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(先日の 自分の存在そのものが礼拝 の続き、)
自分で エイトビートバタフライ
を目指し、
エイトビートバタフライを泳ぐと、沈む、
と言うか、実際、沈んでしまった!?
今夜のバタフライは反省のバタフライだった、
なぜなら、
自分の力量でやろうとしたから、
自分のペースでやろうとしたから、
自分の過去の経験でやろうとしたから、
本来、
体が一番よい泳ぎと言うものを知っているわけで、
こちらは、体のコンディションのみを提供することになる、そこに、自分の頑張りが入る余地はない(はずなのだが)、
最後のターンで、
ようやく、本来のペースに戻ったが、
体に任せることに気づくまで、15分ほどかかってしまった、如何に(昨日の)成功体験が、
自分の泳ぎを害しているかのよい例であった、
そして、この自分で何とかしようとする傾向は、
バタフライに限らない、自分の生活の一挙一動に、深く入り込んでいる、
まず、 性急さ が前面に出てきて、
些細なことを省略し、早く終えようとする、その結果というか、実(フルーツ)は、
いらいらの苛立ち、不満、怒り、 疲労 へと続く、
さて、この根はなにか?
それは、
「人の存在は、それだけで尊い、」
(その尊い人から 派生するあらゆる行為 、 動作も尊い、)
この原点の欠如ではないか、
ここに戻る必要がある( と思う )、
この自分への尊重感、敬意感なくして、
行為、行動の変換(ユックリ)はできないだろう(と思う、)
ところで、”ユックリ”については 、
もう随分とイロイロ 書いてきており、
ユックリが、 リッチライフの源泉 となるであろうことは、
4年も前から、頭の中 に 充分入っ ているつもりで、後は、ユックリを行動に現すのみなのだが、
これがなかなか根付かないでいる、
そこで、ユックリがリッチライフの源泉なら、
そのユックリの源泉を押さえる必要があると感じた、それが、今夜の、
自分は存在していること自体が尊い、
である、
一挙一動はその延長にある、 一挙一動に優劣はない、
ユックリと、
尊い自分を思い浮かべながら、
”ユックリ”に取り組みたいと思っている、
参考)
宗教としての”今生きていると言うこと”、体験としての”今生きて いるということ” …
「みなさん、本当の幸せって何だと思いますか」
制服姿の中学2年生の少女が、聴衆に問いかけた。「それは『今、生きている』ということなんです」
ポイントは、多くを求めるのではなく、足るを知ること、
大量消費と効率優先の社会にあって、人生の最良は、
実は 何もしないこと (行動よりも存在重視)に気付けばアトは早い、
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
いのちはいただきもの天命で生れ天命で還る 2023年09月26日