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長男出産記 編


10:30 PM頃
いつものようにだんなを家で待っている。
なんだかトイレの回数が多いなと思っていたらなんと破水していた!
だけど、無色だしもう夜も遅いことだし明日の朝一番で病院へ行こうとたかをくくっていた。
ところが、明け方4時頃。
横になってもなにをしても量は減らない。
おまけに多量の出血もしてしまい、ちょっと私はパニックだった。
あわてて担当の医師に電話した。
でも先生いわく朝の7時頃病院に来ればいいとの事。
いよいよ出産だ!と思いつつ眠れぬまま準備をする。
8/21 朝の7時に車を呼んでNYUメディカルセンターへと急ぐ。
朝のラッシュに巻き込まれながらも、それでも20分くらいで着いた。
夕べは眠っていないし出産で気がたっているのか、かなり自分でもいらついているのがわかる。
着いてから出産用の後ろが丸見えな病院服に着替え個別の部屋でだんなとその時をまつ。
陣痛がまったく来ないので少し歩かされることになった。

え~先生破水してるんですよ!

それでもまだまだ、子宮口が開いていないという。
ちょうどお昼時になったので、だんなには病院のカフェでお昼をとってもらうことにした。
(私は食べちゃだめなのだ)
その間、えっちらおっちら病室の中を歩きまわる。
午後になって痛みにたえられず脊髄麻酔をしてもらうことにした。
一応これで無痛分娩ということになる。
しかし、麻酔は本当に効いているのか?!と思うほど痛みは減らない。
そして夜の7時頃になってやっと子宮口が9cm開いた。
それまではほぼ順調だった(時間はかかったが)のだが、その後まったく進展がなく、
とりあえずいきんでみることになった。
ラマーズ教室で教わったことなんか全部ぶっとんでいる。
頭は見えますよと先生は言ってるけど、なかなか出てこない。
私はパニック状態になってしまい、とても出産できる状況ではなかったといえるだろう。
どうしてもいきみきれないので鉗子をいれて、引っ張り出すことになった。特別な分娩室へ連れていかれて、
もう一度麻酔をかける。
そこでようやく長男「蓮」は誕生した。
8/21 10:30pm 破水してからちょうど24時間たっていた。
後でわかったことなのだが、難産だったようだ。
(逆子ではなく)頭が普通下を向いてでてくるのが、上を向いていたとのこと。よくわからないが。
それなのに先生は私に根性がない、などと鉗子を入れる前に言い放ち当時は本当に傷ついた。
次に妊娠しても絶対この先生は嫌だと思ったくらいだ。
(もちろん次男は違う先生に変えたよ!次男編もそのうちUPするから読んでね)
おまけに私は20日の夜からなにも食べていないし寝ていないのだ。
そりゃ体力もなくなるよ!(万一帝王切開の場合にそなえて病院では出産までご飯は食べれない、
朝も食べないで行ったほうがいいといわれていたので食べていなかったのだ、とほほ)
まあ、なにはともあれ無事生まれてほっとした。
ほとんど放心状態で誕生を喜べる状態でもなかったけどね。
(もちろん無事生まれて嬉しかったよ)

鉗子を入れたので裂けてしまった会陰を縫ってもらっている間、ずっと寒かった。
震えが止まらなくてどうしようもない。別室の産褥室でもずっと寒い。
毛布をもう一枚くれるよう、つたない英語で頼んだのは覚えている。
多分空腹と疲れのためなのだろう。
蓮はパパ(だんな)に抱かれて眠っているのが見えた。
私より先にだんなさまに抱かれた息子なのだった。
母乳をあげてみる?とナースに言われ、
少しだけ、まだそんなにでない母乳をあげてその後ナースに預ける。
私は完全母乳推進のラマーズクラスを受けていたので、ボトルはあげないでと事前に伝えておいたのだった。
(でも多分病院では少しは与えられていたと思う、今考えると混合でも充分だし、
私の身体のためにも心のためにも混合がよかったのかも…いまさらだけどね。)
友人数人が蓮に会う為に、分娩室の前で待っていてくれた。
で、蓮に会ったあと私にも会いにきてくれたけど、私は返事もできない。
そして、みんなは夜中の12時ちょっとすぎに帰っていった。
その後朝の4時くらいまで私はその部屋でとどまって眠っていた。
4時頃、部屋の用意が出来たとのことで起こされて812号室へベットごと運ばれる。そこでまた採血。
これでもか!とこの2日間で血を抜かれ、しかも全くご飯も食べていないので
超貧血なのが自分でもわかった。
朝5:30頃トイレに行きなさいと起こされたとき生まれて初めて記憶を失って倒れてしまった。
ほんとに初めての出来事。
5分くらいで意識が回復して、そのあと私はベットに縛り付けにされてしまった。
点滴はもちろんのこと、尿にも管が入れられてしまったのだ。

その後、病院のスタッフは「どう?」とかちょくちょく様子を見にきてくれたが、
もう早くご飯が食べたいのと寝かせてほしいのともう私は究極に疲れきっていた。
朝食は何が出るかと期待していたら、ジェリーとジュースと紅茶のみ。がっかり。
その後面会時間になってだんなが来てくれて、友人が作ってくれたという差し入れのおにぎりや
リクエストしていたとらやのどらやきを食べてかなり回復したが、
結局退院するまでの2日間、私はベットに縛り付けだったのだ。
悪ろという血のかたまりも結局退院の直前ににゅるっとでてきたくらいだ。
(これは医者が処理するのもののはずだが…
当時はあれ?なんかレバーの塊がでたぞ、くらいだった。あはは←無知)
相部屋だったのでとなりの小柄な感じの人は、
ちょこっと顔をだして「大丈夫?」なんていってくれたり悠々と電話をかけたりしていたが、
どうして貴方は起きてるの、歩けるの?!と不思議で仕方なかった。
彼女は安産だったんだろうな。

入院しているこの2日間一度も病院のなかをうろつけなかった私は、
病院でやるマザークラスにももちろん参加していない。
赤ちゃんは、ナースが4時間おきに連れて来てくれたので、その間はなにをされていたのかもわからない。
泣いていたのかさえも。
かくして、わけのわからぬまま、赤ちゃんを連れて家に帰ることになったのである。
私がブルーになったのは書くまでもなく、想像できることでしょう。
あんなに事前に本を読んで、クラスに通っても実際はわからないことだらけ。
育児へのとまどいはここから始まるので、あった。

医師への感謝の気持ちはあまりないけど(まあ、当時は少しはあったけど)、
ずっと付き添ってくれて立ち会いまでしてくれただんなには、本当に心から感謝しているのです。
それから出産は大変だったけど、やっぱり我が子は愛おしいのであった。
そう思えるのにだいぶ時間はかかったけどね。



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