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今日は体がゆるみ始めているのが体感できて歩いていて心地よかった、 面白いもので体がゆるみ始めると、ココロまでゆるみ始めているらしい、今日の午後の気付きなどは、その最たるものではないだろうか、こうなったら、とことん ゆるみの世界に没頭しようと思う、まさに、すべてはゆるむこと、の体現ダナ、ところでさっき高岡さんの講演テープ"平常心で勝つ"、を発見、実にいいタイトルだ、 イヤー、気が合うな、高岡さん! と思ってさっそく購入しようとしたが、品切れだそうでーー、ウーーン、残念!で、 めげずに 以下を注文、 「ゆる」スポーツ・トレーニング革命DVD武蔵とイチロー 人生、ゆるむが勝ちサテ どのくらいまでゆるめるか、乞う、ご期待ですな、
2007年06月26日
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いつものハーバーウォーク、今日もまた例の社長のマンションが見えてくる、もう昨日で割り切ったつもりだが、ドーもまだわだかまりがある、で、護岸沿いを歩いているとココロに一言、ポツンと来た、「私だよ」ウウーーーン、この一言には 正直まいった!今まで、この件でココロの落ち着きを得るために、ねたみを捨てるや、その人を祝福するや、自分の無力を素直に認めるや、 イロイロやってきた、それはそれで効果があった、しかし、根本的なところで何かが残っていた感じがぬぐえないのも事実だった、西宮に越して来て苦節、1年、 ヤット、分かったよ、アノ社長のマンションがそばにある理由が、すべては、未公開株の購入から始まって、 詐欺に出会い、引越し先のココで 当の社長居住のマンションに遭遇するのも、 計画済みだったわけだ、自分の本当の姿など、確かに こんな状況にでもならなければ、ナカナカ見れるものではない、特に金銭が絡むと、人は本性が出てくる、如何にHopelessな人間か、如何に怒りの塊(カタマリ)か、如何に空虚な存在か、如何にがめつい人間か、如何に愛せない人間か、本当に毎日、よく出てきた、この自分の姿に気付くために、今まで延々と丁寧な授業が繰り広げられて来たワケダ、そして今日の午後、コレが授業だと分かった時点で 何かが切れた感じがした、一言、 「今後とも、よろしくお願いします、」 ダナ、
2007年06月26日
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毎日のウォークの通り道に、ある人の豪華マンションがある、このマンション、 ヨットハーバーのまん前にあって、最上階で眺望抜群、多分億ションだろう、サテ、今から4年前、まだサラリーマンで投資のトの字も知らなかったころ、未公開株を友人に勧められて購入、1昨年、その株式(正式には単なる紙切れ)がポシャって他の未公開株への乗り換え案内が来た、コレはやばいと、返金を要求したら、返金には応じない旨の返答が来た、しかも昨年は脱税まで報道されている、こりゃだまされたかーー、以後、イングリモングリの時間が過ぎるわけだが、神様は実にアイロニーに富んでいる、昨春、西宮に引っ越してきたのだが、ナントその未公開株販売の社長の家が、すぐそばのヨットハーバー前であることが昨夏タマタマ判明、そう、冒頭の豪華マンションのオーナーはこの社長である、正直、コレには度肝を抜かれた、コレがアイロニーでなくてなんだろうか、マッタク、問題はそれからだ、ウォークで毎日彼のマンションを見る羽目になり、その部屋を見るたび、さまざまな思いがわいてくる、「あんな家に住みやがって、誰の金で住んでんだ!」 等々、感情のコントロールが得意な(?)私としては、原則はダイタイ知っていた、相手をねたんだり、攻撃したりする思いを持つと、自分にはね返ってくることをーー、それで毎回、そのマンションを見てもわざと「偽の祝福」などを送って紛らわしていた、そして今日、下記ニュースが目に留まる、未公開株詐欺、社長ら3人再逮捕、IT企業上場と偽る2007/06/24, 日本経済新聞 「ワールドインベストメント」(東京)による未公開株詐欺事件で、愛知県警生活経済課や中村署などは二十三日、上場予定のない企業の未公開株を上場予定と偽って販売したとして、同社社長の橋本誠一被告(58)=公判中=ら三人を詐欺容疑で再逮捕、会社役員、金子豊容疑者(66)=東京都港区赤坂=を同容疑で逮捕した。 調べによると、橋本容疑者らは共謀し、二〇〇五年九月から十一月までの間に、愛知県津島市の無職女性ら三人に、上場予定のないIT(情報技術)関連企業の未公開株を、〇六年春ごろ東証マザーズ上場予定で値上がりが確実などと偽って四株を販売し、二百四十万円をだまし取った疑い。 橋本容疑者らは同社の未公開株を約千人に計約二千株を販売し、約十二億円を売り上げていたとみられ、県警では余罪を追及する。このIT関連企業は未公開株の購入者から「いつ上場するのか」などの問い合わせが相次いだため、ワールド社に対して〇五年秋ごろ、「上場すると言って販売することは詐欺に当たる可能性がある」などと記載した警告書を内容証明郵便で送付した。しかし、橋本容疑者らは無視して販売を継続していたという。 すると、眠っていた闘争心がまた起き出す、「こりゃ、この社長も警察沙汰にして、決着を付けたろうかーー、」 等々、案の定、こうなってしまうと胸騒ぎは収まらなくなってくる、が、ココで今日は少し賢い示唆が来てくれる、多分 前回の記事、捨てる以上に、認めること、そしてすべてはゆるむこと、の影響があると思うーー、その賢い示唆の一言は、 こうである、「お前がおかしいんだよ」コレにはチョッと自分でも唖然だった、が、よくよく考えてみれば、今回の未公開株購入は、リスク管理も何も知らず、ただ欲に目がくらんだ末の投資行為であった、そして今まで一生懸命、自分の未熟は無視して 相手の不正ばかり責め立てて来た、この指摘を受けて以降、 私のココロはみるみる晴れ渡ってきた、ナルホド、自分をさておいて、相手の批難ばかり繰返す身勝手さ、まるで自分が一方的に騙されたかのように自己憐憫の化身となっている、コレに気付くために、私はアノ社長のマンションのそばに引っ越して来て、否応なくウォークで毎日そばを通って来たのかとーー、
2007年06月24日
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昨日の合気のかかった人達の反応を見て、あるシーンを思い出した、昔行ったトロントのリバイバルの風景だ、(笑いはガンを消す)当時ロンドンートロント間BA航空便が満席続きになる事態を生み出したトロントリバイバル、集まってきた人たちは笑いに笑い、さまざまな問題を癒されて帰っていった、 そして高岡さんに合気をかけられた人は一様に、瞬間わけわからなくなる、そして転げてその後、笑ってしまう、しかもそのアトは調子がよくなる、それを求めて投げられれるコトを欲する人もいるとかー、それで思った、ヒョットして高岡さんは Godly Manではないか、また、彼の合気はHolySpiritがサポートしているのでは、とー、その下地は充分ある、なんといってもゆるむということが最優先事項ということは、体もさることながら、無心でなければ不可ということだろう、邪心ではゆるめない、彼の柔和さ、温厚な性格、 童話を書くという優しさ、これらはゆるむに欠かせない性格だろう、ここでアルゼンチンのリバイバリスト、オマーカブレラの言葉を思い出す、「灰はすべて焼き尽くされたアトに残る残骸だ、 これは人目には役には立たない、又美しくもない、 が、神はこの灰を用いる、 少しの風で灰はどこにでも飛んでいくーー、 砕かれ、焼き尽くされた灰を神は用いる、」ゆるむということ、そして焼き尽くされて灰になるということ、共に無心に通じる、そのようにゆるんだ、あるいは焼き尽くされた心身は、あらゆる事態に即応できるのではないか、あるいは即応させられる、かーー、
2007年06月22日
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すべてはゆるむこと、彼は合気道の第一人者らしいのだが、合気道と言うのは私の友人から聞くところによると、投げる側と投げられる側の合意で成り立つものらしく、ホトンドいんちきに近いとーー、ところが、高岡氏には相手の合意がない、一方的にかけて、あっという間に2人だろうが4人だろうが倒してしまう、ひょっとして本物の合気をやる方だったりしてーーー、その順を見てみると、1) 全身をゆるめる、 コレがすべてだという、 体、筋肉、関節、そしてココロもゆるめる、 徹底的にゆるめる、 考えたり準備したりしてはダメ、2) ゆるんだ状態で、指でも手でも相手に触れているところに 瞬時に重心移動がなされる、 相手はたまらず、転げる、3) アト、相手のココロにも入っていくそうだ、 一瞬わけ分からなくなって、気がつくと転げていた、 というのが倒された人の感想とかーー、*合気がかかりにくい相手と言うのは自分(高岡)に敵対心を持たない人だというのも面白い、 互いの意識が影響しているらしい、このゆるむという概念は非常に魅力的だ、そのタイトルどおり、人生の極意の感じがしてきている、今日の夕方のウォークも体のゆるみ(特に股関節、肩)を意識して歩いたところ、 体幹が歩いている意識が強まって来て快感になってきた、また、上記の瞬間に重心を移動させると言う表現は、 バタフライのスピードアップにも応用できそうで、助かっている、やはりスポーツは意識の影響をなおざりには出来ない、しばらく高岡さんとお付き合いしてみようと思う、(追伸)今、骨格模型を探している、骨と筋肉のありか位、知っておかないと、意識も働きようがなそうなので、
2007年06月21日
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以前、腰痛関連の怒りはコントロールできるか、で紹介した、怒りの対処法、捨てる、今日はさらに昼間、怒りっぽいことを認めてしまうと言う誘惑対抗策、が来たのだが、これの調子がイイ、さっきウォークしていて気付いたのだが、背中が楽になっている、まさに腰痛は<怒り>であるの解決はココにあるのでは、と、感情のコントロール法はイロイロあって、私的にはこれまで平常心を含め、勝ちたい、儲けたい、成功したい、等々の私欲の気持ちを放棄することを目指してきた、しかし、怒りや気持ちの放棄自体は出来るが、放棄してもしばらくすると戻ってくるのにはチョッと閉口していた、ところが自分の欲深さ、怒り易さ、いやらしさ、を素直に認めてしまうと、変な緊張が取れてしまうと言う現実に遭遇したわけだ、 しかも今のところリバウンド(再発)がなさそうだ、これはノーベル賞モノではないかとーー、イヤイヤ もうチョッと、検証、検証で、アセラナイ、アセラナイ、うまくいきそうなら松井にも教えてやろう、不動心、これを得るには、「私には浮ついた心しかない、を認めること、」ってネ、
2007年06月19日
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昼下がり、いつもの生協でお昼を買い、その帰り、信号を渡りすがら、一人の自転車のオッちゃんとすれ違う、オッちゃんはそのままどちらかへ行ってしまったがーー、サテここから私の頭の中に勝手な妄想がやってくる、「オイ、お前なんで信号まもらへんね」とオッちゃんに言いがかりを付けられるシーンが来る、*そして勝手に怒りがこみ上げてきて、「ヤカマシイ、」と言って殴りつける、で 歩きながら、ハッと気がつく、ウウーーん、俺はやはり偽善者だ,いかに怒りのかたまりであることか、と、普段どんなに偉そうなことを言っていても、根っこのところで怒り/欲望のかたまりみたいなものが渦巻いている、しかし、今日はこれに気がつくのが早かったので助かった、 そう、 「俺はやはり偽善者だ」に、そしてこれを認めてしまったら、不思議にアトの怒りはこなくなった、で、これに味をしめて、今度、別の妄想や誘惑が来たら、それに反応しないで、即、自分の偽善者ぶりを認めてしまおうかと考えている、誘惑List: 傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲、ーー等々 対抗セリフ: (~ は上記List) 「俺は ~ のかたまりだ、ざまーミロ!!」 って、
2007年06月19日
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メモですのでアシカラズ、2007年05月14日 死海トレードの意味 ただ浮いているのみ、それもじっとして動いてはいけない、2007年05月14日 "軽さ"の続き 心身のバランス 、即ち体重も含め、ココロ的にも軽くなくては軽快なトレードは望めない、2007年05月16日 平常心を表す、 私のココロが上から、地上を見ている、2007年05月21日 損得で考えるトレード 決済を損得でするな、マネーは絶対値ではない、 常に移動しているフローで見る癖をつけよ、 2007年01月30日 クオンタムトレードまとめ 4)儲けを求めない、取りに行かない、予測しない2007年01月28日 見合い相手を見極める ウソでも笑う、 ウソにはウソで取り繕う、大事な知恵だと思う、2007年02月02日 QT振返り 価格を買わない "流れ"を買う(あるいは乗る)、誰かが予測を始めたら その予測する者から離れる準備を、2007年02月04日 続)Word of knowledge すぐ天狗、GiftなんだよGift、君の投資/賜物の才じゃないのよーー、2007年02月04日 きたきた ハートの英文法DVD ルールで見るか、ハートで見るか、この構図は 絶対マネーとフローマネー、古典物理と量子物理の相違、現代医療と自然治癒、モノコト論、とまったく同じである2007年02月06日 Must と Have toの違い ハートの廻りに 英語(言葉)が付属してる、ハートがどう感じるかで 英語をつかむとイイ 、
2007年06月15日
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昨日のエントリーの大切さの続きで、エントリーのポイントは相手に聞くなり、待つ、である、では相手に聞くなり、待つのポイントは、やはり平常心だろう、これなくして不可の気がする、ってコトで、平常心といえば放棄、になるわけで、結局、エントリーのポイントは放棄となる、その放棄のサンプルを、少し、「儲けを得ようとするものは これを失い、 捨てるものは これを得る、」「成功を得ようとするものは これを失い、 捨てるものは これを得る、」「美しいフォームを得ようとするものは これを失い、 捨てるものは これを得る、」「命を得ようとするものは これを失い、 捨てるものは これを得る、」「平常心を得ようとするものは これを失い、 捨てるものは これを得る、」
2007年06月03日
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ナンダカンダ言って世の中これ、エントリーがすべてだったりしてネ、これはタイミングのことだ、そしてこれは超がついて難しい、人にアドバイスするのに、べらべら一方的に言いまくる、トレードで売買時期でもないのに売買する、早すぎるタイミングでのプロポーズ、 等々自分の体験/考えがすべてだと思ってしまう浅はかさ、自分で良かれは 相手/相場の良かれでは決してない、そこで自分なりに基準を思いついた、アドバイスは原則、相手が求めてきたときのみとする、トレードの売買は相場から声がかかってきたときのみとする、そう、求めに応じて、 これなら一方通行にならなくてすみそうだ、ところで、相場の声って何、と言う声が聞こえてきそうだが、私の基本行動指針ということで、今夜はこれにて、 * 今夜のこの方針決定は来週に向けての準備だと思われる、 いいタイミングでもらった、 感謝!
2007年06月02日
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相も変わらず、シマーーー、な相場、で、さっき、生協までお昼を買いに行ったときのこと、近くの高校の前にバスの停留所があるのだが、そこに数人の高校生がたむろしている、で、 たちが悪いわけね、前を通ると、おもむろに私の前に顔を突き出してけしかけてくる、誰かが、「やめとけ」と言うのが聞こえてくる、マッ、その場はほとんど無視してゆっくり通りすぎたが、問題はその後、 猛烈に、殴りたい衝動に駆られてきた、マッ、結局、これも、徐々に収まったがーー、まるで、人格が変わってしまったかのような自分に、自分でも唖然、で、今思うと、本当に なんとも情けない限りだった、普段 平常心、平常心といっている割にはとっさのときに忘れている、 心もとない話だ、平常心の原則は、"放棄"である、これなくして平常心はあり得ない、"放棄"とはこの場合、成功/失敗、儲け/損失のみならず、 闘争心、仕返し、の類も含むのだろう、また、学習した、もう一回、あのバス停に行ってこようかな、
2007年05月24日
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北風と太陽の中、抜群のコラボを楽しんでいると、やはりこれを壊すのも出現すしたりする、ハーバーウォークの帰り、けたたましいエンジン音が聞こえてきた、水上バイクである、この水上バイク、 静かな香枦園浜の住民の悩みでもある、特に今日のような休日は、水上バイクを遠くから車に積んで、やってくる、駐車場にも、「近辺での水上バイク禁止」の張り紙があるが、関係ない、で さっそく、私にも怒りが湧き上がってきた、「いったいオマエラ 何様だ、 この静かな海岸で 好き勝手に爆音上げて!」と、いつもの通り、カッカし始めたのだが、そのアトが今日は違った、そう、 思いに、例の平常心のフレーズが現れたのだ、「うるさくても、静かでも、大切なのは 平常心」「怒っても、怒らなくても、大切なのは 平常心」いつもなら怒りまくっていたであろう場面で、私のココロは一変してしまった、スーー、と怒りが退いていくのを感じた、すごいな、平常心、 ココまでコントロールしてくれるとは思わなかったゾ、 葛藤が収まるまで、この間 約5分、再び北風と太陽のコラボを楽しみながら帰ってきた、
2007年05月20日
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株式相場も、順調に下げて頂いた今日週末の午後、イザ、哲学の道へ、道中、浮かんで来たのが、 「平常心を得るには、」何回か書いているので、重なってしまうが、ソコはソコ、書けば書くほど 自分の理解が深まるので、アシカラズ、そしてイキナリ結論だが、ヤッパリ「すべてを捨てるココロ」、となる、以前から繰り返し言っているが、チットモ変わらないところがイイね、すべてを捨てる、とは すべての結果を放棄する、 即ち、儲け/損失を放棄する、勝ち/負けを放棄する、成功/失敗を放棄する、それら(結果)よりも、大切なのは「ココロの平安だ」 と来る、今日の2時間のウォークはもうこれだけで十分だった、空っぽのココロほど気分のいいものはない、
2007年05月18日
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こんな感じか、 私のココロが上から、地上を見ている、地上はさまざまな思いがうごめきあっている、私のココロはそのうごめきあっているあらゆる思いの上に位置している、ここは平常心の世界、おっ、地上に私自身も見える、体は地上だが ココロはここにあるので、ココロの軽いこと軽いこと、ってなモンで、
2007年05月16日
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マッ、どっちでもイイと言うことが判明した、昨日はチョッと新日鉄を売ってみたが、 怒涛の巻き返しであえなく損きり撤退、その後、ショボショボしながらいつものハーバーまでのウォークへ、そしたら、こんなのが来た、「負けても勝っても関係ない、大切なのは平常心、」 ダト、そして、続いて、「食べても食べなくても関係ない、大切なのは平常心」(いや実は、チョッとおなかが空いていて、どこかで食べなきゃいかんな、と思っていた矢先だった、)ナルホド、結果なんか、ドーデもイイのだ、大切なのは心のあり方なワケだ、イヤーおかげで沈んでいた気持ちがスッカリ回復した、勝っても負けても平常心、 ウン、松井の心境だったゾ、
2007年05月10日
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この手の情報は嫌いではない、911シリーズ、真珠湾攻撃の真実、アポロは月に行ったか、郵政民営化の裏舞台、道路公団民営化の裏事情、健康保険料の使われ方、ガンの原因はウイルス、は本当か、Etc Etcそして、この手の情報を見ていると、いつも自分の内にかなりの怒りの感情がもたげてくるのを感じる、で、今日、ウォークしているときにやはりまた怒りがわいてきた、すると、同時にひとつの印象が来た、「イイカゲンにやめろ」 と、いったい誰がその怒りを感じているのか、と言わんばかりの印象だった、コレは考えさせられた、この怒りを感じているのは他ならぬ私の正義心だ、そして印象はさらに続く、「お前のつまらぬ正義心で判断するな」と、ウウーン、コレにはまいった、確かにその通りだった、さまざまなイワユル理不尽な事象に反応し、怒りをあらわにしていたのは、 他でもない、自己中心的な思いしか持たない私の正義心だった、そしてこの正義心、相当なクセモノだ、正しいふりをして私の心に住んでいる、ワタシがニュースなどを見て、不正を感じると、すぐ声が聞こえる、「見ろ、この不正な税金の使いっぷり 」「見ろ、この国のイイカゲンさ 」、 ワタシの正義心は この言葉にものすごく喜んで反応する、そして怒りを丸出しにする、ココは先週の黒岩氏の「ボヤキ症候群」のブラックコーヒー事件を思い出したい、事実関係にイチイチ反応しないこと、自己中心、自分が正しい、から 周りに合わせるへ、この世はすべては仮説に始まり、仮設に終わる、を肝に銘ずる、ということで、次回ワタシに理不尽な記事や事実で怒りがこみ上げてきたら、「オ、偽の正義心がワタシを試しにやってきたな、」でスルーしよう、
2007年04月30日
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"クレージーイングリッシュ" 、 リー先生のドキュメンタリーだ。さっきDVDで見たので 忘れないうちにメモにしておく。 I want to be crazy ! いいフレーズだ、冒頭に何人かの生徒が叫ぶせりふだが、これで魅せられてしまった。ストーリーは単純、 "Richを目指し、英語を使えるようになろう"、 だ。 1999年の映画だが 主人公のリーは19才から始め、10年間で中国全土で6000回以上の講演をこなしてきた。 講演には万単位で人が集まることもしばしばだ。 しかし中国を出たことがない。 翌年2000年の訪日が初の外国訪問になる。 テーマは英語教育、なぜ東洋人は英語が下手か、(特に日本人)。そして なんとなくだが わかった気がした。*下手な英語学習書なんぞ読むより このDVDを見たほうがはるかに よい答えが見つかるだろう。(本編もいいが付属でついているおまけのインタビューが結構英語教育の本質を突いている。また中国人相手の講演と日本人相手の講演風景を見比べると日本人英語の問題点が浮き上がってくるのも面白い。) 独断的で恐縮だが要点をまとめると以下の2点;母音を(体全体で)大きく、早く、クリアーに発音する、そのための口の筋肉トレーニングは必須、(ただしこれに慣れると中国語が話しにくくなるので要注意)文章を丸ごと、口に出して、体で覚える (長文読解、文法、聞き取り、英作文、の縦割りは百害あって一利なし) 以上だ。サラッと書いたが これは大変示唆に富むものだ。 これはこれである意味、革命的で 今後大いに活用していくつもりなのだが、今日メモしておきたいのは実はこれではない。 もっと印象的なのは彼、リー先生のパッションのありかで、以下、彼のフレーズから、I want to lose my face、恥をバネ、友としてきた死の次に恐れるもの それは講演だ常にチャレンジすることがモットーだ なぜ不眠不休で何千回もの講演が可能なのか。彼が英語に情熱をかけるのはその学習方法の普及以上に 内面の自分の成長にあると見た。 (外国人記者クラブでのインタビューで、「難しい質問を歓迎します、チャレンジが私のモットーですから」、と。)英語の普及は彼にとっては目的ではなく (映画では目的だと言っているが、私にはそう見えなかった) 大切な手段となっているのだと思う。 先日、NK225と十字架の記事、 で 自己に死ぬ、を書いた。http://plaza.rakuten.co.jp/555yj/diary/200701170000/ そして自分の十字架を見上げていくこと、がその要になると書いた。今でもその思いは変わらない。しかし、自分で書いておきながら 今日はリー先生に教えられた。 なるほど 自分の見上げる十字架とは 必ずしも十字架の形をしているわけではないことを。
2007年01月19日
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悩みというのは 尽きないものだ。そして 得てして 長引いて ナカナカ気分が晴れない。 今日は ハーバーまで散歩しながら 鬱的に ぼんやり歩いていた。 すると 浮かんできました。 「生きてるだけで儲けもの」が。これに プラスして 「すべては仮説で始まり仮設で終わる。」もやってきた。 この2つで ほぼ 晴れ晴れしてきた。(かなり寒かったけれどーーー。) メカニズムは省略、とにかく 気分がよくなったのだ。以上
2006年12月04日
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今日は髪を切りにECOさんへ。 待ちあいの机の上に 一冊の本があった。1歳から100歳の夢これはいける!! イヤ 、 内容では なくて。 ページを開くだけで昇ってくるものがある。文章をパラパラながめていくと さらに 来た。脱パフォーマンスの本だ。 安定感がある。軸がしっかりしている。まるで そう、毎日のウオーキングの世界だ。地に足がついている。 派手さがない分、いざなうところが 内側へと向かう。読むというより、100人の書き手の魂の鼓動にジックリ耳を傾ける、 そんな本だ。 アロマテラピーのように 立ち昇ってくる香りが ここちよい。
2006年12月03日
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昨日 NK225で 少し 損きりをした際、面白いことに気づきました。 以前なら 後悔後悔後悔で 自分を責めまくりそうな 場面であったにも 関わらず、以外と冷静だったからです。それは 多分に 欲に駆られての 取引ではなかったことが 大きい要因だと 思われます。「オオオ--上がってる、これは 買わねば!!!」、 で ギンギンで 欲望丸出しの取引が今まで多かったのに--。自分でブログにまとめている成果が 少し出てきたようです。 そして 何よりも これは 魂の成長じゃないか、と 思いました。NK225は 取引を通して 私を 成長させてくれたんだな--、と。どうも 勝ち負けよりも ここらへんに something greatがありそうな気がしています。 一体 誰がトレードをしているのか。 勝敗/損益も 確かに大事ではありますが それ以上の何かを感じた 昨日の取引でした。
2006年11月01日
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