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2時半GB、8時10分GU、9時半まであさイチ、ジャパナビ萩は大河ドラマ「花燃ゆ」のPR番組。9時半からネット株兼沖縄紀行3日目の画像編集。株は午前中は1.75%値上がり。大引けでは1.67%高。マイファンドは1.5%高止まりで、5日連続値下がり分の30%戻し。今回の値下がりで買ったM&A、BBカストロル、パイロット、極東は、M&A以外はいくらかずつ値上がりした。13時から家内たちが手甲・脚絆づくりをしているので写真撮りに出かけたら、これまで作ったのが17体分だったので残り3体分を作るべく10数人が来てくれていたのにびっくり。しかも、段ボールヨロイづくりの池上先生が宮嵜から「このままでは出来上がらないよ」と応援においでいただいていたのにはは恐縮の極みだった。自分も含めて組織がちゃんと機能していない。結局18時まで飲まず食わずで胴部分の部品作りに参加した。作ったのは背胴に着ける釣り手の切込み接着作業。2枚合わせ左右一対必要なので、80枚を厚紙から切り出して間にプラスチック板を鋏んで接着する。結局接着までは至らず。2人が8体分を持ち帰ってくれたので、残りの12体分は僕が持ち帰って作り上げることになった。連休を使って作りあげるつもり。胴作り班5名兜作り班3名のほか手甲脚絆づくり4名と先生、計12名が17時まで頑張った。草鞋ばかりは買えば高いし、どうにもならずズックでも仕方がないだろうということになった。18時過ぎに一度帰宅、19時20分再度城の駅へ。22時までオープニング事業準備について協議、帰宅したのは22時をかなり過ぎていた。それから、株の結果を検索して明日の信用建て玉返済ウリ・カイ発注を済ませてから沖縄紀行3日目分に着手。やはり画像処理に手間取り以外に時間がかかりすぎて首里城見学分をアップできたのが2時過ぎだった。そのあと今日の分に着手し今現在3時10分。画像は明日挿入しよう。
Jan 8, 2015
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暮れの28日からキンコン記念旅行第2弾、長男夫婦企画招待で沖縄に行ってきました。盛りだくさんの計画で引っ張りまわされ疲れましたが、25年ぶりくらいの沖縄でしたので視るもの聞くのも体験することも珍しいことばかりで精神的には大いにリフレッシュできました。旅行記は、おいおいとアップしていこうと思っています。さて、今朝の宮崎大荒れで、かさ下げ工事中の一ツ瀬川沿いは砂塵万丈の砂漠みたいでした。尾鈴山も米良の山々も雪雲がかかり2015年天気晴朗なれど波高し、波乱の幕開けを象徴するがごとき風景です。まだ年賀状100枚掻き残しがありますので元旦は年賀状書きで夜なべです強風で一ツ瀬川堤防を隠すほどの砂塵が巻きあがっている。マイボートは相変わらず弧舟の岸につながれたまま
Jan 1, 2015
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9月22日15時半過ぎ飯塚市幸袋にある旧伊藤伝右衛門邸を出発し福岡市へ向かう。途中、長男の希望で旧海軍燃料廠経営だった志免鉱業所所の竪坑櫓遺跡(重文・産業近代化遺産)を見学していくことになった。志免炭坑が(戦後門鉄経営)閉山したのが昭和39年だから自分がオリンピックの年であり、新幹線開通の都市でもあるし、我輩が結婚した都市でもあるので今年が閉山50周年にあたる。キンコン・ジャーニーで閉山50年の志免炭坑跡を訪れるなんぞ思ってもみなかった。16時15分ごろ到着。最初は、志免炭坑跡とは知らずに巨大な立坑櫓遺跡を視たときには、海軍の訓練塔ではないかと思ったが、説明版を読んで、「そうか志免炭坑の立坑櫓」だったんだと納得して、感慨深かった。志免炭坑のことは子供のころからたびたび聞く名前だったので筑豊炭田の志免として、大牟田の三井三池と並んで良く知っている。立坑櫓のほか斜坑坑口が3か所保存されていた。眼前にはボタ山らしい山容の山もあり、往時には周辺に炭住街もあったのだろうと想像。遺跡周辺は現在は鉄道記念公園になっていた。図の第4(斜坑)、第5(斜坑)、第8(立坑)の坑口が保存されている。高さ47.6mの鉄筋コンクリート製櫓の丈夫設置の1,000馬力巻き上げ機で、深さ430mまでケージを上げ下げして鉱員を運んでいた。この櫓が建設されたのは昭和18年、すでに敗色に向かいつつある時期だった。第8坑本卸(ほんおろし)抗口第8坑連卸(れんおろし)抗口第5坑西側坑口炭坑跡を16時半過ぎに出発、今夜の宿泊ホテルシーホーク・ヒルトンへ向かう。ホテル着17時半頃だったかな?
Sep 25, 2014
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9月22日、とんこつラーメン専門「一蘭大宰府店」で1000円(自分で出したのは替え玉190円のうち100円だけ)近いラーメンを食って本日第2の目的地「嘉納伝助こと本名伊藤傳右衛門旧宅」を目指して13時前に出発。こちとらは土地勘がないのでどこをどう走っているやら皆目見当もつかない。わかっているのは筑豊の飯塚市というだけ。14時丁度に市営の臨時駐車場に着いた。駐車場からほんの200mくらいで旧伝右衛門邸の門前へ。花ちゃんのおかげで伝助宅は大入り満員。余得を授かったのは門前の地主さん駐車料金300円で満車状態.二人の整理員(地主さんご夫婦かも)を配置して大忙し状態だった。市営の駐車場は無料だったがお屋敷の拝観料がお一人様300円と結構セコイ商いをしてござった。もぎりのおばさんに聴くと休日には4千人を超す入園者があるという。300円×4000ちゃあなんぼかい?と飯塚市長のほくほく顔が名浮かぶようだった。だがしかし、旧伊藤伝右衛門宅の豪華さはクロダイやの価値の高さを物語って余りある威容であった。論より証拠の画像がたくさんある。数枚ご紹介。石炭を船で若松へ運んだのだろう。遠賀川のすぐ近くに屋敷がある。入口の大きな長屋門は、福岡にあった銅御殿の焼け残りを移築した。お屋敷は東西50m位はありそう。北棟のやや玄関よりに東西に貫く畳敷きの廊下がある。白蓮さんのために増築された2階から視る庭園。(川はあるけど)池がない?とは家内の感想。炭坑の上だから大量の水は溜めなかったのかもしれない。庭の方からの屋敷のたたずまい。右側(西棟)が収まりきれなかった。 向って左の2階が連子さんの居室で床の間に自筆の短歌の軸が掛けられていた。朝化粧五月となれば京紅の青き光もなつかしきかな旧伊藤邸(現在は飯塚市有文化財)最後の画像は、庭に立っていた看板の写真。市の資料によると旧伊藤邸のデータは以下の通り。福岡県飯塚市幸袋300番地 敷地面積 約7,570平方メートル(約2,300坪)建物延床面積 約1,020平方メートル(約300坪)飯塚市有形文化財(平成18年9月26日指定)国の名勝指定(庭園)(平成23年9月21日指定)
Sep 25, 2014
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9月21日23時半GB、22日5時10分WU、8時30分GU、外は真っ暗にて天気は不明。5時48分PCで台風16号の動きを視る。台湾東岸沿いに北上し東シナ海、黄海を経て24日の3時に済州島西500キロの海上に達し、右折東進、釜山付近から日本海へ抜ける頃にはオンテイになる公算が高い?今日からのMM50周年記念行事には支障なさそう。6時10分朝食、後、出発準備。7時玄関口のメダカ鉢に異変発見。エサのやりすぎで水が腐りかけ、ハゼ、フナ、クチボソなど死んでいた。可哀そうだが掬い出し隣りの水槽のザリガニのエサにした。7時05分、予約タクシーが来たので二人打ち揃いJR佐土原駅へ。タクシー代1,560、宮崎までの電車代二人分で560円。宮崎駅前から高速バス(JR九州ハイウエイバス・スーパーフェニックス号)8:15発福岡市天神終点行きに乗り込む。往復料金13,620円(僕分身障者で半額)11時50分高速基山下車、次男夫婦出迎え。基山PAに降り立つのは初めてだが、高校のころ、基山に登ったことがある。筑紫平野が一望できる景勝の地であった。ということで、基山(標高405m)は山の名前が町名となったもの。現在は高速バス乗り継ぎ基地に位置付けられている基山パーキングエリア美味しいというラーメン店「一蘭:大宰府店」へ。ここで長男夫婦と合流。都合、車2台を駆って6人で「愚利公夫妻ご成婚50周年記念行事」第一日目のスタート。プロデュースは二男夫婦。昼食には美味しいラーメンが食べたいという家内のオーダーで、選ばれたのが福岡市を中心に全国50店舗近くのラーメン店を展開する「一蘭」だった。もちろん二男夫婦以外は「初味見」である。「一蘭」は福岡市に本拠を置く全国展開中のラーメンチェーン店内の座席が一風変わっている。選挙の投票席風で椅子がついている。前方に簾が下がっていて、そこからドンブリが出てくる。商売効率優先で「旨けりゃあ、文句ねーだろう」てな感じの店。麺は細麺で薄く味付けがしてあるらしいが舌触りが今一、これは「ラー麦麺」の特徴かもしれない。豚骨スープは非常に美味しい。しかし、麺の量が少ない割には値段が770円と高く、麺玉の追加料金が190円は高すぎる。味噌味と醤油味があった。どちらも美味しかったが、トンコツはこってり味だった。日本語の使い方にいささか拘りがある我輩、看板に気になる文言があったので、店を出るとき、アルバイト学生らしきお兄さんに「質問の筋あり。看板に大書してある天然とはいかなる意なるや?」「天然とは自然と言う意ではござるまいか」「なれば、ブタを牧場で放し飼いにしているのでござるか?」「それ以上はそれがしには分からぬゆえ店長に尋ねてまいる」「それには及ばぬがそういうう質問があったことをお伝えくだされ」「わかり申した」「おとうさん、またまた難しい質問して若い人困らせてから~」とギャラリーの声がした。(続きはあしたに)
Sep 24, 2014
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小保方いじめの感があったSTAP細胞騒動、笹井さんの自殺でほぼ不正論文が確定したような気がするが、今日改めてNHKスペシャル「調査報告 STAP細胞不正の深層」を視て、研究者生命と盛名が絶たれた笹井さん自殺の深層も伺い知れたような気がする。いずれにしても世界中のウブな科学者たちが大和撫子風美女の色香に迷わされとしか言いようがない結果となったが、当の小保方さんは「スタップ細胞はあります」と主張し、監視カメラ付き、研究者立ち合いのもと、日々スタップ細胞作製の実証実験にいそしんでいらっしゃるというから、どなたかが言っていた1%の可能性が残っているのかもしれない。これでスタップ細胞作製成功ということになった方が日本人は喜ぶね。ノーベル賞確実の研究成果を30歳の女性がでっち上げて世界に発信するなんて暴挙をやらかすこと自体が信じがたい。200回作りましたというのもあるし、是非作って見せて「どうなのよこれ」って大見得を切るなんて絵になりますよ。またはなぜそんなことをしたのかわが心の深層・事の真相を遺書に書いて自殺して見せるかどっちかだろう。嘘っぱちなら生きていても仕方がなかろう。ほかに、3.11関連Nスぺ2本。一つは「廃炉への道 誰が作業を担うのか」これは誠に深刻。これから30年くらいかかる廃炉までの膨大な作業の担い手をどう確保するのか。熟練作業員は被ばく線量の壁と年齢の壁があってこれからどんどん減ってゆく。新人は集まらないし、教育もままならなくなる。あと一か所でも同じ事故が起きればもう日本はたち直れなくなること必定。それでも背に腹は代えられぬと「原発再稼働へ一直線の日本」周辺住民も「あんなことはあと100年は起きない」と思っている。最後に視たのが、シリーズ東日本大震災 防潮堤 400キロ~命と暮らしを守れるか~三陸海岸戦に計画されている防潮堤延長400キロ、総事業費1兆円。中には費用対効果からすると200億円の防潮堤が守る資産は37億円というのがあった。水面下に沈んだ土地を買い上げて防潮堤を作れば被災者支援と防災が両立するとして賛成多数のケースもあった。有名な田老町の巨大防波堤は検証の結果随分役には立ったのだが結果的には「安全神話」を生み160人以上の犠牲者を出した。今回は10mでダメなら14.7mにかさ上げして再建する。住宅地も2mかさ上げするので3.11クラスなら浸水しない計算だとか。歴史に学べない人類、自然災害に翻弄され戦争を繰り返す。それでもどんどん増えて現在の世界人口は70億人超、2050年には96億人だとよ。俺たち高校のころは24億人だった。良く食い物続くなあ、と思う。
Aug 13, 2014
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今日は3本も映画を見てしまった。青い鳥についてはすでに書いたので省略。次に川行きをスキップして視たのが「ブロンコビリー」。主演はクリントイーストウッド。見たのは多分2度目。拳銃名人が座長のウエスタンショーを舞台にした、ありきたりの娯楽映画で楽しめた。見どころは、人種も犯罪者上がりも軍隊脱走者も差別しない主人公の言動がチームを統率している。ヒロイン役のソンドラ・ロックとは12年間愛人関係だったとか。次の「ノウイング」は地球生物滅亡のドラマ。太陽のスーパーフレアで地球が焼き尽くされる事を予言した数字だけの手紙は、MITがある町の小学校で50年前にタイムカプセルに封入されていたもの。数字はその50年間に起きた大事故の予告であった。そして、まだ起きていない事故が3件のこっていて、2件が相次いで起きる。最後の数字の謎解きは、101909EE=10月19日09年EVERYONE ELSE (他の人全て)だそうである。 また劇中では旧約聖書のエゼキエル書1章を要約した絵が出てくる。意味は調べてみないと不明。多分、人類終末に際して、神に約束された人だけが生き残れる、かな。聖書と科学を融合させて組み上げた空想科学映画。主演はお馴染みのニコラス・ケイジ
Oct 9, 2013
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ショウジョウソウはしぶとい植物、完全に野草化している。エリゲロンの仲間とバーベナの仲間かな。これも雑草と同じ。ルドベキア、花期が長くきれいだけど繁殖力が凄まじい。ニラは野生ではないが、引っこ抜いて捨て置いても根付いてしまう。タマスダレ、種でもよく繁殖するので菜園のあちこちに群叢している。もともと山野草のノカンゾウ、しぶとく生き残って花をつける。白花のサルスベリ、いい感じの純白、種でどんどん増える。今夜は名月と言うことで月見の誘いがあったが、市役所へ提出する資料作りがあったのでお断りした。秋を三分割し「初秋、中秋、晩秋」とした。旧暦でいうと8月とのこと。で今年の旧暦8月15日が中秋の15夜で陽暦では9月19日、つまり今夜である。そこでデジカメで満月を狙った。しかし、これがなかなか難しい。Mモードにして、絞りとシャッタースピードをいじくったが巧く映らない。結局どのモードで撮ったのかわからないまま、何とか月の模様が映ったものを縮小してみた。雲の合間を縫っての撮影で汗かいてしまった。名月をデジカメで追うドン愚利公
Sep 19, 2013
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1時就寝、8時ちょい前に起床、最低気温は8時半の8.0℃、曇りで体感気温は低い。9時になっても8.4度、今日の最高気温は10℃の予報なので真冬に逆戻り。というわけで陽射しがなく寒い菜園に出る気が起らない。9時まであさイチの若手3シェフ競演「ごぼう」を楽しく視ていた。和食の「ごぼうかき揚げちじみだれ」だったかな。美味しそうだった。中華料理の「ごぼうの蛇腹切り」面白かったし、食べてみたいな。9時からすることないので、自室でPC.ネット株を覗く傍らブログ書き込み。自室に堆積した「反古」の類を整理と自治会会計、確定申告などが気にかかっている。
Feb 19, 2013
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16:5617:0417:0517:0617:12
Jan 2, 2013
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0時半就寝、7時半起床、枕元の温度計10.0℃、外は4度くらいかな?起きても寒い、寒い。暑さ寒さに弱い小生、とても外に出る気は起らなかった。8時20分朝食、9時40分まで録画で「純と愛、シングルマザー」を視た。外に出て、霜が降りた形跡がないか菜園を見回り、トマト、ピーマン、ジャガイモ健在。10月ごろ芽を出したトマト花をつけている9時50分からPC,最低気温を調べると宮崎市2.4、西都市0.0℃。宮崎初霜初氷とのこと。これからすれば我が家付近の気温は1.2℃くらい。しかし、四囲に民家が建つわが菜園はいわばミニヒートアイランドで初霜はなかった。ところで、全国の初霜をtenki.jpで調べてみて面白いことを発見した。今日まで初霜が観測されていない地点がかなり残っているのである。北から、仙台、東京、千葉、横浜、静岡、大阪、神戸、岡山、徳島、下関。原因はヒートアイランドか潮流であろうが、仙台は初雪初氷は既に観測されている。初雪平年値(1981~2010)は宮崎が全国で一番遅く1月21日、雪終日も2月7日で一番早い。これは文学的に暖かい土地柄のようで住んでいる者にとってありがたい天の恵みだと思う。
Dec 5, 2012
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夜更かし朝寝の土曜日の朝、TVをつけると「週刊ニュース深読み」をやっていた。年金受給年齢引き上げ時代の労働システムの在り方、そんな風な話であった。録画の純と愛を視多あとは録画の映画を2本続けて視た。最初は「マイティーハート・愛と絆」カラチでWSJの記者がイスラムの指導者へのインタビューというエサ(ベイト)の釣られて誘拐される。夫人も記者で妊娠6か月。グアンタナモ基地での蛮行をやめないと殺すとの過激派の犯行声明が出る。パキスタン政府、記者仲間、米国政府が協力して救出作戦を繰り広げるが結局は殺される。捜査が進む内に何故、ウォールストリートジャーナルの記者が狙われたかがわかってくる。場面展開が目まぐるしく、カラチの喧騒の凄さと相まって筋を追うので精一杯の感じだった。二本目が「私の中のあなた」。姉のガン(小児白血病)のドナーとなるべく遺伝子操作で生まれてきた妹(アナ)、兄(ジェシー)と両親5人の家族愛の物語。生れ落ちてすぐから臍帯血、輸血、骨髄移植のドナーを続けてきた妹アナが13歳の時に両親を相手に「腎臓移植」を拒絶する訴訟を起こす。姉を助けるために妹娘を生んだ母親は裁判でアナを責める。「これはあなたの本心ではない」裁判を傍聴していた兄ジェシーが「ケイトは、もう死にたいのだよ」と叫ぶ。実は、ケイトがアナへ「もう終わりにしたい」と頼んでいたのである。今日、軽い気持ち、暇つぶしに見始めたのだが非常に重い課題の問題作品であった。
Oct 27, 2012
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昼食後しばらくは、TVのブラジルの観光案内みたいな番組を見ていた。それが終わり、家内が録画した「大奥」を見始めたがどうもおかしい。「大奥にこんなに大勢若い男がいるの?」が間部某が女官?吉宗も女。なんじゃこりゃ大奥?何のことはない。男女を総入れ替えした大奥のパロディー。イケメンを揃えたところが味噌。ばかばかしいのが、視かかったドラマ。なんとなく見てしまった。江戸に赤疱瘡が流行り、男がどんどん死んで行き「種切れ」となった女たちが男を買う。将軍も死んで女将軍になったのかは不明だが大奥は「種馬の巣」という荒唐無稽の設定。貧乏旗本の一人息子が一家のために大奥に入り女将軍吉宗の初夜の相手に選ばれる。ところが、恐れ多くも将軍の体に傷をつける(それも破瓜の罪)かどで斬首が法度。結末もありきたりで予想通り。1時間半のこんなバカなドラマを作った理由がわからないのでネットでGO。『原作は、2009年度手塚治虫文化賞大賞を受賞した、よしながふみの同名人気コミック。謎の疫病により男の人口が激減し、全ての重要な仕事を女が占め、男が体を売るという男の園となった「大奥」を舞台に、野望、悲哀、嫉妬、策略、愛の濃厚なドラマが繰り広げられる。』大真面目につくり興行収入も25億円とか。日本ってホントバカな国になっちまったねェー。たかじんがあればそっちを見ていたのにないばっかりにバカバカしい映画を見てしまった。
Oct 7, 2012
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0時就寝、5時目覚め、6時半まで月刊文春9月号読書。「総理候補」22人を採点する。永田町番記者70人アンケートの結果総評。調査したのは8月ごろ?あと出しジャンケンみたいだけれど特に自民党総裁になった安倍さんへの評価と総裁選挙結果との乖離の大きさに注目して読んだ。1位小泉(進)2位野田、4位石破、5位橋下、10位岡田、11位谷垣、17位安倍、18位石原、野田さんについては採点結果と代表戦結果が一致しているし、特に異論はない。問題は自民党総裁当選とこの記事の安倍さん評価。順位は石原よりは上だが尻から6番目。『腹痛を理由に辞任した人が画期的な薬が開発され今が一番体調がいいとか本人がはなしているが笑止千万』とのコメントがあった。思うに(愚利公が)学校へいけない子供の話に腹痛があるが、明らかに心の病だったと思う。今は薬が効いて、躁状態となり、外眼にはモチベーションが上がっているかに見えている?仲間内評価よりは民意に近い番記者ランクではほとんど不合格のレッテルを貼られていた。次期政権党ほぼ間違いなしの自民党の総裁になぜ安倍さんを選んだのかが不可解千万。石破さんがなぜ負けたのか?これも自民党ならではの理由があるように思えた。記事には、『番記者から好かれ、女性に人気がるが、党内では人望に欠け、若手の面倒を見ない、お金に細かい、新年会で5千円の会費をとった、長老議員の受けもよくない』要するに金がないか生来のケチかで政策通ではあるが自民党の体質には合わないってこと?結局安倍さんを選ぶようでは今の自民党には人がいないというのを内外に宣伝したようなもの。進次郎君が総理になるにはあと15年はかかるのではないかなあ。そうなると総選挙をしても連立内閣で安倍総理、日本再生前途多難というか失われた?年数がまだまだ増えそう。ああ日本、民主に人無く、自民は枯れて、ハシズム総統どこか怪しげ
Oct 7, 2012
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夜に入り本格的な雨になった。22時現在で33ミリ、しかし、21時には峠を越した。録りダメビデオが70時間を越してしまったので、何とか消化しようと3本を視た。「ブラタモリ;神宮外苑スペシャル」「スティーブ・ジョブス~カリスマの素顔」外1本。ブラタモ、景観もよかったが、絵画館の展示絵画と屋上、国立競技場の地下や聖火台が面白かった。ジョブスの生涯紹介番組は外にも視たけれど、このフランス制作のものが一番優れていた。我々がよく知っているアップルCPはビルゲイツに負かされて潰れかかっていた頃のこと。その間はジョブスがアップルを追われていた期間と合致していたのである。1985年追放、1996年復帰、復帰後は一気に経営の実験を握りiPod、iPhone、iPad を世に送り出し、死去した昨年の8月には株式の時価総額で世界一の企業に発展させた。自分を天才だと信じていた稀代の先見力を持った人物として語り継がれる人物?ビルゲイツはマイクロソフト、ウィンドウズと同時に長者番付でわが国でも著名人だったが、マイクロソフトのOSがマッキントッシュのアイディアを盗んだととしてジョブスに提訴されていたとは殆ど知られていない。 ジョブスの才能は何だったのかというとよく分からないが、アイデアを商品化するシステムを構築できるというところかな?
Apr 25, 2012
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23時半就寝、夢もみらずに熟睡?したのか5時には目覚めてしまった。恒例、寝ながら読書はまだ文春9月号。芥川賞発表の表紙告示に気付きページをめくると「該当作なし」。「なんだつまらない」と思ったが、思い直して掲載候補作の「?????}を覗いてみる。しかし、なんか、しち面倒くさいというか理屈っぽい書き出しで1ページも読まずにパス。今朝読んだのは河西、有森、大仁3氏の「なでしこジャパン優勝」をめぐるよいしょ鼎談。それに「澤穂希」選手のサッカー人生記。男の子に負けない天才少女だったんだ。6時半起床。身支度してベランダに出てみればかなりの雨が降っている。作業は無理。「しゃあない。アサメシ前にブログでも」とパソコンへ。今朝の話題は、旬のイタダキ物といっても自家産の秋の味覚なのでいただいても負担にはならないのがよろしい。近くに住む今は引退した先輩自治会長の奥方から頂いた柿と落花生。毎年頂く柿、樹齢百年以上の容姿端麗で見事な大木。毎年たくさん実をつけて余禄に預かる。今年のは例年の半分の大きさしかない。「何で」「今年は実が生り過ぎて小さいのよ」。しかし、喰ってみると例年半渋が混じっているのに、今年は、みんな真っ黒なネリ入りで旨い。落花生は弟さんが作っているのが届いたので「お裾分けよ」。自分で炒って食べるのがいい。次は、家内の仲良し婦人の母上が作られた「からいも=サツマイモ」。紅皮芋の方がおいしそうに見えるが、この白芋、家族専用芋だから美味しいのはお墨付き。周辺は田園風景が広がる田舎だからこそ、屋敷が広く、菜園もあって誰もが何かしら栽培をして生活を楽しんでいる。わが自治会には借家は一軒もなく、オール戸建で自治会加入率100%。自主防災組織も出来ていよいよ要援護者避難行動支援体制を制度化しようとしている。現在対象者は2人だけど、近くにお子さんがいて心配は無いが、地震だけは隣人が頼り。システムは作っておく必要を感じている。
Oct 4, 2011
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たけしが気になるアーティストを訪ねてラブコール&楽しげにちょっかいを出す番組。才人たけしの面目躍如、盲目の天才ピアニストの隠れた才能までも引き出して紹介してくれた。天才とは恐るべき才能である。2歳半でお母さんの歌に合わせておもちゃのピアノを弾いて大喜びするシーンが流された。生まれつきの全盲の赤ちゃんが、音楽を聞かせると手足をばたばたして喜んだのがスタートだったという。最後に「たけしさんに贈る曲」を即興で弾いてみせ、「たけしさんのシャイなところと、映画で見せる暴力的なところを即興で弾いてみました」みたいなことを言ってたけしを喜ばせていた。たけし、その曲を聞きながらだんだん目が潤んできたのを見て僕まで涙目になってしまった。さて次は、科学番組「太陽活動研究の最前線」紹介のコズミックフロントが面白かった。太陽黒点の活動が11年周期というのは子どもでも知っている事実である。NASA撮影画像2011がその頂点になる年であるのに13年が頂点になるとの予測となった。過去の事例からすれば13年周期になり、やがて黒点極少期に入ると、太陽の磁力が衰え、地球に降り注ぐ宇宙線量が増える。そうすると、宇宙線が大気中の分子に衝突して、電気を帯び、分子同士がくっついて粒子が増え、その粒子が核となり雲が増え、太陽光線がさえぎられて地球球がが冷える。地球温暖化が進んでいるのは事実であるが、一方では太陽活動の変化で寒冷化する可能性があることも事実のようである。しかし、13年周期が数回繰り返したところで極少期に入るとなれば30年位後のことで僕らには影響なさそう。端としては、実証的で非常に興味深かった。火の玉太陽の中心は水素(質量は水の150倍?)核融合してHeになるときに高熱を出して燃えると聞いていたがたいしたものではあるな。コズミックフロントは実に面白い。宇宙物理学者に女性が多いのにもびっくり。ダークマターの存在を仮定したのも女性である。
Jun 9, 2011
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北海道、東北は既に雪の季節、宮崎も今朝は一気に冬の気温に近づいた。吹いている風も西風で冷たく「木枯らし」である。桜、桃の葉は散ってしまった。イチョウはまだ黄ばんではいないがクチナシの実がやや黄色くなっている。今朝方、玄関前の自転車の篭に「柿」が入った袋が置かれていた。既に、2度頂戴しているので届けてくれた人にありがとうのの電話を入れた。そのお宅には柿ノ木が3本あって今年は生り年だそうで、甘くて美味しい。菜園には、植えた菊もあるが半分以上は数年間放置してあるものが殆ど。そのほか、自然に繁殖したものもそこかしこに生い茂りたくさんの花をつけている。今日、初咲きの菊を発見。実生の菊であるが交雑種ではない。これから、菜園中が2週間ばかり菊の香りに包まれそう。10時半、船屋の松本マリンへ電話をして、畑に置いてある船の搬出を頼んだ。船外機を装備し、船底塗装をしたあと船検までやってもらう。船外機はトーハツの15馬力で15年くらい使い古したオンボロながら程度は良さそう。今のところ、釣りに行く暇はあまりないので、しばらく、これで我慢してみようと思う。完全に引退したらいいエンジンをつけて、晴釣耕雨読の暮らしに戻ろうと思う。あと2年で75歳なので自治会長、まちづくりからも引退して好きな釣り生活に戻りたいな。
Nov 2, 2010
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1時過ぎ就寝、8時前起床。外は雨、ハトじっと我慢して雛を抱いている。キジバトの巣は左上隅のブッシュの中。下からは見えない。いよいよエンジン全開しないといけないけれど、この天候ではもう一つ気が乗らない。ついでの画像は、昨夕切ったこの春最初に咲いたグラジオラス。植え替えずに放置していたので早く芽が出て早く咲いたもの。ただ、そのようなグラジオラスが数十本生えているがこの時期に咲いたのはこの1株だけ。子を育てれば早咲き品種が固定できるかもしれない。
May 10, 2010
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家内は妹夫婦と今日から2泊予定で「霧島御池キャンプ場のロッジ」へ出かけた。僕も誘われたけれど「そんな無駄な時間を過ごす余裕がない」とお断り。釣りとコサン採りを兼ねて半日でいいから船を出したいと思っていたがとても無理かなあ。畑仕事、庭仕事、地域づくり仕事の構想練り、自治会長後任選任委員会の準備などなど。外は、実にいい天気だけど、その暑さたるや真夏と同じ。直射日光下での作業は無理。西米良村は九州山脈のど真ん中、ここで29度を超えたとか。宮崎も26度超の夏日となった。二日間の独居老人暮らし、ゆっくりと過ごしながらやりたいことをやる。午後の腰痛厳しい。
May 4, 2010
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今朝の「朝ズバッ」に河村たかし名古屋市長が生出演し「持論」を展開して怪気炎。曰く「議員はボランティアであるべきだ」曰く「定数と報酬を半減し、政務調査費は廃止」僕の主張とピッタシなので大いに同感した。土台、職業は?と問われて「政治家」「議員」はやっぱりおかしい。国勢調査が今年あるが「職業」の欄があれば「政治家」があるのだろうか?政治家はないが議会議員がある。管理的業務、管理的公務員、議会議員となっている。政治で飯を食う。しかし、年間何日間働いているのか。合理的には日額報酬とすべきである。政務調査費とかは不要。研修視察は確実な監視の下で実施されるべきであろう。人数はもっと増やしてもかまわない。基本的には「ボランティア」なのだから。ネットで広がる「無料ビジネス」のからくりを今夜の「クローズアップ現代」が取り上げていた。要するに「タダ」の部分は釣りで言う「撒き餌」である。ホームページの基本が「閲覧無料」、ブログの「掲載料」「閲覧料」が無料。エロサイトも「無料部分」で釣って「有料サイト」に誘導する手口。子供が引っかかる。ただ、今夜紹介していたものは「無料システム」と「有料システム」を明示したビジネス。今後、限りなくデジタルサービスの「無料化」が進むとの予告であった。既にIT電話の内、同じブロバイダ間の通話料は無料が普通。無料ゲームもたくさんある。固定電話がなくなり、企業間、公共機関間の通話がすべてPC電話になればNTTは?携帯電話も無線ランでパソコン経由にすれば無料通話ができるようになるのでは?
Mar 10, 2010
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0時15分から楽しみにしていた「びわ湖毎日マラソン」のライブ中継を視た。日本の男子マラソンが世界の記録から置いてけぼりになって久しい。それよか、日本最高記録が出てから既に何年たった?最高は、佐藤敦之か高岡だったかな?2002、高岡寿成(カネボウ)がシカゴマラソン(3位)で出した2時間6分16秒が日本最高だった。既に7年半前の記録、世界は2008年のゲブレシラシエ(エチオピア)の2時間3分59秒。要するにここ7年半で7分台が3人出ているだけ。最近は10分を切る選手すら居なくなった。今日も、期待の新人が居たらしいが早々に脱落。ベテラン29歳の旭化成佐藤智之(旭化成)が日本人最高で2位、タイムは2時間10分7秒。新旧交代期にしては低迷が長すぎる。一時は野球の所為で陸上がダメになったといわれた。今度は、サッカーが勃興してマラソンがだめになったのだろうか。高額賞金を出しても外国人に持っていかれるだけだし、何か起死回生策はないものだろうか。マラソンのゴールを見て、次はBS20周年ベストコレクション「文化大革命」の再放送?一挙に4時間放送。肝心の第1章は15分しか見られなかったのは誠に残念だった。全編、やった方やられた方のドキュメント回想インタビューで非常にわかりやすかった。毛沢東の感覚、明治維新の西郷隆盛と良く似ている。「こんなはずじゃなかった」思想である。しかしそのスケールたるや壮大なもの。「もう1回革命をやり直そう」としたもの。しかも、途中で軌道修正し「紅衛兵下放」という荒療治をやった挙句、自分は死んでしまった。あとは、4人組追放後、トウ 小平(ダン・シャオピン)の改革開放となって今の中国がある。しかし、社会主義と市場経済主義で生じる格差社会をどのように制御していくのだろうか。夜は、龍馬伝とイサンを視た。どちらも結構楽しめる。龍馬伝では、平井収二郎、武市半平太など歴史上の人物としてまともに取り上げている。香川が演じる「岩崎弥太郎」も将来の大物らしく規格はずれの人物としてとても面白い。龍馬を平和主義者、人道主義者として描いていこうとする脚本家の方向も好感が持てる。イ・サン第30話、まだ40数話残っている超大河ドラマ。気が長いけれど面白い。
Mar 7, 2010
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今回は3度も確定申告書を作り直した。脳も老化し始めているのを自覚した。2度目は、家内の介護保険料を算入していたのを税務署に問い合わせたら「ダメ」でやり直し。3度目は、地域づくり協議会の給与を入れていないのに気付き、源泉徴収票を貰いやり直し。入力しても「税金額」変らないので「何故か」調べるのに時間がかかった。何のことはない。給与の年収65万円までは給与所得控除があり所得はゼロになるのである。結局、税金がかかるのは年金だけというのもおかしなもの。高齢者の生活資金の年金からは取らずに臨時収入である給与所得から取るのが筋だと思う。結局は、仕事をやめて給与所得が0となっても税金は減らないのである。退職後暫くは所得税は0だったが、高齢者控除、配偶者特別控除の廃止で再び納税者になった。年金から税金を払うのは、自分の貯金を下ろす度に「税金」を払うようなもので釈然としない。とは言え、「働かず、子の世話ならずに飯が食え」というのは大変ありがたいことではある。明日発送するが、確定申告による還付金は『832円』となった。832円のためにどれだけの人手がかかることであろう。源泉徴収で済ませられないのかな。
Mar 2, 2010
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0時就寝、1時就眠、8時半起床。かなり寒い朝と思いきや最低気温は4.7℃。家内は元気で「手前味噌」作りに隣の小学校区にある農産加工施設へ。拙者は「留守居役」ところで、今年の冬は寒かったのかというと12月中旬から1月中旬までが平年以下。冬野菜の育ちが悪くなったのもこのひと月の低温の影響が大きいような気がする。加えて、種まきが半月遅れてしまったのが相乗して成長を遅らせてしまった。ニンジン、タカナ、ミズナ、ワケギ、コマツナなどみすぼらしい。問題は、土壌の良し悪しかなあ。特にPHの管理と連作をしないこと。堆肥を入れてミネラルを補強して土壌の若返りも図らないと葉菜類は難しい。害虫では芯食い虫?にやられると新芽が伸びないので根菜類も育たなくなる。まだ正体はわからないが、栗虫を小さくしたようなずんぐりとした裸の幼虫が芯を食べる。
Feb 2, 2010
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久しぶりの政治ネタではあるが、単なる野次馬根性の発露でしかないかもしれない。しかし、政治が健全化したうえに安定し、景気がよくならなければ死ぬまでの暮らしに困る。このところの東京地検特捜部の動きは小沢一郎の息の根を止めてしまおうとしている感が強い。ことここにいたれば、負けたほうが潰れるのは明らかかなサバイバルゲームになった。ただ思うに、地検特捜部を指揮して政治家粛清を断行する裏権力機構があるような気がする。田中角栄、竹下登、金丸信、橋本龍太郎、小沢一郎と続くスケープゴートの経世会人脈。出すぎた杭を叩いたのか。中には、中国外交で見せた田中首相に反感を持つ米国筋の危惧圧力との小説まがいの説もある。そういえば、小沢さんが突然かどうか知らないが160名?の若手議員を率いた中国詣が引き金になったのかもしれない。「中国と日本がくっついたら大変なこっちゃ」と親米派が反撃に出た?一方では、参院選前に小沢をつぶして「民主の一党独裁」を阻止しようしているようにも見える。最終的には、民主党の実権は菅直人に託す方向へ進むのではないだろうか。しかして、参院選結果は、これまでの逆ねじれとなり民主党による09年体制は作らせない。その結果、短期間での政権交代が実現しやすくなり、主権在民が実現する、なんてね。
Jan 15, 2010
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衆院宮崎1区の現職は、かの日教組問題舌禍事件で国交相を棒に振った中山成彬さん。加えて、自責の念から?「次期総選挙には出ない」と、不出馬表明までした人。結果、自民県連は公認候補者を公募、自薦他薦8人くらいの中から選んだのが何と上杉さん。上杉氏は、前参院選で落選するまでは、自治大臣、参院筆頭副幹事長まで歴任した実力者。当然のこと、県連は元自治大臣上杉光弘氏の公認推薦申請書を自民党本部へ提出した。一方中山さんは、「引退をいたむ声に後押しされた」と、前言を翻して出馬宣言し公認申請。これで、宮崎1区は完全は八方塞り状態に陥った。自民党本部は公認見送りに決した。困った自民県連の窮余の策は「県連公認」、上杉氏を県連公認し挙党体制で上杉氏支援を決定。一方、中山さんは、当初の「公認されれば出馬」から「無所属でも出馬」と勇み駒。民主の対抗馬は前の知事選で中山さんが担ぎ出し無所属で出馬落選した元林野庁長官の川村氏。一つしかない椅子に有力候補3人が挑む保守乱立となった。下馬評では「川村が勝つじゃろう」ながら、そこは自民党の強力地盤宮崎1区、勝敗の帰趨は不明。ここまでは、8月7日付けで下書き保存してお蔵入りになっていた。しかし、この結末は県政史の事実として記録しておくべきではないかと思う。結果は予想どおり、自民系無所属候補である元閣僚2人がが共倒れ。1人に絞っていれば、負けても惜敗率により比例区で復活当選していた可能性があった。結論として言えることは、宮崎には自陣を調整できる実力者が居ないということ。今回当選した川村さんからして民主党には入らず、どこかと会派を組むと言っている。次期選挙までは、旗幟を鮮明にしない方が得だと読んだのかも知れない。男子たるもの泰然自若、わが道を行くべし。右顧左眄していては大成しない。
Sep 2, 2009
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職人気質があるのかなあ。満足できるものができないので、やりだしたらやめられない。見た目にきれいなものにするためには材料選びも重要。未だにわからないのは、色とか模様が如何折れば如何現れるか。幾何学的な感が無いとダメ。とにかく7個作ったので7時間以上はやっていたことになる。千代紙を3種類くらい使えばきれいな模様の作品になると思う。チラシでは、模様を織り上げるというのが困難である。
Aug 25, 2009
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陸上競技の世界選手権、楽しみにしていた男女マラソン、両方とも見損なった。そして今日の中京対新潟文理の決勝戦、壮絶な打撃戦だったのに忘れていて視損なった。その時間何をしていたのかなあ。11時から14時半までは仕事に行っていた。帰宅時にはまだやっていたのだろうが全く思い出しもしなかった。都城商業が負け、花巻東が負け、決勝戦は多分一方的だと思い込み視る気が失せていた。7時のニュースを視て知った大接戦。文理の伊藤投手のスタミナたいしたもの。大成して欲しい。中京の堂林は打撃が素晴らしい。こちらは打者として大成できるかも。出場できなかったが、長崎清峰の今村、準決勝で故障した花巻東の菊池はプロ垂涎の逸材。まあ、6回の6点で試合は決まったようなもので8回裏までで10-4、それが9回に5点取ったのを居眠りしながら視ていた人は10-9で目が覚めた時びっくり仰天だったろうな。最後の打者が伊藤投手と小学4年からバッテリーを組んでいたキャッチャーの若林尚希。ジャストミートのいい当たりだったが三塁手のグラブめがけて飛んでいった。新潟県中が固唾を呑んで見守っていたことと思う。やっぱし、甲子園夏の大会が最高だな。
Aug 24, 2009
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ミニトマトは、分枝力が旺盛でムダ枝がいくらでも出る。切り口さえきれいなら、畑の空き地に挿し穂しても数日間日陰を作ってやれば殆どが発根する。ならば、水挿しで発根させて植え込めば遮光不要ではないかとビンに挿してみた。根は、葉柄の下が出やすいだろうと思い、そこで切断して水に挿したが関係無かった。茎のどこからでも発根する。挿して、10日目くらいでびっしりと発根している。水は、3日に1回くらい交換、置く場所はタキロン屋根の下で明るい日陰。室内は良くない。数日前の状態なので根が余り見えないが薄日を浴びて樹勢も良好。立ち枯れ病に弱いトマト、予備として苗を作っておくとがっかりしないで済むのでは。水耕栽培もできるはずである。
Jun 30, 2009
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昨夜は金曜会から23時頃帰宅、ブログを書き込む途中でダウン、目覚めたのが2時半。それからまたPCを5時くらいまで。そのあとTVを視ながら転寝。結局布団に寝なかった。飲みすぎたのかなあ、と思うが、帰宅するまでは酔った感じはなかった。疲れが出た?今日は、これから。「地協まちおこし部」が主催している「花しょうぶまつり」へ出かける。広報用の写真撮影と顔出し。
May 30, 2009
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長崎県壱岐の島渡来の我家のジャンボニンニク、10球くらい植えたけれど育ちがよくない。ジャンボらしいのは2株しかない。しかし試しにばら撒いていたムカゴ育ちの小さいのが面白い。 5月4日に掘り上げた径が3センチくらいのジャンボ1年生。ジャンボは、茎の途中のほか根っこにもムカゴができる。そして固いからで保護されている。固いからを剥いて植えても、剥がないで植えても簡単に発芽する。多分、1センチのムカゴをうまく育てれば、普通のニンニク程度には育つと思う。ところで、ムカゴ育ちのニンニクの皮を剥いでみると1根1球であった。真ん丸く、マーブル状の美しい球、継ぎ目がない。半切すると芽は1本しか付いていない。橋皮を剥いで見ると分球無しの黄色い艶やかな丸い玉が現れた。半割してみると中心に1本だけ胚芽?がある。 普通、ニンニクは小さくとも数個に分球しているものと思い込んでいた。こうなると、親玉は食べてムカゴを栽培するということも可能ではないか。ジャンボニンニクは1カケが大きすぎて、我家の料理人には不人気。我家では、小さい丸いジャンボが好まれるかもしれない。
May 16, 2009
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形の整った6片の真っ白いニンニクではなくて、赤皮のごちゃごちゃしたニンニクのこと。坊主が出れば、ノビルと同じく坊主にも小さなニンニクの子ども(球芽=むかご)ができる。もっと面白いのは、茎(くき)の途中にもユリみたいに、小振りの「球芽」をつけること。この球芽、茎の2か所の葉柄の下にこぶを作ってできるので、すぐに見分けられる。天辺の球芽は切り捨てるが、茎についた球芽は葉柄で保護されているので最後まで健在。ジャンボニンニクには、堅い殻つきの球芽ができる。小指の先ほどの大きさであるが植えておくと、一年で普通のニンニクの大きさくらいにはなる。球芽育ちのジャンボニンニク、結構大きくなっている。
Apr 25, 2009
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フットサル大会で「わざと負けろと」指示した中学校教頭問題に対する国民の反応を調べてみた。ルールに違反しているわけではなく「単なる作戦」として容認する意見が結構多かった。若者言葉で書き込んだものの殆どがこれ。日本人の精神構造は変わった。スポーツは、所詮エンタメ、わざと負けは、見ていて面白くないからダメ、というのも多かった。面白かったのは、わざと負けたりするとモチベーションが下がるから後がうまくいかない。事実、「うまい作戦」だったが、決勝トーナメント1回戦で負け、県大会へは行けなかった。子どもたちの心に「不正義に対するわだかまり」が残っていて実力を発揮できなかったのだろう。馬鹿なモラリストが騒ぎ立てているだけだと言う若者の意見が多かったのは戦後教育の表徴。自分は「僕はそんな卑劣なことはしません」と言える子どもを育てるのが教育だと思っている。この、「県立直江津中等教育学校」は中高一貫のエリート校かな?。ネットから校是を拾ってみた。 直江津中等は国際社会でリーダーとして活躍できる人材を育成します。 教育目標 主体的に学び、豊かな人間性や創造力を身に付け、大志をもって世界に貢献するたくまし い人材の育成 教育方針 Be an ACE! ○常に大志を抱き Ambition(大志・夢) ○世界への貢献を目指して Contribution(貢献) ○活力ある行動で Energy(活力・活躍) 国際社会でリーダーとして活躍できる人材の育成 学校の特色と運営方針 (1)世界に貢献する豊かな心と国際社会でたくましく生きる力の育成 (2)世界に通用する確かな学力の育成と夢の実現国際社会でたくましく生きていくためには、かなりきわどい指導もやっていこうというのかも。マスコミやサッカー協会の反発に戸惑っているかもしれないが国民のバッシングは少ない。教育方針にある「豊かな人間性」と「わざと負ける」は教頭の精神では折り合いがついていたのか。教頭の指示に反発した子どもたちが盛大にオウンゴール決めたとするうがったものもあった。それによって、教頭を世間のさらし者にした。そんな知恵が中学生にあるとも思えないが。高校教師のブログには「自分の頭で考えて行動できる教師が殆どいない」「そのような教師に指導されている中学生、何の疑問もなく指示どおり動くのは当然」だと。
Apr 12, 2009
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外は雨、0時45分就寝、1時まで読書、7時50分起床。冷たい雨はまだ降り続いている。最低気温は9.6℃と高めの朝、しかしその後が上がらない。11時現在11.9℃、底冷えがする。雨もやや強く、風呂の窓から覗いた菜園、水溜りが出来ている。寒いし出てみる気にはならない。手前からタカナ、ネギ、ニンジン、ネギ、玉ネギ、ニンニク、露地キクが写っている。午前中はテレビ。11時から視た爆問学問京大SPが面白かった。太田の西田哲学論大したもの。
Nov 24, 2008
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昨夜は腰痛が酷く20時半には入浴、横になり石油ストーブ初火入れで暖を取りながらTV。結局、寝たのは23時半ころ。咳をしただけで腰に響いて痛い。7時半起床。寒い朝となった。この秋一番の冷え込みで、今朝の最低気温一気に3.3℃、初霜一歩手前の気温である。すぐお隣の西都市は1.6℃を記録。山間部は霜、五ヶ瀬ハイランドスキー場は昨日から雪という。昨年の初霜が19日の1.9℃だからまあ平年並みというところだが一気に7度下がった。9時に菜園へ。寒いので見回りをしただけ。9時20分には撤退。たまねぎの苗、9月21日に蒔いたので丁度60日目が明後日。植え込まないと時期が遅れる。午後から夜22時までは、地域づくり協議会会長・事務局長会、まちおこし部会など会議。
Nov 19, 2008
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23時就寝、読書。会田雄次「指導者の条件-日本人材論」、0時まで。7時過ぎ目覚め、読書8時10分まで。起床、「だんだん」を視て、朝食、新聞、TV。今朝の宮日トップはやはり知事の国政転進問題。「今のところ(出馬)はありません」とか。「いまのところは」をつけるところに未練たらたらが見え見えのコメント。9時から始まった国会中継は管直人さんから、ラジオを聞きながらこれを書き込んでいる。外は、時間1ミリ未満の小雨模様。地区公民館が休館日なので地域づくり協議会事務局も休み。菜園作業も、漁師業も休みなので、本日は、ブログ書き込みと自治会会計事務を少しやるだけ。
Oct 7, 2008
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ヤマイモを掘っていると50センチくらいで黄色の「粘土層」が出てきた。菜園のオーナーさんが「ここ附近は「ドキだから土が硬いとですよ」と言われることがある。また、水田に関して「砂地だから米がうまくない」「ドキだから米が美味しい」とよく聞く。粘土質の土壌を「ドキ」と言うのであるが何故そういうのかは誰も教えてくれない。自分の生まれは佐賀県だが育ったのは福岡県筑後地方。「ドキ」と言う言葉は使わない。山芋を掘りながら「土器は粘土を捏ねて作るので粘土のことをドキというのか」と思いついた。ネットで検索してみた。ドキという方言を使う地方があるだろうし語源もあるかもしれない。しかし、粘土質土壌のことを「ドキ」と呼んでいる方言を見つけることは出来なかった。
Sep 27, 2008
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敬老会やら何やらあってひと月振りくらいに金曜会へ出席。常連3人と奥方2人でスタート。途中からここいらでは高名な小児科医の竹庵先生も加わって大いに盛り上がった。話題は当然政治と政府の失態。福田さんを笑い飛ばした後は「事故米」「月額報酬改ざん」。自民のスペアが民主だけちゅうのが日本の悲劇やなあ。ねじれを解消するためには今回は民主に政権を渡す以外ないだろう。今回も自民が政権を維持するような選択を国民がするとなれば、日本人はやっぱりバカ。と、このような論評をする人がいて、「ねじれを解消せんと動きが取れんね」が大方の意見。事故米事件と月額報酬改ざん事件には「国家公務員っちゃどうしようもないね」近昔、威張っていた役所は「税務署、社会保険事務所、法務局」じゃったとは一致した感想。事故米事件「あんたが勤めている○○園でも食わせているんじゃないの」なんてとんだ話に。宮崎が66社で日本一だから老人ホームや学校給食にも回っていると思う。公務員、商売人、自分さえ良ければそれで良しの身勝手な行動。性善説なんて宗教界の独善。人類も65億人、何か人を騙さなければ生きてはいけません、かな?
Sep 19, 2008
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久々に 雨となりけり これまでの 暑さ忘れし 今日は立秋反町ジャパン、アメリカに惜敗したが予選突破が怪しくなった。昨日の撫子ジャパンの引き分けに続く悪いニュース。オリンピックは外国も強化が顕著。
Aug 7, 2008
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PCをを叩いていたらどうにも眠気が来て仕方がない。PC室のクーラーはかけているが畳の上はもう一つ暑苦しくどこがいいか思案。部屋のドアを開け放ち冷気が通る板張りの上が良さそうだと気づいた。板張りは毎朝家内が拭き掃除しているので畳より清潔でもある。板張りを挟んだ客間の敷居を枕に根っころがった。ヒンヤリして実に快適である。手前PC室から冷気が向こうの部屋へ流れる。向こう向き(南枕)に寝ると足から冷える。板張りは修理の際に下を剥がずに2重張りにしたので体温くらいでは温まらない。フカフカでないのも体に隙間ができて風通しが良くて涼しいのだと思う。電話で起こされるまで約1時間ぐっすり眠られた。腰まわりのヒンヤリ感が今でも残っている。冷え性の人には向かないかもしれない。
Aug 6, 2008
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室内も31度を超すと居辛くなる。外はどうだろうと試しに出てみた。日向は焼け付くように暑いが日陰は爽やかな風が吹いていて涼しく気持ちが良い。直射下のニガウリと、ケールは将に暑さで給水が間に合わずにげんなりと萎れている。根が浅い植物なのだろう。オクラ、ナスはしゃきっとしている。深く根を下ろしている証拠。クチナシの実が大きくなり、イヌビワに小さな無花果がついている。午前中のクマゼミに代わり、油蝉が時折鳴いている。ニイニイゼミは終日鳴いている。しかし、今年は何故かセミの数が極端に少ない。煩く鳴いているという感じがしない。キジバとは相変わらず粗末な巣に篭もっている。下から覗くと尾羽が見える。
Jul 25, 2008
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『佐土原ナス』は、現在売り出し中の焼きナスで食べればピカイチのナスビである。このナスの名称、数年前から地元の佐土原町(現材は宮崎市佐土原町)でも話題になっている。このナスの由来については在来の品種であったが今は作られなくなった品種としか知らなかった。ネットで検索したら佐土原ロータリークラブ週報に出ていたので紹介する。自分も昔在籍していたし、話題の種苗店は近所にあり、店主父子は旧知の人物。現在栽培している我が家の「佐土原ナス」の苗は宮大育種学専攻のご子息が育苗したもの。平成17年9月28日(水)佐土原ロータリークラブ第900回記録から人気を集める伝統野菜 県内には古くから伝わる伝統野菜があります。その中佐土原藩で作られていたことが名前の由来とされる「佐土原ナス」。今宮崎近郊のスーパーや生産者直売所では、販売したその日に売り切れてしまうほどの人気です。形はまちまちで、変色しやすいなすですが、なぜ今人気物なのか…それは見た目が悪くても味がよければ買う消費者が増えたということです。 戦前までは佐土原藩を中心に広い地域で栽培されていました。しかし形も揃いにくい佐土原なすは高度成長期の見栄えを重視する消費者においていかれ、1980年ごろには姿を消してしまいました。佐土原ナスが復活したきっかけは4年前県総合試験場に保管されていた種を栽培したのがきっかけでした。これは15年ほど前、同町で種苗店を営む梶田與之助さんが2百粒ほどの種を持ち込んでいました。「何とか佐土原ナスを復活させたいと思った」と当時を振り返ります。 今年3月には、宮崎市内8人で「佐土原ナス研究会」を設立。佐土原町でも3月から10人が栽培を開始しました。生産者は「消費者の美味しい、という言葉は何よりもうれしい」と口々に話します。佐土原ナスの復活はこれからです。
Jul 12, 2008
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勝村さんの波多野義重と道元禅師に興味があって視ていたら鶴瓶が永平寺中学校を訪ねた。全国の中学校教師が羨む校風が定着しているのも永平寺があってのこと。僕は宗教界を全く信用していないけれども永平寺はかなり違うようである。永平寺という禅道場の雰囲気が永平寺中学校にも息づいていることに感動を覚えた。校門で一礼して帰る。清掃前後の静座黙想、無言での清掃活動。服装も頭髪も整然としている。視ていた全国の中学校教師、親たち、さぞ羨ましく思ったことだろう思う。でも、今時の中学校とはかけ離れすぎていて「ほんまかいな?」と思わないこともない。永平寺内の教育力はNHKの特番で視たことがるのでこれは疑う余地はない。全国の荒れた中学校に永平寺出身の教師を採用すれば効果てきめんではないかな?
Jul 7, 2008
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ガソリンの暫定税率を維持できなければ地方財政が破綻すると首長さんたちの大合唱。一方では、次々と明るみに出る国交省による「道路特定財源」のデタラメな無駄遣い。是を、勘ぐれば「地方公共団体」でも同じようなことをやっているのではないかと疑う。道路特定財源が減れば「新規の道路建設」が延期されるだけであろうと思うのだが、騒ぎようからすれば、単にハードだけではなくて「事務費」を他に流用していたのが減るから困るのではないか?例えば、今回明るみになったタクシー券とか残業代とかを特定財源でまかなっていたとか。地方財政運営上からいえば、ハードに付随する事務費は最も美味しい予算であろう。理屈さえつけば何にでも流用可能な財源が事務費。10%の事務費が付けばかなりの額になる。道路特定財源以外の暫定税率は一応維持されたのだからそんなに大騒ぎをすることでもないと思うのだが我が東国原知事は特に大騒ぎしている。まるで道路族議員を代表する大弁舌振りである。確かに、中山間地では「道路関連の公共事業費」はその地方最大の基幹産業であろう。しかし、その殆どは維持補修費であろうからこれはやりようひとつで現状維持が出来るはず。一番困るのはやはり道路で「巨利」を貪ってきた国交省、ゼネコン、族議員だと思う。国交省の体たらくを見れば「特定財源」は悪であり少なくとも「一般財源化」しなければ自民党は国民から見放されてしかるべきである。この問題に加え、社会保険庁の「保険料納付率を上げるための企業への不正指導」発覚問題。これなどは、全く以って国民不在の手前勝手、呆れてものが言えないほどの悪行である。滞納保険料を減らして社会保険事務所間の納付率競争に勝つために考え付いた裏技。2万円の保険料を給与から天引きしていたのに実際は5千円しか払い込まれていなかった。そうすれば、企業負担分15,000円にピンはね分15,000円、計3万円が浮く。浮いた金で、滞納保険料を払わせれば社会保険事務所も納付率アップで万々歳というわけ。そうなれば当然その人の受け取る年金は、単純に考えても月に3万円は減るわけである。この手法を社会保険事務所職員が企業を指導してやらせていたというから驚き呆れる。そんな例が今朝のTVで流されていた。民間企業勤務経験者は、もう一度自分の年金計算の基礎となっている給料をチェックしてみた方が良い。あなたはインチキにあっているかも知れない。
Apr 9, 2008
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本日午後「地域づくり協議会事務局長」としての初出勤初仕事4時間。協議会長と言っても同じ自治会長仲間。彼から辞令を交付されたのも何やら違和感があった。これまでの事務局長は、公民館の指導員が兼務していた。彼が指導員を定年退職するに際し、事務局長も辞めてしまったのでポストが宙に浮いてしまった。協議会長が八方手を尽くして人材を探したが月に7日分の給与では誰も見向きもしない。いわゆる組織存亡の危機に見舞われたのである。「義を見て為さざるは」の謂いであった。自治会長を兼ねての勤めなのでいささかしんどいことになった。月7日間の勤務といっても時間でコマギレに勤務するので月に何日になるやら?3時間平均で17日くらい出勤することになる。しかも会議は殆ど夜。対外折衝と各種会議出席、組織内調整が役目。事務担当の女子職員は別にいる。いずれにしても引き受けた以上は、責任を持って職務を果たしていくしかない。
Apr 7, 2008
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7時半起床、最低気温9.4℃、寒暖の体感は相対的なものだが今朝はやや寒く感じる。我が家には昨夜から義妹(家内の妹)が体調不全でやってきた。午後、病院へ付き添い。家内の実家には歩行困難の90歳を越す老親が居て義弟の妻が介護に振り回されている。親族周辺がみんな高齢化し、あちこちに身心に不自由な人間が増えてきて健康な者を巻き込む。同居している若い、子ども達は全く頼りにならない。親も子を頼りにしたくはないらしい。子どもを巻き込みたくない、との親心は分からないでもないが家族が協力する以外はないと思う。しかし、現実には、姉妹の方が頼りやすいのか一番年上の姉妹である我が家内を頼ろうとする。僕は、家内の参謀役、いわゆる黒子であり出来るだけ出しゃばらないように注意している。今は、男性が全く頼りない存在になったので、一族を支えているのは大体に於いて長女。我が一族は福岡県に居て、存命中は姉が仕切っていた。他県に住む自分は蚊帳の外だった。姉が亡くなった今は、跡を継いだ弟の嫁が一族を束ねているようである。家族制度が崩壊し、老親の扶養義務が子どもに平等に課せられることになって混乱が起きている。やはり、遺産の相続権と親の扶養義務をセットにしたほうが高齢者福祉の面でも有効である。扶養したくないなら相続権を放棄させ、遺産で社会が面倒を見るようにしたほうがよい。翻って、自分の10年後(80歳)考えるとき一体どうなることか思うが、心配はしていない。夫婦どちらが元気であるかは全く不明ではあるが、元気な方が世話をするのは当然だろう。それから先の事は、今からくよくよ考えても始まらない。
Apr 3, 2008
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7時半起床、外はかなり強い雨。朝食、新聞、録画TV映画、昼食抜きでPCへ。未だ雨が降り続いている。正午までの累加雨量22ミリ。南東の風5mとやや強い。
Mar 23, 2008
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2時半就寝、8時起床、急いで朝食後500m南の宝塔山公園へ。宝塔山公園、草刈ボランティア作業の日。宝塔山公園は、小学校区随一の景勝地で、昔は近隣に鳴り響く桜の名所であった。これを旧町時代から10年の長きにわたり公園整備、そのための閉園ですっかり忘れられていた。それがようやく完成の域に達し桜祭りの機会にみんなで草刈をしようと呼びかけたのである。今回の催しは、50年くらい続く「宝塔山会」と地域づくり協議会の共催。約50名の参加があった。植え込みの中の草取りと剪定などが主な仕事。自分は、ツツジの植え込み4株のカズラ抜きと剪定。アジサイの剪定などをした。10時20分にはひまをもらって帰宅。利さんの葬儀へ夫婦で出かけた。「さよなら利行君」11時半から13時まで告別式金曜会のメンバーは喪主千代ちゃんの要請で会葬者最前列席に座らされた。僕が最年長ということで中央通路を挟み喪主の左ということになった。最前列席から撮ったとしさんの告別式祭段中央部分。 神式、玉ぐし奉奠は全員でやったので氏名の読み上げは無かったのが助かった。祭主(神主)退場後、利さん夫妻の半生がDVDビデオで紹介された。平成14年、居酒屋千代カウンター内の利さん夫妻。 その一こまに「豪華客船飛鳥の旅;愚利公夫妻とともに」が入っていた。納棺にも「花を入れてやって」というので別れの杯と花入れにまで立ち会った。白菊を1輪頬の脇に入れ耳元で「としさん、さよなら」と声を出して別れを告げた。涙がこぼれそうになった。霊柩車を見送り告別行事のすべてが終了したのが13時前。会葬受付をしていた喪主の飲食店仲間のG君の店が葬祭場のすぐ前の中華料理店。「Gちゃん、今日は店は休みね?」「いえ、カカがやってます」「6人分予約席とっといて」先んずれば人を制す。彼の店も夫婦でやっている小さな店。20人くらいで満席。案の定、葬儀帰りの飲食店仲間がぞろぞろやってきてあっという間に満席。人より先に「としさんの冥福を祈って」ビールを飲み、食べることが出来て「うまくいったなあ」「きょうはつかれたなあ」と帰り着いたのが15時前であった。公民館田んぼの代掻きと水入れ9時半頃、宝塔山で草刈をしていたときに稲作担当のセイケ君から電話。「水入れて代掻きするから見にきない」「いま宝塔山じゃから行かれん。その後は葬式」「そんなら、夕方でん見ちょいて」「分かった見に行くが」17時に水田へ歩いて出かけた。下の田は満水で代掻きは済んでいたが、上の田は水がまだ。 数枚向こうの田んぼセイケ君、トラクターで自分の田んぼの代掻き中。合図を送ったら中断してやってきた。「上の田は未だ低いとこがあるが」「手でせんとだめ」昨年も地主が土を取ったところがへこんでいて稲を植えても水没しうまく育たなかった。田植えまでには手作業で平らにするほか無い。それにはレーキを借りてこなければ。帰宅17時半過ぎ、まだブログを書いていない。
Mar 16, 2008
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今夜は、昨日亡くなった我らが金曜会場主人の「としさん」の本通夜。町内のN葬祭場で。「利さんのお通夜だから遅く行って棺桶の前で飲もう」との約束が出来ていた。10時集合、メンバーは金曜会の4人プラス女房が2人の計6人。利さんの遺体は葬祭場からすぐ脇の「家族通夜座敷」へ移っていた。神式で簡素な飾りが良い。遺体にお参りしてしばらく葬祭場の方で飲んでいた。11時頃になるとさすがに来る人は少なくなる。「利さんの前で飲もうや」と移動。ワイワイがやがや棺おけの前で飲み会となった。葬祭場は締め切られてしまいその後に来る飲食店関係の人も仲間に入っての回顧談。12時になったので「もうよかろう」と引き上げてきた。金曜会は、毎週金曜日に集まり、千代夫婦も参加しての賑やかな会だった。毎回7時半頃から始めてお開きは24時前後。客足が途切れればとしさんも必ず仲間に入った。奥方の千代ちゃんは、としさんの手が足りていれば、金曜会の方の接待兼仲間内の格好。としさん、発病からわずか7ヶ月で逝くなんて誰が信じよう。 きみ逝くや 弥生半ばの 夕間暮れ 愚利公 昨日の写真つきで千代ちゃんに進呈。
Mar 16, 2008
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(14日は定例金曜会の日でとしさんが亡くなった日。その夜の事を記録していなかった。)金曜会場「居酒屋千代」がとしさんの容態悪化で休業となった。そこで、サブ会場である「居酒屋女島」に変更。ところがその日の17時50分にとしさんが亡くなったとの知らせが入った。どうする?まあ、後のこともあるし、予約しているので実施することに決まり、19時半に集まった。といっても総勢は5人。10時半くらいまで飲んだところで「としさんに会いに行こう」。勿論僕が言い出したわけではない。言いだしっぺに「あんたが電話しなさいよ」奥さんの千代ちゃんへ、今から行っていいか電話「来て、来て」との返事で歩いて移動。車は、明朝取りに行くことに決めた。目覚ましの焼酎を買い込んで家へ着いたのが11時前。遠路の兄弟と娘夫婦などがいた。としさんは奥の部屋に北枕で寝ていた。殆ど痩せた感じはない。2歳の外孫に「じいちゃんは?」と聞くと手で示しながら「寝ている」とはしゃいでいる。家族だけでの仮通夜だとはいいながら娘の友達とか飲食店関係の人が次々に来る。ビールを飲みながら千代田ちゃん、娘夫婦などと懐旧談に花が咲いた。喪主の千代ちゃん、思い出話に泣いたり笑ったりである。12時になったので辞去。それから、としさん逝去のブログを上げたのが1時前で寝たのは2時であった。
Mar 14, 2008
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