも)に言う可くして、与に言わざれば、人を失う。与に言う可からずして、之と言えば、言を失う。知者は人を失わず、亦た言を失わず。先生の教え。その人とともに発言すべきときに、発言しないと、自分の立場を失う。その人に賛成でないのに、賛成したりすると、異なった意見の持ち主となる。(言を失う)智者は、自分の立場を失わず、意見も失わない。 上の解釈は加地さんの訓読みに基づくものだが、大勢は下記の解釈のようである。共に発言すべきときに、発言しなければ、人を失うことになる。共に発言すべきでないのに、発言すれば、言葉の価値を失う。知者は、人を失うことがなく、言葉の価値も失うことがない。自分的には、加地さんの解釈の方がしっくりする。与は「くみする」意だからである。与すべきときに与する発言をしないと、自らの拠って立つ場を失う。与すべきでないのに与する発言をすれば、言葉の価値を失ってしまう。
Jul 9, 2009
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子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與。對曰、然。非與。曰、非也、予一以貫之。 子曰く、賜や、女(なんじ)は予を以て多く学びてこれを識(しる)す者と為すか、と。対たえて曰く、然(しか)り。非なるか、と。曰く、非なり。予は一以てこれを貫く、と。 先生がお尋ねになった。「賜(子貢)よ、お前は私を多くを学んで、これを記憶している人間だと思うか」と。子貢はお答えした。「そうだと思います。違いますか」先生は「違うな。私は学んだ知識を道徳の一理で貫(統合)いている」と仰られた。(参考)理仁ー15吾が道は一以て之を貫く。(中略)曾子曰く、夫子の道は、忠恕のみと。加地さんは、忠(まごころ)恕(おもいやり)=広くいえば「道徳」としている。つまるところ、得た知識を世のため人のために生かして使いなさい、ということかな。
Jul 8, 2009
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明日遂行、在陳絶糧。從者病、莫能興。子路慍見曰、君子亦有窮乎。子曰、君子固窮。小人窮、斯濫矣。明日(めいじつ)遂に行(さ)る。陳に在りて糧を絶つ。従者病みて、能く興(た)つ莫し。子路慍(うら)みて見(みま)えて曰く、君子も亦た窮すること有るか、と。子曰く、君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(すなわ)ちこに濫(みだ)る、と。 孔子一行、翌日、衛国から去った。陳国で食糧がなくなり、弟子たちは飢えて動けなくなった。子路が腹立ち紛れに先生に面と向かい、言い放った。「君子でも窮することがあるのですか」と。先生は言われた。「君子も勿論、窮することはある。だが小人は窮するとやけになり。何をするか分からない」と。「シロよ、これしきでおたおたするようではお前もまだまだだな」と言っている。しかし、7日間も食べるものがなくなって立つことさえできなくなった孔子主従、このときどのようにしてこの危難を乗り越えたのであろうか。
Jul 7, 2009
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闕黨童子將命。或問之曰、益者與。子曰、吾見其居於位也。見其與先生竝行也。非求益者也。欲速成者也。 闕党(けっとう)の童子(どうじ)、命(めい)を将(おこ)なう。或るひと之を問うて曰く、益ある者か、と。子曰く、吾れ其の位に居るを見る。其の先生と竝び行くを見る。益を求むる者に非ず。速みやかに成らんと欲する者なり、と。 闕(けつ;地名)出身の童子(15歳以下の少年)が客の取次ぎをしていた。ある人が「(来客の取次ぎをしているくらいだから)何か見所のある少年ですか」と質問した。先生は「私はあの子が平気で上席に座っているのを見、来客と肩を並べて歩くのを見ました。あの子は、役に立つことを学ぼうとする者ではなくて、ただ早く一人前に成りたいというだけの子です。」と、答えられた。党=500戸の地域、村。加地訳では最後にカッコ書きで (だから礼儀作法を教えるために取次ぎをさせている)とある。素人ではとてもそこまでは読みきれない。
Jul 6, 2009
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原壌夷俟。、子曰、幼而不孫弟、長而無述焉、老而不死、是爲賊。以杖叩其脛。 原壌(げんじょう)、夷して俟(ま)つ。子曰く、幼にして孫弟(そんてい)ならず、長じて述ぶること無く、老いて死せず。是れを賊と為す。杖を以て其の脛(はぎ)を叩(う)つ。 (先生の昔なじみの)原壌が夷人のようにうずくまって、待っていた。先生は「幼時から礼儀知らず、長じても何の取り得もなし、年とってもただ生きているだけ。こんな人間をろくでなし(賊)と言うのだ」と、手にしていた杖でその脛をピシャリと叩かれた。 これは、次の44と並ぶ孔子の幼時(幼児)教育論?三つ子の魂百まで、幼時にちゃんと躾けておかないとろくな人間には成らんよ、かな?
Jul 5, 2009
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子路問君子。子曰、脩己以敬。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安人。曰、如斯而已乎。曰、脩己以安百姓。脩己以安百姓、尭舜其猶病諸。 子路 君子を問う。子曰く、己を脩(おさ)めて以て敬す、と。曰く、斯(かく)の如きのみか。曰く、己を脩めて以て人を安んず、と。曰く、斯くの如きのみか、と。曰く、己れを脩めて以て百姓(ひゃくせい)を安すんず、と。己のれを脩めて以て百姓を安すんずるは、尭舜も其れ猶(はお諸(これ)を病めり。 子路が君子(たる要諦)について質問をした。先生は次のように答えられた。「己の修養に努めて、慎ましく生きることでことだ」と。子路はさらに質問をした「ただ、それだけでいいのでしょうか」と。先生の答え、「己の修養を通して、親族、知人友人、周囲の人々を安らかにすることだ」と。子路はさらに質問をした「それだけでいいのでしょうか」と。先生のは答え。「さらには、己の修養を通して万民を安らかにすることだ。この、己を修養して、万民を安らかにするということは、あの名君尭舜でさえも苦労されたことなのだよ」と。君子たるものは、天命に従い、研鑽・修養に務め、天下万民の安寧のために働け、ということ。
Jul 4, 2009
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子曰、驥不称其力、称其徳也。 子曰く、驥(き)は其の力を称(ほ)めずして、其の徳を称むるなり。 先生の教え。名馬の驥(き:1日に千里を走る)はその力が褒められているのではない。その品格が褒められているのだ。「驥」となる可能性がある東国原知事。然し、惜しいかな、今のところ、いささか品格に欠ける。
Jul 2, 2009
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子曰、古之學者爲己、今之學者爲人。 子曰く、古(いにしえ)の学ぶ者は己の為ににし、今の学ぶ者は人の為にす。 先生の教え。昔の学徒は自分のために学び、今の学徒は人のために学ぶ。普通に読めば、昔は自分の地位名声にために学び、今は人の役に立つために学ぶ、となりそう。実は、昔の人は自己研鑽のために学び、今の人は地位や名声を得るために学ぶ、となる。人のためは、人の役に立つためではなく、人から名声を得るためと読むのが正当とのこと。何故そう読めるかは、孔子の思想が現代批判(当時の)に立っているからであろう。
Jun 28, 2009
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子問公叔文子於公明賈曰、信乎、夫子不言、不笑、不取乎。公明賈對曰、以告者過也。夫子時然後言。人不厭其言、樂然後笑。人不厭其言。義然後取、人不厭其取。子曰、其然。豈其然乎。 子、公叔文子(こうしゅくぶんし)を公明賈(こうめいか)に問うて曰く、信(まこと)なるか、夫子(ふうし)は言わず、笑わず、取らず、と。公明賈対えて曰く、以て告ぐる者の過(あやまち)なり。夫子、時にして然(しか)る後に言う。人 其の言を厭(いと)わず。楽しみて然る後に笑う。人 其の笑うこを厭わず。義にして然る後に取る。人 其の取るを厭わず。子曰く、其れ然り。豈に其れ然らん、と。 先生が(衛国の太夫)公叔文先生のことを(衛国の)公明賈にお訊ねになった。「本当ですか。あの先生は言わず、笑わず、贈り物を受け取らないというのは」公明賈はこうお答えされた。「それは話した者の過ちです。あの方は、必要なときには話されますし、聞いた者が嫌がることもありません。本当に楽しまれた時にはお笑いになりますので、誰も嫌がることはありません。また、道義にかなっていれば物をお受け取りになりますから、誰もが嫌がりません」先生は言われた、「そうでしょう。(君子は)そうあって然るべきですよ」聖人君子といえども霞を食べて生きているわけではない。教師が教えて、生きる糧を得るのは、当然だという考え方であろう。
Jun 22, 2009
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子曰、貧而無怨、難。富而無驕、易。 子曰く、貧にして怨む無きは、難(かた)し。富みて驕る無きは、易(やす)し。 先生の教え。貧乏して(運命や社会を)怨まずにいるのは難しい。しかし、金持ちになって奢らないでいることは(比較的)易しい。運命は所詮、不公平であり、社会制度も存外公平さに欠けている。愚痴の一つも出よう。しかし、自分は能力相応の評価を受けていないとの思いでは、トンネルの闇からは抜け出せない。功成り名を遂げた人でも奢ることなく、つつましく生きている人は多い。
Jun 21, 2009
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子曰、士而懐居、不足以爲士矣。 子曰く、士たるに居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。 先生の教え。士(おとこ)でありながら暮らしの安楽を思うようでは、士とするには不足。武士は食わねど高楊枝の精神?
Jun 12, 2009
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憲問恥。子曰、邦有道、穀。邦無道穀、恥也。 憲、恥を問う、子曰く、邦に道あれば、穀す。邦に道無くして穀するは、恥なり。 (弟子の)原憲(げんけん)が恥について質問した。「恥とはどんなことをいうのでしょうか」先生はこう答えられた。「国の政治に道義があれば仕官するがよい。道義が無い政治の国へ仕官するのは恥である」 克伐怨欲不行焉、可以爲仁矣。子曰、可以爲難矣。仁則吾不知也。 克・伐・怨・欲、行なわれざる、以て仁と為すべきか、と。子曰く、以て難(かた)しと為すべし。仁は則ち吾れ知らざるなり、と。 原憲がさらに質問した。「勝ちたがる、自慢する、怨む、欲ばる、などを行わなければ、仁といえましょうか」先生が言われた。「それらをしないというのは難しいことだと言えようが、それが仁かどうか私には分からない」 自分の節義をまげてまで、食うために仕えるのは恥だということだろう。また、利己的なことをしないというだけでは「仁」とは言い難いということかな?
Jun 11, 2009
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子路問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、切切偲偲、怡怡如也、可謂士矣。朋友切切偲偲、兄弟怡怡如也。 子路問うて曰く)、何如(いかん)ぞ斯ち之を士と謂うべき、と。子曰く、切切偲偲(せつせつしし)、怡怡如(いいじょ)たる、士と謂うべし。朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡如たれ、と。 子路が質問して言った。「どういう人物を、できたおとこ(士)だと言えるでしょうか」、と。先生が言われた。「心をこめて他人を思いやる、心穏やかに和らいでいる、士だと言える。友達には心をこめて励まし、兄弟には穏やかに和らいで接することだ」、と。言うなれば、懐が深い慈愛に溢れた人物、例えば「西郷隆盛」などがおとこの中のおとこ?
Jun 9, 2009
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子曰、君子泰而不驕。小人驕而不泰。 子曰く、君子は泰(たい)にして驕らず、小人は驕りて泰ならず。 先生の教え。「君子はゆるぎが無く堂々としているが驕り高ぶったりはしない。小人は驕り高ぶりはするるがこせこせして堂々としていない」 こういう文章に接すると、早とちりですぐに頭に血が上る己の小人さが恥ずかしい。幸い、驕り高ぶるほどの地位も財産も得たことが無いので世の害毒にはなってはいないかな。
Jun 7, 2009
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子貢問曰、郷人皆好之、何如。子曰、未可也。郷人皆惡之、何如。子曰、未可也。不如郷人之善者好之其不善者惡之也。 子貢問いて曰く、郷人(きょうじん)皆なこれを好めば、何如、と。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人皆なこれを悪(にく)めば、何如、と。子曰く、未だ可ならざるなり。郷人の善者、之を好み、其の不善舎之を悪むに如(し)かず、と。 子貢が質問した。「土地の人が皆、あの人は好い人だと評判するような人はいかがでしょうか」と。先生は「まだ、まだ善人とはいえないね」と答えられた。「では、土地の人皆から、憎まれているというのは、いかがでしょうか」と。先生は、「まだ、十分じゃないね。土地の善人が褒め、悪人が憎むという人には及ばないよ」と答えられた。自分的には己を「善人」の部類だと自認している。しかし、まだまだの部類であることも確か。土地に悪人がいるかどうかも知らぬ。ヤクザなどには近づいたことはなので何ともいえない。
Jun 4, 2009
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樊遅問仁。子曰、居處恭、執事敬、與之夷狄、不可棄也。 樊遅、仁を問う。子曰く、処(ところ)に居りては恭、事を執りては敬、人に与(くみ)しては忠、夷狄に之(ゆ)くと雖(いえ)ども、棄つ可からざるなり、と。 樊遅(はんち)が仁について質問した。先生は「日常生活では慎み深く、仕事をするときは他者に敬意を持ち、人の仲間に入れば真心をもって尽くす。たとえ、野蛮の地へ行ってもこのことはやめないことだ」、と。
Jun 1, 2009
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定公問、一言而可以興邦、有諸。孔子對曰、言不可以若是、其幾也。人之言曰、爲君難、爲臣不易。如知爲君之難也、不幾乎一言而興邦乎。定公問う。一言(いちごん)にして以て邦を興こすべきもの、諸(こ)れ有りや、と。孔子対えて曰く、言は以て是(か)くの若(ごと)くなる可からざるも、其れ幾(ちか)きか。人の言に曰く、君爲(た)ること難(かた)く、臣爲(たる)こと易(やす)からず、と。如(も)し君たることの難きを知れば、一言にして邦を興こすに幾(ちか)かからずや、と。(魯国の君主)定公が孔子に下問された。「ただの一言でもって国を興隆させるものががあるだろうか」と。孔子は応えて申し上げた。「言葉でもってそのようにすることはできませんが、それに近いものはあります」ある人はこう言っております。「真の君主となることは難しく、真の臣下となることも易しくない」と。「もし陛下が君主であることの難しさをお分かりになられるのであれば、この(君爲ること難し)が、国を興隆させるのに近い一言ではないでしょうか」曰、一言而可喪邦、有諸。孔子對曰、言不可以若是、其幾也。人之言曰、予無樂乎爲君。唯其言、而樂莫予違也。如其善、而莫之違也、不亦善乎。如不善、而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎。曰く、一言にして邦を喪(うし)なうもの、諸れ有りや、と。孔子対えて曰く、言は以て是くの若くなる可からざるも、其れ幾きか。人の言に曰く、予 君たるを楽しむ無し。唯だ其れ言いて、予 違(たが)う莫(な)し、と。如(も)し其れ善にして之に違う莫ければ、亦た善ならずや。如し不善にして之に違う莫ければ、一言にして邦を喪うに幾(ちか)かからずや、と。 (続いて定公が)下問された。「では、一言で国を滅亡させるものがあるだろうか。」と。孔子は応えて申し上げた。「言葉でもってそのようにするものはありませんが、それに近いものはあります」ある人はこう言っております。「私は君主であることを楽しむことはない。私の発言に逆らう者の居ない、ただそれが楽しい」と。「この場合、もしその発言が正しくて逆らう者が居ないのであらば、それは結構なことです」「しかし、もし正しくないのに逆らう者が居ないのであれば、これこそ亡国へぴったりの一言に近いのではありますまいか」と。 長文だし、訳文と漢文がしっくりと来ないのでアップを保留する。(5月28日23:03)要するに、上に立つ者の曇りなき心構えと行為で国家は興隆し衰亡するぞ、という至極普遍的な教え。官僚の阿りかどうかは知らぬが、アニメの殿堂に117億円の予算を計上する麻生さんの心意気、なんだかあの世から孔子様の叱責が聞こえてきそう。
May 27, 2009
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子曰、苟正其身矣。於從政乎何有。不能正其身、如正人何。 子曰く、苟(いやしく)も其の身を正しくせば、政に従うに於てか何か有らん。其の身を正しくする能わずして、人を正すを如何せん。 先生の教え。もし(為政者が)我が身を正しくさえできれば、まつりごとに従事するくらいは何でもない。我が身を正しくすることもできずに、人を如何にして正そうとするのか。(正せる筈が無い) 「誠にもって、お教えのとおりでごわす」、と西郷隆盛は言ったであろうなあ。思うに、東洋に仁・義・誠などの儒教精神が生まれた素地には、為政者の堕落があった?韓国歴代大統領の末路の悲惨さは、一族を大切にするという「儒教的風土」の逆作用かも。
May 25, 2009
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曾子曰、君子以文會友、以友輔仁。 曾子曰く、君子は文を以て友を会し、友を以て仁を輔(たす)く。 曾先生の教え。「君子は学問でもって友人と寄り合い、その交友を通し、互いに仁徳を高めることを助け合う」 畏友という語がある。自分にも一人だけそういえる人物がいた。自分よりも10歳位若かったにもかかわらず、8年前、2人ともガンに侵され、僕が生還(退院)を許されたその朝、50台半ばで亡くなった。彼は大阪の人で建築士、県立図書館の設計と監理で共働作業、以来、肝胆相照らす中になった。つまり、異業種交流の楽しさに目覚めた2人は、それぞれの地域でそれぞれの手法でスタート。「知的交遊会」という異業種交流会の主宰者となった彼は、思い半ばで病に倒れてしまった。
May 20, 2009
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