Welcome to chiezo_ny's HP

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NYのJFK空港に降り立ったのは、誕生日から約一ヶ月後、曇り空の日だった。

一緒に飛行機に乗ってやってきたのは、私の他に男の子が二人。
何人もいた面接者の中から、私たち3人だけが選ばれたのだった。
一人は25才くらいのさわやか系くん。バーテンダーだという。
もう一人は今時風の無口な若い男の子だった。フリーターらしい。
入国はもちろん「サイトスィーイング」。
飛行機のなかで一生懸命覚えた英語で入ってこれた。
これから数年の間、ここをくぐることは出来ないなんてことは教えられもせず、考えもせずにやってきた。
家族総出で見送ってもらったけど、そのときはあまり寂しくもなかったし、
気楽だった。
迎えにはお店の人が来てくれていて、店で皆に挨拶をして、店の寮のようになっているホテルに案内された。
49丁目の8AVと9AVの間にある「ベルベデール」というホテル。
一緒に来た二人は相部屋らしい。私は一応女性なので一部屋別に与えられた。
彼らと私は別の系列店で働くのだという。
私は一人きりで新しい店にいかなくてはならない。
後に店でウエートレスをしていた女の子と一緒に暮らすことになるが、(シェアーという)
ここで2年くらい過ごすこととなる。
お店の人に9AVの向こうは行かない方がいいよ、と忠告された。
当時はまだあぶない地域だったのだ。
それから42丁目のあたりもまだ治安はよくなかった。
ジュリアーニさんが市長になったころから、治安もよくきれいな街になっていった。
部屋はステューディオ。クーンサイズのベットにテーブルとイス、
それにバストイレに簡易キッチン。ほんとにそれだけの部屋だった。(ホテルだしね)
なんだか寂しくなってきて私は少し、泣いてしまった程だ。
でも、次の日は一日だけ一緒に来た男の子たちと観光にでかけて、その次の日からはもう仕事だった。
仕事は楽しかった。お店に行けば誰かに会えるし、覚えることもたくさんある。
一度だけ同じホテルの別の部屋に引っ越しした。
その部屋は、同じ職場で働いていた先輩の部屋で私がきて一ヶ月ほどでフロリダに行ってしまったのだ。
その部屋にはラッキーなことにテレビがあって、そのころには店にも馴染んでいて友達もできた。
ウエートレスをやっていた、まりちゃん。
まりちゃんは私より少し年上で歌手志望でNYに来ていた。
そして自分も学校の寮をでたいから、一緒に住もうといってくれて
私たちはベルべデールでシェアすることにした。
当時家賃は$800(だったかな?)部屋はベット二ついれて狭かったけど、
電話もケーブルテレビもまりちゃんに入れてもらって、それなりに生活感もでてきた。
彼女と私の生活は全く違ったけど、それでも週末にクラブにいったりジャズを聴きにいったり、セントラルパークにブレードをしにいったりして、
いろんな意味で刺激を与えてくれる人だった。
48丁目に「Don’t tell mama」というバーがあって、そこで彼女はよく飛び入りで歌ったりしていた。
今もあの店はあるんだろうか。
まりちゃんはオーディションなども受けまくっていて、いずれはNYでがんばるつもりだとよく話していた。
日本ではセミプロだったという。

彼女の影響もあって私は前からやってみたかった、サックスなど習い始めたりもした。
狭い部屋で練習したっけ。まりちゃんも休みの日は歌っていたらしい。
うるさい部屋だと思われていたのかも。
でも、あんまり苦情はなかったな?そこがNYのいいところ?
音楽には寛大なのだ。きっと。
仕事場では一緒に働いているメキシカンの仲間(アミーゴ)に英語やスパニッシュを教えてもらったりして
私は結構楽しい日々を送っていた。

最初の一年は日本を恋しいなどと思う間もなく、瞬く間に過ぎていったのだった。
そして無口な男の子は1ヶ月ほどで、さわやかくんも一年ももたずにお店を後にしたらしい。
一番先に根をあげて日本へ帰るだろうと思われていた私は、その店で最初の
日本から面接を受けて採用された者として最期まで残ってしまったのだった。
私は板前としてグリーンカードを店で申請してもらっていたので、
辞めたくてもやめれなかった、というのもあるけど、
ともかく仕事はハードだけどNYは以外と私に合っていた。



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