1968年のテト攻勢でベトナム解放軍がユエを解放したあと、米軍がユエ再占 領に動いた。米空軍次官タウンゼント・フープスは1968年3月のメモに米軍 のユエ攻撃の結果を次のように記した。残されたのは「めちゃめちゃにさ れ、ぺしゃんこになった市街だった。建物の80%が瓦礫と化し、破壊された あとの残骸の中に一般市民2000の遺体が横たわっていた。。。市民の4分の3 が家を失い、略奪が横行した。ARVN[米軍に支えられた南ベトナム軍](訳者 註:ARVN=Army of the Republic of Vietnam、ベトナム共和国陸軍)の兵隊 たちが最悪の犯人だった。」(1967年ベトナム戦犯国際法廷文書集へのノー ム・チョムスキーによるまえがき)