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2010年05月30日
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カテゴリ: 政治・経済の頁
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某ブログランキングに「芸能人」、「野球」、「 政治 」で参加してしまった。特に政治カテゴリーは:260位/748人中らしい。

書いた日記が「大笑いした森喜朗元総理」だけでは、ランキングから来て頂いた方(もしいらっしゃれば)に申し訳ないので何か書こうと思ってキーボードを叩いている。

我が実家では父親が「京建労」に加入していた関係で、日曜だけ「 赤旗 」がポストに入り、物心ついた時から読んでいた。日々購読していた「京都新聞」とも大手新聞とも「何か違うな?」と気づいたのは中学生の頃だったと思う。

1950年から1978年まで7期28年間府知事だった蜷川虎三の全盛期を知らないが、とにかく京都を含む大都市圏は革新政党が長く強かった時代があった。その時は気づかなかったが小・中の先生方は「日教組」の活動に一生懸命で組合員と非組で争ったりしていた。

私が生まれた時の首相は佐藤栄作で、その年の秋吉田茂元首相が亡くなっている。中学に上がる頃は大平正芳内閣が発足し、自民党は派閥の力学による政治の真っ最中、大平の前が福田赳夫、前の前が三木武夫なので田中角栄はよく覚えていない。

国政は自民党の一党独裁、地方政治は革新が衰えながらもまだまだ頑張っていた。

選挙権はまだ無い。寡黙な職人だった父親より、今年の晦日に73歳になる母親に色々聞いた。



「家の前を舗装してくれる約束があるから、共産党」

多分、市会議員選挙だったのだろう。今とあまり変わらない…

「それはいかん事違うの?」

「田中角栄なんか新潟県で一日に車3台しか通らんのに橋架けてんねんで」

母にとって規模の多寡こそ違え同じようなものだったのだろう。

高校の頃、現代社会を教えてくれた先生が卒業後、母校の校舎の屋上で「日の丸」の旗を燃やして新聞に載った。国旗国歌法制定が1999年なので入学・卒業式で「君が代」を歌った記憶がない。たぶん国旗も揚がっていなかったように思う。国旗を燃やした先生は受験の際、「君は素質があるから立命館を受けたら…」と仰った。素質とは学力ではなく違う意味だとしばらくして気が付いた。

俗に「死んだふり解散」と言われた衆参同日選挙の翌年、選挙権を得た。勿論中選挙区制で自民党が衆院300、参院143(非改選含む)と圧勝した。やけに投票率の高い選挙だった事は覚えている。首相は中曽根康弘である。

国鉄がJRになり玉置浩二の安全地帯が「じれったい」をヒットさせた頃、私はまだ実家に住んで学生をしていた。今は無きソ連のゴルバチョフ共産党書記長とレーガン米国大統領がINF全廃条約に調印した年である。ベルリンの壁はまだあった。

インターネットはまだ無い。携帯電話も無い。自動車電話はあったかもしれない。

就職するまでは国政選挙を含め一度も投票に行かなかった。何度か「公明党」にとお願いの電話があったが「はい、はい」で済ませた。興味がなかった訳ではないが1票で何かが変わるとは思えなかったからだ。

紙数が尽きた。ブログに紙は関係なかろうが疲れた。就職してからは次回に譲ることにする。





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最終更新日  2010年05月30日 23時05分12秒 コメントを書く
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