ドン・愚利公の連れづれ草

ドン・愚利公の連れづれ草

Jul 21, 2009
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テーマ: 釣れ連れ草(432)
カテゴリ: 新聞を読んで
宮崎市出身で渡伯50年、ブラジル宮崎県人会名誉会長「長友契蔵」君の自分史紹介。

No8と9「父親のこと上・下」付き合い苦手で悩む。

私は父に反抗してブラジルに移住したのだが、子どものころの父の思い出は楽しいことが多い。

小学校の先生をしていて話し上手、魚とり、山芋、シイタケ採り、薪の準備、味噌しょうゆ作り、

大根漬け、餅つきなどをする父の姿が思い出される。

父は酒好きで、教え子によると授業中でも酒の匂いがしたという。

中学、師範でも成績が良く校長には一番早くなるだろうと言われていたが教頭どまりで退職。

祖母からは「お前は校長にもなれず酒ばかりのんじょる」と叱られていた。

父は、人間関係に悩んだのか、恩給(年金)が付く前に辞めたいというのを祖母や母がなだめて



辞めたとき「学校は決して清く正しいところではない。昇進や転勤にわいろやごますりが公然と

行われていた」と言った。昨年の大分県教委と同じことがはるか以前からあったようである。

学校を辞めて実家に帰り百姓をしていたお陰で農地改革で土地を余り取られることもなかった。

「酒あれば飲み続ける」

師範を卒業した頃は飲めなかったが付き合いのために練習して飲めるようになったらしい。

盆正月には親戚や教え子が焼酎を持ってきてくれて戸棚には5、6升の瓶が並んでいた。

父はこれが無くなるまで農作業が忙しかろうと飲み続けた。

田畑は草ぼうぼう、田植えが終わってもまだ植えていない田が転々と目立った。恥ずかしかった。

学期末試験の頃になると田の草取りを手伝わされた。稲の葉が顔を刺して右腕は痛くなった。

来客が持ってきてくれた焼酎を倉庫に隠して鍵をかけていたら父は窓から入って飲んだ。

そこで、客が帰ったらすぐに貰った焼酎を捨てるようにした。



祖母から「俺が作った財産を食いつぶす」と言われ酒が入ると手当たり次第に家財道具を壊した。

その頃から父と会話することがなくなった。

家に酒がなくなると、教え子の家を訪ねて酒を強要して飲み歩いていた。

知らない人からの知らせで酔って道路に寝ている父をリヤカーで拾いに行った。

高校2年の頃から大学を卒業するまで父と口を利かなかった。父から離れて暮らしたいと思った。



最初に帰って弱った父を目にしたときは、泣けて仕方がなかった。


No10「薩摩守と言われて」見送りの汽車に乗車

ブラジルに渡って10年に一度ぐらいのわりで日本に帰っている。

帰ると「薩摩の守が帰って来やった」と言われる。(そのいきさつが紹介される)

昭和19年、京都帝大を出て内務省勤務の貞利叔父が出征することになった。

叔父は、宮崎中、五高、京都帝大に進み、3年生のときに高文試験に合格して内務省に入った。

政治家志望で将来を嘱望されていた叔父だったが結局はルソン島沖で撃沈され海の藻屑と消えた。

末は知事か大臣かと長友一家の希望の星だった。

貞蔵兄が農林省に合格したとき、祖母は「農林省か」と鼻にもかけなかった。

その、貞利叔父の出征見送りに住吉駅(日豊線)に行った際にそのままその列車に乗ってしまった。

宮崎駅で泣きながらプラットホームを走っていたところを駅員さんに保護された。

そこへ偶然友達と叔父さんの見送りに来ていた姉上に出合った。(19年は小学校1年生かな)

それ以来、ただ乗りして宮崎まで行ったというので「薩摩守」になった。





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Last updated  Jul 21, 2009 04:46:15 PM
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