大分の観光

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別府八湯2  up!


亀川温泉(かめがわおんせん)

江戸時代の豊国紀行に

「里屋に温泉有り、塩湯なり里屋村を又亀川村という」

と記されていて、

海岸に豊富な温泉が湧出し天然砂湯は亀川温泉の名物でした。

又、その頃は別府の北の玄関として

豊前小倉への交通の要衝でもあったため

旅人の疲れを癒す湯治場として栄えました。

現在は一遍上人が上陸したといわれる

上人ヶ浜公園の一角に市営の別府海浜砂湯が有り、

周辺には温泉を活用した病院や療養施設、保養所を数多く有しています。




鉄輪温泉(かんなわおんせん)

八湯の中で最も温泉場らしく感じられる

鉄輪温泉はおびただしい湯煙が立ちのぼり、

まさに別府を象徴する景観です。

鎌倉時代「玖倍理湯の井」といわれた荒地獄を一遍上人が開発、

その一遍上人創設の「むし湯」付近が鉄輪の中心地で、

狭い道の両側には、多くの共同浴場・旅館・土産品店がひしめいています。

さらに鉄輪独自の入湯貸間旅館も健在で、

遠来の入湯客が絶えない別府の代表温泉地です。




別府温泉(べっぷおんせん)

伊予国風土記に「速見の湯」として記されているが

本格的脚光は江戸時代です。

明治に入ると別府湾の築港、日豊本線や別大電車の開通、

又、掘削技術の導入等で泉源数、温泉施設・温泉宿とも増加しました。

さらに大正・昭和と温泉施設も充実、次第に市街地が拡大されて別府八湯の

中心となりました。

別府温泉のシンボル竹瓦温泉を有し、

毎年4月に行われる温泉まつりは別府市民の総参加の祭りで、

この界隈を中心に行われています。



浜脇温泉(はまわきおんせん)

別府温泉発祥の地で

浜から温泉が湧き出る様子から「浜わき」の地名が生まれました。

鎌倉初期には、朝見八幡の創立、

江戸時代には港町・温泉町・門前町として陸海交通の要衝で急速に発展。

今でも昔風の旅館が並び、明治・大正時代の花街の名残もとどめています。

平成3年には、再開発事業の一環として、

浜脇温泉と多目的温泉保養館の「湯都ピア浜脇」がつくられ、

急速に現代的な顔に変わろうとしています。










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