越中屋*四十五右衛門*商店

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「人生の扉」で開いた〈演歌〉の未来~結論

「ジャパ・グラ#25」 で提示したこの縦横軸。
<日本調> <洋楽ぽい>の軸と、<若>者向けか <老>人向けかの軸です。

         若
         |
    1    | 2 
         |
洋-――――|――――-和
    4    |  3
         老


図式化すると
1 <若>+<洋>がJ-POP ここがものすごく広がってるのが現代
2 <若>+<和>が70年代中期に始まったいわゆる歌謡曲
3 <老>+<和>が従来の演歌

もうお察しだと思いますが、
4 <老>+<洋>なのが、これまでほとんどなかったジャンル。これからの日本のAORではないでしょうか。


『デニム』が、「人生の扉」がその扉を開けた第1号になるような気がするんです。
今回この補講を通じてそう思えてきました。

日本のフォーク・ロック~ ニューミュージックを引っ張った世代が年を重ねて、自分の歩幅にあわせた着飾らないポップスを歌い出す。それを同世代のリスナーのために送り出す。

洋楽に影響を直接受けた第1世代が押し広げた<洋>の大地の中に、〈洋楽〉の装いをしたまま、自分の年齢にあった居心地の良い隠れ家を作りはじめた、んじゃないかなと思います。


> 「古賀政男から始まる昭和演歌の流れ」とは別の新しい〈演歌〉の台頭。
~ライターとして〈演歌〉を復活させる事ができる人はたくさんいると思うんですが・・・

これからの日本のAOR。この中から、やがて新しい〈演歌〉が生まれるような期待があります。
彼らが〈演歌〉を書いてくれれば、これから50歳、60歳を迎えるわたしたちもきっと口ずさむだろう、とそう予想するんです。


そういった結論もふくめて、
もっとさらに「人生の扉」をレヴューしました。


以下
元リンク先から転載(2016.11.30)

Denim

竹内まりやについていろいろ考えてみました。
mixiのほうは「ポップス伝」的に書いたので、こっちはいつもどおり主観的なレヴューにします。
今回まりやのメロディーを聴いていて、あらためて感じたのは、ナチュラル です。
目新しい仕掛けもなければ、奇をてらって上下もしない。どこかで聴いたことのある、ような懐かしいメロディーは、若い人には刺激が少ないとは思いますが、古い人には優しいんです。安心するというか。
このナチュラルさは、無理がない、無理をしていない、という彼女のライフ・スタイルそのもののような気がしませんか。

まずは、ユーミン、中島みゆきとの比較を書かずには行けないような。
ユーミンは松任谷正隆と76年に結婚しています。
夫姓にアーティスト名を改称するなど、既婚をはっきりと印象付けたシンガーとして稀有です。
そして正隆氏はサウンド・プロデューサーとして共同作業を一貫してつづけていて、これはあたかも一心同体のように写ります。

ユーミンの作品は生活感、とくに庶民感覚が希薄です。バブル期に重用されたのがよく理解できます。
lifeと書かれても、「生活」や「人生」ではなく、宇宙に対する「生命」のほうを連想してしまいますね。
ですからユーミンから〈老後〉のテーマが出てくるようには到底思えず、逆に〈不老不死〉さえ歌いだしかねない、タイプに見えます。
彼女が妻であっても、母ではないことが関係しているかもしれません。

彼女が毎年冬にアルバムを発表し、季節商品的に市場に迎えられていたころは、生産ローテーションをしっかり守るがための、時間と売上というプレッシャーとの戦いもあったと思います。
残念ながら昨今は彼女の話題はもはや新作アルバムではなく、「シャングリラ」や苗場のディナーショーのようで、ここではいまだに非日常的空間を観客に提供し続けています。
ですからある意味、音楽作品で勝負せず、ディズニーランドやフィギュアスケートの大会みたいなイベントが今の彼女のライバルなんでしょうか。

いっぽう中島みゆきは公称、未婚です。
彼女はユーミンのUPERに対してDOWNER系です。
ハレの祝祭的空間とは反対のマイナスの非日常空間に私たちをいざない、怨念の劇画に感情移入させてくれます。
「地上の星」は高度経済成長やバブル期を陰で支えた市井のサラリーマンの悲哀が多くの共感を生んだとも言えそうです。

まりやは、結婚休業、育児休業を取った事で、リリース数と発売計画の束縛から逃れる事ができました。
そういった「パート主婦」シンガー的な肩書きで、ファン層を納得させてしまったことで、クリエイターとして最適な制作環境を自然と手に入れることもできました。
これは特にクリエイターとしての活動方針を無理強いしたからではなく、妻として、母として家事や育児を、生活の中心にしたからであって、そのスタンスの片方はしっかり実生活に着いていた、と言えます。
けど、まりやの作品に夫婦や親子が出てくるのはじつはまれです。(娘の事を歌った曲はないですね)
いちいち主婦のリアリティーを歌わなくとも、そのプロフィールが認知された事で、リスナーは彼女の言葉をとおして、親近感や、主婦目線での時代性を聞き取る事ができるのではないでしょうか。
あえて批判をおそれずに書くと、
50代の女性の大半は主婦だと思います。
40代を入れたとしても、40~50代の女性で「主婦」やってる人の割合は半数以上でしょう。
そのマジョリティの共感を得られたのは、ユーミンや中島みゆきではなく、まりや だけだった。と自然に思えるのです。

なんだかんだいって、まりやの曲のテーマというと
不倫をはじめとする「大人の恋」、
女どうしの「友情」、
人生を励ます歌、癒す歌
だったような気がします。
『デニム』で言えば
「終楽章」「明日のない恋」「哀しい恋人」が〈大人の恋〉
「みんなひとり」が〈友情〉
「スロー・ラヴ」「人生の扉」が〈人生〉
それから「シンクロニシティー」はヤングのラブソングのようで、じつは熟年夫婦のツーカーとかあ・うんの関係だとわたしは読んでいます。

こうしてみると現代の〈演歌〉のテーマとカブってくるんです。
〈演歌〉だ! と断定されるのがいやな方には、
大人が共感を得られるポップスのテーマ 
として〈演歌〉と共通するものが多い
では、どうでしょうか?
まりやが「不倫ソングの女王」の称号を得られたのは、ある時期で、〈艶歌〉のファン層の一部を、まりやが獲得したからではないでしょうか。そう思えます。 

「人生の扉」ではついに「老いて行くこと」をテーマに歌ってしまいました。
シンプルなメロディーに無理のないテンポ。奇抜な表現もせずさりげない言葉が奏でられ、サビはまりやならではの英詩の押韻があって。
それで1コーラス目でfiftyの現在までを辿るんですね。
素朴なフラット・マンドリンの間奏が少し長めにあって、過去から現在へとゆっくりと時を戻します。カントリー・ウエスタンの音色でありながら、日本人がなぜかほっとするような和音を響かせて。
2コーラス目は四季の移ろいから年を重ねることのはかなさを歌い、60歳から90歳へ、まだまだある未来を讃えています。
余談ですが、構成がこんなに生きてる(活かされている)と思ったことないです。
~五十路を超えたわたしがいる~
~but I feel it's nice ~
~愛する人たちのために生きていきたいよ~
~but I still believe~
ずっと一人称で歌われている中に、
~君のデニムの~
と、おもむろにリスナーに歌いかけ、誰にも「輝く何かが」未来にある、と力強く訴えるんです。これにはキマシタ。
この〈君〉はすべてのリスナーであって、すべての同世代の人、その中には同世代のアーティストも含まれているのではないでしょうか。

さて、旧ニューミュージックの第一線のアーティストが50代を迎え、60の声を聞いた人もぽつぽつ出てきました。
その彼らの中で、まりやが最初にこう〈老い〉を歌ったのは必然のような気がしてきました。
ユーミンが歌えますか? 小田和正はどうですか? 矢沢永吉は? 桑田圭祐は? 浜田省吾は? 達郎は・・・
激しく突っ走ってきた人ほど、ブランクなく続けてきた人ほど、自分のこの足元が見えない。鏡に映った実像をありのままに受け入れられないんじゃないか、と思います。

まりやはゆっくりとした活動ペースのなかで、生身の体と一緒にアーティスト・イメージも少しずつ年を取らせて来ました。
自然に。無理なく。
ですから、45になったら、「心はいつでも17歳」とコミカルに歌い飛ばせるし、五十路になったら、そういったテーマを衒いなく歌える。
これがいたって自然に演じられるのは、まりやだからです。

さあ、もうポップスに寿命はありません。
これでみんな自然に歌い出せます。

それから、ついでに新しい大人のためのポップスを書いて40代以上のシンガーに提供して欲しいんです。
森昌子版の「シングルアゲイン」とか、石川さゆり版の「告白」とか・・・
ニュー〈演歌〉を作れるのは彼らニューミュージックのライターしかいないと思うんですけどね。
まりや本人の山下家版「娘よ」もついでに聴きたい。
2007-06-14


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