大分の観光

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マリの世界2



テロ・紛争・戦争・虐待・人身売買

何が起こっている?

世界のどこかで毎日

子供達の悲鳴が聞こえる

泣き叫ぶ人達がいる

何が目的?

宗教・民族・領土・自分の心・金・欲望

それで目的は達成

それで満足な気分

殺戮と復讐

繰り返し繰り返し

憎しみが憎しみを生み

とどまることを知らない

神様許してくださいと祈りながら

繰り返す殺戮

果たして神は許すか

どこまでも続くのか

誰が止められるのか

暴力には暴力か

許してください暴力を振るう人々を

これは泣き寝入りではない

負の繰り返しを止めるための

決断



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ガンジーのアヒンサー(非暴力)の思想
   ハリジャン(ガンジーが発行していた機関誌) 
47.8.31日付他より抜粋 

 『人類はいつの世にも、

「自己防衛」という言葉で、

暴力や戦争を正当化してきました。

しかし、戦争に勝とうと思えば、

ナチよりももっと残忍になる必要があります。

憎悪に対して憎しみで応えても

かえって憎悪が増し、傷口を広げるだけです。

 軍隊の駐屯によってパンジャーブに

まずまず平和がとり戻せたように思われると、

ある人が書いてきました。

けれどもそのような平和は墓場の平和です。

より破壊的な暴力のための準備期間と言えます。

暴力によってもたらされた平和は、

必然的に、原子爆弾や更に

原子爆弾に対抗するすべての武器へと通じるのです。

それは、アヒンサー(非暴力)と

民主主義(民主主義はアヒンサーなくしてはあり得ません)を

完全に否定することでしかありません。

 ところで、人類の偉大な師たちの生き様は、

真の防衛は復讐をしないという

生きかたにあることを見事に示しています。

侵略者の意思に服従するよりは潔く死んで行く、

そんな男女の列が後から後へと

果てしなく繰り出される

思いがけない光景を目にすれば、

さすがの侵略者も、

ついには心を和らげるに違いありません。

実際、この場合、

武力で抵抗をするほど生命の損失は大きくないでしょう。

勇気は、殺すことにあるのではなく、

死ぬことにあるのです。

やがて侵略者の方でも、

相手を苦しめても意味がないことに気付くでしょう。

 昨年インドのグジャラートで、

婦人たちがラーティ(警棒)で殴打されても

敢然として耐えましたし、

またぺシャワールでも、

多くの人々が雨のように降り注ぐ

弾丸の中で暴力に訴えずに耐え忍びました。

人間を獣類と区別するのは、

このように道徳的水準において

獣類に勝ろうとする絶え間ない努力であります。

 さて、そのような無抵抗によって、

自分の生命を失えば、

自己防衛もむなしいことではないか。

また、イエスは十字架上で生命を失い、

ローマ人ピラトが勝利したのではないかと

疑問を抱く人があるかもしれません。

しかし、何と言われようと勝利したのはイエスです。

これは世界の歴史を振り返れば、

十分明らかです。

キリストの無抵抗の行為によって、

善の力が社会に解き放たれたのです。

たとえその途上で肉体を失ったとしても、

何ほどのこともありません。

生を享受するためには、

生命への執着を絶つことが肝要です。

 アヒンサーの美徳を

身につけるには長い実践が必要です。

おそらく数世代の年月がかかることでしょう。

それでも、

世界の諸々の営みの総計が破壊的だとすれば、

とっくの昔に世界は滅亡していたはずです。

愛が、言いかえればアヒンサーが、

私たちの地球を支えてくれたのです。』


アヒンサーとは

 暴力に暴力で対抗しても、

暴力はなくならない、

かえって憎しみが深まるばかりであります。

自らが犠牲になることで、

相手を改心させるのが最善の方法

であるとガンジーは訴えました。

これこそガンジーが世界に示そうとした

アヒンサー(非暴力・不殺生)の精神です。

そして、そのアヒンサーを土台にして、

糸車の取り組み

(拙著『ガンジー・自立の思想』参照)がありました。

 自らが犠牲になって

耐え忍ぶ行為ができるようになるには、

死(肉体の)をも恐れない

本当の信仰がなくてはできないことです。

『肉体が滅びることで、

魂が解き放たれるのであるから、

死は決して恐れることではない。

ただし、この世に生を受け、

手足を授けられた以上、

命のある限り手足を最大限に使って

奉仕するのが我々の生きる道である。』

とガンジーは書いています。

糸車の取り組みも、

このような宗教観に到達することなくしては、

持続的に行っていくことは不可能です。

ガンジーの言うアヒンサーは、

キリスト教で言われる神の愛、

アガペーに通じています。

ガンジーはすべての宗教に共通する

本質的なものを信仰した人でした。

『もし、西洋の人々が本当の意味での

キリスト教徒であれば、

植民地支配も戦争も不可能なはずである。

神は完全であるが、

それを伝える人間が不完全なために

どの宗教にも欠点はある。

その欠点を

少しでも取除こうと努めるべきではあるが、

ある宗教が別の宗教よりも

優れているというものではない。

キリスト教徒は良きキリスト教徒に、

ヒンズー教徒は良きヒンズー教徒に

なろうと努力していけば良いのである。』

とガンジーは言います。

 戦争は本当に多くの人の

人生を狂わせてしまいますが、

たとえ戦争に至らなくても、

例えば軍隊で訓練を受ける事は、

人を野獣に変えることであると言って、

ガンジーは戦争の準備行為にも強く反対しました。





「寛容と忍耐は、

不正への服従や屈服を

意味しているのではない。

寛容とは、

怒りや憎しみのような強い否定的な

感情が起きそうな状況で、

じっくり考え抜いた反応をするということです。」

(ダライ・ラマ)




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