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リンロン88

リンロン88

2011.09.09
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カテゴリ: スピリチュアル

 イエスに会った話をするのを先にしようと思ったのですが、きちんと書くと、膨大な量になりそうなので、後回しにします(笑)

実際、こんなメールのやり取り、読むだけでも大変じゃないですか?そちらからメールでのコンタクトを依頼されたとは言え、やりすぎだったら遠慮なく言ってください。分量を落とします(笑) でも、考えながら書いているので、つい長くなっちゃうんですよ。

 そうですか、反骨精神=パウロですか、〇〇さんの中では。 それだったらわからないでもないですが、それはあくまで〇〇さん個人の定義ですから、一般にはやはり誤解を生みます。言葉の力、つまり言葉に付随するイメージの力というのは侮れないので、特に名前に関しては慎重にしたいですね^^;

 放蕩息子の話は、確かによく聞きますね。説教の中でもたびたび出てきます。あれを、父親の息子に対する「無償の愛」という受け取り方をするのが「普通」の受け取り方でしょうか。

 でも、私は「普通」ではなく、どちらかと言うと「天邪鬼」なので(笑)、この話の本当のポイントは、この息子と父親にあるのではなく、それを見て文句を言う兄の方ではないか、という気がしています。

 「弟に対する、あるいは弟に対する父の態度に対する」不満が、その人にとっての「不幸」を生み出す、ということです。

 あの場合、兄も、父と同様に、この一文無しになって帰ってきた弟を歓迎し、愛で接することが出来たなら、この兄は不幸にならずに済んだのです。ここに「同じ現実」に会って、不幸になるか、幸福でいるかは、その人の心の持ち方次第だ、ということが明確に現れます。

 普通、「不幸」や「幸福」は自分の外にある「現実」にその原因がある、と考えがちですが、実は、「不幸」を作り出すのも、「幸福」で居るのも、全て自分の心の持ち方次第である、ということを示しているのがこの逸話ではないか、と。



 これを単なる「逸話」で済ますことも可能ですが、どうもそうではないような気がしています。特に「旧約」の中の神は、人間の考えた神に過ぎないと思われる点が多々あります。思うに、預言者と呼ばれ、神の声を聴くことが出来るとされた一連の人たちは、神の声を聴いたかもしれませんが、その内容を人々に伝えるにあたり、その人自身の解釈を加えて伝えたのではないか、と私は思っています。

 あるいは、「自分の理解できる範囲で」理解し、「自分が受け取った」と思うメッセージを「自分の語彙」の範囲の中で書いた、ということでしょうか。


 このテーマ、つまり、「神の声」を聴くことと、人間の知性や言語の限界についての話も、書き出すと膨大になりそうなので、いったん置いておきます(笑)

 質問にあったものを一つ一つ行くと、まず「イエスは神のひとり子」。これは書かれているように、マリヤが処女であったかどうかは別にして、マリヤから生まれた偉人であり、もしかしたら、人類史上、最高の偉人の一人かもしれません。そして、神の子である、ということに私は異存ありません。

 なぜならば、全ての人が神の子である、と思っているからです。なので、私が信じないのは、イエスが神の子である、ということではなく、イエスが神の「ひとり」子である、という点です。ここに、「イエスこそ唯一の」という考え方の根拠があり、キリスト教の排他性を生み出す根源があります。

 次の「三位一体」。これは〇〇さんも書かれているように、後付けですね。(というより、私は後付けだと思います)なぜその概念が現れたか、というと、まず教義があり、その教義を合理的に説明するのに都合がいい、という理由です。

 イエスその人は、そんな三位一体なんて言っていませんよね。じゃあ、「父なる神」「精霊」「イエス」という三つの存在があるのか、と言われればあります。

 一体か?と言われれば一体でしょう。それじゃ、三位一体じゃないか、と言われるかもしれませんが、キリスト教の中では、この三つが合わさって、大きな意味での「神」になっていますが、私が言っているのはそうではなく、「神」=「一にして『全』」なる存在」という意味において、です。

 「神の裁き」の話は、上の旧約聖書に関するところで書きました。また「罪と罰」については、先日の 罪=「的を外す」こと、の中でかなりの部分触れましたので割愛(笑)

 ただし、「罪」に関しては、〇〇さんも書かれているように、キリスト教では「罪」「罪」って、さかんに言いますよね。そして、カトリックでは、それを懺悔する、という「形」まであるのでしょう、たとえそれを聞くのが生身の人間でも。

 この懺悔をしたら赦される、とか、司教や司祭、神父はこれを聞いて神に代わって赦すことが出来るが、一般の人は出来ない、とか、聖書のどこかに書いてあるとか、イエスが言ったのでしょうか。私は少なくとも知りませんが。

 それはともかく「私たちの罪のために死んだ」を信じておられないのですか?!! それって、キリスト教の根幹ですよね(笑)

 他のことはともかく、この「私たちのために、身代わりになって十字架にかかられた」というのが、キリスト教を信じる大きなきっかけになった、という人は多いと思います。そして、信仰を深めれば深めるほど「本当にそうだったんだ。感謝しかない」と思われる人が多いようですが。

 再び、「洗礼」についてですが、もし「神を信じますか?」で「居ると思う」と答えたら洗礼を受けられるのですか?!

 でも、その「神」が聖書に出てくる、あるいはイエスが言う「父」と全然違っていたらどうなるんでしょうね(笑)私は「やおろずの神」を信じます、なんて。

 洗礼は、「新しい自分に生まれ変わる」という意識付けをする、非常にいい儀式だとは思いますよ。一度死んで(水に浸されて)、生き返る(再び水から出る)、ということを象徴しているわけで、それを意識して行なうと、すごく効果的ではないか、と思います。



 神はキリスト教の信徒に対してだけ、神に近づく「儀式」を与え、それ以外は無視、あるいは見捨てたんでしょうか?

 あるいは、バプテスマのヨハネがイエスに洗礼を施した紀元30年ごろまでの数千年間に、洗礼などを知らずに生まれて死んでいった何億の人は、神とはなんのかかわりもなかったんでしょうか? 

 キリスト教が現れたのは高々2000年前です。それ以前の人は救われない?
もし「洗礼」が、神が与えたものだとしたら、どうして、神は、人類が現れてすぐにこれを与えず、つい最近(2000年前ですが)になって与える気になったのでしょう?

などなど。

またまた長くなっちゃいましたね。TM瞑想については、初めに書いた「イエスに会った」人との関連で書きます。

ね、読むだけでも大変でしょ?(笑)



PS.チェーンメールが長くなったので、一つ前のメール以前は、削除しました。








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Last updated  2011.09.09 11:20:04
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リンロン88 @ Re[1]:「いただきます」と「ごちそうさま」(03/29) プチプチ大家さん >リンロンさん、もう楽…
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