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まず、先月、ダンナの母が 悪性の胃ガン ということが判明。
しかし早期発見だったため、胃を半分残しての手術にてカムバック
みんな『どうして、こんなにいつも元気で病気知らずなのに』と声を揃えて言っていたけど、そりゃ~そんだけ、酒もタバコも飲んでたら病気になるでしょと、いつものごとく私は心の中でつっこんでいました
そんな姑を私の母も心配していました。
・・・が、その母も 悪性の胃ガン と医者に言われ、頭真っ白
以前から体調が悪く、病院に行って、□□科で処置したものの、それでも症状がよくならず、大きい病院で検査を受けました。
そして、息子の 入園式 の翌日、私が付き添いで病院に行き、いきなり医者から 『恐らく悪性のガンでしょう』 と言われました
姑の時の先生とは雰囲気が違い、 母の体重の極度の減少 、 痛み もあったため、私は手遅れだと思いました
昔と違い、今は患者に正直に 余命 まで宣告するそうです
姑の時もそうでした。
知らないまま死んでいくよりかは、 やり残すことがないように ・・・なんでしょうかね?
でもそんなことをいきなり言われて、だいたいの人はへこむ一方でしょうね
みなさんだったらどうします?想像もつかないでしょうね。
私がこんなにショックだったのだから、母は言葉では表せないくらいショックだったと思います
私は母の前では泣くのをこらえ、絶対大丈夫!と言い聞かせながらも、頭に浮かぶのは 母の葬儀シーン
や 今までの思い出のこと
ばかり(ひどい娘だね~)
とにかく体重が激減しているため、手術するにもまず体力をつけないといけないので、できるだけ食べてくださいと先生はおっしゃいました。
そんな宣告を受けて、ましてやお腹が痛くて食べられないのに、一体どうするの!!
でも母はそれなりにがんばって食べていました
霊感 ではないけどそういうものがちょっとある私の母、検査結果を聞く前日、こんなことがありました。
私の祖母(母のお母さん)の兄弟のうちの一人、 徳庵のおばあちゃん と呼んでいましたが、そのおばあちゃんは母や私達をよく可愛がってくれていました。でも、病気でずいぶん前に亡くなりました。
その おばあちゃん に母はその前日の夜、心の中で 『おばあちゃん、何もないようにお願いしますと』 お願いし、眠りについたようです。
すると おばあちゃん が夢に出てきたそうです
でも、笑っているでもなく、怒っているでもなく、 なんとも言えぬ顔 で立っていたそうです。
そして母は苦しくて、もがくようにはい上がって、はい上がっていくと、す~っと上に出られ、苦しくなくなったようです。
母は起きてから、病院に結果を聞きに行く前に私にそう教えてくれました。
『徳庵のおばあちゃんのお墓参りに全然行けてないから怒っているのかな~』と母は言っていました。
それを覚えていた私は息子を連れて、行ったことのない徳庵のおばあちゃんのお墓参りに行きました。墓地の名前は分かっても、それがどこなのか、行けたとしてももちろん墓石がどこにあるなんてわかりません
でももう神頼みしかありません 。
やると決めたら、絶対やってみる私!!
とりあえず、頼りないナビを使いながら車で行き、なんとかすぐ見つける事ができましたが、問題は 墓石 がどこなのか??
しかしながら、気が遠くなるほどありますね。
一つずつ探していきましたが、お墓をウロウロ探すのは良くないですよね。
一時間後、事務所があるのに気づき、そこで見つけることができました。
墓石を掃除して、拝んでいると、それまで曇っていた空が ぱ~ っと明るくなってきました
願いが通じたような気がしました。
その後、祖父(母のお父さん)のお墓参りもすませました。
母はとにかく、昔から誰よりも誰よりも頑張り屋さんで、自分のことより、まず他の人の事を優先、心配し、誰からも好かれる人でした。
私や姉に子供ができてからも、奈良から大阪まで高速を走って、週に一回は来てくれていました。
そんな母に何もしてあげられない自分。でも出来る限りの事を精一杯やろうと決めました。
MRIの結果はまだ出ていませんでしたが、 リンパ が腫れているかもと言われていましたが、CTの結果リンパは大丈夫とのことでそれはひとまず安心できました。
リンパに入ってしまうと後でまた転移する可能性があるからです 。
-そして入院の日が翌日にせまった日、父が病院に入院の件で電話すると・・・
なんと・・・・・ 良性の可能性がある と言われたそうです。
すっごく嬉しかったけど、えっ!!!どういうこと、先生言うたやん、確かに言い切ってなかったけど、母が『えっ』ってショック受けてる時に『まだ切ってみないとわからないですけど』ぐらい言えよ。
先生の弁解によると、母の潰瘍は 今までに見たことがないくらい大きくて、ヘチマのように胃が変形していたようです 。
それほど大きい潰瘍なので、先生がそうだろうと勝ってに思ったらしいです。
母は勿論、私達家族は宣告されて、その電話の出来事までの一週間、本当に振り回され、辛かったです
しかしながら、大きい潰瘍なので、たまたま細胞を採取したところが良性だった可能性もあるので、再度検査して違う場所から採取するとのことでした。
そしてその結果が今日出ました。
良性 でした
あんなに大きかった潰瘍も小さくなり、ふさがっていた穴が見えていたようです。
胃のほうにも栄養が回り始めてきているみたいです。
ほんまにこれで悪性やったら、先生に怒鳴るところでしたけど、とにかく手術しないで治していけるということなので本当に良かったです。
やはりまだ母は死なないものと思っているんでしょうか、父が脳梗塞で倒れた時、私は息子を妊娠中で、 『あ~孫の顔を見ないで逝ってしまうのか~』 (今現在ピンピンして生きてます)とあっさり思ったものでしたが、母親は全然違いますね。血の気が引いて、頭真っ白でしたから。 母は偉大 ですね。
やっぱり親孝行もっとしておけば良かったと思いましたから、これからはもっと大事にしていかないとダメですね。
でもまたそんなことすぐ忘れてしまうんだろうな~。
入園したばかりだったので、もっともっと生きていてほしかったです。
しかし、子供を持った自分も、もっと体には気を付けていかないと、子供が可哀想だからね。
そして、母が見た夢は 予知夢 だったんでしょうか。
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