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富山県には、太閤山って、地名が有ります。(山じゃなくって丘陵ですが~) 名前の由来は、あの秀吉さんが成政攻めの時に陣を張ったと云われる事からです。
今日ご紹介するのは、その頃の、 「安田城」
って小さな平城です。
(堀を含んでも150m×240mとのことです)

(パチリは資料館で頂いたパンフレットより抜粋~)
パチリの中の矢印は、現地で私がパチリした位置とその方向を示しています。
城としての活躍の場は無かったようで、ほどなく廃城となり、田畑になってしまったものの、地域住民の呼称にて、城跡で有る事が分っていた事と、江戸時代に作られた「安田古城之圖」を元に、昭和52年に調査が開始され、その姿が上の写真の様な形で復元されたと云うことらしいです。 「安田城跡資料館」
石垣ではなく、土塁と水堀をもった全体像が分かる平城として珍しい事例だそうです。
実際に行ってみると、何も無いせいか、結構広く感じられます。特に本丸の土塁は、その塀の上を人が往来できるような構造物を構築するのに充分な幅があると感じました。(建っていたかは知りません~~)
勿論、発掘時には、柱穴とか礎石も見つかっていたらしいですが、今は埋め戻され、芝が生えられています。
1番のパチリ(資料館より出た付近)
(天気が良く~バックには立山連峰がはるかに望めます~)
2番のパチリ(二の丸より本丸入口を望む)
(土塁の高さは1.8m 当時は2.4mとか~)
3番のパチリ(本丸の土塁上より、入口に向かって)
(さすがに平城だけあって、きれいに区画されてます~)
4番のパチリ(本丸の土塁上より、二の丸の堀を~)
(手前は本丸の土塁上です~)
秀吉が越中征伐に動員した兵数は10万 でもってこの城は、秀吉側の城だったらしい~(白鳥城の支城だそうです) その後、富山城を囲まれた成政は降伏って事です。
上杉の魚津城よりチョット規模が大きいけれど、そこは親分同士が元同僚~圧倒的な兵力差も与してか、多分、又佐さんの取成しも合ったでしょうし、悲惨な戦ではなかったみたいですね~。
パッセンジャーAの私としては、模擬(捏造)でも良いから建物がほしいですね~(賛否両論あるんだろうなぁ~きっと)