越中屋*四十五右衛門*商店

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『ポップス普動説』とは



われらが師匠と仰ぐ大瀧詠一氏は、日本のポップス史の研究者として多くの仕事をしています。

『分母分子論』(83)にはじまり、電波によるレクチャーは『ひばり島珍道中』(89)、『日本ポップス伝』(95)、『日本ポップス伝2』(99)。
アンソロジーの監修としてはシティースリッカーズ(85)、クレイジーキャッツ『デラックス』(86)、トニー谷(87)、橋幸夫(90)、東京ビートルズ(94)。
雑誌への寄稿は『普動説』(91)、レココレでは95年、「日本のポップスとキャロルキング」、「イエローサブマリン音頭と明治百年」を。97に「江戸前的コミックソング・コレクション」
そして筒美京平BOX(97)へのインタビューでも「ポップス伝外伝」をやっていました。

そのなかの『ポップス普動説』を少し要約してみます。


冒頭に70年にオリコンで1位を獲得したアルバムと80年のそれを比較しています。70年は森進一や藤圭子、演歌の若手が支持されているのに対し、80年はニューミュージック勢が9割、残りはトシちゃん、聖子ちゃんです。YMOの登場も印象的です。

本論におけるこの資料の引用の意図は80年を境に『分子分母論』の言うところの≪世界史≫と≪日本史≫の対立構図 が変化した、です。

『普動説』では”サウンド中心で世界で通用”する≪左派≫と”歌詞中心で日本人の心"が身上の≪右派≫との対立構図が描かれていきます。


60年代初期は九ちゃん、ミコちゃんに対する橋幸夫
70年はGSに対する森進一
というように若い橋幸夫や森進一が今以上に若い世代から支持されていた。

ところが80年以降は対立すると思われる演歌勢が若い世代から支持されていない。また演歌勢から若手が登場しない。

1980年には「おまえとふたり」五木ひろし、をはじめ「別れても好きな人」、「おやじの海」など演歌支持層は確固として生きている。
しかし、60年における橋幸夫、70年における森進一とは構図が違うと言う。

つまり左右の中心軸が左にずれていって、じつは≪左派≫として登場したニューミュージックの内部に≪右派≫の受け皿となる、さだまさし、松山千春、中島みゆき、らがいた。

左翼  左派          中道   右派    右翼
YMO  ニューミュージック 松田聖子 さだまさし 五木ひろし

さらに以前暗黙にあった≪左派≫と≪右派≫の上下関係が真の左右関係になった。


というようなことです。
いつの時代もこの左右の構図があって、中心に中道派つまり〈主流派〉があるという説です。
わたしはフランスの三色旗のような図を想像してみます。
まん中の白の部分が左寄りになったり右寄りになったり、左右が広くなれば、しだいにまん中の白に変色していくようなイメージです。

この、つねに中心軸が動くこと、幅が変わることを〈普動〉と呼んだそうです。


次は73年の曲のリストをその構図にはめ込んで見ましょう。だれがまん中で主流だったのか。


第6講 73年の音楽地図へ


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