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頂いて、
まことの自由とは、何にも誰にも強制されず、
「自分から」イエズス・キリスト、神の愛を信じきることだと思います。ここの「信じきる」と言う表現に、反応した、
ここで浮かんできたのは、
前屈、上体のぶら下げ で取り上げた、このイメージ、
何とかして、曲げようとがんばっている姿、
野口体操では、
上体ぶら下げと称される前屈、これの基本は、
意識して曲げようとせず、
ひたすら重力によって、上体を落としていく、重力は見えないけれど、確かに現存するわけで、
これに委ねようというわけだ、
神の愛もまた然りかと、意思や意識でとらえようとするのではなく、
神の愛 は、今、 そこにあって、
満ち あふれているのだから、ただ受ければいいと、丁度、空気があって、
そして、太陽の光があるように、それ故、
個人的にフィットするイメージはこれ、
大の字になり、
無抵抗に、全身で受ける、
”信じきる”と言うのは、
どこか、意識によるガンバリズムが見え隠れする、
ソー言う意味で、
信仰とは、
信じる世界ではなくて、
むしろ、信じない世界 だな、 と思う、
更新日 2013年05月14日 21時27分42秒
追記)
”信じきる”で、もうひとつのイメージが浮かぶ、
彼を覚えているかしら、
2012ユーロカップ、
イタリアのAndrea Pirlo選手のPKを受けて立つ、
英国GKのJoe Hart、絶対止めてやる、
と 思いっきり、燃え立っていたのはいいけど、Pirlo選手が 放ったシュートは、
ご覧の通りで、
パネンカシュートで、あっさりけりがつく、
Pirlo選手は、
“I saw that the goalkeeper was really fired up . ”
とGKの力みっぷりを見抜いていた、
GKのJoe Hartの力みは、
どこか、信じきる 信仰に似る、
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