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昨日、 なぜこうも自分の廻りには問題が多いのか? を書いたが、
昨夜、究極的(?)な答えがやってきた、
わたしから離れては、
あなたがたは何一つできないからである。
(ヨハ5-15)*この箇所は、丁度一年前の、
ピンボケの人生、詩篇127:2 にある、
この聖句を 眺め ながら、思ったものだ 、つくづく、イエスの言葉と言うのは、
いやみ、というか、
実行不可能、というか、
およそ、行動規範のようで、行動規範ではないな、と、
上の聖句も、 大変ポピュラーで、
牧師さんや教会学校の先生方がよくお勧めに使う 箇所 、「ですから皆さん、イエス様に従って行きましょうね、」
しかし、果たして、何人がこれをできているか、
あるいは理解しているか、こと、自分に関する限り、
絵に描いたもちのような聖句、
先日の 『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』、さて? でも同じ、律法学者からの 質問 で、
『先生、律法の中で、
どのいましめがいちばん大切なのですか』。イエスが 律法学者に答えたのは、
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』できないことがわかっているのにーー、
昨日は、問題をポジティブに見て、
「 自分を成長させてくれる 問題さん、ありがとう!」などと言ってみたりもしたが、
その時は確かに一時的に変わるものの、
如何せん、アトが続かない、継続性に欠ける、魂、思考のレベルで、
その発想を変えてもあかんと言うことだな!?
そして、先 ほど、
先日の 権威と力の違い、子供の祈り が思い出され、
子供が癒し の 力を祈った際、神様から 言われた言葉、「なぜあなたは、私に願わないのか、」
が、上のヨハ5-15の、
わたしから離れては、 あなたがたは何一つできないからである。
と重なる、
マッ、要は、わたしから離れては、 あなたがたは何一つできないからである。
を知らしめるために、
自分 の廻りには 、さまざまな問題、トラブルが満ちている、
と解釈し、今、落ち着いているところ、
おそらく、
”当たらずといえども遠からず”、
じゃないかなと思っているのだが、イエスの言葉が輝き始めるのは、
たいてい、自分がこうなった時であり、
およそ、聖書で読んだ、説教で聞いた程度では、
自分の中に光が放たれることはまずないだろうと思われ、
The Art of Being 2024年07月10日 コメント(1)
いのちはいただきもの天命で生れ天命で還る 2023年09月26日